『戦後入門』(加藤典洋 ちくま新書1146)読了。
…まいった… 超ドレッドノート級の面白さ、ひさかたぶりに読書の喜びを満喫させていただきました。加藤氏に感謝します。 635ページ、重さ…計測していませんがけっこう重いです。小生の如き蒙昧な徒ではとても要約できませんので、カバー袖裏の紹介文を引用します。 日本ばかりが、いまだ「戦後」を終わらせられないのはなぜか。この国をなお呪縛する「対米従属」や「ねじれ」の問題は、どこに起源があり、どうすれば解消できるのか-。世界大戦の意味を喝破し、原子爆弾と無条件降伏の関係を明らかにすることで、敗戦国日本がかかえた矛盾の本質が浮き彫りになる。憲法九条の平和原則をさらに強化することにより、戦後問題を一挙に突破する行程を示す決定的論考。どこまでも広く深く考え抜き、平明に語った本書は、これまでの思想の枠組みを破壊する、ことばの爆弾だ!おおっ、かなりリーダーズ・ハイ、ライターズ・ハイになっていますね。わかるわかる、おいちゃんもその気持ち、よーくわかります。 本来ならば、その全貌をきちんとまとめて、小生の意見を述べるべきなのですが、時間も能力もありません。とりあえず、広島を訪れるというオバマ大統領の英断に敬意を表して、原子爆弾に関する叙述をいくつか引用します。 まずトルーマン大統領は、1945年8月9日午後10時、ラジオを通じて二発の原爆投下について釈明・正当化を、アメリカ国民に向けて発表しました。加藤氏の要約によると、日本人は、予告なしにパールハーバーでわれわれを攻撃し、米国人捕虜を餓死させ、殴打し、処刑し、戦争に関する国際法規に従うふりをする態度すらもかなぐりすてた者たちであるからだ、という理由です。そして戦争を早く終わらせ、何千何万もの米国青年の生命を救うためだ、と。(p.215~6) 以下はすべて引用です。たくさんひっぱってしまったのですが是非ご海容ください。「ことばの爆弾」の破壊力を体感していただきたく思います。 このような「声明」だけで、投下した側の、戦後の国際秩序構築に必須の道義的威厳、威光、さらに原爆保持・新たな使用の合法性が保証されないことは、明らかです。なお「あとがき」の一文にもいたく感銘しました。そうですよね、まったくそのとおりです。“人間を食ったことのない子どもは、まだいるかしらん。子どもを救え…” 『魯迅選集』(岩波書店)第一巻所収「狂人日記」 p.27 この本を、高校生くらいの若い人にも、読んでもらいたい。それではオバマ大統領、心よりお待ちしています。 #
by sabasaba13
| 2016-05-25 06:38
| 本
|
Comments(0)
『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(長谷川毅 中公文庫)読了。F・D・ローズヴェルトの死とトルーマンの登場、ポツダム会談、原子爆弾の実験成功、広島への原爆投下、ソ連の参戦、長崎への原爆投下、ポツダム宣言受諾、ソ連による千島(クリル)列島への侵攻、息が詰まるような太平洋戦争の最終局面を、豊富な史料を駆使しながら、スターリンという重要なアクターに目を配りつつ叙述した力作です。
著者の長谷川氏は、アメリカ市民権を取得し、カリフォルニア大学でロシア史を研究されている方です。よってこれまでの研究では不十分であったスターリン=ソ連の政策や意図について、かなり詳細に考察されているのが印象的でした。知力・気力の限りを尽くし、相手の出方を窺いながら、時にはしたたかに時には真摯に時には威圧的に時には慎重に、それぞれの「国益」をめぐって暗闘をくりひろげるスターリンとトルーマン。外交とはこういうものかと痛感しました。大粛清を行い全体主義体制を築いたスターリンではありますが、外交家としての力量はやはり卓絶したものです。もう一つの軸となるのが、降伏をめぐる日本の支配層の動きです。ドイツ降伏、沖縄での敗戦、ポツダム宣言発表など、戦争を終結させる機会が幾度となく存在したにもかかわらず、意見が分かれてその決定ができなかった為政者たち。そのためにいかに多くの人命が失われたことか。長谷川氏はそれを舌鋒鋭く批判します。 しかし日本では、ソ連の「火事場泥棒」のような振る舞いやアメリカの原爆投下を非難する声はあっても、戦争の終結を遅らせた日本の指導者の責任にたいする批判はあまり聞こえてこない。