名古屋編(8):松重閘門(05.8)

 本日も晴れ。今日は例の物件が見られるXデーです。まずは名鉄山王駅で降りて徒歩5分、松重閘門の見物です。港と鉄道を結ぶ重要な中川運河と堀川の水位差を調節して、船を航行させる施設です。その水門を上下させるためつくられた四本の重厚なデザインの塔が保存されています。見応えがありますねえ、まるでここの一画だけ異国であるかのよう。惜しむらくは、高速道路によって分断されていること。現在は稼動していませんが、公園として整備され夜間はライトアップもされるそうです。
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 以前、オランダのマーストリヒトで運河クルーズに参加したことがありますが、ボートに乗ったまま閘門の中を上下するのは面白いですよ。勝鬨橋を稼動させる運動もあるのだし、ここの閘門も運河クルーズとセットにして稼動させれば観光資源になるのではないかな。英断を期待します、少なくとも私はとんでいきますよ。
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 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2005-09-11 08:05 | 中部 | Comments(2)

名古屋編(7):長島(05.8)

 さて、腹が減りましたが、長島に行ってみました。近鉄で約20分、木曽川・長良川・揖斐川にはさまれた輪中地帯です。大人の社会科見学コースからははずせません。以前、水屋と長島一向一揆の拠点である願証寺と長良川河口堰を見にきたこがあるので、今回は二度目です。前述のようにお目当ては木曽三川公園で、そこにある船頭平閘門を見たかったのです。水位差のある河川で船を通過させるために、ドックのように水位を調節する施設が閘門です。パナマ運河もそうですね。ここは1902(明治35)年に竣工した本格的な近代閘門です。また近くの治水神社には、江戸幕府の命令により、莫大な経費と多数の犠牲者を出しながら薩摩藩が行った難工事(宝暦治水)の記念碑もあるそうです。さて駅に着き、駅前広場に出て驚愕。バスの本数が少ないのは覚悟していましたが、タクシー乗り場が閑散としています。車も人も犬も猫もいない… 公衆電話で(筆者注:私は携帯電話をもっていません。重要無形文化財申請中)タクシー会社に連絡したら、「いやあそのあたりには一台もいないので、20~30分お待ちいただけますか」との回答。酷暑、空腹、疲労に負けました。丁重にお断りして電車に乗り、すごすごと撤収。夕食はひつまぶしを食べて憂さを晴らしました。一杯目はそのまま、二杯目は薬味を入れ、三杯目はお茶漬けにするという慣習はきちんと守りました。
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# by sabasaba13 | 2005-09-10 08:00 | 中部 | Comments(0)

名古屋編(6):アクテノン(05.8)

 バスで藤が丘駅にもどり、地下鉄東山線で中村公園に向かいます。驚いたのは、愛知県警による車内一面の広告。「愛知県は泥棒の多発エリア。一日に約40件も侵入されている」といった文言や、自動車窃盗団に関する注意がこれでもかこれでもかと並べ立てられています。警察の不祥事に対する警戒も怠らないようにしましょう。
c0051620_10362530.jpg そして中村公園駅で下車して、歩くこと約十五分。お目当てのアクテノンに到着しました。名古屋市演劇練習館のことで、演劇のハーサルや練習のために部屋を貸してくれます。ギリシア建築風の列柱と白亜の円筒形が人目を引く建物なのですが、実はもと配水塔だったのです(稲葉地配水塔 1937)。計画途中で容量が大きくなったタンクを支えるために列柱がもうけられ、お役御免となった後は図書館、そして演劇練習館として幸せな余生を送っているというわけです。これは理想的な人生ですね、私も生まれ変わったら図書館になりたい。街のランドマークである産業遺産を保存し、リフォームしながら文化施設として活用している当該行政の識見に頭が下がります。それにひきかえ、東京では板橋区大谷口配水塔をいとも簡単に破壊・抹殺しつつあります。民衆はその知的レベル以上の政府を望むことはできないのかもしれません。それにしても、いやはや… やりきれません。
 そして気づいたのは、この中村公園駅周辺には、木造モルタルづくりの大きなアパートが多いということ。しかも壁面の一部にモザイクのように石板を貼り付けるなど、必ずどこかに意匠に工夫をこらしています。これは興味ありますね。中村公園駅では、「ちり箱」と表示されているゴミ箱を発見。方言でゴミをちりと言うのですね。あっそうか! 以前、沖縄石垣島のシーラ浜で見かけた「チリは…もちかえりましょう」という立て札の意味を了解しました。合点合点。
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 本日の一枚はアクテノンです。
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# by sabasaba13 | 2005-09-09 06:05 | 中部 | Comments(2)

