兵庫編(3):兵庫県立美術館(05.3)

c0051620_21235728.jpg そして神戸です。お目当ては兵庫県立美術館で開催されている「ドレスデン国立美術館展」です。阪神岩屋駅から歩いて数分で到着。ザクセン公国の粒よりコレクションを満喫できました。有田焼とマイセン焼の比較展示は興味深かったですね、磁器をつくるために当時の最先端科学技術を駆使していたことがわかりました。巨大な集光器で有田の磁器を熔かし、成分を分析していたんだ。有田磁器を模したマイセン磁器が並べて展示してあって、磁器(東洋文化)への痛烈な憧れと執念をまざまざと実感できました。オスマン・トルコへの憧れを展示してあるコーナーも興味深いですね。こうした「オリエント」への憧れがヨーロッパの「発展」の原動力なのだなあと、あらためて納得しました。目玉はフェルメールの『窓辺で手紙を読む若い女』。まるで異空間のような静謐な時間がただただ流れていきました。ほわあ… 世界中に散らばっているフェルメールの作品を、いつの日にかこの眼ですべて見てみたい。ドイツ・ロマン主義の巨匠、カスパー・ダーヴィット・フリードリヒの作品もいいですね。そして常設展示では、小磯良平の『斉唱』が圧巻。彼は従軍画家として戦争に協力したのですが、やはり平和を祈っていたのでしょうね。やるせなく切ない想いが伝わってきます。一人顔を上げている少女の表情が忘れられません。そして阿部合成の『見送る人々』。制作は1937(昭和12)年、日中全面戦争が始まった年です。初めて知った画家と絵なのですが、これほどまでに戦争の狂気と愚劣さを表現した絵も珍しいですね、圧倒されました。狂ったように打ち振られる「日の丸」… そして三宮に戻り、ポートライナーで中埠頭駅に行き、ホテルに到着。

 本日の一枚はフェルメールです。
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# by sabasaba13 | 2005-03-23 06:26 | 近畿 | Comments(0)

広島編(2):宮島(05.3)

 そして路面電車で宮島口へ行き、フェリーに乗って宮島へと渡航。宿に着いて夕食をとった後は、厳島神社のライトアップを見に行ってみました。漆黒の闇の中、四脚造りの紅い大鳥居が海面にそそり立つ姿はそれはそれは幻想的。ええもん見せてもろた。土産屋で「闘魂」と書いてあるしゃもじを二つ購入。
 翌日はフェリー乗場でレンタサイクルを借りて、杉の浦や包ヶ浦を散策し、厳島神社へ。昨年の9月7日、台風18号の暴風と高潮のために大きな被害を受け、まだ傷跡が生々しく残っています。五重塔は全体を足場で覆われて修復中、殿社の桧皮葺もかなりダメージを受けていました。千畳閣を見物し、名物のプリップリッした焼きがきを二つたいらげました。宿の方にかきとグリコーゲンと江崎さんの話を教えてもらったのを思い出し、江崎グリコのHPを開いてみたら、こういうことでした。
1919(大正8)年の春、薬種業を営んでいた江崎利一は、郷里・佐賀県の有明海沿いの堤防で、漁師たちが牡蠣の煮汁を捨てているのを目にしました。その時ひらめいたのが、薬業新聞で見た「牡蠣にはエネルギー代謝に大切なグリコーゲンが多く含まれている」という記事。利一は「煮汁にグリコーゲンが入っているのでは?」と考え、九州大学に分析を依頼、その結果、多量のグリコーゲンとともにカルシウムや銅分が含まれていることがわかりました。そんな矢先、長男が病にかかりました。病状は峠を越したものの、医者もさじを投げるほど衰弱していました。そこで利一は、はしの先にグリコーゲンのエキスをつけ、長男の口に少しずつ運びました。やがて長男は元気を取り戻したのです。
 こうした劇的な出合いから、グリコーゲンの活用を広めたい!という利一の思いが強くなり、まず薬への利用を考えます。しかし九州大学の先生から「治療よりも、病気にならない体をつくる予防が大切だ」とアドバイスされます。なるほど治療よりも予防が第一、それなら健康づくりのために活用しようと決意したのでした。
 なるほど、ドラマだなあ。グリコキャラメルの成分表にはちゃんと「かきエキス」と表記されているそうです。こんど確認してみよう。
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 そうそう、町屋通りに「誓真釣井」という井戸があり、その解説によると、江戸時代後期に誓真という坊さんが宮島にやってきてさまざまな公益事業に尽力したそうです。井戸を掘ったり、石段を築いたり… その一環として、島民に生業を与えるために弁才天の琵琶の形から着想を得た飯杓子をつくらせたそうです。これが宮島名物しゃもじの起源とのこと。いやあなかなか風情のある街並みでした。野良シカもウロウロしているし。自転車を返却してフェリーに乗り、JRで広島駅へ。さあ神戸へ向かいましょう。

