川越編(3):(05.7)

 博物館の喫茶室で珈琲を飲んでいると、窓を斜めに雨粒が走りました。江戸時代の川越の繁栄を支えた新河岸川を見て、川越城本丸御殿を見物して外に出る頃には、雷鳴をともなった夕立となりました。近くの三芳野神社の鎮守の森で雨宿り。ここは川越城内にあったため、一般の人の参詣が難しく、その様子が「とおりゃんせ」というわらべ歌となって伝えられたそうです。記念碑がありました。驟雨はやむ気配もなく、人間の無力さをかみしめながら半時ほど木立や空や野球少年たちを眺めて暇つぶし。
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 やっと雨も上がり喜多院へ行きましたが、残念ながら参拝時間終了。五百羅漢が見たかったのにい。もし明日時間があれば寄ることにして気を取り直し、街中へ。川越キリスト教会、ハーフチンバー様式で黄土色がチャーミングな中成堂歯科医院、ドーリア式の柱が九本壁面を埋めつくす商工会議所などを見物して、最近できたばかりらしいキーボードを打ちながらも赤面してしまう「大正浪漫夢通り」をそそくさと抜けて、料理屋で焼きさば定食をたいらげ、寝酒に「時の鐘」をしこんで、ホテルへと直行。明日も暑くなりそう。
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# by sabasaba13 | 2005-07-26 06:14 | 関東 | Comments(2)

川越編(2):(05.7)

 さて駅に戻り、春日部まで行き東武野田線に乗り換えて大宮へ。JRに乗り換えて川越に到着です。本川越駅から続く中央通りはなかなかの見ものでした。昭和三十年代の商店街がそのまま生存しているという感じです。演芸場あり、庚申塔あり、川越警察に対する憤怒をぶちまけた張り紙を一面に貼り付けたお宅あり。いいですね。
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 そしてお目当ての蔵造りの街並みへ。1893(明治26)年の川越大火の教訓から生まれた街並みとのことですが、お見事。黒漆喰の重厚な蔵が建ち並び、旧第八十五銀行や時の鐘といった物件がアクセントをつけています。栃木の蔵造りも見事なものでしたが、こちらは鬼瓦部分の盛り上がり方が尋常ではありません。まるで力瘤のよう。そして蔵造り資料館へ。二階からは時の鐘が良く見えました。川越祭り会館を拝見した後、駄菓子屋が数軒ならんでいる菓子屋横丁へ。私が川越市長だったら、駄菓子屋を一軒にして、身を隠せる路地や物をちりばめた「かんけり横丁」をつくるんだけどな。ああ無性にかんけりがしたくなった! 体力、戦略、技術が要求される、本気でやるとかなり面白い遊び(スポーツ)だと思います。オリンピックの正式種目にならないかな、IOCの英断に期待します。
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 そして旭湯という銭湯を発見。シンメトリックな前面と、その上部のリボン・ウィンドウがなかなか洒落たデザインでした。ここから市立美術館・博物館に行く途中で凄い物件を発見。もと釣具屋、現蕎麦屋のようですが、前面・側面を銅版でしきつめ、窓の上部飾りのデザインがすべて異なり、何式だかわからぬギリシア建築風列柱を二階部分に配した建物です。このくどさ、油っぽさ、いかがわしさは必見。ひさびさに「いいし…」ではなくて「ええもん見せてもろた」という科白がでました。美術館では、大好きな松本竣介の小品が二点見られたのが嬉しい。博物館も小粒ながら見やすく整理された展示でいいですね。
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 本日の一枚は、時の鐘です。
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# by sabasaba13 | 2005-07-25 06:04 | 関東 | Comments(2)

川越編(1):工業技術博物館(05.7)

