近江編(13):近江八幡(15.3)

 それでは八幡堀へと戻りましょう。途中で瓦屋さんを何軒か見かけました。その看板に「八幡瓦・三州瓦・岐阜瓦・奈良瓦・淡路瓦・石州瓦・越前瓦」と、各地特産の瓦が記されているように、ここ近江八幡は瓦の特産地です。「かわらミュージアム」のHPによると、豊臣秀吉の命によって豊臣秀次が1585(天正13)年に築城した「八幡山城」にその淵源を求められるそうです。
 近くには、蝶ネクタイをしめマイクを持った異な風体の鳥を用いた「飛び出し人形」がありました。
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 今、写真を拡大して確認すると、「知ったかぶりカイツブリ製作委員会」と小さく記されています。なんだそりゃ? インターネットで調べてみると、カイツブリとは、琵琶湖などに生息する水鳥で、滋賀県の県鳥になっているそうです。それをメインキャラクターにしたアニメ「知ったかぶりカイツブリ」が滋賀県で人気を集めているとのこと。公式サイトもありますので、よろしければご笑覧を。

 そして素敵な景観の八幡堀に着きました。白壁や板壁の家々と石垣、それを水面に美しく映す堀。ピクチャレスクな光景です。解説板があったので転記します。
 近江八幡のまちが発展した理由はいくつかありますが、八幡堀の役割は欠かすことはできません。堀は城を防御するために存在しますが、豊臣秀次はこの八幡堀を運河として利用することを考え、琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡の町へ寄港させました。
 また、八幡山城下はかつての安土と同じく、楽市楽座を取り入れたことから、商人の町として大いに活気を呈しました。
 多くの商人が八幡の町から全国へと旅立ち、近江商人として活躍した原動力となった八幡堀も、昭和30年ごろになると時代は高度経済成長期に入り、人々の生活が変化する中で、次第に市民の関心も薄らいでいきました。やがて、八幡堀はドブ川のようになり、埋め立てられようとしました。
 しかし、「八幡堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」の合言葉により、市民が立ち上がり、清掃活動に取り組みました。その結果、次第にかつての姿を取り戻すようになり、今日でも各種団体による清掃活動が続けられています。
 近江八幡市民の炯眼と尽力に敬意を表します。

 すぐ近くには、古い学校、白雲館があります。中央に屹立する楼閣、左右対称のバランスのよい佇まいに、唐破風がいいアクセントになっています。解説板を転記しましょう。
 明治10年(1877)に八幡東学校として建築された白雲館は、八幡商人や地域住民の人々の熱意と協力で当時6千円(米1俵が1円34銭)の費用をかけて建設されました。明治10年の児童数は男115人、女117人、計232人と記されています。
 学校として使用された後は、役場、郡役所、信用金庫等を経て、平成6年に建設当時の姿に復元されました。
 白雲館という名称は、藤原不比等の和歌「天降(あまふり)の神の誕生(みあれ)の八幡かも比牟礼(ひむれ)の杜になびく白雲」から名付けられた説や鎌倉時代の臨済宗の僧:白雲えい暁(はくうんえいぎょう)の徳を偲んだことによる説などがあります。
 なお「えい」は「慧」の脚の「心」がない字でした。インターネットで調べてみると、「白雲慧暁(はくうんえぎょう)」とありましたが、どちらが正しいのでしょうか。ご教示を乞う。

 本日の七枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-07-24 06:26 | 近畿 | Comments(0)

近江編(12):近江八幡(15.3)

