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京都観桜編(5):天竜寺(15.3)

 車折神社駅から京福電車(嵐電)に乗って、終点の嵐山へ。天竜寺の桜はどんなもんでしょうか、ちょっと寄ってみましょう。塔頭の三秀院に「特別拝観 動乱の幕末 長州藩士の刀傷」という看板がありました。弾痕・刀傷マニアとしては立ち寄らないわけにはいきません。拝観料を払って中に入ると、ふたつの柱に刀傷がありました。禁門の変(蛤御門の変)の際に、天龍寺に陣を構えた長州藩士が血気にはやり試し切りしたものと伝えられるそうです。
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 そして天竜寺へ、言わずと知れた京都五山の第一。1339 (延元4・暦応2)年、足利尊氏・直義兄弟が夢窓疎石の勧めによって、後醍醐天皇の冥福を祈るために創建したお寺さんです。広大な曹源池と豪快な石組を愛でて、百花苑の方へいくと全体的に七分咲きでしたが、ところどころで綺麗に咲き誇っていました。他にもいろいろな花が咲いていたのですが、情けないことに名前がわかりません。こういう時に、花に詳しい山ノ神がいればなあ。
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 天竜寺の近くにある湯豆腐「嵯峨野」にもきれいな桜があるという情報を入手したので、さっそく行ってみました。おおっ素晴らしい。あまり観光客を見かけない落ち着いた雰囲気の路地に、数本の桜が咲き誇っていました。しつらえられた石庭ともよくマッチしています。ここは穴場ですね。なおこちらには人間魚雷回天10型の石碑があり、「呉市の博物館に寄贈」と記されていました。どういう由来があるのでしょう? ご教示を乞う。
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 それではJR嵯峨嵐山駅へと参りましょう。途中で、塀越しに見事な桜の大木があったので、正面にまわると天竜寺の塔頭・等観院というお寺さんでした。しかし残念なことに拝観はできません、惜しいなあ。
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 本日の四枚、上から天竜寺、湯豆腐「嵯峨野」(二枚)、等観院です。
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by sabasaba13 | 2018-02-08 06:35 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(4):車折神社(15.3)

 そして歩いて地下鉄東西線小野駅へ、さすがにお腹がへったのでこのあたりで昼食をとりましょう。ところが意外と駅周辺に飲食店がありません。手打ちそば「辻さん」は残念ながら定休日、致し方ない、本意ではないのですが利潤を中央資本に吸い上げられるチェーン店「なか卯」に入りましょう。とりたててコメントのしようがない牛丼をいただきながら、なんで「なか卯」という店名にしたのかな、と疑問に思いました。
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 善は急げ、今インターネットで「なか卯」のサイトを調べてみると、判明しました。転記します。
 なか卯は1969年6月、大阪府茨木市に手作りうどんの店を創業いたしました。社名の由来は創業者名の一字である「なか」と、「うどん屋」の「う」を同音の縁起文字「卯」に変え『なか卯』と定めました。「卯」の文字の縁起とは、この文字が観音様の厨子(両面扉)のような形をしていて、有難く、縁起が良いという点にあります。また、干支の「卯」のうさぎがピョンピョン飛び跳ねるように、会社が大きく跳躍して繁盛するよう願いも込められており、これが 『なか卯』という屋号の由来となっております。
 なるほど。それでは車折(くるまざき)神社へ向かいましょう。小野駅から地下鉄東西線に乗って太秦天神川へ、京福電車(嵐電)に乗り換えて車折神社駅に着きました。駅のすぐ前にある小さな神社が車折神社、少々変わったお名前ですがその由来を紹介しましょう。祭神は平安時代後期の儒学者・清原頼業(よりなり)で、後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に遊幸した際に、この社前で牛車の轅(ながえ)が折れたので「車折大明神」の神号を授け「正一位」を贈ったことから「車折神社」と称することになったそうです。神社のサイトによると、学業成就・試験合格・商売繁昌・会社隆昌・金運向上・良縁成就・恋愛成就・厄除け・交通安全というご利益があるそうです。
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 ま、それはさておき、お目当てはパワー・スポットではなく、日本画家・冨田溪仙が奉納した「溪仙(けいせん)桜」です。参道をすこし歩くと、小振りですが満開の枝垂桜がありました。これが「溪仙桜」ですね。迂闊にもさきほどインターネットで調べてわかったのですが、ここ車折神社は富岡鉄斎が1888(明治21)年から1893(明治26)年まで宮司を務めていたのですね。そのためこちらには鉄斎の作品が約百余点伝わっているそうです。また、境内には鉄斎の筆による裏参道入口の社号標や本殿の扁額、表参道脇の車折神社碑があり、さらに鉄斎が生前に用いた筆を2000本以上納めた筆塚もあるとのことです。冨田溪仙は鉄斎に私淑していたので、この桜を奉納したのですね。鉄斎の揮毫を拝見するために、ぜひ再訪を期しましょう。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-07 06:38 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(3):大石神社・勧修寺(15.3)