 なにやら山ノ神が冷蔵庫の前でブツブツ言っています。「甘いもの食べよう」「太るぞ」「やっぱりやめよう」「えらい」 一人芝居か多重人格か腹話術か、よくわかりませんが。
 それはさておき実は私、川越に行ったことがありません。ま、なにかと人口に膾炙するようですし、沽券にもかかわるし、行ってみました。東武東上線沿線に面白そうな資料館・美術館や物件があるので、それとからめて一泊二日の小旅行にしてみましょう。ウキウキ さて本は何を持っていこう。旅行に持っていく本の選択って結構迷います。女性が服選びに迷うのもよく分かります。今回は、寺田寅彦が絶賛していた正岡子規の「仰臥漫録」にしました。北千住から東武伊勢崎線に乗り込んで、さっそく読み始めると次のような一節に出会いました。「新聞ナドニテ人ノ旅行記ヲ見ルト吾モチヨイト旅行シテ見ヨウト思フ気ニナル」(1901.9.16) 当時子規は脊椎カリエスに苦しみ、とても動けるような状態ではなかったのですね。子規のような俳句をつくるのは無理ですが、せめて徘徊ができる健康な肉体に感謝しながら彼の分まで動き回ろうと決意。なおこの一節は次のように続きます。「谷川ノ岩ニ激スルヤウナ涼シイ岸ニ小亭ガアツテソコデ浴衣一枚ニナツテ一杯ヤリタイト思フタ」 簡単なことなのですが、それすらも子規の病状は許さなかったのですね。
 東武動物公園で下車して、徒歩で約十五分。まずは日本工業大学工業技術博物館をめざしました。曇天にして炎暑、喪家の狗のようにフラフラと歩いていると、青いTシャツを着てプラカードを持った学生諸君が処々で道案内をしていました。今日はオープン・キャンパスのようです。でも住宅展示場の販売員のようで違和感を覚えました。経営が苦しいという大学側の事情も理解できますが、これでは「客引き」ですよ。ちなみに、彼らは大学から手当てはもらっているのかな。もし愛校心故の無償の行為だとしたら、ちょっと怖いですね。桑原桑原。
 ここは旋盤や織機などさまざまな工作機械を展示してある博物館です。解説が少なく素人には分かりづらいのが難点。せっかくいつでも動かせるように整備してあるのだから、実際に使用しているところを見たいな。一角に再現された町工場はいいですね。油の匂いやモーターやベルトのうなりが、「物をつくってるんだ!」という雰囲気をかもしだしています。以前紹介した小関智弘さんも、こんな町工場で働いていたんだろうなあ。墨田区にはこうした町工場がたくさんあったので、懐かしくなりました。外には2109号蒸気機関車が火入れをされて、もくもくと煙をはいていました。ただ構内に線路がないので、時々整備されるだけのようです。鉄路を駆け抜けたいであろうに、可哀そう。
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# by sabasaba13 | 2005-07-24 21:42 | 関東 | Comments(0)

「日本全国 近代歴史遺産を歩く」

 「日本全国 近代歴史遺産を歩く」(阿曽村孝雄 講談社+α新書255-1D)読了。何の因果か因縁か、近代化遺産に興味をもってから旅行・散歩の幅が非常に広がりました。鉄道、学校、橋梁、ダム、配水塔、工場、鉱山、灯台… そろそろ近代化遺産めぐりも市民権をもちはじめたようで、嬉しいかぎりです。ガイドブックもそろいはじめ、また新しい一冊が出版されたので紹介します。
 著者はバイクに乗って、全国各地の近代化遺産をめぐっておられる方です。なお観光レジャーとしてのインパクトを与えるために「ヘリテージ」という呼称の使用を提唱されていますが、一理ありますね。たしかに近代化遺産という言葉は堅苦しい。また近代化という言葉には西洋化というニュアンスが含まれるので、近代以降に伝統的な手法でつくられた物件(ex.川越の土蔵群)が排除されてしまうという主張にも首肯します。ただ「ヘリテージ」という言葉は、日常的に使うにはちと赤面しそう。何かいい言葉はないかしらん。
 それはさておき、過不足なくコンパクトにまとめられたなかなかよい入門書だと思います。いわゆる定番の物件はほぼ網羅されており、私の知らなかった物件も散見されます。キノコのような名古屋の東山配水塔や、夏の間だけダムの水底から姿を現す鹿児島の曽木発電所、純白の緞帳のように水が流れ落ちる大分の白水堰堤なぞは、初耳でした。ぜひ行ってみたい。くだけたざっかけない文章も、好みはあるでしょうか私は好きです。
 情報交換ということで、小生が心底衝撃を受けた二つの物件が載っていないので紹介します。一つは讃岐平野の豊稔池ダム。もう「ゆるぬき」は終わったろうな。もう一つは福岡にある志免炭田竪坑櫓(たてこうやぐら)です。阿曽村さん、これには文字通り圧倒されますよ。
 寝る前に、ウィスキーを飲みながらこうした本を読んで、次は何処に行こうかなとうつらうつら思案するのは至高の時間です。