 ここから八幡堀を越えてすこし走ると、旧中川煉瓦製造所ホフマン窯に到着です。残念ながら非公開で、外から煉瓦造の煙突を撮影することしかできませんでした。なお「滋賀文化のススメ」というサイトに詳しい解説があったので、小生の文責で要約します。
 "富国強兵""殖産興業"をスローガンに日本全体が近代化に力を尽くした明治時代、その象徴が煉瓦を使った建築物でした。煉瓦建築の需要が高まると、滋賀県内でもいくつかの煉瓦製造工場が操業を開始し、その一つが、ここ旧中川煉瓦製造所およびホフマンです。ホフマン窯とは、ドイツ人技師フリードリッヒ・ホフマンによって1858年に特許を取得された、煉瓦を焼くための窯のことです。煙突の下にはトンネル状の窯がぐるりと「ロの字」のようにめぐっており、内部に仕切りを入れていくつもの"部屋"を造り、各部屋に乾燥させた煉瓦を積み上げて、反時計回りの順に焼成していきます。およそ半月ほどでホフマン窯を一周しますが、これを繰り返すので、年がら年中煉瓦を焼き続けることができる仕組みです。
 なぜ近江八幡で煉瓦製造が行われたのか。もともと近江八幡は江戸期より「八幡瓦」で有名で、土を利用した同じ"焼物"ということで、その取り扱いに共通な点があったためです。また、大量に焼かれた煉瓦を各地へ運び出すのに、八幡堀と琵琶湖の水運を利用できたことも幸いしました。さらに、1890(明治23)年には琵琶湖疏水が竣工したため、京阪神方面への煉瓦の供給が容易となりました。
 明治時代から大正時代にかけて建築資材として多用された煉瓦ですが、関東大震災で煉瓦建造物の多くが崩壊したため、その後は煉瓦造りの建物はあまり建てられなくなり、コンクリートにその座を奪われてゆきました。ここ中川煉瓦製造所も1967(昭和42)年まで煉瓦の販売を続けましたが。ホフマン窯での煉瓦製造がいつまで行われていたかについては、確かな記録は残っていないそうです。おしまい。
 煉瓦に歴史あり、ですね。近代化の貴重な証人、ぜひとも整備をして公開されることを熱望します。なお現存しているホフマン窯は四つ、ここと、栃木県下都賀郡野木町にある旧下野煉化製造会社(シモレン) 、埼玉県深谷市にある旧日本煉瓦製造、そして京都府舞鶴市にある旧神崎煉瓦です。未見の旧神崎煉瓦はいつの日にか、訪れてみるつもりです。

 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-07-23 06:57 | 近畿 | Comments(0)

近江編(11):近江八幡(15.3)

 そして池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築群)へ。街角に解説板があったので転記します。
 アメリカ人・ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1905年にキリスト教の伝道を目的に、現在の八幡商業高校に英語の教師として来日しました。その後は、建築家として「建築物の品格は人間の人格と同じくその外装よりむしろ内容にある」との考えをもとに建築活動を展開。この住宅街はヴォーリズが大正期に手がけた初期の作品で、アメリカの開拓時代を象徴するコロニアルスタイルと呼ばれる建物です。以後、山の上ホテル、大丸心斎橋店・関西学院大学、等々、全国に約1600に及ぶ建築を手がけました。そんな彼を内村鑑三は「ヴォーリズ君は世に稀に見る建築術の天才であり、また深く正しく日本を解し、これを愛する米国人の一人であります」と評価しています。
 残念ながら住宅はすべて非公開です。とは言っても、その外観や佇まいから、ヴォーリズの考える"理想の家"がそこはかとなく感じられます。どのお宅にも煙突があるのは、マントルピース(暖炉)が設置されているからですね。彼は、住宅は子どもの成長の器であると考え、ゆったりとした居間をとり、マントルピース(暖炉)を設けその前で家族のコミュニケーションが図れるようにしました。武骨だけれど暖かみのある煉瓦塀は、「焼き過ぎ膨張レンガ」で作られているそうです。これから訪れるホフマン窯で焼成されたレンガの中で商品価値のない捨てられた焼き過ぎ膨張レンガを無駄にせず、しゃれた塀の材料として利用し、建築コストの削減も図りました。観光パンフレットによると、彼は「建築家は日常生活のために使用する快適で健康を守るに良い、能率的な建物を熱心に求めている建築主の意を汲む奉仕者となるべきである」と語っていたそうです。彼が設計した住宅には、採光性と耐久性、風通しのよさ、内開きのドアと固定椅子など工夫された玄関、安心して使える階段、掃除のしやすさといった特徴があるとのことです。「三方よし(売り手よし・買い手よし・世間によし)」という、近江商人の精神が影響しているのかもしれませんね。近江兄弟社のサイトにも「青い目の近江商人」と紹介されていました。

 近くにあった八幡小学校もヴォーリズの設計、洒落た三角屋根と車寄せが印象的です。解説板を転記します。
 開校は明治19年。大正6年に建てられた木造2階建校舎は擬洋風建築様式を取り入れた西洋的建築物で、NHK朝の連続ドラマ「はっさい先生」の舞台ともなった。

 本日の四枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-07-22 07:22 | 近畿 | Comments(0)

近江編(10):近江八幡(15.3)