 本日の一枚は大鳥居のライトアップです。
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# by sabasaba13 | 2005-03-22 06:16 | 山陽 | Comments(0)

広島編(1):平和記念公園(05.3)

 先日広島~神戸~大阪の旅行に行ってまいりました。のぞみに乗り込み、まずは広島へ。車窓からクリアに見える富嶽が前途を祝福しているかのようでした。が、しかし、到着すると小雪が舞い散る寒さ。まずは平和記念公園へ。資料館を見学した後、公園を散策しました。まずは原爆慰霊碑、原爆ドームへ。
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 原爆ドーム(旧産業奨励館)は、チェコ人建築家のヤン・レツルの設計です。日本と関係の深いチェコ人建築家は他にも、聖路加国際病院の設計に関わったフォイエルシュタイン、軽井沢セントポール教会を設計したアントニン・レーモンドなどがいます。ジャポニズムの影響で日本文化に憧れていたのですね。そうそう浮世絵に魅せられたミュシャもチェコ人です。そういえば世界的なミュシャのコレクターであるテニス選手のイワン・レンドルもチェコ人です。ああ彼の下手なボレーが懐かしい。ちなみにフォイエルシュタインは、カレル・チャペックの劇「R.U.R」(ロボットの語源はこの劇)の舞台装置も手がけました。レーモンドは、第二次大戦中、アメリカ軍部に協力して日本の木造都市への無差別爆撃の方法を指導したとのこと。彼はユダヤ人です。ホロコーストにより縁者が消息不明になっていたので、ナチス・ドイツと同盟を組む日本を叩くことに手を貸したのかもしれません。なおこの焼夷弾による無差別爆撃をバックアップし莫大な利益を得たのがスタンダード石油(現エクソンモービル)だということも忘れないようにしましょう。そして峠三吉や原民喜の碑、韓国人慰霊碑、全日本損害保険労働組合(全損保)被爆20周年記念碑を見学。最後の碑は
なぜ/あの日は/あった/なぜいまもつづく/
忘れまい/あのにくしみを/この誓いを
 という碑文で、唯一原爆投下の理由とその犯罪性を告発したものです。なぜアメリカ政府は原爆を投下したのか? アメリカの軍事力で日本を降伏させたという印象をつくり戦後の日本を勢力範囲に入れること、ソ連に核兵器の威力を見せつけること、莫大な予算を使ったことに対する議会へのexcuse 、人体実験、世界のウラン鉱山を支配している大財閥ロックフェラー(スタンダード石油も支配)とモルガンからの圧力、といった理由でしょうか。そして資料館のすぐそばにある、イサム・ノグチ設計の平和大橋・西平和大橋を拝見。日の出と日の入りをデザインしたものだそうです。なお公園の中心となる原爆慰霊碑のデザインも彼に依託されましたが、アメリカ人の血が混じっているという理由で猛反対にあい、実現しなかったとのこと。嗚呼、何て尻の穴が狭い! *
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 本日の一枚は、原爆ドームと薄日。今現在でも、核兵器を手軽・気軽に使おうとする国があるかと思うと、心の底から暗澹としてしまいます。カート・ヴォネガットの小節にこんな一節がありました。
われわれは自分たちを
救えたかもしれないが
呪わしいほどなまけものであったため
その努力をしなかった
それにわれわれは
呪わしいほど下劣であった
                   人類

