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近江編(26):桂離宮(15.3)

 そして池の向こうに、船着場のある茶室・笑意軒が見えました。近づいて中をのぞくと、扁額の下に円形の下地窓が左右に六個並べた独特の意匠です。夜、この六つの丸窓から室内の光が漏れる光景は、幻想的でしょうね。中の間には大きな窓が設けられ、その向こうには水田がひろがっているそうです。手前に池、奥に田んぼ、涼風が吹き抜けるため、夏の茶室となっています。窓の下の腰壁もまた斬新な意匠、中央部分をひらべったい平行四辺形に区切って金箔を張り、左右の細長い直角三角形のスペースには市松文様の天鵞絨(ビロード)を張ってあります。
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 襖の引手は船の櫂の形、杉戸の引手は矢羽根の形、細部も侮れません。
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 笑意軒の前にある敷石は、さまざまな形や色の石がちりばめられ、歩くのがもったいないくらいです。ここが「草の延段」ですね。船着にあった小さな灯篭は竿や中台がなく、太陽・月・星を表す丸・三日月・四角の穴が穿たれた愛らしいもので、「三光灯篭」と言うそうです。
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 そして新御殿・中書院・古書院を左に眺めながら歩いていくと、古書院の広縁から突き出た月見台がありました。池に面した六畳大、竹簀子張りのスペースで、観月のための施設です。
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 そして最後の茶室・月波楼へ。池に面しており月見を楽しんだ茶室で、襖には紅葉の粋な小紋がちりばめられています。ここは秋の茶室ですね。古書院の月見台が主に月の出の観賞を目的としているのに対し、月波楼は小高い盛土の上に建っているので池の面を広く見下ろすことができ、池水に映る月の影を賞したようです。襖の引手は機の杼(ハタのヒ)でしたが、どういう由来があるのでしょうか。ご教示を乞う。月波楼の前に据えてある手水鉢は、水穴を鎌の刃に、右手の出張った部分を柄に見立てて 「鎌型手水鉢」と呼ばれています。秋の刈入れを象徴させたのですね。そういえば、冬の茶室・松琴亭の外腰掛には、収穫を意味する二重升の手水鉢ありましたっけ。なんと芸が細かいことよ。
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 そして古書院の玄関口である「御輿寄(おこしよせ)」へ。ここには杉苔で覆われた壺庭があり、切石をきっちりと組み合わせた延段、「真の延段」があります。石段の上には、六人分の沓の幅があることから「六つの沓脱」と称される、御影石製の沓脱石があります。また、自然石と切石を混ぜた飛び石が自由奔放に打たれており、石の饗宴とも賞すべき素晴らしい空間となっています。
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 中門の内と外にも、素敵な石が打たれていました。中門をくぐって振り返ると、ここもいい風情です。切妻造茅葺のしぶい門、右手には黒文字垣、そして洒落た敷石、一幅の絵のような光景でした。なお黒文字はクスノキ科の落葉低木で、その枝は高級妻楊枝の材料です。

 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-23 07:38 | 近畿 | Comments(0)

近江編(25):桂離宮(15.3)