 40分ほど走って近江八幡駅前に到着、そして本日のお目当て、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の建物めぐりです。まず観光案内所でいただいた資料から、彼のプロフィールを転記します。
 ヴォーリズは1880年10月28日アメリカのカンザス州レブンワースに生まれた。少年時代より音楽と絵を描くことを好み、建築家になろうと志した。「学生伝道隊運動」の世界大会にYMCAより出席をし、キリスト教の教えを海外で伝道をしようと決意をした。
 1905年2月2日に八幡に着き、県立商業学校の英語の教師として教鞭をとった。授業でも、また授業以外のバイブルクラスでも大変人気があり、生徒の心を掴んで2年間活躍した。その後もヴォーリズは八幡に留まり、キリストの教えを生活の中に生かそうと決意し建築の設計を始めた。
 1907年にヴォーリズ自身が近江八幡YMCA会館(現在のアンドリュース記念館)を設計、その後も仕事が順調に増えた。多くの人々と出会い、信仰により結ばれて支えられていた。
 グループの事業は
1.建築設計事務所 (ヴォーリズ建築事務所)
2.医療事業 (肺結核診療所としてツッカーハウス(現在のヴォーリズ記念病院))
3.製薬会社 (メンソレータム(現メンターム)の製造、販売)
4.教育事業 (近江兄弟社学園の幼・小・中・高等学校)
5.図書館 (旧伴庄右衛門邸を利用して近江兄弟社図書館)
 を擁するまでに拡大した。中でもヴォーリズの建築が人の心を惹きつけている。
 1906年から1925年の18年間に設計された建物は、日本国内で確認されているものだけでも住宅が164棟、学校・図書館・寄宿舎が118棟、病院が6棟、教会・音楽堂・講堂が114棟、銀行・会社・デパートが24棟ある。こうした数多くの建築の中でも、ヴォーリズ建築の特徴を、またその人柄や心を最もよく顕しているのは住宅である。
 1919年に一柳満喜子と結婚をし、1941年に日本に帰化をし、日本国籍を取得して一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名をした。これは米国より来て留まるという決意を示している。その後1957年8月に蜘蛛膜下出血のために病床に就き、1964年5月7日享年83歳で天に召された。
 彼の作品は、これまで東華菜館日本福音ルーテル市川教会会堂九州学院高等学校講堂兼礼拝堂大丸ヴィラ芝山口記念会館山の上ホテルを見てきましたが、肩ひじを張らず奇を衒わず、住みやすそうな使いやすそうな印象の好建築ばかりでした。ここ近江八幡には、彼の作品が数多残っているので、できうる限り見てまわりたいと思います。

 まず駅前にヴォーリズが設計した日本基督教団近江金田教会がありました。観光パンフレットから引用します。
 赤い瓦屋根と真っ白なスタッコ壁、正面から見て左側にある鐘楼が特徴的でシンプルな外観でヴォーリズらしい優しさや暖かさを感じさせる建物である。農村伝道を目的として建てられた木造2階建てである。外壁の窓枠や表札などは当時のままで趣きがある。2階に礼拝堂がある。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-07-21 06:32 | 近畿 | Comments(0)

近江編(9):近江八幡へ(15.3)

 そして愛知川に架かる近江鉄道愛知川橋梁に着きました。接近はできそうもないので、望遠で撮影。「文化遺産オンライン」によると、"橋長239m、単線仕様の鉄道橋で、9連プレートガーダーと単ポニーワーレントラスよりなる。J形スティフナーと、トラスの台形フレームや横桁の配置等にイギリス橋梁技術の特徴をよく示す。明治後期造の現役の鉄道橋として貴重"だそうです。と、当該の記事をコピー&ペーストしただけで、私にはよく分かりません。ごめんなさい。
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 それでは能登川駅へ向けて一路、ペダルをぶんまわしましょう。さすがは"とびだし坊や発祥の地"、少年少女にじさま・ばさまと百花繚乱の飛び出し人形に出会えました。
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 丁重にお礼を言って代金を支払い、自転車を返却。能登川駅から琵琶湖線快速列車に乗ると、六分ほどで近江八幡駅に到着です。観光案内所で地図と資料、そしてレンタサイクルの所在地を教えてもらいました。駅の近くにある、JR西日本提供の「駅リンくん」で自転車を拝借。一日500円というのは格安ですね。
 それでサドルにまたがりいざ出発、まず目指すは旧八幡警察署武佐分署庁舎です。持参した地図を頼りに、東へ向かいペダルをこいでいると、毎度おなじみになった「とびだし坊や」と、アヒルのガードレール・アニマルを発見しました。
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 三十分ほどでお目当ての旧八幡警察署武佐分署庁舎に到着。とても警察署とは思えない、まるで別荘のような洒落た洋館です。
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 なおこのあたりは中山道第六十七番の宿場、武佐宿ですが、その面影はありません。往時は旅籠が二十三軒もあり、享保13(1728)年には輸入された象もここを通ったそうです。また、八日市・永源寺を通り八風峠を越え伊勢へとつながる八風街道の起点で、海産物、紙、布等の物資が行き交ったとのことです。
 それでは近江八幡へと向かいましょう。途中で交通安全足型と、ボクサー風の飛び出し小僧を撮影。♪Li la lie…♪
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# by sabasaba13 | 2017-07-20 06:32 | 近畿 | Comments(0)