 途中に「ぼく、京都のおまわりさんになるねん」という、京都府警察官募集のポスターがありました。いやあ雅ですねえ、肉汁にあふれた大阪府警官募集ポスター「草食系より大阪府警。」とはえらい違いです。おっいつも何となく気になる「京都警察犬学校」の看板も健在でした。
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 あちらこちらで咲き誇る桜を愛でながらのんびりと歩き、随心院に着きました。
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 このあたりは小野の里といい、小野小町に関する由緒を売り物にしているお寺さんですね。もしや桜の穴場かなとほのかに期待したのですが、あまりありません。梅は満開でしたが。グラデーションに富んだ見事な大杉苔のある池泉庭園を、心静かに拝見。
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 そして流しのタクシーをつかまえて大石神社に向かいました。なお後日わかったのですが、醍醐寺とバス路線で結ばれているので、バスで行くこともできます。十分ほどで到着、タクシーには待っていてもらいましょう。こちらは大石内蔵助の隠棲地に1935年に建てられた新しい神社です。以前に訪れたことがあるのですが、「大石桜」と名付けられた枝垂桜の大木があります。参道のソメイヨシノ並木は、まだ五分咲きでした。咲き揃ったらさぞや見事でしょう。そしてお目当ての「大石桜」は、並べてかけられた提灯の列を抱きかかえるように咲き誇っていました。観光客の姿もほとんどなく、落ち着いて桜を愛でることができます。ここは穴場、お薦めです。
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 待機していただいたタクシーに乗り込み、勧修寺に行っていただきました。真言宗山階派の大本山で、皇室との関係も深い門跡寺院です。桜の数は40本ほどでそれほど多くはありませんが、観音堂をとりまくように咲く桜が氷室の池にきれいに映って風情がありました。水戸光圀より寄進されたと伝わる「勧修寺型灯篭」や、亀甲垣、さざれ石に臥竜の老梅など、ちょっとした見どころも満載です。
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 またそこいらじゅうにある能書きや御託も、けっこう楽しめます。"「サクラ千本・ウメ1リン」と申します。サクラの花は沢山咲いているのが美しい ウメの花は寒風の中でたった1リン咲いて居るのが美しい (=茶道の心得)"、"ウルシです さわってはいけません"、"このシバフにてご休息下さい この先出口に至ります"、"希望に起き 愉快に働き 感謝に眠る"などなど。
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 極めつけは、氷室の池をめぐる小道の入り口に掲げられた"この先行かれるのはご自由ですが大いに危険"という札。なんだなんだ、蝮が出るのか、スズメバチの巣があるのか、落とし穴が掘られているのか、自民党京都支部があるのか…実は以前に探訪して確認済み、何も危険はありません。でも放射性廃棄物の最終処分場が密かに作られているかもしれません、再度歩いてみましたが…やはり何もありません。秘すれば花ということにしておきましょう。
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 本日の四枚、上二枚が大石桜、下二枚が勧修寺です。
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by sabasaba13 | 2018-02-06 06:36 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(2):醍醐寺(15.3)

