沖縄編(3):久米島(05.8)

 本日はレンタカーを借りて東廻りで島内めぐりです。まずは民家の中にある宇根の大ソテツを拝見。樹齢250年以上だそうですが、生命力がモコモコモコともりあがっているようで、畏怖さえ覚えます。すぐ近くには道路の中央にどんどんどんと連なる真謝のチュラ(美しい)フクギがあります。小判型で肉厚の葉をもつ木で、日よけ・防風のために沖縄ではよく植えられています。
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 そして比屋定バンタへ。バンタとは崖のことで、大変眺望がよいところです。眼下に広がる海原と珊瑚礁の美しいこと。はての浜も一望でき、やや霞んでいましたが粟国、渡名喜の島影も見ることが出来ました。ここから島の中央に聳える山への道を上り、宇江城(ぐすく)に到着。久米島でもっとも高い場所に築かれた城の跡で、見事な石組みによる城壁が残されています。そしてその眺望の見事なことは筆舌に尽しがたいですね。360度のパノラマ、島全体を鳥瞰できるだけではなく、海や珊瑚礁やはての浜や島影など、見飽きることがありません。うん、ここはお勧めです。すぐ隣りにある自衛隊のレーダー基地が目障りでしたけれど。
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 そしてふたたび島一周道路にもどり、農耕・出漁のための太陽観測に使われていた太陽石(ウティダ石)を見物して、次は泡盛久米仙の工場見学です。そうそう、工場のすぐ近くの家では、台風シーズンに備えてか、屋根の漆喰塗りをしていました。あの頑丈で美しい屋根を維持管理するのは大変なことだと痛感。落ちないように気をつけてください。
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 さて、見学はわずか十分ほど工場の中を歩かされただけのしょぼいものでしたが、地下にあるクース(古酒)の壺がぎっしり並んでいる様は壮観でした。売店で土産を郵送してもらい、ふと気がつくとTシャツを売っています。変なTシャツコレクターの小生としては垂涎しましたね、買わいでか! たぶんここでしか入手できないと思いますので、同好の士がいらっしゃったら(いないだろうなあ)お勧めです。なお事務所にちょっと変わった護符がありましたので、紹介します。
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 さて赤嶺パイン園でジュースを飲んで、次なるはタチジャミ(立神)見物です。高さ約40mの屏風型をした奇岩で、周辺の柔らかい堆積物が侵食により流出し、硬い流紋岩の岩脈が残ったものと解説にあります。階段を下りて海岸に出てもそれらしいものは影も形もありません。はるか彼方にある岩がそうなのかな? 虚弱体質の小生は「やめやめ」と引き上げようとしましたが、我が家では山ノ神の一言で全ては決まります。「行く」 海岸線にそって歩くこと十数分、近づくにつれその巨大さに圧倒され、さらに横側に回りこむとまるで空に突き刺さる槍先のよう。一見の価値はありますね、さすが山ノ神。

 本日の二枚はタチジャーミーです。横から見ると平べったいのですが、正面から見ると槍のように尖っています。
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# by sabasaba13 | 2005-10-02 09:18 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(2):はての浜(05.8)

 さて本日は、久米島名物砂地だけの無人島、はての浜へのツァーです。幸い天気にも恵まれて快晴、これは期待できそうです。港までバスで送ってもらい、小さな船に乗り込みました。奥武島を左に見ながらの快適なクルージングを楽しむこと数十分、前方に真っ白な帯のようなものが海上に伸びています。そう、あれがはての浜。さっそく上陸しますが、もちろんコンビニエンス・ストアなぞありゃしません。掘っ立て柱に葦簀がのせてあるのがレスト・ハウスです。樹木が一本もないので、日陰は存在しません。よってティダ(太陽)に負けそうになったら、ここに逃げ込むか、ビーチ・パラソルを借りるしかありません。そうそうもう一ヶ所ありました。白砂の上にポツンと佇むボックス、実はこれトイレです。中に入る勇気はありませんでしたけれど。日光には強いと自負する南方系のわれわれもさすがに熱中症を恐れ、パラソルを借りました。それはさておき、ここの景観はよいですね。きれいなエメラルド・グリーンの海と目が痛いほど白い砂浜、しかもS字をえがいて汀がうねっているので変化にもとんでいます。座布団二枚級の素晴らしさです。きれいな珊瑚礁が近くになく魚も少ないので、三枚はあげられないな。というわけでバシャバシャと写真を撮りまくりましたが、被写体が良いので下のような流浪の民さえファインダーにいれなければNo problemです。でもこうしてみると写真とは、醜を排除して一部の美のみを切り取り強調するものなのですね。だまされないよう気をつけましょう。
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 そしてホテルに戻り、昼寝と読書を満喫。一天にわかに掻き曇り凄まじい夕立となりましたが、部屋から眺めている限りこれも一興です。夕食は南島食楽園でぐるくん(県魚)のから揚げ、ヒラヤーキー、たこさしを堪能。極楽極楽。