 蛇足ですが、小生が日頃お世話になっているガイドブックをいくつか紹介します。ご参考までに。
 ●新全国歴史散歩シリーズ (山川出版社)
   …旅の計画を立てる際の必読書。全都道府県ごとに出版されており、史跡や歴史的物件がほ
    ぼ網羅されています。ほとんどがアカデミックなものでちよっと堅苦しいですが、歴史にかけ
    る著者諸子の情熱には感服します。旅行をする前に買い続け、残るは宮城県と岐阜県のみ
    となりました。
 ●近代化遺産を歩く (増田彰久 中公新書1604)
   …情報量は少ないですが、著者はプロのカメラマンだけあって写真が素晴らしい。
 ●日本の近代化遺産を歩く (JTB)
   …詳しい地図・データもついており、役に立ちます。
 ●明治の学舎 (小学館ショトルシリーズ)
   …明治期の学校建築を紹介。
 ●あなたが選んだ日本の灯台50選 (燈光会)
   …内部公開をしている灯台で購入できます。
 ●保存版ガイド 日本の戦争遺跡 (平凡社新書240)
   …質量ともに申し分なし。よくぞ調べたものだと思います。
# by sabasaba13 | 2005-07-22 06:09 | | Comments(0)

「ちゃんと話すための敬語の本」

 「ちゃんと話すための敬語の本」(橋本治 ちくまプリマー新書001)読了。橋本氏は凄い。他人の言葉を借りず、とにかく自分の言葉と頭だけで、徹底的に考えぬき、表現しぬこうとする態度には畏敬の念をおぼえます。いつか私も、自分の言葉で考えぬきたい。この本は、敬語という厄介な表現を、彼独特の語り口でわかりやすく明快に説明してくれています。
 「ランクが下の人には、命令口調だけでいい」―これが、隠された敬語の暗黒面です。「敬語を使え」と言うことは、じつは、「おまえはオレに対して、尊敬と謙譲と丁寧の敬語を使え。オレはおまえには使わない。オレはえらいんだからな」と言うことと同じなんです。

 現代で敬語が必要なのは、「目上の人をちゃんと尊敬するため」ではありません。「人と人との間にある距離をちゃんと確認して、人間関係をきちんと動かすため」です。

 日本語の二人称の代名詞は、「知っている人」だけなんです。…「知らない人が目の前にいる時に使う二人称の代名詞は、ないのです。ふしぎでしょう?
 なるほどねえ。たしかにそうだ。例えば、近い距離にいる身近な人や、遠い距離にいる見知らぬ人に対しては、平気で二人称代名詞を使えます。困るのは少し接点がある他人ですね。ブログでコメントを書き込む時に、「あなたは…」という言い方はなかなかできません。結局、二人称代名詞を使わずにすませてしまいます。おそらくどの代名詞を選ぶかによって、先方をどう評価しているかが明らかになり、それに対する先方の反応を気にしてしまうということだと思います。著者はこれを日本語表現の豊かさと言っておりますが、めんどくさい時や困ってしまう時もしばしばあります。常に他者との距離を意識してつきあっていくという、この列島の文化は何故生まれたのでしょうね。やはり異文化をもつ他者との接触があまりにも少なかったということなのかな。それはともかく、敬語と対人関係の距離の関係について分かりやすく分析した著者の力量には恐れ入ります。
 また「身分のある人」と「身分のない人」にまず大きく分けて、「身分のある人」をもっと細かくランク分けするというのが、日本の身分制度だという指摘も鋭いです。今でも、大学を出ているかいないか、大学出だとその偏差値を気にするのも、確かにその名残かもしれません。
 「ひらがな日本美術史」(新潮社)も面白いですよ。