もし、日本政府がもっと早い段階でポツダム宣言を受諾して戦争終結の決断をしていれば、原爆もなかったし、ソ連参戦もなかったであろう。これは、必ずしも、ないものねだりではない。実際に、佐藤尚武大使、加瀬俊一スイス公使、松本俊一外務次官などは、これを主張していた。なぜ決定ができなかったのか。要するに、国民の生命よりも、組織防衛と自己の権勢の維持、および責任逃れを重視したためですね。その際のキーワードが「国体」です。私考えるに、「天皇の名を使えば、責任を問われずに好き勝手に、野放図に権力を使える体制」です。その体制を死守しようとする軍部、その体制が多少こわれても皇室の安泰さえ確保できればよしとする宮中グループ。そこには、国民を守るという視点は全くありません。やれやれ。こういう方々にきっちりと落し前をつけさせ、かつそれを歴史的記憶として共有するという作業を怠ったのが、現在につながっていると思います。あいもかわらず、組織防衛と自己の権勢の維持、および責任逃れを最重要視する管理エリート(官僚・政治家・財界)がいかに多いことか。 もうひとつの読みどころは、原爆投下に関する分析です。とくに新しい視点はありませんが、豊富な史料を使って、その経過を手際よくまとめられています。 アメリカで広く信じられている原爆投下正当論は、二つの仮定の上に成り立っています。第一の仮定は、トルーマン大統領は日本を降伏させる手段として、原爆投下か、アメリカ兵の大きな犠牲を伴う日本本土侵攻の二者択一を迫られたこと。第二の仮定は、まさに原爆投下こそが日本政府が降伏を受け入れた決定的な要因であること。以上二つの仮定から、原爆投下は、日本本土侵攻の際に予測される百万以上のアメリカ兵の命を救うためには必要であり、正当化されると論じられます。私もはじめて知ったのですが、2005年にドイツでドレスデン爆撃の60周年追悼式が開かれた際に、米国、英国、フランス、ロシア代表を前にして、ドイツのゲアハルト・シュレーダー首相は「われわれは本日ドイツのドレスデンとヨーロッパにおいて戦争とナチスのテロの支配の犠牲になった人々に追悼の意を表すものである」と宣言したそうです。一方、広島の平和記念式典での菅直人首相の演説では、「日本が今後核のない世界を建設する運動の先頭に立つ決意」を表明しながら、原爆投下の背景にあった戦争における日本の責任についてはいかなる言及もなかったそうです。 己の戦争犯罪を認めてきちんとした形で謝罪・補償をおこない、そしてアメリカ合州国の名誉と尊厳のため、原爆投下に対する謝罪を求める。安倍伍長にはかなり荷が重い仕事かな。でもぜひ行なっていただきたいものです。 そして広島を訪れるオバマ大統領には、未来だけではなく、過去にも眼を向けていただきたい。ある政治的目的のために無差別に人間を殺傷することを"テロ"と定義するならば、原爆投下という最悪・最凶・最低の国家テロを行なった国は、今のところアメリカ合州国だけなのです。(ちなみに"テロ"を実行した人間を"テロリスト"と呼びます。だとすると原爆を投下したアメリカ大統領は史上最悪の"テロリスト"ですね) それについて謝罪せず正当化するということは、ふたたび繰返す意思を持っているのでしょうか。 オバマ大統領のスピーチに注目したいと思います。 #
by sabasaba13
| 2016-05-24 06:32
| 本
|
Comments(0)
ひたひたと迫り来る戦争の足音、5兆541億円の軍事費、政治家・官僚の頽落、萎縮し権力に迎合するメディア、炎上するナショナリズムとレイシズム、果てしなくひろがる貧富の差。その荒涼たる光景に慄然とし立ち竦んでしまいます。1920~30年代の日本にも、きっとこのような光景がひろがっていたのかなと想像します。だとしたら、同じ失敗を繰り返さないためにも歴史を学ぶことは私たちにとって喫緊の課題です。