 本日の一枚は、はての浜です。
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# by sabasaba13 | 2005-10-01 08:17 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(1):久米島(05.8)

 二週間ほど久米島、石垣島、渡嘉敷島を徘徊してきました。今回こそは齷齪動き回らず、落ち着いたのんびりした旅行にしようと思い、かなり骨のある本を持っていくことにしました。「<日本人>の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで」(小熊英二 新曜社)と、「危機の二十年 1919-1939」(E.H.カー 岩波文庫)なのですが、前者は特に沖縄で読みたいと考えていた本です。
 さて久米島への直行便に乗って、午後四時ごろに到着。バスに乗ること約15分でホテルに到着です。さっそく付近を散策、軽トラックが荷台にこどもを三人乗せて走っていくのを見て、ああ離島に来たのだなあと実感。まずは島で一番きれいだという評判のイーフ浜に行きました。確かに白砂の見事なビーチでしたが、薄曇のためやや見栄えがしません。残念。
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 浜の付近には飲食店が集まっており、美味しそうな店を物色しながらしばし徘徊。今晩はかわらや食堂にしましょう。ゴーヤチャンプルー、ソーメンチャンプルー、海ぶどうをたいらげましたが、結果論で言えば、ここのゴーヤチャンプルーが一番美味しかったですね、うん。太鼓判を押しましょう。ポン すぐ近くに「一般のお客様大歓迎 業務卸スーパー」があったので、早速入店。スーパーマーケットや市場に行くと、地元の人々の暮らしぶりがわかりますので、必ず立ち寄るようにしています。しかも「旧盆大特価」のセール中! 飛んで火にいる夏の虫です。さっそくサンピン茶2リットルのボトル4本とコーンスナックゴーヤー王タコライス味を購入、そして近くの民宿・ホテル用に卸すらしい品々を興味深く拝見しました。そうそう、沖縄ではじめてサンピン茶を発売したのはポッカなのですが、商標として登録しなかったため他のメーカーも商品名として使用してしまったと以前聞いたことがあります。鷹揚なのか、うっかりしていたのか。ま、いちおうpioneerに敬意を表して、できうる限りポッカ社製を買うようにしています。さて、撮影した店内のチラシを今つくづく見ていると、文化の違いを感じます。くるまふ、チューリップポーク、いなむるち、グルクンホール、カットソーキ… うっと気づいたのが、「ハム・米等のお中元も準備しております」という文言。そうか、島では米をお中元として贈るのか。米の不足という島の暮らしの一面を垣間見たような気がします。お中元という風習が沖縄や内地でいつ頃はじまったのかについても、興味がありますけれど。
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 本日の一枚は、スーパーの旧盆大特価のチラシです。
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# by sabasaba13 | 2005-09-30 06:08 | 沖縄 | Comments(2)

たまご丼

 小生も山ノ神も、京都にある瓢亭という店の朝粥定食が大好きです。中でも白身は堅く黄身はトロトロの液状であるゆで卵は絶品。黄身の純粋な旨さをもっとも上手に引き出すゆで方には驚嘆します。けれでもよく考えれば、ゆで時間を的確に計測すれば我が家でもつくれるのではないかと思い、インターネットで調理法を調べたらありましたありました。これが実に簡単。沸騰した湯に卵をほうりこみ、5分~5分30秒ゆでて、すぐに氷をたっぷりいれた冷水に入れてしばらくおき、黄身が漏れ出ないように気を付けて殻をむけばフィニート。5分だと白身が柔らかく殻がむきにくいので、私のように手先が不器用な方は5分30秒ぐらいがいいかな。あまりに美味しかったので、今度は炊き立てご飯にのせて、割って黄身をご飯にからませ醤油を少しかけて食してみました。もう腹の中が旨い美味いと大騒ぎ、一言もしゃべらず二人して黙々黙々と瞬時にたいらげてしまいました。こ、れ、は、お、い、し、い、で、す、よ。空襲の最中に内田百閒が書いた、死ぬまでにもう一度食べたい料理をずらずらと書き並べた随筆がありますが、私だったら文句なく入れますね。名づけて、たまご丼。(名づけるまでもないか…) 一度お試しあれ、味は保証します。 
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追記1. 卵は冷蔵庫から早めに出して、室温にしておいたほうがいいです。
追記2. ご飯には大きめの陥没をこしらえておく。先程つるりと床に落ちてひどい目にあいました。
# by sabasaba13 | 2005-09-29 06:06 | 鶏肋 | Comments(2)