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# by sabasaba13 | 2005-03-21 07:51 | 山陽 | Comments(0)

「自伝からはじまる70章」

 「自伝からはじまる70章 大切なことはすべて酒場から学んだ」(田村隆一 思潮社詩の森文庫101)読了。詩を楽しむ人が年々減っているような気がしますが、そうした中詩の森文庫の発刊には快哉を叫びたいですね。ブラバ! 「詩のすすめ」(吉野弘)も良かったですが、今回はミスター・タムラ(1923-98)を紹介しましょう。彼がつくった「きみと話がしたいのだ」という詩がずっと好きでした。 
木について
きみと話がしたい
それも大きな木について
話がしてみたい
 という書出しの魅力的な詩です。お恥ずかしい話、他の詩はほとんど読んだことがないので、必ずや挑戦しようと思っています。この本からは自伝を中心に、雑感、エッセイ、与太話と、縦横無尽に彼の面白い話があふれでてきます。グラス片手にほろ酔い加減で上機嫌に話しかける彼の姿が、彷彿としてきます。3ページほどの短い文章ですので、通勤電車での読書に最適。中でもこの言葉には、心底感銘を受けました。
父の言葉が、ぼくにはありがたかった。
「おまえは、私の子供だから、頭が良いはずがない」
 まいった。「山田君、座布団三枚」ですね。こんな素敵で美しくて感動的なセリフはひさしぶりです。もし日本中の父親が(そして何よりも母親が)、今晩このセリフを子供たちに言ったら、きっと確実に明日の世界は変わっているでしょうね。「ほっ」という数百万の安堵の溜息が地表に漏れ溢れ、地球温暖化を促進しそう。いや冗談ではなく。きっと子供たちの両肩に根雪のようにのしかかっていた何物かが、春の陽光に当たったようにすっと溶けて、天にも昇るような気持ちになるんじゃないかな。言葉の力って、あらためて凄いと思います。太陽の光にも、真冬の烈風にもなるんですよね。
# by sabasaba13 | 2005-03-20 07:02 | | Comments(2)

追悼 ベルティーニ

 昨日の夕刊で、世界的なマーラー指揮者ガリー・ベルティーニ氏が逝去されたことを知って驚きました。謹んで冥福を祈ります。享年77歳。彼が振ったマーラーは素晴らしいとの噂を聞いておりましたので、昨年の五月新宿文化センターに聴きに行きました。オーケストラは東京都交響楽団、曲はマーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」です。正直に言って良いマーラ-・ファンとはいえない小生ですが、いたく感銘しました。複雑で大袈裟な曲だと思うのですが、誠実にメロディを選り分けて豊かに唄わせようとする姿勢は印象的でした。旧ソ連のモルドバに生まれ、イスラエルで育ったといいますから、おそらくユダヤ人なのでしょう。ちょうどドイツに侵略された時期に青春時代を迎えたのですね。どんな数奇な生涯かはわかりませんが、素敵な音楽を紡ぎだしてくれたのは事実です。さっそくインターネットで、ケルン交響楽団と録音したマーラー全集を検索したのですが、ほとんど廃盤でした。残念。ジャズ・ミュージシャンのエリック・ドルフィーが“When you hear the music, it's gone in the air. You can never capture it again.”と言っていました。たしかにあの音はもうとらえることはできませんが、余韻は心に残っています。あらためて追悼いたします。(マーラーの交響曲第6番第3楽章アンダンテ・モデラートを聴きながら)
# by sabasaba13 | 2005-03-19 15:54 | 音楽 | Comments(0)