名古屋編(5):トヨタ博物館(05.8)

 名鉄で名古屋駅に行き、地下鉄東山線に乗り、藤が丘駅で「リニモ」(リニア・モーター・カー?)に乗り換えて芸大通駅で下車。すぐ目の前にトヨタ博物館があります。こちらは自動車に関する展示が中心で、世界各国や日本の歴史的自動車の実物が多々陳列されているそうです。ブログで世界に公開することもないのですが、私自動車免許をもたず、自動車にも全く興味がありません。まあ話の種に訪れたわけですが、これがなかなか面白い。一言で言うと、自動車で"美"を表現できることがわかりました。ブガッティ、ロールスロイス・シルバーゴースト、アルファロメオ… 王侯貴族が権勢を誇示するために飾り立てた馬車の伝統をしっかりと受け継いでいます。悪趣味という領域に、徳俵から足が半分でかかっている“美”ですけれど。でもP.カザルスが言っているように、単調さよりも悪趣味の方がましです。
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 日本車コーナーでは、“美”はのぞむべくもありませんが、そのかわりに若き日がよみがえるような懐かしい車が展示されています。スバル360、ホンダN360、セリカ、コルト・ギャラン… 思わず涙腺がゆるんでしまったのは、ダイハツ・ミゼット! この車がコロコロノテノテと町中を走り回っていたんだよなああああ。
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 というわけで、(もしいると仮定したら)自動車好きの人でしたら必見の博物館です。

 本日の一枚は、万感の想いをこめて、そうミゼット!
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 ●トヨタ博物館 http://www.toyota.co.jp/Museum/index-j.html
# by sabasaba13 | 2005-09-08 06:08 | 中部 | Comments(4)

名古屋編(4):産業技術記念館(05.8)

c0051620_2361063.jpg バスに乗って一宮駅にもどり、名鉄で名古屋の一つ手前にある栄生駅で下車。徒歩約3分で産業技術記念館に到着です。トヨタグループ発祥の地である旧豊田紡織のレンガ造り工場を利用して、主に紡織・自動車関係の展示をしています。パンフレットによると、『トヨタグループは、自動織機を発明した豊田佐吉と、その長男、豊田喜一郎が起こした紡織機械と自動車の製造を基にしてできたグループであり、「研究と創造」と「モノづくり」により経済や社会の発展に尽すことを目指してき』たそうです。後半は話半分で聞き流しましょう。鎌田慧氏の『自動車絶望工場』(講談社文庫)を読むと、労働者(季節工)を使い捨てながらトヨタが発展してきたことが、痛いほどわかります。今でもその体質はあまり変わっていないのではないかな、特に関連企業・下請企業では。なお続編として『自動車王国の暗闇―その後の絶望工場』(すずさわ書店)があるのは知らなかった。読みたいけれど残念ながら絶版のようです。それはともかく、圧巻だったのは繊維機械館。産業革命の主役をなった、教科書に出てくるような機械が目白押しです。ハーグリーブスのジェニー紡績機、アークライトの紡績機、リング紡績機、臥雲辰致のガラ紡… ほとんどは複製ですが、その存在感たるや圧倒的でした。そして歯車やリムを組み合わせての複雑玄妙な動きも一部実演されています。産業革命を生み出したのは科学者ではなく職人だと誰かが言っていましたが、納得。一つ注文があります。産業技術についてはミドリムシ程度の知識しかない小生のような者のために、もう少しわかりやすい説明を用意してほしいな。
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 ●産業技術記念館 http://www.tcmit.org/
# by sabasaba13 | 2005-09-07 06:04 | 中部 | Comments(0)

