靖国神社編(1):(05.5)

 ロベスピエールを称える人も、憎む人も後生だからお願いだ。ロベスピエールとは何者であったのか、それだけを言ってくれたまえ。
                                                 ~マルク・ブロック 『歴史のための弁明』より~

 というわけで、靖国神社参拝問題を考える前に、ひとつ神社そのものを虚心坦懐じっくり見てやろうと、先日行ってまいりました。まず、靖国神社とはどういう神社なのか? 岩波日本史辞典から引用します。「明治期の創建神社で、天皇の忠臣を祀る旧別格官幣社の一つ。東京都千代田区に鎮座。幕末維新期の官軍側の<国事殉難者>を祀るため、1869年6月東京招魂社が創建され、79年6月靖国神社と改称。陸海軍省の所管に属し、日清戦争以後は対外戦争の戦死者を合祀し、日本軍国主義の精神的基礎を形づくる施設の一つとなった。第2次大戦後、神道指令で国家と分離され、単立の宗教法人となる。しかし日本遺族会や自民党の一部はその国家護持をめざし、靖国神社国営化法案は1969年から連続5回国会に上程されたが、74年廃案となった。」
 地下鉄九段下駅で降りて、九段坂を少しのぼると1974(昭和49)年に再建された高さ25mの大鳥居が見えてきます。両側に並木と灯篭が続く広い参道の正面には、高い台座の上に立つ大村益次郎の銅像が見えます。長州藩の軍事指導者で、上野にたてこもった彰義隊(旧幕府の武士)を壊滅させた人物です。その際、新政府側の戦死者を弔う地として、ここを選んだのが彼だそうです。灯篭には「明治十一年 華族」というシンプルな銘がありました。西南戦争の翌年だし、この灯篭群の寄進には何か事情がありそうですね。
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 右手の木立の中には「常陸丸殉難記念碑」と「西伯利亜(シベリア)出兵田中支隊忠魂碑」があります。前者は、日露戦争の際に撃沈された輸送船のことですね。当時、詩歌にも歌われ人口に膾炙したそうです。銅像を通り過ぎて、車道を渡り第二鳥居をくぐると直径1.5mの巨大な菊の紋章がある神門があります。記念写真屋さんが、両脇で待機しておりました。ここをくぐると左手には参拝記念樹の売店があります。
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 そして小さな鳥居を抜けると、拝殿・本殿・霊璽簿奉安殿が縦に並んでいます。この鳥居の右脇に「皇族下乗」という印象的な立て札があります。また左脇には、「今月の遺書」という感じで、沖縄戦で戦死した陸軍中佐の遺書と明治天皇作の「國のため いのちをすてし もののふの 魂や鏡に いまうつるらむ」という歌が大きく掲示されていました。拝殿は1901(明治34)年につくられたもので、唐破風+千鳥破風を組み合わせた霊廟建築です。菊の紋章を四つそめこんだ垂れ幕がかかっており、ここでお参りをするのですね。神社の常として、ここから先は立ち入りできません。霊璽簿というのは、個々に祀られている人の名前を記した和紙を綴じてあるものだそうです。
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# by sabasaba13 | 2005-06-24 06:20 | 東京 | Comments(0)