四国彷徨

 四国旅行(04.2)の時につくった俳句です。


 松山や梅の向こうの天守閣
 
咲きはじめの梅が枝から垣間見える松山城… 絵になりました。

 磨きたる石のぬくみや五剣山
 
石屋が建ち並ぶ牟礼の街から、五剣山が眺望できます。ちょうど小春日和のうららかな日で、みごとに磨いてある石材に触れるとほのかに暖かい。

 槌音や石工にも春来たるらむ
 
これも牟礼の街。石を削る槌音が、春が来たのを言祝ぐかのようにリズミカルに鳴り響いていました。

 寒禽や屋島の方へ飛び行けり
 
イサム・ノグチ庭園美術館の小山から、屋島が一望できます。彼の生まれ変わりのような石に寄りかかって眺めていると、鳥が屋島の方へ飛翔していきました。まるで彼の魂であるかのように。

 音も無き小春日和や志度の町
 
街全体がまどろんでいるようでした。

 春一番寂しき駅を吹きゆけり
 
これは内子駅。山の稜線がそれはそれはクリアに見えたのを記憶しています。

 寒雀道後の駅に集ひけり
 
道後温泉駅は洒落た洋風建築なのですが、その梁のところに雀がたくさんとまっていました。

# by sabasaba13 | 2005-03-19 07:19 | 邪想庵句集 | Comments(0)

伊予・讃岐編(10):淡路島(04.2)

 あらかじめ潮の流れを調べて、朝8時の渦潮観光船を予約していたのですが、ものすごい春一番。乗客は私一人。「どうします?」と訊かれたので、恐る恐る「危なくないですか?」と言ったら、「うちの会社は一隻しか船をもっていないので、沈んだら困ります」と切り返されました。納得、じゃあ安全だ。Here we go ! 小潮なので大きな渦潮はありませんが、それでも風にあおられザンザバザンザバと潮が暴れ舞うすごい迫力。なぜ渦巻きを見ると血沸き肉踊りアドレナリンがふつふつ分泌してくるのでしょう。眼福眼福。
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 そして路線バスで鳴門大橋を渡り洲本へ。バス乗り継ぎの間、約一時間ほど街並みを散策。また路線バスで北岸の五色町へ。ここは高田屋嘉兵衛の故郷です。彼は、江戸後期の海運業者、蝦夷地(北海道)の物産を運ぶ北前船の船頭です。幕府がロシアの開国要求を拒否したことで、外交関係が険悪となり、ロシア船による襲撃事件が多発します。これに対して幕府はロシア軍人ゴロウニンを捕縛(彼はこの一連の事件に無関係)、その報復としてロシアは嘉兵衛を拉致します。彼は豪胆かつ沈着冷静な態度でロシア側の信頼をかちとり、交渉の仲介として尽力、自らの解放とゴロウニンの釈放送還に成功します。詳細は、司馬遼太郎の『菜の花の沖』をどうぞ。まずは高田屋嘉兵衛翁記念館を見学。そして徒歩で高田屋嘉兵衛公園に行き、彼に関する展示のある菜の花ホールを見学。そうそう、途中にあった嘉兵衛の菩提寺で「飛び出しじいさん」を発見しました。「飛び出し小僧」はよく見かけますが、これは極めて珍しい物件です。ラムサール条約で保護してほしいですね。昼食は淡路牛の瓦焼き、ひさびさの肉でした。公園内にある嘉兵衛の墓参りをし、菜の花畑を眺め、タクシーで北淡町へ。
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 そう、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた町です。野島断層保存館を見学し、あらためて地震の凄まじさを思い知りました。断層の真上にあった家もその状態で保存されており、内部を見ることができます。台所の惨状もリアルに復元されていますが、うん? 雰囲気がうちの台所に似てるような。気のせい気のせい年のせい。
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 そしてタクシーで岩屋にあるフェリー乗り場へ。途中でちょっとおろしてもらい、江崎灯台を拝観。1871(明治4)年、イギリスの灯台技師ヘンリー・ブラントンの設計でつくられた白亜の美しい灯台です。日本の灯台の歴史を語る上で欠かせない人物で、彼の作品はこれからも追いかけます。灯台からの眺望もすばらしい。そして岩屋からたこフェリーで明石へ。新大阪駅の「ぼてじゅう」でねぎ焼きを食べて新幹線で帰郷しました。
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 今回の徘徊では、四国の人々の手厚いサポートにいろいろと助けられました。謝々。お遍路(旅人)を大事にする文化が脈々と息づいているような気がします。