近江編(8):五個荘(15.3)

 さてそれでは付近にある近代化遺産を経巡りながら、能登川駅へと戻りましょう。ペダルをこいでいると、噂の飛び出し小僧と「コバタ物件」を見つけました。
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 そして日本でも数少ない書道の専門学校・淡海書道文化専門学校の旧校舎を撮影。
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 情報誌「三方よし」(第36号 2011.9)に紹介文があったので引用します。
 塚本さとは近江商人の家に生まれ、商家の妻として生涯を送った女性です。大正8年(1919)、さとは念願だった淡海(たんかい)女子実務学校を創立します。杉浦重剛、下田歌子、嘉悦孝子らとともに、仮校舎から授業をスタートさせました。 翌年、校舎を隣に移転。さとは校長として全力で運営にあたり、多くの学生たちに生き方の指針を示しました。カリキュラムは、一般教養から家事、作法、芸術までを幅広く網羅していました。経営にあたっては私財を投じ、最後まで学校の存続を望みますが、経営状態が悪化し、大正13年には閉校にまで追い込まれます。
 その後、さとの志を引き継いで学校経営を引き受けたのは創立以来の顧問であり、歌人であった下田歌子でした。大正15年、淡海実践女学校は下田歌子校長とともに、淡海高等女学校として再スタートを切りました。その際、滋賀県から交付を受けた校舎(県立神崎商業学校旧校舎)に移転しています。淡海書道文化専門学校の旧校舎です。
 実践女子学院を創設した、近代日本における女子教育の第一人者・下田歌子が関係していたのですね。彼女の出身地・岩村で銅像を見た記憶があります。
 竜田公会堂は、マンサール屋根が小粋な洒落た建物です。
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 旧五個荘郵便局は、キレッキレのシャープな意匠です。正面を三列の縦長壁で構成して垂直性を強調し、直線・直角・四角を組み合わせた装飾がちりばめられています。いわゆるセッション様式ですね、いろいろと郵便局物件を見てきましたがまごうことなき逸品です。
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 珍しい透かしブロックを撮影して、しばらく走ると「あんた! 何したん!!」という京都新聞の広告看板がありました。いや、その、突然そう言われても、もごもご。
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 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-07-19 06:33 | 近畿 | Comments(0)

言葉の花綵164

 私亡きあと、盛大な葬儀をして人民の時間とお金を浪費しないようにしてほしい。(ホー・チ・ミン)

 わたしたちは、自分のつとめをはたしたのだ。もう一度くりかえそう。私たちは幸福のために生き、幸福のために闘い、幸福のために死んでゆく。だから、けっしてわたしの名まえを、かなしみとむすびつけないように―。(ユリウス・フーチク 『絞首台からのレポート』)

 暴力が障害物を速やかに一掃してしまうことはある。しかし、暴力そのものが創造的であると証明されたことは一度もない。(アルバート・アインシュタイン)

 賢さを伴わない勇気は乱暴であり、勇気を伴わない賢さなどはくそにもなりません! 世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、賢い人たちが臆病だったような時代がいくらもあります。(エーリヒ・ケストナー)

 私の記憶でのファシズムは、一寸きざみの、時には後退を伴うジグザグの進行を示すものであって、そのどの段階も危険であるし、また、どの段階でも防止手段が皆無ではない、という形に私の内部では定式化されている。(竹内好 『日本とアジア』)

 日本兵は捕虜になるより死を選ぶが、彼らの死にものぐるいの戦闘ぶりは、単純に勇気のせいとはいえない。それは罪の意識と恐怖なのだ。ひじょうに多くのわが人民を殺し、婦女に暴行を加えた。だからわれわれに捕まるのを怖れているのだ。彼らは公然と「虐殺戦」を自慢している。そして彼らが捕えた中国兵をなぶり殺しにしているように、われわれも彼らをなぶり殺すものと考えている。(朱徳 『偉大なる道』)