「日本全国路面電車の旅」

 「日本全国路面電車の旅」(小川裕夫編著 平凡社新書275)読了。旅をする時に必ず立ち寄り関わるものがいくつかあります。灯台、史跡、近代化遺産、古い学校や建物、牛肉、棚田、鯖、トマソン(赤瀬川原平氏の定義で「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」 興味のある方はホーム・ページ「お散歩 Photo Album」をご覧ください)、変な張り紙などなど。この本を読んで、これからは路面電車が加わりそうです。鉄道事業法で運行すると線路を道路に敷設できず、軌道法で運行すると線路を道路にしか敷設できない、という区別があるそうです。実際には例外措置などもあり、厳密には路面電車の定義は難しい。ま、「道路を走る電車」とおおざっぱに考えましょう。車窓からゆっくりと街を眺められ、乗り降りが便利で、地元の人々の暮らしの様子が感じられ、運転士を間近に見られるのが魅力です。古い車体だとなお結構、木やニスやシートの匂いに幼き日々を思い出します。この本で知ったのですが、LRV(Light Rail Vehicle)、軽快な電車を走らせて街全体を歩行者優先の環境にしようという考え方が一部の自治体に浸透しつつあり、路面電車の保存・復活・延長・新設の動きがはじまっています。また自動車社会により荒廃した中心市街地の活性化も意図しています。ブラーバ!
 というわけで、札幌、函館、都電、江ノ電、高岡、豊橋、岡山、広島、松山、高知、長崎、熊本、鹿児島の路面電車が紹介されています。路面電車を使った観光ガイドではなく、その保存と整備に尽力した方々の証言や運動を紹介した本です。「どうすれば、自分の街がみんなにとって暮らしやすくなるのか」という熱い思いに共感。路面電車というのは、走る公共性なのですね。「古い車両は自分の意思で操作できるし、快適な運転ができる」というベテラン運転士の話が心に残ります。機械に操作されるのではなく、機械を操作する。もう一度取り戻すべき、真っ当な人間のあり方だと思います。JR西日本幹部の方々、耳を傾けてください。
 路線図と名所・旧跡等を組み合わせた地図や、素敵な街並みの中を走る路面電車のカラー写真があればいいなと思いましたが、これは贅沢な望みでしょう。自分で作り写すことにします。
 路面電車の走る街に行きたくなりました。これからは意識的に旅程に組み込むことにします。私が過去に撮影した路面電車を、おまけとしてのせました。チンチン
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 ①アムステルダム ②ウィーン ③ポルト ④リスボン ⑤岡山 ⑥広島 ⑦松山 ⑧東京
# by sabasaba13 | 2005-06-23 06:14 | | Comments(0)

「日本ナショナリズムの源流」

 「日本ナショナリズムの源流」(橋川文三著作集2 筑摩書房)読了。どうも最近の小泉首相の発言を聞いていると、一人でチキン・レースをしているように感じます。(断崖めがけて全速力で車やバイクを走らせ、止まった地点が崖に近い方が勝ちという我慢比べレース) いやはや彼と一緒に海の藻屑になるのはまっぴらごめんです。早々にご退職されて、私人としての立場で、柳条湖へ行って「靖国神社を参拝してどこが悪い」と好きなように叫んで下さい。
 それにしても彼の一連の発言は、有権者の支持を得られるという見通しの上でなされていると考えます。それぐらい、ナショナリズムがわれわれの間で高まっているのでしょうか。政府への支持を集めるためにナショナリズムを煽ると、加熱・沸騰したナショナリズムによって政策を縛られ国家理性を喪失してしまう。何度も何度も何度も繰り返された、歴史から学ぶべき教訓です。実際、中国でもソ連解体+東欧の民主化という激動に対して、江沢民政権が国内の同様を抑えるために行過ぎた愛国反日教育をほどこしました。その大きなつけを今払っているのだと思います。歴史的事実を伝えた結果、反日感情を抱くのはやむを得ないでしょうが、反日感情を煽りナショナリズムを掻き立てるための歴史教育は問題だと思います。もちろんだからといって、日本の戦争責任から目をそむけるのは筋違いですが。いずれにせよナショナリズムという魔物についてきちんと考えないといけないなと痛感しています。
 さてこの本は日本思想史の研究者である橋川文三の、日本ナショナリズムに関する論考です。「F.シューマンが、ヨーロッパ文明におけるナショナリズムの発生について「たえまない自己追求の努力をつづける西欧人にとっても、恐らくそれは決して十分に理解することのできない謎の一つである」と記しているそうです。その難問に挑んだ試論を集めたのが本書。結論から言ってしまえば、「近代ナショナリストとは、ネーションの鏡の中に映る己れの美貌に陶然とするナルシズムにほかならないといわれるが、我国におけるそのような鏡に相当するものは、実に現人神として一般意志を象徴する天皇にほかならなかった」ということです。それは「何か大いなる力、あるいは崇高なる権威に所属しているという一体感の意識、いいかえれば一種の幸福の意識」とも表現されています。ワールドカップ・ドイツ大会出場を喜ぶサポーターのみなさんの恍惚とした表情をみていると実感でします。その大いなる力・崇高なる権威とは、戦前では(あるいは今でも)「日本的なるもの」「日本文化」「国体」「天皇制」と考えられたものです。ところがこうした言葉はあまりにも多義的かつ曖昧なものであった。併録された「柳田國男」の中で、氏はこう述べています。「彼は世の指導者たちが、日本的ということを説きながら何が日本的かを調べようともしないではないかという憤りをいだいていたと見てよいであろう。」 よく日本的なるものを知らないで/知ろうとしないで、真に日本的であろうとするとその当否は「その主体的意欲の大きさ―「精進」の深さや激しさによって相対的に決定されるしかない」ということになります。怒号の声の大きさや、非日本的とみなされたものへの攻撃力の大きさによって、測られるということですね。鋭い指摘です。
 日本のナショナリズムを考える上で、大変参考となる好著です。紹介しておきながら無責任なのですが、残念ながら品切れです。古本屋のサイトでこまめに探していれば、必ず入手はできると思います。
# by sabasaba13 | 2005-06-22 06:11 | | Comments(0)