 本日の一枚は、鳴門の渦潮です。
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# by sabasaba13 | 2005-03-18 06:27 | 四国 | Comments(0)

伊予・讃岐編(9):イサム・ノグチ庭園美術館(04.2)

 まず前半の30分は展示されている作品とアトリエを見学。私はまっさきに、古い民家を利用した展示館へ。係りの方が大きな引戸をごろごろと開けると、差し込む陽光とともに荘厳に浮かび上がったのが彼の代表作「Energy Void」です。忘れられない一瞬。黒色花崗岩による高さ3.6mの大きな彫刻で、微妙に捩じれていて見る角度でいろいろと表情を変えてくれます。そして人間の手で磨き上げた温もりに溢れた黒褐色の表面。現代彫刻に感銘を受けたのは初めての経験です。そして今にも彼がふらっと戻ってきそうな、当時のまま保存された作業場を見学。柱の穴や隙間に、定規や東海道五十三次マッチが無造作につっこんであります。そして庭に展示された作品の数々。作品名・制作日時等の表示は一切なし。作品そのものから何かを感じ取って欲しいという彼の要望だそうです。30分は短いと思いましたが、集中して作品に対峙するには程よい時間であることがわかりました。後半は、彼が住んでいた、古い民家を移築した「イサム家(や)」の外観と彼が設計した庭園の見学。巨大な土饅頭のような丘にのぼると、屋島が一望できる見事な眺望、背後をふりかえると五剣山。彼が世界で最も好きだった場所だと言ったそうです。そして天辺に高さ2mほどの卵形の巨石(岡山産安成石)が置かれ、屋島の方を沈黙しながら凝視しています。見た瞬間にわかりました、この石はイサム・ノグチだと。石となって、地球と一つになりたかったのだと。後で係りの方に尋ねたら、彼はこの石が大好きで、死ぬ直前に「二つに割って中に入りたい」と言ったそうです。本当に濃密な、凝縮された一時間でした。いろいろ美術館には行きましたが、ここが世界で一番好きです。
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 那須与一の駒立岩、景清の錣引きなど源平合戦ゆかりの史跡を見ながら、歩いて八栗駅まで行き再び琴平電鉄で志度へ。昼食はこちごの唐揚げ。昨日乗ったタクシーの運転手さんが「瀬戸内は小魚が一番旨い」と言っていましたが、ほんとですね。イサム・ノグチがよく散歩に来た四国八十八ヵ所第86番札所の志度寺へ。彼が好きだったという「海女の墓」が印象的でした。トイレの前に「遍路を真似た詐欺師に注意」というポスターがありました。なるほどこの手があったか。振込詐欺よりは人間的な犯罪のような気がしないでもないですね。「こわい鬼は自分がつくっている」というポスターに納得し、平賀源内の墓参りをして、源内遺品館を見物。そうそう「うだつがあがらぬ」の語源となった、うだつのある町屋をよく見かけました。キュートな琴平電鉄で高松へもどり、迷ったすえに高速船で未踏の地、小豆島へ向かいました。いやはや貧乏根性丸出しですな。
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 一天にわかにかき曇り小雨がぱらつく中、「二十四の瞳」の舞台となった岬の分教場をタクシーで訪問。木下恵介のファンなもので… ほんとは日本棚田百選に選ばれた池田町の千枚田も見たかったのですが、これは時間の関係で断念。尾崎放哉(ほうさい)記念館も泣く泣くカット。以前山ノ神に「屁をしても一人」という素晴らしい自由律俳句があると冗談で言ったら、それを信じて職場で吹聴し、さる方から「咳をしても一人」だと諭されて、「赤っ恥をかいたじゃないの!」と激しく叱責された美しい思い出が走馬灯のようによみがえってきました。へえー黒島伝治も小豆島出身だったんだ。寒霞渓の紅葉もいつか見てみたい。世界で一番狭い海峡を見せてもらい、池田港からふたたび高松へ高速船で戻り、今夜の宿鳴門へ。明日はまず鳴門の渦潮見物です。
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 本日の一枚は、やはり屋島遠望です。「イサム・ノグチの石」になったつもりでご覧ください。
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 ●イサム・ノグチ庭園美術館  http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/home.htm
# by sabasaba13 | 2005-03-17 07:26 | 四国 | Comments(10)