 中国人が千何百万人も殺されたこと。こうした不幸な子が何百万人とも知れずできたこと。その原因は、「人間が生みだした最大の怪物、戦争」ではない。なぜハッキリと、日本軍が中国へ攻めこんだことが原因だといわないのか。こんなにもハッキリしていることを、どうして大新聞や大放送局は、必死でごまかすのだろうか。(本多勝一 『中国の日本軍』)

(つぅ) おかね…おかね…どうしてそんなにほしいのかしら…
(与ひょう) そら、金があれば、何でもええもんを買うだ。
(つぅ) かう? 「かう」ってなに? いいもんってなに? あたしのほかに何がほしいの? (木下順二 『夕鶴』)

 逝いて還らぬ教え子よ/私の手は血まみれだ!/君を縊ったその綱の/端を私も持っていた/しかも人の子の師の名において…/逝った君はもう還らない/今ぞ私は汚濁の手をすすぎ/涙を払って君の墓標に誓う/「繰り返さぬぞ絶対に!」 (竹本源治)
# by sabasaba13 | 2017-07-18 19:27 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『茨木のり子詩集』

 年がら年中というわけではありませんが、時として無性に詩が読みたくなります。磨き上げられた言葉の凄みに触れたくなるのかもしれません。好きな詩人は、萩原朔太郎金子光晴山之口獏井伏鱒二宮沢賢治茨木のり子田村隆一、ジャック・プレヴェール、ラングストン・ヒューズ、ディラン・トマス、ベルトルト・ブレヒト…とは言っても失礼なことに読み散らかしただけですが。

 先日、ふらりと本屋に入ると、書棚に『茨木のり子詩集』(谷川俊太郎選 岩波文庫)があるのを見つけました。これは嬉しい、「わたしが一番きれいだったとき」と詩集『倚りかからず』(筑摩書房)しか読んだことがなかったので、彼女の詩をまとめて読む格好の機会です。すぐに購入し、一気に読み終えました。
 以前に読んだ『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書9)の中で、彼女はこう言っておられました。
 つづまるところ詩歌は、一人の人間の喜怒哀楽の表出にすぎないと思うのですが、日本の詩歌はこれまで「哀」において多くの傑作を生んできました。「喜」や「楽」にも見るべきものがあります。ただ「怒」の部門が非常に弱く、外国の詩にくらべると、そこがどうも日本の詩歌のアキレス腱ではあるまいか、というのが私の考えです。
 この詩集を読んで、あらためて茨木のり子が詩で表現する真摯で力強い「怒」を感じることができました。いくつか紹介しましょう。
樫の木の若者を曠野にねむらせ
しなやかなアキレス腱を海底につなぎ
おびただしい死の宝石をついやして
ついに
永遠の一片をも掠め得なかった民族よ (「ひそかに」 p.20)


ひとびとは
怒りの火薬をしめらせてはならない
まことの自己の名において立つ日のために (「内部からくさる桃」 p.25)


ああ わたしたちが
もっともっと貪婪にならないかぎり
なにごとも始まりはしないのだ。(「もっと強く」 p.34)


女たちは長く長く許してきた
あまりに長く許してきたので
どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
生めなくなったのではないか?
このあたりでひとつ
男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
女のひとのやさしさは
長く世界の潤滑油であったけれど
それがなにを生んできたというのだろう? (「怒るときと許すとき」 p.64~5)


どうして こうおとなしいんだろう みんな (「ゆめゆめ疑う」 p.132)


田中正造が白髪ふりみだし
声を限りに呼ばはった足尾鉱毒事件
祖父母ら ちゃらんぽらんに聞き お茶を濁したことどもは
いま拡大再生産されつつある

分別ざかりの大人たち
ゆめ 思うな
われわれの手にあまることどもは
孫子の代が切りひらいてくれるだろうなどと
いま解決できなかったことは くりかえされる
より悪質に より深く 広く
これは厳たる法則のようだ (「くりかえしのうた」 p.145)


戦争責任を問われて
その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる (「四海波静」 p.183)


過去に釣瓶をおろし
ゆったりと一杯の水も汲みあげられない愚鈍さ (「苦い味」 p.192)


言葉が多すぎる
というより
言葉らしきものが多すぎる
というより
言葉と言えるほどのものが無い

この不毛 この荒野
賑々しきなかの亡国のきざし
さびしいなあ
うるさいなあ
顔ひんまがる (「賑々しきなかの」 p.202)