名古屋編(3):一宮(05.8)

 さてこの美術館の周辺には、明り取りのために屋根を鋸型にしてある建物がたくさんあります。一宮は繊維業で栄えた町なので、その名残の町工場です。現在はほとんど使用されておらず、倉庫・車庫・住宅として利用されていますが、私こういう物件が大好きなので涎をたらしながら一帯を徘徊しました。人間が働き/工夫し/努力した痕が感じられ、人間の汗臭いにおいがプンプンしてきます。万博会場には(たぶん)こういうにおいはないでしょう。現役の町工場として頑張っているところが一軒だけあったので、思わず右手で小さなガッツポーズをつくって「ふぁいと!」と呟いてしまいました。
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# by sabasaba13 | 2005-09-06 06:03 | 中部 | Comments(0)

名古屋編(2):三岸節子記念美術館(05.8)

 三岸節子(1905~98)。一宮の大地主の家に生まれるが、先天性股関節脱臼のため家族からは疎んじられた少女時代を送ります。画業を志し、新進気鋭の画家三岸好太郎と結婚して三人の子供をもうけますが、彼の奔放な女性関係に苦しめられ生活はどん底でした。彼が31歳で死んだ時に、「ああ、これで私が生きていかれる」と思ったという凄絶なエピソードもあります。そして三人の幼子をかかえながら、第二次世界大戦という苦難の時代をのりこえ、敗戦後にようやく画業に専念できるようになりました。なお三岸好太郎美術館は札幌にあります。また美術館の屋根がギザギザしているのは、一宮にたくさんある町工場の明り取り屋根をイメージしたものです。
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 それはともかく、伝記よりも作品が画家の全てです。彼女が二十歳の時に描いた自画像をテレビで見て衝撃を受けました。暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる、挑むように、怯えるように、こちらを凝視する若い娘。まるでこれから彼女の人生におとずれる地獄を予見し、それに立ち向かう決意を固めているかのようです。これが二十歳の人間が描く自画像か、是非見たい。しかし残念なことに、特別展のために貸し出されていて展示されていません! 嗚呼… かわりにヨーロッパの風景を素描した企画展を拝見しました。蔵の中にある展示室には、彼女のアトリエが復元されています。なお自画像は現在平塚市立美術館で9月11日まで展示されています。これは見に行かなくては。 

●三岸節子記念美術館 http://s-migishi.com/
●平塚市立美術館 http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/ 
●三岸好太郎美術館 http://www.dokyoi.pref.hokkaido.jp/hk-mikmu/
# by sabasaba13 | 2005-09-05 06:04 | 中部 | Comments(0)

名古屋編(1):名古屋駅(05.8)