「観光コースでないウィーン」(2)

 こうした数々の事件の記念碑・モニュメント・プレートがウィーンには多数あり、それを紹介しているのがこの本です。皇太子フェルディナントが乗っていた弾痕が残る車と血染めの服は、軍事史博物館で展示されています。これはガイドブックに載っていたので見てきました。「赤いウィーン」の時代に住宅難解消のため郊外に建てられた集合公営住宅カール・マルクス・ホフも見てきましたが、ここが二月十二日事件の銃撃戦の舞台となり、記念のプレートがあることは知りませんでした。(ベートーベンが住んでいたハイリゲンシュタットのすぐ近くです) またホテル近くにあった記念碑が気になったので写真を撮っておいたところ、この本でその由来がわかりました。ここモルツィン広場はゲシュタポ本部があったところで、ナチスに抵抗した人々が収容され処刑された場所だったのですね。上部に「二度と忘れない (NIEMAL VERGESSEN)」と刻まれ、その左にある逆三角形は政治犯、右にある黄色の星はユダヤ人がつけなければならなかったマークを表しています。
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 他にも、「水晶の夜」の清掃を行わせられたユダヤ人をあらわす、鉄条網でしばられ這いつくばって道路を清掃する銅像、あまりにも巨大なので取り壊せないアウガルテン庭園にあるナチス時代の高射砲台、シュテファン教会の右壁に刻まれた「05」という数字が紹介されています。オーストリアはOesterreichとも表記されますが、ゼロはOを、5はアルファベット五番目のeをあらわす、つまりオーストリアの独立、ナチスへの抵抗を意味する暗号なのですね。
 また「サウンド・オブ・ミュージック」の主人公トラップ大佐は実在の人物で、民主主義を弾圧したオーストロ・ファシズム支持の立場からナチスに抵抗したという衝撃の事実も知りました。

 やはり前もって学んで知っておかないと歴史は見えてこないと痛感しました。もちろんただその場所を見て写真に取っておしまいというのもまずいと思いますが。またいつかウィーンには行きたいので、ぜひ徘徊彷徨の参考にしたいと思います。このシリーズでは他にマレーシア・シンガポール、フィリピン、グアム・サイパン、アフリカ大陸西海岸、東京、沖縄、韓国、香港、ベトナムが発刊されています。当該国に行く時は、購入して座右に置くつもりです。
 そして思ったのは、戦後日本との共通性・類似性ですね。戦争犯罪に多くの人が加担したその後ろめたさ、あるいはそれによって利益を得たことを隠蔽したいという気持ちから、過去を克服せず忘れようとする… 「オーストリアでは、1980年代のはじめまで、第二次世界大戦の歴史について学校で教えることはほとんどありませんでした。第二次世界大戦までいかずに、1930年代の前半までで授業が終わってしまうこともありました。」という記述が文中にありましたが、私も学校の授業で第二次世界大戦の歴史を教えられた経験は皆無です。この時代が入試問題としてあまり出題されないという理由だと思います。あえて入試問題として出さないことにより、この時代の歴史を学生に教えさせず、間接的に教育内容をコントロールしようとする教育行政の謀略かな、と邪推します。
# by sabasaba13 | 2005-09-28 06:08 | | Comments(0)

「観光コースでないウィーン」(1)