 そして飛石の上を歩いていくと展望が開け、池や中島、対岸の松琴亭が見えてきます。この急に視界が開けるという劇的な効果も演出されたものですね。青黒い賀茂川石を並べて海岸に見立てた洲浜、その先端には灯台を模した小さな岬灯篭、そして天橋立に見立てた石橋といった景色も、景観にアクセントを与えています。そして池泉回遊庭園の醍醐味、歩くにつれて景観が徐々に変化していきます。
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 白川橋という直線的な石橋を渡ると、冬の茶室である、もっとも格の高い「松琴亭」に着きました。
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 こちらにはかの有名な、白と藍染の四角い加賀奉書を互い違いに張った市松文様の襖があります。その大胆で斬新な意匠には驚嘆です。細部の洒落た意匠にも目を引かれます。そして橋本氏が喝破されたように(p.18)、池側の縁先には青い石が配置されて、室内の藍色と呼応しています。この素晴らしいカラー・コーディネイト、石の色・形・配置に注目するのも桂離宮の楽しみ方の極意ですね。ここから池を見渡すと、これまでよく見えなかった古書院と月波楼を見渡せます。すべてを見渡せるパースペクティブではなく、景観を細かいパーツに分けて楽しんでもらおうという演出ですね。
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 そして橋を渡って、飛び石を歩いてのぼると、すこし小高いところにある春の茶室・賞花亭に着きました。峠の茶屋を模したもので、皮付柱を用いた、間口二間の小規模で素朴な茶屋です。大きな下地窓を設けてあり、清々しく開放感にあふれた造りになっています。かなわぬ夢ですが、桜か新緑の時期に、薫風を肌で感じながら、この茶室でお茶をいただいてみたいものです。ここから見下ろす池の景観も、これまでとはまた微妙に変化しています。
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 飛び石をおりると橋があり、その向こうには古書院・中書院・新御殿が見えますが、こちらは見学できないようです。うーん、い、け、ず。新御殿の「桂棚」が見たかったのに。そして大きな島の西端に建つ持仏堂、園林堂へ。離宮内で唯一の本瓦葺、そして宝形造の建物です。もっこりとしたむくり屋根がチャーミングですね。かつては楊柳観音画像と細川幽斎(智仁親王の和歌の師)の画像が祀られていましたが、現在は何も祀られていないとのことです。堂の周囲には黒石を敷き詰めた霰こぼしの雨落(あまおち)がありますが、そこをしれっと方形切石の飛び石が斜めに横切っていきます。しかも余分な石があったり、最後は45度傾けたりと、遊び心にあふれた意匠です。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-22 07:49 | 近畿 | Comments(0)

近江編(24):桂離宮(15.3)

 さあ出発時間です。参観人数は二十人ほど、前に説明担当の方、後ろに歩みをせかす係の方が配置され、サンドウィッチ状態での見学となります。入口を抜けると、両側を生垣にはさまれ正面に小ぶりの松(住吉の松)がある細長い岬がありました。この生垣と松のために、池と松琴亭が見通せません。景観への期待と想像をもたせるために焦らしているのですね。この松は「衝立の松」とも言うそうです。
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 そして天皇や上皇を迎えるための御幸道(みゆきみち)へ、桂川の青黒い小石が敷きつめられた「霰こぼし」の道です。すこし歩くと、先ほどの表門からの苑路にある御幸門に着きました。
 後水尾院の行幸に備えて建てられたもので、切妻造茅葺の素朴な門です。樹皮がついた棈(あべまき)の太い柱が印象的です。屋根裏は葭と竹を組み合わせたもので、思わず写真を撮りたくなるような意匠でした。なおこのあたりからは、先ほどの「桂垣」の裏側が見られます。(写真はピンボケですが)
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 御幸道をすこし戻って左の苑路を歩くと、薩摩の島津家から献上された蘇鉄が植えられています。「蘇鉄山」ですね。寒さ除けの藁が巻いてありましたが、編んである筵ではなく、編まないままの藁を庭師が昔ながらの方法で巻きつけているそうです。見事な職人芸ですね、まるで現代アートのようです。
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 この奥にあるのが、茶室「松琴亭」のためにつくられた「外腰掛」です。なるほど、珍しい蘇鉄を見ながらここで待つわけですね。飛び石は、橋本氏が"美しい配色"と絶賛したものですが(p.21)、陽の光が強くてよくわかりませんでした。無念。次の「外腰掛」へと続く延段(敷石道)は自然石と切石を混ぜた洒落た意匠で、眼を楽しませてくれます。なお古書院御輿寄前の「真の延段」、笑意軒前の「草の延段」に対して「行の延段」と呼ばれるそうです。加工石を「真」、加工石と自然石を「行」、自然石を「草」と言うのですね。
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 こちらにあった、升を二重に組み合わせた手水鉢はモダンな造形。秋の刈入れ後の収穫を象徴しているとのことです。「外腰掛」は、間口三間の茅葺寄棟造り、田舎家風のオープンで質素な待合です。葭と竹と生木のコンビネーションの妙が楽しめる、天井板を張らない化粧屋根裏が見どころ。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-21 07:02 | 近畿 | Comments(0)

近江編(23):桂離宮(15.3)