 二泊三日で名古屋旅行をしてきました。万博? 滅相もない。私は人ごみと行列と管理されることが嫌いだ、Q.E.D. というわけで、愛・地球博(あー恥ずかしいネーミング)を完全に黙殺して、せっせせっせと名古屋・木曽をはいずりまわってきました。きっかけはテレビ東京「美の巨人たち」で今年の5月14日に放映された番組を見て、一宮にある三岸節子記念美術館にどうしても行きたくなったことが一つ。いやあ彼女の自画像に惚れました、ぜひ実物を見たい。もう一つは、以前紹介した「日本全国 近代歴史遺産を歩く」という本で、春分の日と8月8日にしか公開されない幻の逸品が名古屋東山にあるのを知ったこと。これもぜひぜひ拝見したい。以上二件を軸にプランニングをしました。これに名古屋市内の近代化遺産物件と常滑をからめましょう。その他としてはじめは関ヶ原、飛騨高山、郡上八幡などを旅程に入れようとしましたが、ちと遠すぎるのでボツ。ここで天使(悪魔?)が囁きました、「桃介橋があるやないか」と。なぜ悪魔(天使?)が関西弁を使うのかはおいといて、そうかっ、さっそく調べると名古屋から約1時間でいけるので十分往復が可能です。さらに近くに、未踏の地、妻籠と馬籠があることが判明。巨大な連環が、今、音をたててつながった! ガシャン というわけで、緻密綿密な計画のもと、いきあたりばったりの名古屋旅行のはじまりです。
 新幹線で名古屋に到着したのが午前9時半ごろですが、駅構内は芋の子を洗うがごとくごったがえしていました。いやはや先が思いやられます。そうそう来る直前にインターネットで知った「木曽三川公園」が気になっていたので、観光案内所で詳しい行き方を教えてもらいましょう。するとうら若き係の女性が困った顔をしながら、突然眼前のコンピュータで○フー検索をはじめるではありませんか。丁重にお礼を言って立ち去りました。まあ何とかなるでしょう(筆者注:伏線)。今日は美術館と近代化遺産の見学がメインです。名鉄名古屋駅に行くと、一宮方面に行く急行列車があったのでまずは三岸節子美術館に行くことに決定。c0051620_812322.jpg構内表示にスペイン語(ですよね)があるのには驚愕。中南米から働きに来ている労働者が多いのかな。少子化による労働力不足と、日本の「豊かさ」への羨望から、外国人労働者はこれからも確実に増加していくでしょう。あからさまな排除はしないが、無権利状態に放置して見て見ぬ振りをするという戦前・戦後を通じてのやり方はいいかげんにやめるべきですね。また現実から目を背けるために、「日本文化の優越」「日本人は単一民族」といった神話に逃避するのも愚かしい。彼ら/彼女らを無化せずにきちっと向かい合い、叡智をふりしぼって人間らしい関係をつくっていきたいですね。そういえば、後日地下鉄に乗っていたら、駅名のアナウンスを日本語→英語→中国語→韓国語→スペイン語の順でしていました。名古屋駅だけでしたけれど、こちらは万博開催期間限定なのかな。一宮で降りて、バスに乗り換えて約十五分で到着しました。
# by sabasaba13 | 2005-09-04 08:12 | 中部 | Comments(4)

「ナショナリズム」

 「ナショナリズム」(浅羽通明 ちくま新書473)読了。ナショナリズムという文字を本屋で見かけるとついつい手にしてしまう今日この頃。この本は十冊のテキストをもとに、近現代日本のナショナリズムを考察したものですが、その選択が個性的ですね。志賀重昂、三宅雪嶺、橋川文三、小熊英二は定石ですが、石光真清、金田一春彦の「日本の唱歌」、本宮ひろ志の「男一匹ガキ大将」、司馬遼太郎の「坂の上の雲」については意表をつかれました。その手があったか! ナショナリズムを、ネイション=「国」=日本に価値を認め、そこに基底をおいて展開される社会思想と定義した上で、快刀乱麻、切れ味鋭い分析と叙述がなされていきます。通奏低音となるのは、ナショナリズムは病気だとする姜尚中氏に対して、ナショナリズムは薬・補助具であるという考えです。ある病状へ陥った人もしくは集団が需要する対症療法であり、効果的なこともあれば、中毒や依存症となることもある。なるほどこれは上手い比喩ですね、納得してしまう。
 また近代日本についての以下の説明にはまいりましたね。わずか数行で、その本質を要約してしまう力業には敬服します。
 体裁を繕ういとまもない試行錯誤の末、かろうじて出来上がり、なんとか成功したこのシステム…、明治国家日本。いきなり競技参加を強制され、じたばたと脂汗を流した末、まぐれ当たりで合格できたかのごとき格好悪さを隠蔽したい…。こうしたシステムでまとまるやり方に千数百年来の必然があったのだと思いこむためには、我らの「国語」が「国史」が「国文学」が、万世一系の皇室が、どうしても必要だったのである。
 またナショナリズム関連文献を紹介する各章末の読書ノートも充実しており、的確な要約と視点の幅広さにより大変参考となります。さっそく数冊購入してしまった。ナショナリズムを考える上で大変役立つ一冊です。
# by sabasaba13 | 2005-09-03 09:59 | | Comments(0)