 そして午前十時半ころ、京都駅に到着。1598(慶長3)年、豊臣秀吉がその最晩年に醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴にあやかり、まずは醍醐の花見と洒落込みますか。琵琶湖線に乗り換えて山科駅へ、駅前からバスに乗って醍醐寺に着きました。花見客で混みあっていましたがこれは想定内。満開の桜と青空があれば、多少の混雑は耐え忍べます。
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 まずは寺宝を収蔵する秘宝…ではなく霊宝館へ、こちらには樹齢約200年と言われる枝垂桜の古木があります。おっとその前に入場料、もとい拝観料を払わねばなりません。三宝院・霊宝館・伽藍の共通拝観料ですが、通常は800円、桜の春期と紅葉の秋期には1500円となります。うーむ、需要と供給の法則ですね、いたしかたない。大枚1500円を支払って中に入ると、霊宝館の敷地内には数多の枝垂桜が咲き誇っていました。その中で見事な枝振りで周囲を圧していたのが、樹齢約200年の古木です。以前にも見たのですが、今回はほぼ満開、これは素晴らしい。
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 そして三宝院へ。玄関脇には見事な大紅枝垂桜が、ここを先途と咲き誇っていました。表書院は、寝殿造の様式を伝える桃山期の建築、その前面には「醍醐の花見」に際して秀吉が設計したといわれる池泉庭園がひろがっています。しかし写真撮影は禁止。なぜ庭園の写真を撮れないのか、納得できませんね。奥宸殿には、修学院離宮の「霞棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」と称される「醍醐棚」があるのですが、残念ながら非公開です。
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 桃山時代の雰囲気を今に伝える唐門(勅使門)を撮影して、伽藍を散策。それでは随心院へと歩いて参りましょう。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-04 07:36 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(1):前口上(15.3)

 あーさぶい。連日の心が折れそうな寒さに呻吟していますが、冬来たりなば春遠からじ、もうすこし我慢すれば桜の季節がやってきます。実は三年前の2015年3月に、京都の桜を見に一人でふらりと出かけたのですが、その時の桜が殊の外見事でした。そこで近江編は小休止にして、穴場情報も含めて前倒しで紹介したいと思います。春になったら京都で桜を愛でようと考えている方のお役に立てれば幸甚です。

 旅程は三泊四日、ガイドブックやインターネットを駆使して、観桜の穴場をできうる限り調べました。問題は塒ですね。桜の満開時期は年によってかなり違うので、桜の満開情報を待ってぎりぎりまで宿の予約はしませんでした。個人的に信頼している京都新聞の情報で、三月末日が満開とのこと、さっそくインターネットで宿をおさえようとしたら…京都は全滅。大阪に宿泊するという手ももちろんありますが、人いきれで気疲れしそうなので却下。大津も満室、思い切って草津にまで捜索の範囲を広げたらようやくおさえることができました。JR琵琶湖線新快速で21分、これは許容範囲です。というわけで草津第一ホテルに三泊することにしました。京都サイクリングツアープロジェクト(KCTP)で一日だけ自転車を借りられるよう、インターネットで予約をして準備は万端調いました。
 持参した本は『沖縄の〈怒〉 日米への抵抗』(ガバン・マコーマック+乗松聡子 法律文化社)です。

 三月三十日に出立、天気予報は四日とも晴れ、京の桜は満開、いやが上にも気持ちは昂揚します。浮かれ気分で魔がさしたのか、駅弁はリラックマの「オムライス」を買ってしまいました。東京駅午前八時ごろ発の新幹線に乗って、いざ上洛。「オムライス」をたいらげて、車窓を流れる風景をしばし楽しみました。
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 おおっ富嶽も、私の前途を祝福するかのように微笑んでおられます。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-03 06:32 | 京都 | Comments(0)

近江編(72):木ノ本(15.3)