 参観者出入口に至るまでの竹の垣根も、繊細な意匠の見事なものですが、桂穂垣というそうです。表門は竹でしつらえた質素な門ですが、閉ざされていてここからは入れません。そして午前九時すこし前に待機場所に到着、参観許可証を提示して参観者休所で待つことになります。参観は無料、これは嬉しいですね。
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 なお『芸術新潮』(2000.7)に掲載された、橋本治氏による「桂離宮の歩き方」がたいへん参考となりました。また井上章一氏による『つくられた桂離宮神話』(講談社学術文庫)もなかなか面白いですよ。ブルーノ・タウトに始まる桂離宮の神格化が、戦時体制の進行にともなうナショナリズムの高揚と、建築界のモダニズム運動の勃興を背景に、周到に仕組まれた虚構であったことを実証する、知的興奮に満ちた本でした。ちなみに、ブルーノ・タウトは『日本美の再発見』(岩波新書)の中で、次のように東照宮をこき下ろし、桂離宮を賞揚しています。
 桂離宮は、およそ文化を有する世界に冠絶した唯一の奇蹟である。パルテノンにおけるよりも、ゴシックの大聖堂あるいは伊勢神宮におけるよりも、ここにははるかに著しく「永遠の美」が開顕せられている。…これ以上の簡素を求めることは不可能である。…これ以上単純でしかも同時にこれ以上優雅であることは、まったく不可能である。
 専制者芸術の極致は日光廟である。ここには伊勢神宮に見られる純粋な構造もなければ、最高度の明澄さもない。材料の清浄もなければ、釣合の美しさもない、-およそ建築を意味するものはひとつもないのである。そしてこの建築の欠如に代るところのものは、過度の装飾と浮華の美だけである。
 虚心坦懐、できるだけ先入観を排して、自分の眼を信じて桂離宮を楽しみたいと思います。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-20 07:11 | 近畿 | Comments(0)

近江編(22):桂離宮(15.3)

 それでは桂離宮へと向かいましょう。以前にも一度訪れたことがあるのですが、その時には写真撮影が禁止でした。驚くべきは、その理由は「苔の保護のため」! なぜ写真を撮ると苔に悪影響を及ぼすのか、理解できません。まあ伊勢神宮も撮影禁止だし、天皇制と「隠す」という行為は切っても切れない関係にあるのは理解できますが… 興味深かったのは英文にはそうした理由付けがなかったことです。そりゃあこんな理由では納得しませんよね、外国の方は。「公」(publicではなく、オオヤケ=大きな家=権力と富をもつ者)に命令されると、その根拠を深く考えず鵜呑みにしてしまうわれらが伝統文化を上手に利用しています、さすが宮内庁、と愚考した次第です。その後、写真撮影が可能となったという情報を得ましたので、インターネットで申し込み、午前に桂離宮、午後に修学院離宮を再訪することにしました。ほんとうは桜か紅葉の時期に訪れたいのですが、いつも予約は埋まっておりほぼ不可能です。宮内庁にコネがないと、この時期には見られないのかもしれません。

 阪急桂駅からのんびりと歩いて二十分、桂川のほとりにある桂離宮に着きました。竹の垣根が続いていますが、これが「桂垣」ですね。竹林の竹を折り曲げて編み込んだ垣根、橋本治氏曰く、"垣根の活け造り"です。いやはや、凄いことを考えたものだ。その先には徳大寺樋門の遺構がありました。解説板を転記します。
 桂離宮は、八条宮の別荘として、初代智仁(としひと)親王によって十七世紀始め(ママ)元和元年(1615年)頃に造営を起こされ、二代智忠(としただ)親王によって正保二年(1645年)頃までに建物や庭にも手を加え、概ね現山荘の姿に整えられました。宮家はその後、京極宮、桂宮と改称されて明治に至り、同十四年(1881年)第十一代淑子(すみこ)内親王を最後に途絶え、桂山荘は明治十六年(1883年)宮内省所管となり、桂離宮と称されることになりました。

 徳大寺樋門は、桂川のたび重なる氾濫を防ぐために築かれた堤防(防塁)に設置され、桂川から離宮内庭園池に引き水するために利用されていたもので、幾度か改築整備されてきました。この樋門は、明治四十一年五月(1908年)改築のものですが、流域の都市化等の変遷により平成五年六月(1993年)桂樋門の新設にともない廃止されることになりましたので、その一部(遺構)を残し、往時を偲ぶものです。

 桂の地一帯は平安中期から代々藤原氏が領有し、鎌倉時代に入って近衛家の領有となり、古くから月の名所や瓜の産地になっていたようで、平安時代の文学作品『源氏物語』のなかに

 つきのすむ 川のなかなる 里なれば 桂のかげは のどけかるらむ

 ほか多く詠まれています。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-19 06:29 | 近畿 | Comments(0)