 物理的にも心理的にも、距離感の喪失という事態は急速に進んでいるようです。電車のドアの脇で本を読んでいると、空間は十分にあるのにすぐ眼前でドアにもたれかかり携帯電話をいじりはじめる方と良く出くわします。鼻先10インチ! 私の空間を侵されていると感じて不快に思います。人にぶつかってもあやまらない人が増えていると、「ヨミウリ・ウィークリー」(05.7.24)の特集記事にもありました。(あまりに国家主義的立場をとっているので読売・サンケイ系列は敬遠しています。よって立ち読み。) 朝日新聞には「敬語の間違いが増えていると思う人が8割を超え、自分の使っている敬語に自信のない人が4割に近いことが、文化庁が12日に発表した国語に関する世論調査の結果でわかった。」という記事もありました。(05.7.13朝刊) 何かとんでもない事態が進んでいます。他者との距離をとりすぎて孤立し引きこもるか、距離をとれなくて他者との軋轢を引き起こすか、現代人は両極分解していくのかもしれません。でもなぜなのだろう?

  私の鼻先30インチに
  私の人格の前哨線がある
  その間の未耕の空間は
  それは私の内庭であり、直轄領である。
  枕を共にする人と交わす
  親しい眼差しで迎えない限り、
  異邦人よ、
  無断でそこを横切れば
  銃はなくとも唾を吐きかけることはできるのだ

             ~W.H.オ-デン~
# by sabasaba13 | 2005-07-21 06:04 | | Comments(0)

「歴史家の書見台」

 「歴史家の書見台」(山内昌之 みすず書房)読了。著者はイスラーム研究の第一人者です。以前から、その論理的で明晰な思考と文章に憧れていたのですが、ひさびさの書評集ということで早速購入、一気呵成に読んでしまいました。「イスラーム社会を知るために」「帝国とはなにか」「歴史と教育」「アジアのなかの日本」「楽しみとしての読書」という五章仕立てで、それぞれの項目に関連のある書評をまとめてあります。
 私も時々下手な書評を書いておりますが、その難しさが分かってきました。著作・著者に関する知識、内容の過不足ない要約、それに対する自らの意見・批判・疑問、そして何よりも読書の喜びを伝える文章… 氏の書評は、どれをとっても申し分ありません。何より感銘を受けたのが、感情に流されない冷静さとリアリズムです。話題・問題となっている「つくる会」の「新しい歴史教科書」についての書評の一部を紹介します。
 個性的な本であるが、教科書としては相当に改善すべき余地が残っている。どの国の歴史にも正負、明暗、良い側面と悪い側面が必ずつきまとう。その二面性について勇気とバランス感覚をもって開示するのも、日本人にとって真に必要な教科書の使命であることをあえて指摘しておきたい。もちろん、こうした課題が他の教科書にもあてはまることはいうまでもない。
 物足りないと思う方もおられるでしょうが、こうした冷静な批判だと「つくる会」の方々との論争も成立し、事態がをより良い方向へ進めることが可能になるのでは。ウィリアム・モリスが「誰も敗者とならぬ戦いに参加しよう。たとえ死が訪れても、その行ないは永遠なり。」と言っていますが、考えが違う他者、文化が違う他者との会話、論争、そして理解が成立するかどうかに地球の運命がかかっている現在、氏の冷静さとリアリズムには学ぶところが多々あると思います。
 ここで紹介されている何冊かの本を、さっそく読んでみたくなりました。なおあとがきで紹介されているトマス・ディッシュの言葉です。
 読書は死にかかった技術だ。もう一世紀あまりもむかし、映画が発明されたときから、読書は落ち目になった。そしていま現在、本物の読書家はシロサイのような絶滅危機種になっている。わたしがいう読書家とは、毎日数時間かならず本を手にとり、ページをめくり、そのページに印刷された活字を読む人間だ。それは自然な活動ではない。訓練と、応用と、野心が必要だ。
 私も、何とかしてシロサイの末席に加わりたいものです。
# by sabasaba13 | 2005-07-20 06:17 | | Comments(0)