「仰臥漫録」

 「仰臥漫録」(正岡子規 岩波文庫)読了。脊椎カリエスにより病床にあった子規が、死ぬ前年の1901(明治34)年の9、10月を中心に書き残した日記です。公表を前提としていないので、彼の想いがストレートに伝わってきます。日々の食事、訪問者との面会、雑感、俳句づくり、そして病苦について、簡潔にして締まった散文で書き綴ります。特に病苦についての記述は、凄絶にして鬼気迫ります。これほど凄まじいものだったのか… 歯茎や腹部の穴から出る膿み、激痛のため這うことも寝返りをうつこともできず、迫りくる死期をただ待つのみの日々。
(明治三十四年十月)五日ハ衰弱ヲ覚エシガ午後フト精神激昂夜ニ入リテ俄ニ烈シク乱叫乱罵スルホドニ頭イヨイヨ苦シク狂セントシテ狂スル能ハズ独リモガキテ益苦ム

明治三十五年三月十日 此日始メテ腹部ノ穴ヲ見テ驚ク穴トイフハ小キ穴ト思ヒシニガランドナリ心持悪クナリテ泣ク
 圧巻は十月十三日の部分。母が用事で出かけたので、「時々起ラウトスル自殺気」により枕元の小刀と錐を取り上げます。そして苦悶のすえ、死ぬまでの苦痛を恐れてとりやめ、泣きじゃくる子規。息を呑むような描写です。
 彼を介護し支えた母親と妹、彼の面倒を死ぬまで見続けた陸羯南、たびたび訪れて彼を慰める門人の高浜虚子たちの姿も感動的です。そして1902(明治35)年九月十九日、子規はその生涯を閉じました。享年三十六歳。死の十三時間前につくった三つの句を残して…
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糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
痰一斗 糸瓜の水も 間にあわず
をとゝひの へちまの水も 取らざりき
 厠上本として「漱石日記」を読んでおりますが、そのロンドン留学日記の中で友人子規についてふれている箇所がありました。1901(明治34)年1月22日、ビクトリア女王が逝去し、子規の病状が悪化した時のものです。
The Queen is sinking. Craig氏に行く。『ホトトギス』届く。子規なお生きてあり。
 最後の一文に、子規に対する漱石の万感の想いがこめられています。同年3月9日の日記では「今日は郵便日なるを以て正岡へ絵葉書十二枚と妻へ消息を遣わす。」とありますが、どのような絵葉書だったのでしょうか。

 そうそうラベルを見て躊躇なくすぐ買ったのですが、「獺祭(だっさい)」という山口県の地酒は美味しいですよ。子規の革新的な精神に学ぼうとしてつけた名だそうです。子規の別号は獺祭書屋主人といいます。獺(かわうそ)がとらえた魚を食べる前にならべておくのを祭に見立て、文を書く時に多くの参考書をならべひろげることを獺祭と言うそうです。子規の部屋の様子を思い浮かべ、ふと眼前に視線をやると… 我が家も獺祭でした。そういえば9月19日は子規の命日ですね。

 わが足で酒買いにゆく獺祭忌     邪想庵

●旭酒造 http://jizake.com/html/dassai/01.html
# by sabasaba13 | 2005-09-02 06:08 | | Comments(2)