近江編(21):桂カトリック教会(15.3)

 朝目覚めてカーテンを開けると雲の合間から陽がもれています。どうやら天気は大丈夫ですね。チェックアウトをして京都駅へ、途中に、睫毛の長い妙齢の女性のガードレール・アニマル(失礼)がありました。地下鉄烏丸線に乗って四条駅で阪急京都線に乗り換えて桂駅で下車。お目当ての桂カトリック教会は、駅から歩いて十分ほどのところにありました。
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 シャープな造型ですが、実はジョージ・ナカシマの設計なのですね。以前に香川県高松市の牟礼にある「ジョージ・ナカシマ記念館」を訪れて以来興味を持ち、この教会もいつか訪れてみたいと思っていたのですが、念願が叶いました。なお彼とこの教会については、「建築環境デザインコンペティション」内の「現代建築考」に藤森照信氏の詳細な解説があるので、長文ですが転記します。
 ジョージ・ナカシマと言っても若い人は初耳かもしれないが、これを機に覚えておいてほしい。時期は、レーモンド前川國男と重なり、仕事としては家具のデザインに新境地を開いたことで知られる。アメリカのナショナルギャラリー(国立美術館)に行くと、イサム・ノグチの彫刻と組になってジョージ・ナカシマの"樹"を感じさせる木のテーブルが置いてあったりする。
 名から分かるように日系のアメリカ人で、戦前、来日して、レーモンドと前川の事務所で働き、その時は建築家だったが、帰国して、戦時中、アメリカの日系人収容所で家具制作に目覚め、以後、戦後のアメリカを代表する家具デザイナーとして鳴らした。吉村順三は終生の親友だった。
 打ち放しに木枠と障子。そして素木のイス。いかにもナカシマ
 十数年前、ペンシルバニア郊外の森の中に立つアトリエを訪れた。もちろん本人は没した後だが、日系人の夫人と早稲田の建築を出た娘さんが今もアトリエを守っていて、娘さんのパートナーは家具づくりに励んでおられた。
 アトリエはもちろん元建築家ナカシマの設計になり、シェル構造の大空間であったが、細部のプロポーションや納まりに建築としてはなんとなく違和感があり、言ってしまえば巨大な家具のように見えた。
 で、京都はカトリック桂教会である。
 1965年につくられたナカシマの日本での唯一の建築。
 日系人収容所時代に知り合ったアメリカ人神父が、終戦後、GHQとともに来日し、布教して信徒を増やし、桂に新たに教会をつくることになり、ナカシマに設計を依頼したのだと言う。
 住宅地の一画に立つ教会を一目見て、嬉しかったし、懐かしかった。
 嬉しかったのは、ほぼ竣工当時の姿を留めていてくれたこと。この時期の建築は、構造的にも材料的にも問題が隠れている場合が多く、補強などの改修を避けられないのである。
 懐かしかったのは、戦後モダニズムの初々しさが伝わってきたからだ。この点について、以下、述べてみたい。
 まず、打ち放しコンクリートから。打ち放しは今でもよく使われているが、印象はちょっと違う。今はコンパネか鉄板型枠を使うから広い面がペッタリ平らに打ち上がるが、これがつくられた頃は、板の小片を並べた型枠だったから、小片の目地と型枠全体の目地が強調され、小さな凸凹がたくさん壁面に現れ、その結果、今よりずっと陰影が付いた。
 陰影が付くと、打ち放しはどうなるか。岩や土の肌と通底するような粗さと存在感が生まれ、その結果、レーモンドの言い方に習うと、"大地"を感じさせるようになる。近代の工業製品でありながら、大地をしのばせることのできる打ち放しコンクリートの肌。
 HPシェルの天井が高い効果をあげている
 そうした肌を久しぶりに見て、嬉しくかつ懐かしかった。
 次もコンクリートがらみで、シェル構造をとっている。HPシェルである。今ではシェル構造をやる人はほとんどいないが、この教会がつくられた1950~60年代は、日本のシェルの全盛期に当たり、丹下の〈愛媛県民館〉(1953)を皮切りに次々に出現していた。
 近代的構造によって近代ならではのダイナミズム(力動的)表現を生み出そう、というル・コルビュジエに起源を持つ構造表現主義は、当時、世界でも日本でもコンクリートシェルによってしか実現できなかったのである。
 そうして数多くつくられたコンクリートシェルも、今こう数えてみると、カトリック桂教会以外にはごく少なくなってしまった。
 インテリアについて触れておこう。障子の利用、素木の木の枠取り的な使い方に、誰でも日本の伝統を感ずるだろう。1950~60年代は、モダニズムと日本の伝統の共通性に関心が払われていた時期で、レーモンド、丹下、吉村、坂倉などが、この方向に向かっていた。ナカシマもその一翼を担っていたのである。
 日本の戦後モダニズム建築の初心が、ここにはちゃんと生きている。
 残念ながら門扉が錠で閉ざされており、内部を拝見することはできませんでした。再訪を期したいと思います。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-18 07:54 | 近畿 | Comments(0)