 「観光コースでないウィーン」(松岡由季 高文研)読了。音楽の都ウィーンは二度ほど訪れたのですが、いい街でした。リンク、市電、カフェ、コンサート、ブリューゲルやクリムトやシーレの絵、モーツァルトやベートーベンの家と墓、「第三の男」ロケ地、ヴァーグナーやロースやフンデルトヴァッサーの建築、などなど、見所が沢山です。またぞろ行きたくなっていたら、偶然この本を見つけました。1938年にオーストリアはナチス・ドイツに併合されているので、ナチス統治関係、それに対するレジスタンス、あるいはナチスへの同調者がらみの物件を紹介しているのかな、と思って読み始めたらとんでもない。この国の20世紀にも、光も差し込まない深淵がありました。

 皇太子フェルディナントの暗殺をきっかけに始まった第一次世界大戦。その敗戦によりハプスブルク帝国は崩壊します。そして社会民主党が政権を担う、いわゆる「赤いウィーン」の時代を迎えます。しかし戦後の失業率増加や、労働運動に対する反発、社会主義革命への恐怖から、保守派のキリスト教社会党が攻勢にでます。1933年に政権を取り独裁体制をしき、翌年には労働者たちを武力制圧します。(二月十二日事件) この時点でオーストリアは独自のファシズム路線を確立したわけです。(オーストロ・ファシズム) しかしヒトラーは地政学的に重要なオーストリアの併合を狙っていました。これに対して、独自のファシズム路線を掲げて抵抗したドルフス首相は暗殺されてしまいます。そして国民投票の結果、99%の人々が併合に賛成しました。元国会議員のメスナー氏はこう証言しています。
 この時、50%以上のオーストリア人はもろ手を挙げてヒトラーを歓迎しました。30%は周りの雰囲気に流されて歓迎していました。残りの20%は反対だったけれど、実際に声に出して反対したのは5%にも満たない人々でした。
 オーストリアの危機をヒトラーが救ってくれるという、藁にもすがる思いだったのでしょうか。それにしても先日の衆議院選挙を思い出すようなコメントですね。
 そしてユダヤ人への迫害が始まります。宣伝相ゲッベルスの扇動により1938年11月ドイツ全土でいわゆる「水晶の夜」事件が引き起こされます。ウィーンでも多くの市民が加わって、ユダヤ人住居・商店・シナゴーグの破壊が行われました。大戦後の経済的破綻をユダヤ人のせいにする反ユダヤ感情は、オーストリアでも根付いていたのですね。さらに「最終解決」としてユダヤ人が強制収容所へ送られると、彼らから奪った財産・住居・職場での地位によって多くのウィーン市民が潤います。
 そして敗戦。オーストリアはナチスに蹂躙された被害者であったとして、過去を封印します。そして冷戦の中、東西陣営をつなぐ中立国として生き残る道を選択します。しかし過去を十分に克服せず、またナチス協力者のほとんどを免責してきたため、ファシズムや極右的立場を支持する動きが間欠泉のようにあらわれます。ナチスに協力したワルトハイム(元国連事務総長)が大統領に選出されたり、ナチス肯定発言を繰り返す自由党党首ハイダーが連立政権に加わった事実を思い出します。しかしこうした排外主義への批判が国内の若者や、EUから行われ、それとともに過去をきちんと見つめ、克服していこうという動きがようやく現れてきます。長くなりそうなので、以下次号です。
# by sabasaba13 | 2005-09-27 06:02 | | Comments(0)

名古屋編(20):(05.8)

 二葉館で貞奴と桃介に関する展示を拝見して、さあ新幹線に乗る時刻まであと約二時間。…よし、長島に行こう。船頭平閘門をどうしても見たい。というわけで名古屋駅に戻り近鉄に乗って再び長島に行きました。車窓から駅前広場を見ると、やった、タクシーが一台客待ちをしている! すわ急げ、と電車を降りてかけつけると、        消えていました。あれは幻影だったのか。タクシー会社に電話をしたら「20分ほどお待ちいただけますか」と、一昨日とほぼ同じ回答です。そんなには待てないと丁重にお断りし、5分ほど流しのタクシーを待ちましたが来る気配もなし。やれやれ、上の方で誰かが私のことを嫌っているんだ。意気消沈して駅に戻り、電車に乗り込みました。やりきれぬ想いを封じ込めるように、ドアが閉まります。ぷしゅー 電車が動き始めます。がたんがたん 後ろ髪を引かれるように、車窓から駅前広場に視線を移すと、タアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアクシーが一台客待ちをしている! そして電車は悲しみを乗せて名古屋へ向かっていった。名古屋駅でえびふりゃー定食(ほんとにこういう名称でした)をやけ食いして、新幹線に乗り込み帰郷。