「コーラス」

 映画「コーラス」を山ノ神といっしょに銀座シネ・スイッチで見てきました。1949年のフランスが舞台、更生施設のような小学校で合唱を教えることにより子供たちの心を開かせていく中年教師が主人公です。まあよくあるテーマだし駄作にしようがないな、などと減らず口を叩きながら見に行ったわけですが、思ったよりよくできた作品でした。何より主人公の音楽教師を演じたジェラール・ジュニョがいいっ! 戸惑い怯えながらも悪餓鬼にせいいっぱい毅然とした態度をとるところなど、リアリティがありました。哀愁と疲れと倦怠とユーモアと希望を抱きながら、日々を送る主人公を上手く演じていました。いい役者ですね。犯罪的ないたずらを平然とする子供役の諸君もうまい。最後まで、主人公に心を開かず、音楽を受け入れず、特別施設へと送られていった凶暴な超弩級の悪餓鬼モンダンの存在も、機械仕掛けの神に操られる流れに棹差し程好いスパイスとなっていました。なおモンダンの役を演じた少年は、実際に更生施設に入っている現役の不良少年だそうです。なるほど凄みのある目でした。合唱の場面はやはり予想どおり目が潤んでしまいましたが、少し上手すぎるかなあ。音楽としては結構なものですが、映画音楽としてはもう一工夫ほしい。でも身銭を切って見る価値は十二分にあると思います。期待通りの感動を得られますよ。いや別に皮肉ではなく、予定調和的な感動もいいものです。
 この映画はフランスで爆発的にヒットしたそうですね。EU憲法を国民投票で拒否したこととつながる面がありそうです。人間を無視して競争や効率をひたすら追求する動き(グローバリゼーション)に対する“NON!”という叫びのような気がします。映画の中の少年たちの世界には、夢はあるけれど競争はありません。(ある少年は、熱気球を手に入れるために校長から大金を盗んでしまう) 競争はあるけれど夢はない子供たちと、どちらが幸せなのだろう。