『チャルカ』

c0051620_5272240.jpg 山ノ神といっしょに、新宿の映画館「K's cinema(ケイズシネマ)」で、島田恵監督の『チャルカ ~未来を紡ぐ糸車~』を見てきました。パンフレットの冒頭に載せられていた監督の言葉が、この映画のメッセージを雄弁に語っています。
 チャルカとは、インドの手紡ぎ糸車のことです。インド独立の父、ガンジーはイギリスの支配から自立するために、自国で生産した綿花を自分たちで紡ぎ、その糸を手織りにした布(カディ)を作ろうと提唱しました。チャルカは独立運動のシンボルです。

 東日本大震災は私たちにとって本当に大事なものは何かを問いかけ、福島原発事故は経済優先社会が行き着いた惨状を見せつけました。それでもなお、人類の環境破壊は止まりません。その究極は何10万年も毒性が消えないという放射性廃棄物『核のゴミ』を産み出してしまうことでしょう。それは遠い先の子孫たちの住処までも奪っていることにほかなりません。人類が直面しているこの課題から、私たちが学ぶべきこととはいったい何なのでしょうか。

 今、この時代に生きているすべての人たちへ、そして、未来に生きるすべての命へ、この映画を記録として残します。
 この映画は、放射性廃棄物『核のゴミ』と向き合う人びとを描いたドキュメンタリー映画です。日本においては、政府が前面に立って処分地を選定する方針が決定しており、そのための地下研究施設が北海道幌延町と岐阜県瑞浪市に設置されました。このふたつの地が最終処分地と決まったわけではありませんが、その可能性は否定できず、不安を感じる地元住民の様子が取り上げられます。岩盤が強固なフィンランドでは、オンカロ(洞窟)という地下500mにある施設に放射性廃棄物を処分することになりました。しかし住民の三分の一は、これに反対しています。世界有数の原子力大国フランスでは、処分事業者ANDRAの処分研究施設に隣接する地域に最終処分場が計画されています。雇用の確保などの理由で、自治体はおおむね賛成していますが、住民の一部は断固として反対しています。
 島田監督は、反対派・賛成派のそれぞれの主張を真摯に映像として記録し、それを材料に、最後は見ている私たちが自分で考えて決めてくださいと問いかけているように思えます。

 心に残った人物は、幌延町のとなりにある豊富町で酪農をされている久世薫嗣さんです。最終処分地にされることに、そして原子力発電に反対し、「自給」にこだわり、過疎をくいとめて地域社会の存続を願い、福島の子どもたちの保養に尽力する久世さん。"どんな世の中になっても、ちゃんと生きていけるようなものを自分で作っていく"ことをめざす久世さん。彼の言葉です。
 いきなりじゃあ、次の良い世界が来るかといえばそれは来ないと思う。次の良い世界が来る為には、良い世界をつくろうという試みがいろんな所で行われていかない限り、良い世界は出てこない。
 あらためて、なぜ島田監督が"チャルカ"というタイトルを選んだのか、考えさせられました。前述のように"チャルカ"は、独立のシンボルです。つまり植民地から独立するためには、宗主国に頼らずに「自給」をしないといけない。それでは、今、私たちは何ものから独立しなければならないのか。私たちを植民地状態にして支配しているのは、何ものなのか。
 監督は明言されていませんが、私はこう考えます。それは"経済成長"を必須とするシステムであり、そのシステムを死守しようとする人びとたちである、と。資源と電力を大量に使用して大量に物をつくり、消費し、廃棄する。ひたすら物を買い続けることによってのみ作動できるシステム。このシステムにとって最強の敵は、「自給」、つまり物を買わずに自分でつくるというライフスタイルです。監督も、久世さんも、少しずつでもそうした方向に向かおうよ、と誘っているのではないでしょうか。