それぞれの土から
陽炎のように
ふっと匂い立った旋律がある
愛されてひとびとに
永くうたいつがれてきた民謡がある
なぜ国歌など
ものものしくうたう必要がありましょう
おおかたは侵略の血でよごれ
腹黒の過去を隠しもちながら
口を拭って起立して
直立不動でうたわなければならないか
聞かなければならないか
   私は立たない 坐っています (「鄙ぶりの唄」 p.236)


車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

  そんなに情報集めてどうするの
  そんなに急いで何をするの
  頭はからっぽのまま (「時代おくれ」 p.241~2)
 こうしてみると、彼女の怒りの矛先は、国家に対してだけではなく、その「腹黒の過去」を「お茶」に濁し、「口を拭」い、その「過去に釣瓶をおろし」て「ゆったりと一杯の水も汲みあげられない愚鈍」な日本の民衆にも向けられているのですね。あらためて「腹黒の過去」を隠し、「拡大再生産」しようとする安倍上等兵政権と自民党、それと癒着する財界に対して、きちんと怒らねば、と思いました。

 追記その一。中国や朝鮮に対して日本が行なった「腹黒の過去」を謳った詩がいくつかあることも知りました。例えば、朝鮮の人々が日本による植民地支配をどう見ているかを詩にした「総督府へ行ってくる」という作品です。
日本人数人が立ったまま日本語を少し喋ったとき
老人の顔に畏怖と嫌悪の情
さっと走るのを視た
千万言を費やされるより強烈に
日本がしてきたことを
そこに視た (p.224~5)
 また中国から北海道へ炭鉱労働者として強制連行され、鉱業所での屈辱に耐えきれず脱走し、終戦を知らずに13年間、北海道の山中での逃避行を続けた劉連仁氏を謳った「りゅうりぇんれんの物語」という詩もあります。
昭和三十三年三月りゅうりぇんれんは雨にけむる東京についた
罪もない 兵士でもない 百姓を
こんなひどい目にあわせた
「華人労務者移入方針」
かつてこの案を練った商工大臣が
今は総理大臣となっている不思議な首都へ

ぬらりくらりとした政府
言いぬけばかりを考える官僚のくらげども (p.120~1)
 罪のない中国人をひどい目に合わせたこの御仁のお孫さんが、今の総理大臣ですね。そしてくらげのような官僚のみなさんは、今だにぬらりくらりと言いぬけばかり考えています。相も変わらず不思議な首都です。

 追記その二。大岡信との対談の中で、茨木のり子はこう語っています。
 わたし選挙を一度も棄権していないのは、やはり明治時代から女の参政権のために闘ってきた人たちがいたわけですから、その人たちへの敬意もあって雨が降ろうが嵐だろうが…。(p.345)

 追記その三。若い頃によく見ていたTVドラマ、『俺は男だ!』に印象的な場面がありました。詳細は憶えていないのですが、何かトラブルがあってクラス全員が国語の授業をボイコットしました。しかし主人公(森田健作)だけが一人教室に残り、先生の前で教科書の詩を朗読します。するとそれに唱和しながら、クラスメートが次々と教室に戻ってきます。その詩がなんと、茨木のり子の「六月」という詩だったのですね。忘れていた旧友に出会えたようで、嬉しくなりました。
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる (p.51~2)