「文明史のなかの明治憲法」

 「文明史のなかの明治憲法」(瀧井一博 講談社選書メチエ286)読了。明治新政府のリーダーたち(大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋)が、西洋体験を通していかにして日本型立憲国家をつくっていったのかを描いた力作です。条約改正のために憲法をもつ「文明国」として欧米に認めてもらい、かつ国民の自由・権利をある程度保障して国民国家を形成する。そのためにプロイセンの憲法を真似して、君主権力の強大な大日本帝国憲法をつくった。そうした小生の理解は大筋では間違っていないと思いますが、その過程で時代と格闘しながら試行錯誤を繰り返した様子についてよくわかりました。万国公法を無垢に信頼し、欧米の好意に頼って国際社会で生き延びようとした岩倉使節団。この考えは厳しい欧米の外交にぶつかりすぐに挫折、力の論理を思い知らされ、国力増強のための体制作り、そしてその一環としての憲法という問題に目が向けられます。そしてイギリス流立憲構想を主張する大隈重信と、プロイセン流立憲主義を主張する岩倉具視・井上毅のはざまでリーダーシップを失い、呻吟する伊藤博文。そして彼は起死回生のための憲法調査でシュタインと出会い、行政の機能、国民の創造、議会制度を支える諸制度といった、トータルな国制についての教示を受け自信を回復し、帰国後は憲法制定のイニシアティブをとることになります。なお、constitutionという言葉には、憲法という意味のほかに、その国の全体な統治の仕組みや組織構成というものが考慮されるべきだと著者は指摘しています。その意味での日本のconstitutionについての全体的な構想を伊藤はもったのでしょう。
 そして憲法発布時に山県有朋は地方制度研究のためにヨーロッパを視察し、フランスでブーランジェ事件に遭遇します(1889)。民衆の熱狂に後押しされたクーデター未遂事件ですね。議会制民主主義の負の部分を見せつけられた山県は帰国後、憲法の民主的な部分を減殺するために全力を尽くすことになります。議会と政府との協働による立憲政治を志向する伊藤、議会を立憲政治から隔離しようとする山県。以下、引用します。
 伊藤の頭のなかで、行政部や君主制などの議会制度以外の国家諸制度は、全体としての立憲体制を構成するものとして有機的に結び合っていた。これに対して山県においては、議会以外の諸機関の自律化が進み、やがてはそれらの肥大化によって立憲制度そのものの相対化がもたらされようとする。
 明治という「国のかたち」は、この二つのファクターの潜在的葛藤をふくんだものとして成立し、そして両者のせめぎ合いとつばぜり合いのなかで展開・変容していくのである。

 他にも、グナイストに冷たくあしらわれた伊藤、枢密院の設置は天皇の政治的突出にたがを嵌めるのが目的、山県の主権線・利益線演説(独立を守るために周辺諸国を勢力範囲に入れるという発想)はシュタインから教示されたもの、などなど興味深いエピソードも盛りだくさんです。