 昼飯は「煉瓦亭」、と思ったら休みでした。すぐ近くの洋食屋「スイス」でカツカレーをいただきました。なんでも巨人の“猛牛”千葉茂がこの店でつくらせたのがカツカレーの嚆矢だそうです。カレーの味は並でしたが、柔らかい肉をサクッとあげたトンカツは美味いですね。その隣りにあるのが社交場「白いばら」。女性と楽しく会話をする店という謳い文句が謎めいています。店の前に大きな日本地図があり、ホステスが何県出身であるか表示してあります。創業は1931(昭和6)年、そう、昭和恐慌の最中かつ満州事変を起こした年です。かなり気になる店ですね。
# by sabasaba13 | 2005-06-21 06:10 | 映画 | Comments(0)

沖縄編(22):石垣島(03.8)

 そして最終日。レンタカーで石垣鍾乳洞を見学し、八重山平和祈念館へ。ここは本島の平和祈念資料館の分館で、日本軍が八重山の各島民をマラリアが蔓延する西表島へ強制的に疎開させ、その結果約三千人が死亡したという事件に関する展示がメインです。沖縄人への差別意識から、人々がアメリカのスパイになることを恐れたからですね。そう、波照間島にあった碑は、その時にマラリアの犠牲となった小学生を悼んでつくったものだったのです。その際、島の豊富な家畜が米軍の食糧にされないよう、屠殺命令が出され大部分が日本軍に徴用されたそうです。こうなると肉を奪うために、島民を強制退去させた可能性もあります。嗚呼… 沖縄編(11)よりもう一度引用しましょう。
 軍隊はまず自分を守る。次に、軍隊は給料を出す所を守る。すなわちその国の政権を守る。…軍隊は内敵と外敵から政権を守る。内敵とは、その国の政権に反対する国内の民衆である。
c0051620_1323357.jpg なお波照間小学校校長の識名信升氏が、疎開が解除され島に戻るときに、「忘勿石 ハテルマ シキナ」と刻んだ石の拓本が展示されていました。西表島に現存するそうですので、いつか訪れたい。戦後、遺族が国に補償を求めますが、認められず公式謝罪もなく、かろうじて実現したのがこの祈念館の建設だそうです。
 県知事が太田知事から稲嶺知事に代り、平和行政が方向転換され、「反日的になってはならない」「国策を批判するような展示はいかがなものか」という知事の言葉が発端となって本島の平和祈念資料館の展示が改竄されたという事件がありました。 実はこの祈念館でもマラリア地域への「強制退去」「退去」の語句が「避難命令」「避難」に差し替えられたそうです。 嗚呼… こうした行為をする官僚の方々から「愛国心」という言葉が出るのですから、いやはや。A・ビアスの『悪魔の辞典』からの引用です。

 愛国者 (patriot n.) 部分の利害のほうが全体のそれよりも大事だと考えているらしい人。政治家に手もなくだまされるお人好し。征服者のお先棒をかつぐ人。
 なお下記のホームページに詳しい経緯が載せられています。ぜひご覧ください。

●波照間あれこれ http://www.kt.rim.or.jp/~yami/hateruma/mararia.html

 ふとある展示を見ると、「登野城小学校の奉安殿(現存)」という写真がありました。奉安殿とは、教育勅語・御真影を保管するために学校に設置された倉庫で、子供たちはその前で必ず最敬礼をさせられたそうです。以前からぜひ見たいと思っていたのですが、ここで会えるとは。館員の方に尋ねたら、幸い近くにあるとのこと。さっそく車をとばして見てまいりました。不審者と思われぬよう受付で挨拶をし、見物。高さ約3m、石造り、中は檜張り。よくぞまあ残っていたもんだ。感無量。
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 そして4本のチョリソーをのせたJAL908便は一路東京へ。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2005-06-20 06:13 | 沖縄 | Comments(64)

沖縄編(21):幻の島・パナリ(03.8)