# by sabasaba13 | 2017-07-16 05:25 | | Comments(0)

『日本国憲法を口語訳してみたら』

 都議会選挙での自民党の惨敗、「御慶」と叫びたいですね。これで憲法改悪の野望も潰えたかと思いきや、安倍上等兵は往生際も悪く諦めていないようです。それを頓挫させるためにも、多くの方々に(特に若い人に)憲法について考えてもらいたいものです。そもそも憲法とは何か? 無知な私の蒙を啓いてくれたのが、小室直樹氏です。『痛快! 憲法学』(集英社インターナショナル)から引用します。
 一人の犯罪者ができる悪事より、国家が行なう悪事のほうがずっとスケールが大きいのです。…憲法とは国民に向けて書かれたものではない。誰のために書かれたものかといえば、国家権力すべてを縛るために書かれたものです。司法、行政、立法…これらの権力に対する命令が、憲法には書かれている。国家権力というのは、恐ろしい力を持っている。警察だって軍隊だって動かすことができる。そんな怪物のようなものを縛るための、最強の鎖が憲法というわけです。(中略)
 ホッブズは、国家とはリヴァイアサンであると言った。これはまさしく万古不易の名言です。国家権力が自由に動き出したら、それをくい止める手だてはありません。何しろ近代国家には軍隊や警察という暴力装置がある。また人民の手から財産を丸ごと奪うこともできる。さらに国家の命令一つで、人民は徴兵され、命を戦場に投げ出さなければならない。こんな怪物を野放しにしていたのでは、夜もおちおち寝ていることはできないでしょう。だからこそ、近代西洋文明は持てるかぎりの知恵を振り絞って、この怪物を取り押さえようとした。…そこで法律や制度でぐるぐる巻きにしたうえに、さらに太い鎖をかけることにした。それが憲法というわけです。だから、憲法はあくまでも国家を縛るためのもの。一般国民に対して「仲良くせよ」「平和を愛せ」なんて、訓辞を垂れている余裕はない。敵はリヴァイアサン、そんな悠長なことは言っていられないのです。(p.28~31)
 また最近、『転換期を生きる君たちへ』(晶文社)を読んでいて、岡田憲治氏の一文にも出会えました。
 憲法は、学校の校則を偉くしたみたいなものだと、いい歳をした多数の大人がひどい勘違いをしているので言っておくが、憲法とはそんなものでは断じてない。
 軍隊(大砲)や警察(拳銃)を使って、必要となれば人間を殺したり(戦争)、脅し付けて静かにさせたりすること(治安維持)が例外的に認められている団体は、国家だけだから、暴走して人間や社会を破滅に追い込むことがないように、人々ではなく国家「を」きびしく縛るものが必要だ。そしてそれこそが、憲法がこの世にある最大の理由だ。だから縛られる側である政府にこそ、率先して憲法を守る義務があると書かれている。(p.154)
 はい、よくわかりました。国家という恐るべき怪物を縛る鎖、それが憲法です。よってその怪物が憲法を変えようとしたら要注意、どう考えても暴れるためにその鎖を緩めようとするのは目に見えていますから。自由民主党の改憲案を読めば一目瞭然です。この緊要な本質を理解せず、「押し付けられたから」とか「一度も改正されていないから」とか「時代遅れ」とかいう安直な理由で改正に賛成する方がいることに危惧を覚えます。繰り返しますが、重要なのは、怪物を縛る鎖を、緩めるのか締めるのかという点です。

 ぜひ多くの方々に日本国憲法全文を読んでいただき、その重厚な鎖の質感を感じてほしいのですが、取っつきにくいと思われる方も多いでしょう。そうした方にお薦めしたいのが、『日本国憲法を口語訳してみたら』(幻冬舎)です。法学部学生だった塚田薫氏が、「憲法って何?」という友人の質問に「こんな感じ」と答えたのが好評となり、それを「2ちゃんねる」に書き込んで大きな反響を呼びました。その内容を一冊にまとめたのが本書です。いくつか紹介しましょう。なお括弧内の斜体が原文です。
第17条 俺たちは、もし国や公務員がちゃんとした理由がないのに、俺たちの権利を侵したら、国とか公的なとこに、その補償をしろって要求できるよ。

(第17条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる)

第19条 どんな考えでも、それはお前の考えなんだから、大事にされるよ。もし公権力がお前の考えや良心に反することを要求しても、全部無視していいよ。

(第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない)

第21条 みんなで集まって考えたり、自分の考えをしゃべったり、本とかにしたりして表現することは、すべて自由だぜ。どんな表現でも、それはお前の権利だから、胸はってやれよ。
2項 国は検閲っていって、発表される前の本なんかの内容をチェックしたり、いちゃもんをつけたりしちゃだめだよ。あと、どんな話をしたとか、どんな考えをもってるとか探っちゃだめだよ。検閲の禁止と通信の秘密な。

(第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない
)

第25条 俺たちはみんな、健康で人間らしい最低限の生活をする権利があるよ。
2項 国は、このためにできることをちゃんとやれよ。

(第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない
)

第36条 公務員は、刑罰とかでエグいことすんなよ。拷問なんてもってのほかだからな。絶対な。

(第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる)

第83条 国のお金は、国会が決めたことにしたがって使えよ。

(第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない)

第97条 この憲法が大事にしてる基本的人権っていうのは、世界中の人たちがこれまで何百年もずーっとがんばって考えて、闘って、そして勝ち取った結果だよ。これは俺たちと俺たちのガキ、またそのずっと先のガキまで永久に受け取った、誰にも侵されない超重要な権利なんだ。

(第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである)

第98条 この憲法は日本で一番偉いルールだから、それに逆らうようなことを国がしたら、全部無視していいよ。[※2項は省略]

(第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。[※2項は省略])