 疑問に思うのは、伊藤にしろ山県にしろ最終的に日本をどのような国にしようとしていたのか、ということです。柳田國男は「先祖の話」自序でこう言っています。
 理論はこれから何とでも立てられるか知らぬが、民族の年久しい慣習を無視したのでは、よかれ悪しかれ多数の同胞を、安んじて追随せしめることができない。…それを決するためにもまず若干の事実を知っていなければならぬ。明治以来の公人はその準備作業を煩わしがって、努めてこの大きな問題を考えまいとしていたのである。文化のいかなる段階にあるかを問わず、凡そこれくらい空漠不徹底な独断を以て、未来に対処していた国民は珍しいといってよい。
 “民族”という言葉については留保をつけますが、もし二人が生きていたら何と答えるでしょうか。近代日本の指導者たちに決定的に欠けていたのは、同胞が安んじて暮らせるための国制についての洞察だったと思います。結局、近代日本の(おそらく現代も)国制は、軍人を含む官僚と財界の利権を守るシステムとしてしか機能していなかったと考えます。自分の仕事はその準備作業であるという自負が、柳田にはあったのでしょう。そしてわれわれはその作業を引き継ぐとともに、アイヌ、ウチナンチュ、在日朝鮮人、外国人労働者を含めたこの列島に住む人々すべてを同胞と見る視線を育むことが大事なんじゃないかな。

 憲法改正/改悪についての論議はぜひ活発にして欲しいと思いますが、その前に明治憲法について知り考えておくのも無駄ではないと思います。この本を読んで、明治憲法はレディ・メイドの完成品ではなく、ブリコラージュ(器用仕事)による血の通った未完成品に思えてきました。
# by sabasaba13 | 2005-07-19 07:07 | | Comments(0)

イン・ア・センチメンタル・ムード

 昨日7月17日は、ジョン・コルトレーンの命日でした。この一文を捧げます。

音楽は生活のちりを流す。
                      ~ア-ト・ブレイキ-~
 うん、その通り。ウーロン茶のように、暮らしにこびりついた脂肪を洗い流してくれるのが音楽です。若い頃は、出勤前の景気づけにローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」を聴いていたのですが、さすがにもうそんな金たわしで顔を洗うような無謀なことはしません。やはり一日の仕事が終わり、自宅に着いてほっとしながら聴く音楽でちりを流しています。最近よく流す曲が「イン・ア・センチメンタル・ムード」(デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン)。作曲家兼バンド・リーダーとしてジャズの歴史をつくってきた巨人エリントンと、サックスの巨匠コルトレーンの共演です。武満徹がアメリカ留学を打診された時に、師としてエリントンを指名し「冗談だろう」と実現しなかったというエピソードがあるそうです。
 メンバーは、ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、デューク・エリントン(ピアノ)、アーロン・ベル(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)。エリントンが1936年に作曲した名バラードを、いつもの強面かつエネルギッシュな姿とは別人のようなコルトレーンがしみじみと歌い上げています。
 まるで憧れの選手に会えた野球少年のような感じです。恥じらいにみち遠慮がちな、けれども暖かなでだしの音を耳にした瞬間、胸がキュンと締め付けられます。そして尊敬する師に対する敬意を失わない、ていねいな即興演奏がくりひろげられていきます。エリントンもとつとつとした魅力的な演奏でこれに応えます。エルヴィンは普段の力強い複合リズムはがまんして、二人の幸福な出会いを祝福しているかのような控えめで心がこもったリズムを刻みます。そしてためていた思いをはきだすかのような最後のコルトレーンの熱情的なソロと、それをビシビシと煽りかつ引き締めるエルヴィンのドラミング。
 あまりジャズを聴かない方にもお勧めです。ぜひご一聴あれ。「至福」を音にした4分15秒です。
# by sabasaba13 | 2005-07-18 07:52 | 音楽 | Comments(0)

真鶴半島編(5):(05.7)