 本日は、幻の島とパナリ島ツァーに参加します。小型クルーザーに乗り込み、まず石垣港から船で20分ほどの距離にある、引き潮の時に姿を現す“幻の島”へ。なるほどS字型の砂洲が海面から姿を現しています。上陸してきれいな砂浜を楽しんで、黒島の近くにあるパナリ島へ。
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 途中で船が止まり、シュノーケリングを楽しめました。いやあこのあたりの珊瑚礁は見事ですね、プカプカと波に漂いながら惚れ惚れしてしまいました。まるで海中のお花畑です。そしてパナリに到着。ほんとは新城島といいますが、引き潮の時に二つの島に分かれてしまうので、離れ(パナリ)というそうです。島民は6人で現住せず、ほとんど無人島状態だそうです。建物がないので、岩陰で昼食をいただきました。スタッフが船に積んで運んできた惣菜を美味しくいただきながら、船長さんからいろいろな話をうかがいました。若いスタッフから「じいっ! じいっ!」と呼ばれても、ニコニコと「あいよ」と答える温厚な方です。
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 そしてスタッフの案内で島内を散策。ガジュマルの巨木には圧倒されました。こうした古木に神性を感じるのは当然ですね、畏敬の念さえわいてきます。そして船に乗り、黒島の近くで再びシュノーケリング。ここの珊瑚礁も見事でしたが、驚いたのは人に慣れきった熱帯魚たち。パンをもって海に入ると、雲霞の如く集まってきてヌルヌルとまとわりつきながら餌にかぶりついてきます。水中写真をとったら、カメラ目線の魚が。おいおい意識しすぎ。さてパンがなくなると、船長さんが昼食の残りのコロッケをくれました。絶句。「…いいんですか?」「いいよ」と言われたので、海中に入りほぐしたところ、ピラニアの如く集まってきます。満喫満喫。でも海を汚してしまったのでは、という自責の気持ちは今も心に残っています。
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 ホテルに戻り、海を見晴らせる露天風呂につかりながら、下のテラスから聞こえる「安里屋ユンタ」に耳をくすぐられ、雄大な夕映えを眺めていると、ほんっとに帰りたくなくなりました。「人は生地を選べないが、死ぬ土地は自分で選ぶべきだ。」というジャン・グルニエの言葉を思い出しました。でも明日は最終日…

 本日の一枚は、パナリのガジュマルと夕映えです。
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# by sabasaba13 | 2005-06-19 08:20 | 沖縄 | Comments(6)

沖縄編(20):黒島(03.8)

 船で石垣港に戻って、再び定期連絡船で約30分、黒島に到着。ここは人口232人の小さな島ですが、牛がその十倍いるとききました。さっそく自転車を借りて島内を徘徊。なるほど、そこいらじゅうに牛がおります。仲本海岸へ行き、珊瑚礁のある巨大な潮だまりでシュノーケリングを満喫。食パンを海中でほぐすと、ウヨウヨウヨウヨときれいな魚たちが集まってきました。
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 そして牛のウ○コの匂いただよう牧歌的な風景を楽しみながら、島内をサイクリングしました。東筋という古い集落はいいですね。石垣・赤瓦の民家・フクギが続く静かな道を(誰も歩いていなかった!)、快適にサイクリング。写真のような看板を発見し、口元がゆるみました。それにしても「家庭学習標語」って何なのだろう? 標語をつくるという宿題がでるのでしょうか。そういえばちょっと投げやりな感じもしますね。なおこの道は「日本の道百選」にも選ばれたそうです。「道の日」制定(1986年)を記念し、日本の特色ある優れた道路を選定・顕彰することによって、道路の意義・重要性に対する国民の関心と道路愛護の精神を高めるために建設省及び「道の日」実行委員会により設定されたそうです。「余計なお世話だ!」「他に大事な仕事があるだろ!」「好きな道は自分で決める!」と罵声をあびせながら、港へ。
 この日は火星が大接近する日で、ま、とりあえず記念のつもりで撮影してみました。しょぼい写真ですね。
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 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2005-06-18 08:06 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(19):竹富島(03.8)