第99条 総理大臣やほかの大臣、国会議員、裁判官、公務員、天皇や摂政は、この憲法をきちっと守ってね。これ、義務だからな。

(第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ)
 うわお、これはお見事。ざっくばらんな親しみやすさ、スピード感と力強さが素晴らしい。何よりも国家に対する「上から目線」が、びしびしと伝わってきます。国家権力に対して「~するなよ」「~に逆らうなよ」「~を守れよ」という小気味のよい命令が、フリッカー・ジャブのように次々とくりだされる爽快さ。ぜひ多くの方々が読み、鎖の重要性を実感し、そして原文を読み、憲法改正の国民投票がもし行われた際には参考にしていただきたいと思います。

 余談です。自民党の改憲案では、第97条はそっくり削除され、第36条からは「絶対に」という文言が削除され、第99条には「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という文言が追加されています。語るに落ちるとはこのこと、彼等の考える憲法とは「国民を縛る鎖」なのですね。また第21条には次の条項が追加されています。
 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
 この改憲案全体の主語が、国民ではなく、国家権力を行使する官僚・政治家であるという印象を強く受けますが、これもそうですね。口語訳してみましょうか。
 表現の自由は認めるけど、俺ら官僚・政治家に損をさせ、俺らの顔にドロをぬるようなことはさせないし、そんなことをするグループはつぶすぜ。
 誰か自民党の改憲案全文を口語訳してくれないかなあ。そして本書と読み比べれば、その違いがいっそう鮮明になると思います。
# by sabasaba13 | 2017-07-15 06:19 | | Comments(0)

近江編(7):五個荘(15.3)

 それでは「五個荘観光センター」でお昼ご飯をいただきましょう。ランチセットのキャベツメンチカツを所望したところ、嬉しいことに漬物バイキングがついていました。これは嬉しい、五種類の漬物を少しずつとってすべていただきました。
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 メンチを食べながら、観光パンフレットを読んでいると、近江商人に関する一文がありましたので転記します。
商法を支えた近江商人の理念

 江戸時代、近江商人は天秤棒を肩に全国各地にわたって活躍しました。その精神は現代に至るまで連綿と受け継がれています。
 江戸時代初期から発祥した近江商人たちは、はじめ行商からスタートし、やがて舟や牛馬を使って大規模な卸売を行うようになります。
 特徴的なのは、ただ産物を他の地域で商うだけではなく、各地域の産物を仕入れ、よく売れる地域で商うという「諸国産物廻し」でした。
 また、大福帳による複式簿記を行うなど、独自の資本意識を持って、近江商人たちは今でいう流通システムの確立を行ったのでした。

 売り手よし 買い手よし 世間によし 三方よし

 商いというものは、売り手が利益を得て、買い手が欲しい商品を手に入れるという、売り手も買い手も満足する取引でなければならない。そして、その取引で得られた利益は世間のため、広く公共のために活用されなければならない。
 「売り手よし・買い手よし・世間によし」という、近江商人の格言として有名な「三方よし」の理念を説いた最初の人物は、江戸時代中期、近江国神崎郡石馬寺村(五個荘石馬寺町)の麻布商、中村治兵衛家の二代目宗岸であったと言われています。
 「売り手よし・買い手よし・世間によし」か…これは三思に値する言葉ですね。商売は人や社会を幸せにするために営まれる、経済が社会に埋め込まれていた時代をよく表現しています。経済行為においては、リスクやコストを他者や社会や未来に押しつけぬよう自制すべきである、と言い換えてもいいかな。思うに、近代とはそうした自制を取り払った時代だと考えます。短期間で簡単に大儲けすることを至上命題とし、投機的投資に現を抜かし、ひたすら経済成長をめざす、経済に社会が埋め込まれた時代です。「売り手だけよし」の"一方よし"ですね。そのリスクやコストは、無力な弱者に押しつけて平然とし、どのようなカタストロフが起ころうとも責任を取らない。株式・通貨・不動産の各市場が危機を生み出そうとも、再生不能エネルギー資源が環境を破壊しても、希少資源の支配をめぐる戦争が起ころうとも、それがテロリズムを誘発しようとも、未来の世代が犠牲になろうとも、知ったこっちゃない。今だけ、金だけ、自分だけ。
 やれやれ、「それでも人間か」と罵倒したくなりますが、シェイクスピアだったら「それが人間だ」と切り返すでしょうね。もしdecentな世界と未来を望むのであれば、この近江商人の言葉をもう一度噛みしめるのも悪くないと思います。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-07-14 06:27 | 近畿 | Comments(0)