 上の道祖神に向かう途中の小学校で二宮金次郎像を発見。しかも校庭に入る門が少し開いているではありませんか。昨今の情勢からみて無断侵入はまずいかなと思いましたが、すぐ目の前だし、問い詰められたら善良な歴史研究者然として近代日本教育史における二宮金次郎像の意義を説明してごまかそうと決意。侵入。石造りのオーソドックスな物件でした。説明文を読むと、もともとは鉄製で1942(昭和17)年に金属供出のため撤去されました。1979(昭和54)年校舎新築の際、「先人の意志を継承し石彫にて復元」したそうです。珍しいケースではないかな。さてそそくさと逃げるように門から脱出し、小学校の名前を確認しようとしたら校名を刻んであるプレートがはずされていました。廃校だったのですね。地図で確認したら岩小学校という名前でした。冥福を祈ります、合掌。ここから坂道を少しのぼると上の道祖神があります。仲良く三体ならんで、ずーっと村人たちの暮らしを見守ってきたんだろうなあ。右の二体は頭部が新しいので、たぶん磨耗がひどいため最近すげかえられたのでしょう。歌舞伎役者のようにりりしい顔です。左一体のすこし悲しそうないたずら小僧の如き表情がいいですね。青い毛糸の帽子もよく似合っています。
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 さて、ふたたびうたい坂に戻り、真鶴駅に向かいました。途中にある大下の道祖神と、石工の業績を讃えた「石工先祖の碑」を見て、駅に到着です。
 できれば、中川画伯が何枚も何枚も描いた福浦の港にも寄りたかったのですが、暑さの中歩き疲れたので断腸の思いで割愛しました。実は駅に向かって歩いている時、すたすたと歩く中年の女性に抜かされた精神的衝撃もありまして。歩く早さにはけっこう自信があったのですが、さすがに年かなあと思いました。まあ無理せず自惚れずマイ・ペースで散歩を続けることにしましょう。それにしても、あの方の歩き方は見事なものでした。
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 というわけで、真鶴半島はいいところでした。頼朝と中川一政と道祖神とアジと二宮金次郎が好きな方でしたら、ぜひお勧めします。今度は空気の澄んだ晩秋、紅葉のきれいな頃に来てみたいな。
# by sabasaba13 | 2005-07-17 19:07 | 関東 | Comments(0)

真鶴半島編(4):(05.7)

 真鶴の街は海へ続く斜面にひろがっており、尾道のようです。今度は迷わないように地図を片手に慎重にルートを探しました。石段を上ると、民家の真ん前にドンという感じで西の道祖神①がいらっしゃいました。しかめっつらと泰然自若とした表情の二体がならんでおります。ええなあ、ほのぼのとしてきますね。右の方は、ビッグコミック・スピリッツに連載中のセキド君に似てますね。ただ供物や花がないので忘れ去られている道祖神かもしれません。ここから歩いて十数分、東の道祖神②へ。街の境界を守っているということが実感できました。道路から少し上にある草ぼうぼうの一画に鎮座していますが、表情も判明できないほど摩滅していました。こちらも花・供物はなし。ここから北へ向かい、次は丸山の道祖神③です。この方はスーパーマーケットの前に鎮座されておりました。下膨れのちょっと生意気そうなお方ですね。赤い帽子・涎掛け・コップのコーディネイトはいかしてますけれど。そして前ノ浜へ向かいます。途中に「うたい(謡)坂」という一風変わった地名がありました。説明を読むと、鵐窟から前ノ浜に向かい船で房州へ渡ろうとした頼朝一行がこの坂で休み、土肥実平が無事を祈り再起を願って謡い踊ったという話が「源平盛衰記」にあるとのことです。うたい坂を下りて、坂の途中にある下の道祖神④を拝見。坂というのも村と外界、この世とあの世との境界ですね。さか=さかい。道祖神があるのもうなずけます。左の方は鉄面皮、右の方は頑固一徹のご老人、苦労されているのでしょう真ん中の方は悲しげに沈思黙考されています。前ノ浜につくと、「源頼朝船出の浜」という記念碑がありました。源頼朝は、石橋山→鵐窟→うたい坂→前ノ浜→房州へと敗走して行ったのですね。ここからさらに北へ向かい、上の道祖神をめざします。
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# by sabasaba13 | 2005-07-16 07:19 | 関東 | Comments(0)