 翌日もアイランド・ホッピング。まずは船で30分ほどの距離にある竹富島へ。古い民家が多くのこる集落・景観と星の砂で名をはせている島です。まずはアイヤル浜とカイジ浜へ、星の砂をとりにいきました。山ノ神は、お土産にするんだといって勇んできたのですが、ぬぅぅわんと、見つかった星の砂がたった7個! おそらく乱獲の結果ですね。十数年前にここに来て、山のように星砂をもってかえった彼女にも責任の一端はあるのですが… でも竹富島も観光客が増えてちょっと風情がなくなったかな。ま、われわれにも責任の一端はあるのですけれど。とはいってもやはり素敵な島です。石垣や赤瓦の民家、きれに掃き清められた道、美しい砂浜、絵に書いたような島です。観光車を引っ張る水牛はかわいそうですけれど。 自転車を借りてコンドイビーチに行き、青い海と白い砂浜と青い空をしばし堪能。街並みを散策しながら、なごみの塔へ。2~3人しか上れない小さな展望台です。どうやら昔は火の見櫓だったようですね。街並みの真ん中にあるので、美しい甍の波を眺めることができます。
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 そしてンブフルの丘へ。ンブフルというのは牛の鳴き声のことで、 牛が一夜にしてこの丘を作り上げ、その上で「ンブフル、ンブフル」と鳴いていたということから、その名前がついたそうです。頂上からの眺めは素晴らしい、石垣島も良く見えます。そのふもとには「人頭税廃止百年記念之碑」がありました。
 近世から明治の後期にいたるまで両先島(宮古・八重山)には、各個人に頭割り課した人頭税があり、私たちの先人は、その不合理で苛酷な税制のもとで苦境にあえいでいた。…明治36年(1903)1月1日から新税法に移行し、人頭税は廃止となった。
 いやはや明治後期まで人頭税は存在していたのですね。この島々の苦難の歴史と、誰が何のためにその苦難を与えたのかについて、忘れぬよう銘肝しましょう。
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 本日の一枚は、コンドイビーチです。
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# by sabasaba13 | 2005-06-17 06:10 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(18):波照間島(03.8)

 本日はアイランド・ホッピング。定期連絡船で、日本最南端の島、波照間(はてるま)島へまいります。自転車を借りてまずは日本最南端の碑と荒波砕ける高那崎を拝見。近くには、日本で一番南にある灯台があります。小ぶりな島なので、自転車で簡単に一周できます。そしてニシハマビーチへ。ポン(太鼓判を押した音) この世に生を受けて幾星霜、間違いなくこれまで見た中でもっとも美しいビーチ。清冽な白砂、神韻渺茫たる海の色、その青と緑のグラデュエーション。陽の光が白砂に映えて海面に揺らめく、幻想的な光景。おまけに人はほとんどおらずプライベートビーチ状態。ちょっと足をのばすとリーフでのシュノーケリングも可能。もうっ、泣き濡れて蟹とたはむれてしまひました。浅瀬に座り込んで、身も心も真っ青に染まりながらしばし呆けてしまいました。
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 集落に戻る途中、「強制学童疎開の碑」を発見。何気なく写真におさめましたが、これがちょっとした伏線となります。太平洋戦争末期に、フィリピンから小船で波照間島にたどりついた兵士たちの記念碑「大東亜戦争転進記念碑」を見て、昔の見張り・物見台であるコート盛を見物して、帰りの船に乗り込みました。約1時間で石垣港に帰着。
 港のすぐそばに「730」という記念碑があったので、なんだろうと見てみました。すると沖縄返還の翌年の1978年7月30日は、自動車が一斉に左側通行となった日で、それを記念した碑でした。想像しただけでも、大変だったと思います。信号や標識やバス停などを一夜にして変えるのですからね。バスの出入り口も当然変わるので、バス会社はいすゞBU04という左に出入り口があるバスを大量に購入したそうです。730車(ナナサンマル)と呼ばれて親しまれていましたが次第に姿を消し、2005年1月に最後の一台が引退したとのこと。「新幹線の旅のホームページ さよなら沖縄のBU04」で判明したことです、製作者の方どうもありがとうございました。URLを乗せておきました、BU04の音つきです。それにしてもバスの世界も奥が深そうですね。
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●「新幹線の旅のホームページ さよなら沖縄のBU04」
http://homepage3.nifty.com/super-express/Shumi-okinawa-bu.htm