 というわけで、だらだらと長くなってしまいましたが、散歩の変人“万博がなんぼのものじゃい”名古屋編でした。全ての土地は異なる文化を持つのだということを、あらためて感じました。異常に品揃えがいい駅の売店、センターラインが引いてあるエスカレーター。ちなみに名古屋では急がない人は、左側に並んでいました。大垣以西では右側に並ぶという未確認情報もありますが。
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 また嫁入り婚礼家具を見せびらかしながら走るトラック、開店祝いで飾ってある生花を奪い合うバトル、凄まじい量のモーニング・サービスなども噂には聞いていたのですが、結局体験できませんでした。まあいいや、船頭平閘門も伊良湖灯台も見ていないので、また訪れる機会をつくりましょう。そしていつもにもまして、あさましくガツガツと歩き回ったのだなあと、書きながら反省しているのですが、これは直りそうもありません。まあ体力と気力と財力と、山ノ神の暖かい御加護がある限り、こんな徘徊をこれか        あっお土産買うのを忘れた!
 最後に一言。最近増えているキャスター付きバックですが、必要のない方は人ごみの中での使用をぜひ控えてほしいですね。何回もけつまづいて、危険かつ不愉快な目にあいました。これも距離感の喪失なのかな。

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# by sabasaba13 | 2005-09-26 06:10 | 中部 | Comments(4)

名古屋編(19):馬籠(05.8)

 そしてバスに乗ること約30分で馬籠に到着です。妻籠と同じく、中山道の宿場町として繁栄、近代における衰退、そして街並み保存によりよみがえるという道を歩んだようです。ただ自動販売機が散見されるなど、妻籠ほど徹底はしていません。坂道にそって家々が建ち並んでいるので、ロケーションは妻籠とは違った良さがありますけれど。ここは島崎藤村の生地でもあり、さっそく「藤村記念館」を見物。内容の薄い展示でしたね。ある若い女性が「ふじむらって何した人?」と朗らかに言っていましたが、この質問に一言で答えるのは難しい。そして少し道から外れたところにある藤村の墓、島崎正樹(藤村の父、「夜明け前」主人公、青山半蔵のモデル)の墓をお参りしました。
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 1時間ほどで見るべきものは見つ、バスに乗って中津川へ行き、JR特急で名古屋に着いたのが午後四時少し前でした。地下鉄桜通線に乗り換えて高岳駅で下車。うーむ、このあたりには異様なオーラただよっていますね。逢引きをする電柱、バットレスが支える民家、「ツヤ」「由美」「マド」といった不思議な名前の喫茶店… トワイライト・ゾーンですかね。それにしてもこの喫茶店は、二階建ての建物のどこにあるんだろう? ↑の方向は空なのですが…
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 徒歩十分ほどで二葉館に着きました。うーむ、外見は異様ですね、さまざまな形の屋根が無秩序にごつごつと組み合わされています。内部のインテリアはけっこう落ち着いたもので、肩透かしをくわされました。川上貞奴がつくった邸宅ですから、もっと奇抜なものだと思っていたのですが。二階には、城山三郎の仕事場が復元されていました。
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 ●文化のみち双葉館 http://www.futabakan.city.nagoya.jp/index.html

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2005-09-25 19:48 | 中部 | Comments(2)

名古屋編(18):妻籠(05.8)