そこでみなさまに紹介したいのが、ちくま学芸文庫におさめられている『日本の百年』全十巻です。そんじょそこらの凡百な通史、教科書・参考書のような事なかれ主義の平板な通史とは、雲泥、月と鼈、提灯と釣り鐘。開国以来日本の歩んできた百年、そこに生きた人々、当時の雰囲気、世相風俗を浮き彫りにしたドキュメントです。公式記録、史料、体験談、新聞、雑誌、回想録、流行歌を駆使して、その時代の息吹や人々の息遣いを再現しています。その博覧強記たるや、もう脱帽です。それもそのはず、編著者は鶴見俊輔、松本三之介、橋川文三、今井清一といった錚々たる手練。ドキュメントを貫き支える骨太の歴史観にも、学ぶところ大でした。ただ残念ながらほとんどの巻が絶版、でもインターネットの古本屋で手に入るかと思います。 いずれ劣らぬ面白さですが、出色なのはやはり『日本の百年7 アジア解放の夢』(橋川文三編著)です。1931年の満州事変から1937年の南京攻略の時代、内に東北農村の凶作、権力による苛烈な弾圧、昭和維新の嵐、外に満州国の建設、抗日の激流、そして社会が不安と退廃に澱んでいた時代です。前述のように、今現在を彷彿とさせる時代であるだけに、ぜひとも知っておきたい、いや知らなければいけない歴史だと思います。 この時代の躓きのひとつに対中国関係がありますが、それに関する孫文の言葉と橋本氏の分析を引用します。 1924年11月、日本を訪れた孫文は、長崎においてつぎのような談話をおこなった。なるほど、中国革命やナショナリズムを「第二の明治維新」ととらえるのは炯眼ですね。不平等条約を強要されて苦しんだ近代日本なればこそ、すぐ気づきそうなものですが。たとえば、ソ連が北海道を武力占領して領有し、同国にとっての「生命線」であるとして傀儡国家として独立させたら、当時の日本人はどう考えるか。「中国の現実とその末来をとらえる能力を見失った悲劇的な無能さ」という言葉が胸に突き刺さります。もしかするとわれわれはその能力をいまだに見失っているのかもしれません。 またこの時代に、国家権力に抗いながら生き抜いた人びとがいたことにも勇気づけられます。岩倉靖子、魯迅、小林多喜二、多喜二の母セキ、武谷三男、ねづまさし、野上弥生子、いずれも忘れ難い方々です。 華族制度の生みの親ともいうべき岩倉具視の家系に、靖子のような共産主義者が現われ、華族制度を批判したのは、まったく皮肉というほかない。また、こうした暗い時代が、今まさに再び現前しつつあるように思われるのは、国家権力の中となった「管理エリート」たちが、責任を問われずに戦後も活躍したということにあると考えます。例えば、ファシズム体制構築に欠かせない強制的同質化(グライヒシャルトゥング)の主役となった内務官僚・警察官僚・司法官僚たちです。最近読んだ『ファシズム』(山口定 有斐閣選書)の中に、"近年の研究が一致して指摘しているところによれば、内務官僚、とりわけ警察官僚の優位は極めて顕著であり、そのことが、日本ファシズムの場合、「下から」の自発性に支えられた大衆動員を困難にしたといわれる"(p.223)という指摘がありましたが、「上からの」ファッショ化を推進した方々です。統治行為論を挙げるまでもなく、法治国家・立憲主義が平然と踏みにじられるケースが多いのも、これに関係していそうです。 このエピソードの中に、ナチスと日本の国家主義のちがいが現われている。侵略戦争のための思想統制を担当しながら、ドイツにおいては、ヒムラーは敗戦とともに自殺し、日本においては、思想統制の直接担当者である山崎巌元内務省警保局長・警視総監・内務次官は、戦後内務大臣・衆議院議員となり、転向対策を立案した大審院検事池田克は、戦後の最高裁判所判事、おなじく立案者の名古屋区裁判所検事長部謹吾は、戦後の検事次長である。彼らの努力は、ヒムラーのように鞭だけを持ってするのではなく、片手に鞭を持ちつつ温情をもって接することで、国体観念を共産主義者の心の中にしぜんに湧きあがらせるという形をとった。(p.301~3)そして中国外交部長・張群が、当時の日本における政治を「おみこし」に譬えて鋭く分析した一文には、脱帽しました。 日本の政治、思想がしだいに異常なゆがみをあらわしはじめたころ、中国の外交部長張群は日本の行動をおみこしにたとえて、つぎのように語った。なるほど、絶対的権威のもと匿名で、leadershipなきまま権力を行使するエリートたち。絶対的権威を畏怖して、批判もせずに道を空けてしまう民衆。「おみこし」とは言い得て妙、卓抜な比喩です。その「おみこし」は、戦前は天皇、今はアメリカ合州国なのでしょう。 さてその「おみこし」がそろそろ来日します。広島でどのようなスピーチをするのか注視したいと思います。 #