伊予・讃岐編(8):イサム・ノグチ庭園美術館(04.2)

 本日は屋島近辺の散策です。まずはノテノテと走る姿がキュートなおもちゃのような琴平電鉄で八栗へ。タクシーでケーブルカー乗車駅まで行き、それに乗って八栗寺へと登ります。四国八十八ヵ所第85番札所です。お遍路バス・ツァーご一行様と同乗いたしました。巡礼も時代とともに様変わりしつつありますね。この寺は五剣山という魁偉/怪異な形の山の麓にあり、眺望がいいのかなと期待しましたがそうでもなくがっかり。
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 すぐに下界におりて、石の民俗資料館へ。実はこのあたりは庵治石(あじいし)という細粒黒雲母花崗岩の産地でして、そこらじゅうに石屋・石材屋が林立しております。石切り作業のジオラマなど興味深い展示が多かったのですが、さる事情のため十五分そこそこで切り上げ次の目的地へ。お土産にカンカン石を購入しようとしたのですが、その重さに三歩あゆめず断念。そうそう、この資料館展望台からの屋島の眺めが素晴らしい! 穴場ですぜ。溜池も散見できるので、「大人の社会科見学」フリークの方にもお勧め。
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 さてさて、さる事情とはイサム・ノグチ庭園美術館の集合時間が近づいていたのです。イサム・ノグチ(1904~88)。アメリカの現代彫刻家。英文学者で詩人の野口米次郎と、作家レオニー・ギルモアとの間に生まれ、少年期は日本で育つ。渡米した後、彫刻家 を志し、アジア・ヨーロッパを旅して見聞を広めた。パリでは彫刻家ブランクーシの助手をつとめる。ニューヨークに居を定め、肖像彫刻、舞台美術をへて環境彫刻やランドスケープ・デザインにまで幅広い活動を開始する。戦後は日本でも陶器作品や、和紙を使った「あかり」のデザインなどを行う。その後、アメリカ国内外の各地で、彫刻、モニュメント、環境設計を続け、文字通り「地球を彫刻した男」と呼ばれる。1988年12月30日ニューヨークで没。実は先日、講談社文庫におさめられているドウス昌代著の伝記を読んで以来、その数奇な生涯と作品に魅せられてしまいました。彼が庵治石と屋島・五剣山とこの地の石工の技術に惹かれて、ここ牟礼にアトリエをかまえ一年のうち数ヶ月を必ず過ごしたそうです。そして生前から自分の作品を展示する庭園美術館としても構想し、設計・作品の配置をてがけていました。そのアトリエ・作業場・住居・庭園・美術館が渾然一体となったものが、イサム・ノグチ庭園美術館です。開館は週に三日のみ、往復葉書で予約、見学は案内にしたがい一時間、入館料二千円ということで、本日の午前十時の来館を予約していたわけです。ワクワク。来館者は四名。受付で、著作権等はNYの財団が所有しているので写真撮影は禁止との説明を受けます。
c0051620_1524501.jpg 話はそれますが、桂離宮も撮影禁止なのですね。その理由は「苔の保護のため撮影禁止」! 驚き桃の木山椒の木ブリキに狸に蓄音機、噴飯ものですね。まあ伊勢神宮も撮影禁止だし、天皇制と「隠す」という行為は切っても切れない関係にあるのは理解できますが… 興味深いのは英文にはそうした理由付けはありません。そりゃあこんな理由では納得しませんよね、外国の方は。「公」(poblicではなく、オオヤケ=大きな家=権力と富をもつ者)に命令されると、その根拠を深く考えず鵜呑みにしてしまうわれらが伝統文化を上手に利用しています。さすが宮内庁。閑話休題、それでは中に入りましょう。