 本日の二枚は、波照間灯台とニシハマです。
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# by sabasaba13 | 2005-06-15 06:27 | 沖縄 | Comments(0)

「ルガノ秘密報告 グローバル市場経済生き残り戦略」

 「ルガノ秘密報告 グローバル市場経済生き残り戦略」(スーザン・ジョージ 朝日新聞社)読了。筆者は、グローバル市場経済に対抗してオルター(もう一つの選択肢としての)グローバリゼーションを追求する知識人・運動家です。この本の設定は面白いですね。ある秘密委員会(多国籍企業などのリーダー?)が、トップ・レベルの学者を集めて、「新ミレニアムを迎えるにあたり、自由市場資本主義システムに対する脅威と、それを普及し保持する上での障害を明らかにすること」「グローバル化された自由市場資本主義システムを最大限に拡大するための戦略、具体的方策、方向転換についてを勧告すること」についての諮問をします。その報告書が本書です。この作業部会が置かれたのが、スイスのルガノなので「ルガノ秘密報告」という題名になっています。もちろんこれは架空の出来事で(ありそうですけれど)、スーザン・ジョージの手になるフィクションです。「グローバル市場経済」をキーワードにして、環境破壊、テロ・戦争、人口問題、南北問題など今われわれが抱えるアポリア(難問)についての一つの全体像を描きあげた労作です。「なりゆきにまかせておけば、市場はほんのひと握りの勝者と大量の敗者を生み、過剰生産と過少消費、環境破壊、富の集中化と増大する不適応者の排除をもたらすのである。」 その排除された不適応者の増大が、テロと紛争の温床となっているというのが、著者の主張です。過少消費というのは、「巨大企業は先端技術に投資し、労働力投入を最小限に抑えることで一時的な利益を図ろうと躍起になっている。著しく生産性の高い工場が多すぎる結果、生産される商品も多すぎるのに対して、購買力のある消費者が少なすぎる。」ということです。
 その上で、この報告書は人口削減しかグローバル市場経済生き残りの道はないと結論を出しています。「購買力がない排除された不適応者」の削減ですね。そうすればテロ・紛争も減り、食糧問題も環境問題も解決する… そのために征服・戦争・飢餓・疫病といった手段を駆使すべきだという恐ろしい結論を出しています。
 解題では、ルガノ報告書に対抗するための彼女の見通し(オルター・グローバリゼーション)を述べています。「真の問題は、資源や資源を管理する権利が人びとの手から取り上げられていることにあるのだ」「大切なのはわずかな取り分を求めて争うことではなく、世界中の賃金と労働条件を適正なレベルにまで引き上げること、天井を設けるのではなく、底上げをしていくこと」 この事に関しては、彼女の著書「オルター・グローバリゼーション宣言 もうひとつの世界は可能だ!もし…」(作品社)をご一読ください。もっとストレートに現状を分析し対抗手段について語っています。
 それにしても地球の現状はのっぴきならない段階にまで達していることを痛感しました。よく考えて何かをしなければ。これからはフェア・トレード製品を購入するようにしよう。ところで解題にある中国古代の言葉「自分が一番したいことはするな。敵がもっとも嫌がることをせよ」の出典は何なのだろう、「孫子」かな。ご教示を乞います。
# by sabasaba13 | 2005-06-14 06:23 | | Comments(0)