 長浜港に接岸して船から降り、自転車にまたがってホテルへ。丁重にお礼を述べて自転車を返却し、預けておいた荷物を受け取りました。そして徒歩で長浜駅へ、駅前には石田三成の顔はめ看板がありました。近くには電動アシスト付きのレンタサイクルが置かれていたので、駅か観光案内所で借りられるようですね。
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 時刻は午後一時少し前、さすがに小腹がへったので、駅構内にある「かごや」でカレーうどんをいただきました。
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 次の目的地は木ノ本です。以前、賤ケ岳を訪れた時にすこしの時間立ち寄って、北国街道のしぶい宿場町という印象を受けました。今回、あらためて散策しようと考えた次第です。北陸本線に乗って十四分ほどで木ノ本駅に到着。なおひとつ前の高月駅の近くには、ヤンマーの創始者山岡孫吉が生誕地に寄贈したドイツ・ゴシック建築の公民館「ヤンマー会館」があることが後日わかりました。再訪を記しましょう。
 駅構内には「賤ケ岳七本槍の里」「佐吉くん」と記された顔はめ看板がありましたが、これは石田三成の幼名ですね。
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 前回の訪問時に撮影したご当地ポスト図書館もご健在、旧友に再会した気分です。
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 それでは木ノ本の街歩きを始めましょう。瓢箪型の珍しい透かしブロックを撮影してすこし歩くと、「馬宿 平四郎」という看板がかかった起り屋根の古い民家がありました。
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 解説があったので、後学のために転記します。
木之本牛馬市跡
 室町時代から昭和の初期まで 毎年二回この地区二十軒ほどの民家を宿として伝統の牛馬市が開かれた。藩の保護監督もあり地元近江を初め但馬・丹波・伊勢・美濃・越前・若狭などから 数百頭以上の牛馬が集まり盛況を極めた。
 商いの方法は買い手が売り手の袖の中に手を入れ双方が指を握って 駆け引きをし、商談が成立すると両者が手を打ち周囲に居合わせた人たちも拍手をして成約を祝った。
 なるほど、馬喰たちが市のために泊まった宿なのですね。ちなみに、山内一豊の妻・千代が名馬を買ったのもここの市だそうです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-02 06:32 | 近畿 | Comments(0)

近江編(71):竹生島(15.3)

 そろそろ出航時刻です。お土産屋さんの前を通り抜け、接岸していた船に乗り込むと、船は一路長浜をめざします。後ろをふりかえると、ひょっこりひょうたん島のような竹生島がじょじょに遠ざかっていきます。
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 そういえば最近読んだ『かくれ里』(白洲正子 講談社学芸文庫)の中に、次のような一文がありました。
 近江に前野隆資氏という写真家がいられる。本人は写真家と呼ばれるのを嫌って、素人だと自称されるが、近江の歴史に精しく、撮影しない景色も美術品もないといっていい。それほど近江という所を愛しているので、写真家といわれるのがいやなのかもしれない。それはともかく、ある日その方が湖北の山中で仕事をしていた。すると突然大雨が降り出し、真暗になったので、撮影をやめて帰ろうとしていると、雷鳴とともに湖水の上の雲が裂け、後光のような光が落ちて来て、暗闇の水面に竹生島が、忽然と現出した。
 「私は夢中でシャッターを押しつづけましたが、あんな強い衝撃をうけたのははじめてです。おそろしいような景色でした」
 といわれる。山と湖にかこまれた近江は、天候が変りやすく、時にはそのような現象が起るのであろう。そういう強烈で、神秘的な光景に、古代人が神の降臨を見たとしても不思議ではない。人界から遠く離れた所に孤立し、そして時々そんな表情を見せる竹生島が、神の島として崇められたのも、故なきことではなかったと思う。(p.87)

 今津で若狭へぬける街道と、北陸道がわかれるが、その辺から竹生島が間近に望める。ツクブスマの命を祭神とするが、最初は浅井姫というこの地方の地主神で、後に観音信仰や弁才天と結びついた。遠くから眺めると、その形には古墳の手本になったようなものがあり、水に浮いている所も、二つの岡にわかれている所も、前方後円墳そのままである。神が住む島を聖地として、理想的な奥津城(おくつき)とみたのは、少しも不自然な考え方ではない。仏教が入ってきて、そこに観音浄土を想像したのも、自然の成行きであったろう。逆にいえば、古墳時代の文化が根を下ろしていたから、仏教を無理なく吸収することができたので、竹生島の美しい姿自体が一つの歴史であり、神仏混淆の表徴であったといえる。(p.179)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-01 06:30 | 近畿 | Comments(0)