 そしてここから数分で妻籠に到着、タクシーを降りて歩いて散策をしましょう。その前に案内所でバスの運行状況をチェック、馬籠での滞在が一時間ほどですむのなら、二葉御殿が見られそうです。馬籠に行ってから決めましょう。さて、ここ妻籠は中山道の宿場町でしたが、明治以降、鉄道・道路の敷設によりその機能を失い衰退の一途をたどりました。しかし高度経済だけ成長の真っ只中の1968(昭和43)年から、「売らない・貸さない・壊さない」をモットーに全国に先駆けて街並み保存をはじめ、見事な景観を守っています。いやあ、徹底していますね、電柱・電線はおろか、現代風住宅・自動販売機・プラスチックなどほとんど見当たらなかったと思います。お見事。ここまでするのならば、不自然とかわざとらしいとか、文句は一切言いませぬ。そして道はゆるやかにうねり、歩くにつれて景観が次々と変化し、見え隠れする木曽の山並。こんなに気持ちいい散歩は、常滑以来です。煙草屋によって煙草を買うと、まるでチェシャ猫か黒い(筆者注:“笑う”ではありません)せえるすまんのように主が破顔一笑、いろいろと話をしてくれました。表札のわきに掲げてあるキノコについて質問すると、顔の下半分を口にして笑いながら、「あれはマンネンダケいうて、幸運を呼ぶキノコや。百町歩で一本しか見つからん。」と教えてくれました。一町歩=約99.1アールですから、(ほんとだとしたら)これは凄いですね。昼食は蕎麦屋で、夏野菜のてんぷら+ざるそば+五平餅をいただきました、うん旨い。
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 ズルズルッと威勢のいい音がするので、ふと前方を見やると若い女性が蕎麦をたぐっていました。目を疑いましたね、わたしゃ。一人旅をし、音をたてて蕎麦をたぐり、黒髪でピアスなし、化粧もマニュキュアもしていない、携帯電話も机上に置いていない… こんな女性がまだいたのか! マンネンダケを見つけるよりも難しいような気がします。「お嬢さん、妻籠における助郷制度の変遷について、僕と語り合いませんか」となぜ言えなかったのだろふ。そして廃校となった旧妻籠小学校へ。あわよくば奉安殿と二宮金次郎を両方ゲットできるのでは、と期待しましたが、コンクリート製の二宮金次郎像だけがありました。まあよしとしましょう。
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 次に本陣、脇本陣、歴史資料館を見学。資料館では、満蒙開拓団についての展示に注目しました。昭和恐慌で養蚕業を中心に大きな打撃を受けた長野県は、満州への武装移民という国策(1932~)のもと、最も多くの移民を出したのですね。解説によると、ここ読書村からは850余名が現地人から奪った土地に入植しましたが、敗戦時の虐殺や暴動、収容所での疫病により、子供や女性を中心に開拓団員の六割近くが帰らぬ人となったそうです。合掌。まったく国家というのは恐るべきリヴァイアサンです。なお開拓団員の訓練所が茨城県内原にあり、近年資料館ができたそうなので、機会をつくって行くつもりです。
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 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2005-09-21 05:20 | 中部 | Comments(2)

名古屋編(17):読書発電所(05.8)

 桃介記念館で新しいパンフレットをもらったところ、桃介と貞奴が暮していた二葉御殿が、今年名古屋市内に移築・復元されたという情報を知りました。うし、妻籠→馬籠→中津川のバス運行状況によっては行くのも可能かもしれません。さて読書発電所までの道のりを係りの方に訊ねたところ、微笑みながら「歩いて30分ぐらいですけれど、熊や猪がでます。鈴はお持ちですか?」 はい、勿論当然言うまでもなく持っていません。即座にあきらめて、タクシーを呼んでもらいました。それにしても環境悪化によって熊が村落の近辺に出没するケースが増えているのでしょう、これはわれわれの責任です。1時間タクシーを貸し切りにしてもらい、まずは読書発電所への導水路、現存する戦前の水路橋では最大規模の柿其(かきぞれ)水路橋へ。全長142.4m、鉄筋コンクリート造、周囲を圧するごとき存在感があります。「グダグダ言ってねえで水をガバガバ流せばいいんだ」と言わんばかりの剛毅木訥とした姿には、恋に落ちそう。氷や雪がついた冬場の孤高の佇まいもぜひ見たくなりました。
 そして木曽川ぞいに下流へ向かい、久保洞水路橋へ。タクシーの運転手さんも知らなかったようで、地元の方々に道を訊ねながらようやく見つけ出してくれました。小ぶりですが、風格のある石造二連アーチの水路橋でした。次は対岸にある読書発電所(1923)へ。実は事前に関西電力に内部見学を申し込んだのですが、一人ではダメだと断られました。ま、いろいろ事情があるとは思いますが、吝嗇! よって外観だけの見物ですが、なかなかモダンな建築ですね。連続して並ぶ半円形の窓や、アール・デコ風の屋根上部装飾などなかなか洒落ています。また巨大な三本の導水管を間近で見られますが、すごい迫力ですね。運転手さんに頼んで、対岸から写真を撮りました。
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 本日の三枚は、久保洞水路橋と柿其水路橋と読書発電所です。
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# by sabasaba13 | 2005-09-20 06:07 | 中部 | Comments(4)