by sabasaba13
| 2016-05-23 06:34
| 本
|
Comments(0)
山ノ神とNHK『きょうの料理』を見ていたら、「"ボルシー"おかず」という特集をしていました。なんじゃそらあ、と声を合わせた二人。なんてことはない、ボリュームがあってヘルシーな料理という意味でした。その中で紹介された一皿が、「厚揚げ油淋鶏(ユーリンチー)」でした。鶏肉のかわりに厚揚げを使った、ボルシーな料理。手間もいらないし、私の大好きな厚揚げとゴマも楽しめるし、さっそくつくってみました。そういえば、拙ブログでこれまでいろいろと紹介してきました。列挙いたしますと、極上ハンバーグ、しらすふりかけ、雪虎、菜の花スパゲティー、たまねぎ納豆、麻婆豆腐、鳥団子なべ、カツオの刺身とマヨネーズ、たまご丼、ほうれんそうカレーなどなど。しかしここしばらくレパートリーが増えておりません。気持ちのゆとりを失っているということなのでしょうか、自戒。
それではレシピを紹介しましょう。まずタレは、醤油:酢:ごま油を4:4:1の割合であわせ、みじん切りの葱と生姜、そして白胡麻を適量加えます。なお番組では砂糖を加えていましたが、これは好みによりますね。私はいれません。そして3cm角に切った厚揚げに醤油をまぶし、ごま油で焼き色がつくまで炒めます。これを皿に盛ってさきほどのタレをかければフィニート。 焼きめが香ばしい厚揚げ、胡麻と葱の風味、すっぱいタレが絶妙のマッチングです。私はシーザー・サラダ用のカット野菜をスーパー・マーケットで購入して、その上に盛りつけたのですが、このタレで野菜も美味しくいただけました。山ノ神も「美味しい美味しい」と連呼しながらたいらげてくれました。手料理を伴侶に誉めてもらうのは嬉しいもの、小さいけれど確固たる幸せ(小確幸)です。ほんとうに簡単につくれておいしいのでお試しあれ。 #
by sabasaba13
| 2016-05-22 06:30
| 料理
|
Comments(0)
ノー・パサラン! (奴らを通すな) (ドロレス・イバルリ)
孤立、我等を殺す。(荒畑寒村) 人間というものは、せんじつめれば、消化器と生殖器からなりたっている。(グールモン) ずるい者でも、あんまりずるく考えすぎると、ばかよりもばかになる。(平塚武二) 東は東、西は西、両者はとわに逢うまじき。(キップリング) 絵を描くより、ほかのことをしているほうがたのしいです。欲なし、計画なし、夢なし、退屈なし、それでいていつまでも生きていたいのです。石ころ一つそばにあれば、それをいじって何日でも過せます。(熊谷守一) 親のスネはかじれるだけかじれ。(小林太市郎) 人の話をまず聞き、こちらの意見はそれから述べ、怒るのは最も後にせよ。(寺田スガキ) しかるときはこっそり、誉めるときは人前で。(寺田スガキ) 自分につましいのが倹約、人にやらないのがけち。(寺田スガキ) 価値観なんてバラバラのほうがいい。みんながそれぞれ「ひとりよがりのものさし」を持ってくれれば嬉しいな。(坂田和實) 一方で従属国を責め立て、残忍さを撒きちらし、それを日常化し、公然と煽り立て、他方で大衆や個々人を無価値物のごとくに操りうる権力に対しては卑屈になり、黙従する。こうした特徴はすべて、近代の全体主義的独裁を何よりもはっきりと思いおこさせる。(シモーヌ・ヴェーユ) 人間が想像できることは、必ず人間が実現できる。(ジュール・ヴェルヌ) 日本人はアラシの中の竹の姿を愛する。竹は強風が来れば首を下げ、嵐が去るとまた元に戻る。西洋人なら、強風に対して鉄の壁で防ごうとするだろう。このわれわれと根本的に物の考え方の違う日本人と抽象的な話し合いをしてもムダである。(マイロ・ラウエル) #
by sabasaba13
| 2016-05-21 08:11
| 言葉の花綵
|
Comments(0)
|
自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 お気に入りブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||