 映画館を出て駅へ歩いていると、虚飾な物と醜悪な看板にまみれた新宿の街が、さっきと違う風貌に見えてきました。
by sabasaba13 | 2017-08-16 05:27 | 映画 | Comments(0)

言葉の花綵165

 もしわるい人間が、お互いに結合して力をつくるなら、潔白な人間も、同じことをすべきである。(トルストイ 『戦争と平和』)

 私はあなたのいうことに賛成はしないが、あなたがそれをいう権利は死んでも擁護しよう。(ヴォルテール)

 今日も小学校のラウドスピーカーは、朝からのべつ幕なしの君が代行進曲。忠魂碑の下から「うるさい、もうたくさんだ」とたまりかねた声がきこえるようだ。(山川菊栄)

 集団自決は命令じゃないっていうけど、命令です。命令が残っていないと言いますが、残っていないから恐いんです。沖縄県民は大和に消された歴史を語り伝えてきました。語り伝えます。(永六輔 『無名人語録』)

 凡そ人格尊重なき処に正義なく、正義なき処に平和もない。(矢内原忠雄)

 戦争は、人間の腐敗の果実であり、政治体のけいれん性の重病である。政治体は、平和を享有するときにのみ、健康状態、すなわちその自然状態にある。…平和は、すべての社会の目的である幸福を人民に得させる。(ダミラヴィル 『百科全書』)

 武器によって打ち立てられた帝国は、武器によって維持されなければならない。(モンテスキュー)

 未開の民トロイア人が、勇敢であるがためにはあらかじめあらゆる人間味を圧し殺さねばならぬのに反して、文明の民ギリシア人は、涙すると共にまた勇敢でありうる。(レッシング)

 「国家のため」という圧力に押しつぶされて、国家の悪を見逃してはならない。いやしくも、正義人道に反す方向に行きそうな場合は、国家にだろうが、親にだろうが、夫にだろうが、敢然反対して、これを正道に戻すような人間をつくらねばならない。(尾崎行雄 『民主政治読本』)

 「戦争協力が国際貢献」とは言語道断である。(中村哲)

 世界のどこかで、だれかに不正がおこなわれているとしたら、いつでもそれを最も強く感じとれるようにならないといけません。(チェ・ゲバラ)

 先端的で破壊的な兵器に頼って我々を威嚇し、不正義で非合理で維持不可能な経済・社会的世界秩序を押し付けようとする者たちを前にして、改めて強調させていただきたい。「思想の種を播け!」「良心の種を播け!」 (フィデル・カストロ)

 より強く、より大きくならなければならないのは個々人であって、国家ではない。これは現代において、自明の理である。強大な国家権力の下で国民が完全支配を受けるとき、いかに多くの不幸が生み出されることか。(本田靖春 『村が消えた』)
by sabasaba13 | 2017-08-15 07:50 | 言葉の花綵 | Comments(0)

北海道旅行

 おととい、北海道から戻ってきました。歩みの遅い台風の直撃や影響を懸念しましたが、自称「天下無双の晴れ男」。曇天・小雨の時もありましたが、要所要所では晴天に恵まれました。
 札幌に二泊、美瑛に移動して五泊、再び札幌で一泊という旅程でしたが、北海道の自然、人びとの営み、歴史を堪能することができました。
 いつの日にか旅行記として上梓するつもりですが、とるものもとりあえず写真で報告します。

札幌の夜景(もいわ山より)
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積丹半島 神威岬
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積丹半島 島武意海岸
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モエレ沼公園 海の噴水
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富良野 ファーム富田
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美瑛
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美瑛
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美瑛 四季彩の丘
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美瑛 青い池
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北竜町
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美瑛 ぜるぶの丘・亜斗夢の丘
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美瑛 ケンとメリーの木
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小樽運河
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by sabasaba13 | 2017-08-14 09:11 | 鶏肋 | Comments(0)

2017 暑中見舞

 暑中お見舞い申し上げます。

 日頃「散歩の変人」を御愛読していただき、ありがとうございます。これからしばらく北海道旅行に行ってきます。炎熱地を焼く日々がまだ続くかと思いますが、ご自愛を。

 暑気払いに、手持ちの写真の中で涼しそうな一枚をどうぞ。仁淀川安居渓谷(高知県)です。

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by sabasaba13 | 2017-08-04 07:29 | 鶏肋 | Comments(0)