 本日の一枚は、梅と屋島です。
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# by sabasaba13 | 2005-03-16 09:04 | 四国 | Comments(4)

伊予・讃岐編(7):豊稔池ダム(04.2)

 観音寺からタクシーで向かうは、豊稔池ダム。ここ讃岐平野、中でも大野原地区は、昔から水不足・干害に悩まされました。「嫁にやるなよ大野原の里へ 夜も夜伽のない里ぞ」といわれるほど水の確保に追われたのですね。その対策として多くの溜池があります。その溜池をつくるために、1930(昭和5年)に完成したのが豊稔池ダムです。そしてここは日本で唯一のマルチプルアーチ・ダム。小さなアーチを連続して並べて水の圧力を分散させ、そのアーチのつなぎ目をバットレス(支柱)で支えるという構造のダムです。写真を参照してください。材料費が安くて済む工法なのですが、実は普及しません。公共事業予算をぶんどれないので、業者が採用しなかったのだと邪推します。ま、それはともかく基本的に「ダムはムダ」という意見なのですが、このダムに関しては写真を見ただけでその風格・風貌に圧倒されました。そして実際にこの目で見て、期待は裏切られなかった… す、ご、い。存在感あふれ古色蒼然とした石積み。(受益者となる付近の農民が、石を切り出し組み上げて築造) 古城のように屹立するバットレス。支柱と支柱の間に入ると背後の石のアーチが数万トンの水を支えていることをひしひしと感じ、畏敬の念と恐怖さえ覚えます。ダムの上部にのぼり、「立入禁止」のチェーンを乗り越え水面の方を見ると、優雅に弧を連ねたアーチが湖面に映えます。近代化遺産の魅力は、人知・人力とローテクを駆使して、一生懸命に世のため人のために尽くそうという無骨なまでの佇まいだと思います。そういう意味でこのダムは至高の逸品。来て、見て、触れてよかった。なお梅雨時には「ゆるぬき」というダイナミックな放水も見られるそうです。ああああああああああああああ、見てみたい。
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 運転手さんの勧めで、琴弾公園から砂で作った巨大な「寛永通宝」の銭形を見て、観音寺駅へ。丸亀駅でおり、駅前の猪熊弦一郎美術館は残念ながら休館中なのでカット。三越の包装紙のデザイン、上野駅壁画は彼の手によるものですね。丸亀城を見物して本日の行程は終わり。今夜は高松で宿泊です。
 そういえば出がけに山ノ神に「おみやげを買ってこないと、月夜の晩は歩けないわよ」と言われたことを思い出しました。まずは腹ごなしと、ホテルのコンシェルジュにデリシャスでチープなウドンショップはないかと尋ねたところ、近くの「川福」という店を紹介してくれました。さっそく行ってざるうどんを注文。これがまた美味。宝石のように輝き歯ごたえのある、極上の讃岐うどん。お土産として宅配をしてもらいました。
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 本日の一枚は、やはり豊稔池ダムですね。
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# by sabasaba13 | 2005-03-12 05:40 | 四国 | Comments(0)