沖縄編(7):本島(03.8)

 今日もタクシー貸切。まず南風原(はえばる)文化センターで沖縄戦の展示を見学し、南風原にあった陸軍の病院壕を訪問。「ひめゆり学徒隊」が動員された病院で、30余の壕の中に設置されました。1945年5月22日、第32軍司令部の摩文仁への撤退にともないこの病院も南部へと移動します。その際に重症患者に青酸カリを配り自決を強要したケースも多々あったとのことです。しばし合掌。まるで自然災害で亡くなった方を悼むようなそっけない碑(佐藤栄作書)が気になりましたが。
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 さてわれわれも南部へと移動しましょう。途中の展望台で、エメラルドグリーンやコバルトブルーなどといった言葉が陳腐に思えるような知念の海の色を鑑賞。まず沖縄最高の聖地・斎場御嶽(セイーファーウタキ)を拝見いたしました。斎場御嶽は琉球王国最高の御嶽で、国家的儀式が執り行われた沖縄で一番重要とされた霊地です。首里王家の女性・聞得大君(きこえおおきみ)を最高の神官とする神女(ノロ)組織が維持し祈祷を捧げてきた場所で、昔は男子禁制であり、国王といえども入口から奥には立ち入れなかったとのこと。点在する巨岩・奇岩と鬱蒼とした樹林、聖なる地を体感できます。拝所では、ノロらしき女性と一組の夫婦が一心不乱に何かを祈っていました。今も息づく信仰なのですね。ここのシンボルである三庫裏(さんぐーい)という、二つの巨大な岩の縦長直角三角形の洞門をくぐると、アマミキヨが国造りを始めた地と言われる神の島、久高島をはっきりと臨むことができます。ここから久高島を遥拝するわけです。
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 そして平和祈念資料館・平和の礎・魂魄の塔・韓国人慰霊塔を訪問。運転手さん御用達の旧家を利用したそば屋「真壁ちなー」で昼食。
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 本日の二枚は知念の海と斎場御嶽です。この海の色といったら…
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# by sabasaba13 | 2005-05-28 06:17 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(6):本島(03.8)

 美ら海水族館のちょっと北にある備瀬という集落の大アカギ防風林は見事。しばし濃密な緑のカーテンの間をさまよいました。
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 そして今帰仁(なきじん)城へ。三山時代の13世紀に北山王の難攻不落の山城としてつくられたとのことですが、築城者は不明だそうです。いきなり鳥居があったのには驚愕。どうやら昭和初期に皇国思想宣揚のために北山神社が建設される予定だったそうです。(実現せず) 民間信仰を貪欲に取り込んでいった国家神道のあり方を髣髴とさせてくれますね。「昭和に建設されたグスク本来の姿とは関係のないもので、撤去を予定しております」という看板があり、ウチナンチュの矜持を感じました。教訓を後世に伝えれ歴史遺物として保存して欲しいような気もしますが、やはり現地の方の想いが優先かな。このグスクは総延長約1.5kmにおよぶ優美な曲線を持った城壁が特徴です。決壊箇所が多いのと、眺望があまりよくないのが難点ですが。広大な城跡を、潮風を浴びながらしばし散策。
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  そして運転手さんに無理をいって、普天間基地の代替基地建設が予定されている辺野古に連れて行ってもらいました。おいおい、キャンプ・シュワブの眼前に広がるこの美しい海や環礁をぶちこわすのか。基地反対の団結小屋は夏期休業中の様子。
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 そして一路那覇へと向かう途中、幸地さんが金武(きゃん:キャンプ・ハンセンの所在地)にある美味しいタコス屋に案内してくれました。ちなみにタコスの具をご飯にのせたものが“タコライス”です。彼の話によると、最近ヒスパニック系の米兵が増えているので、こうした食べ物が普及したとのことです。ハタ(膝を打った音) ガッテンガッテンガッテン(合点した音) 今、アメリカ軍は徴兵制ではなく志願制なのですが、志願した兵士に対して公民権や年金や教育面での優遇措置などを与えています。そのためこうした恩恵を得るために、貧しく差別されている黒人・ヒスパニック系・違法入国者たちが志願しているのですね。運転手さんの話では、彼らは給料をほとんど仕送りにまわし、基地内にとじこもって節約し、週末に安い飲み屋で羽目をはずしているそうです。米兵による犯罪増加の一因だと思います。それと関係しているのか、キャンプ・ハンセンのゲート近くにある飲み屋にこんな張り紙がありました。そんなに危険なのか!
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 本日の一枚は辺野古です。この美ら海を破壊して米軍・アメリカ政府・日本政府は軍事基地をつくろうとしているのだと、怒りに燃える二つの影法師。
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 追記 辺野古をめぐる情勢が緊迫してきました。沖縄タイムズの記事です。
 http://www.okinawatimes.co.jp/day/200505231300_03.html
# by sabasaba13 | 2005-05-27 06:11 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(5):本島(03.8)

 というわけで、中城(なかぐすく)城は15世紀の第一次尚氏王朝の時代につくられたグスクです。まだ首里王府の権力が確立しておらず、勢力の強い勝連城主の阿麻和利(あまわり)を牽制するために、築城の名人護佐丸(座喜味城主)につくらせたとのことです。広大な敷地のほぼ往時の姿をとどめた見事な城ですね。印象的な石造のアーチ門をいくつかくぐりぬけ、城壁の上に立つと太平洋が一望できます。そして何といってもグスクの魅力は、素晴らしい石積み・石組みと、優美になだらかにリズミカルにうねる壁面の曲線です。ヤマトンチュの城郭にはまず見られない文化史的に興味深い特徴ですね。しばし音符になった気持ちで散策。ところどころにある拝所(うがんじゅ)が、久高島に向いているのは要注意。(後述)
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 すぐ近くにある約280年前の富農の屋敷旧中村家住宅も拝見。重厚な赤瓦の屋根、石壁、シーサー、ヒンプン(入口前にある魔除けの壁)など、沖縄の住居建築の特徴を全てそなえています。便所の排泄物はフール(豚小屋)に流れ込み豚の餌となる仕組みです。大陸文化の影響でしょう。
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 そして景勝地・万座毛へ。運転手さんにYナンバーの車は米軍関係者だと教わり、行き交う車のプレートをチェックしました。あの車にぶつけられても、何の補償も得られないと慄きながら。さて万座毛に到着したその時、ずどんというにぶい音が… そしてむこうの山に黒煙… 米軍の実弾演習でした。それにしても住宅地を見下ろせる山頂付近ですよ、危険極まりない。
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 そしてサミットが行われたブセナの「万国津梁館」をひやかして、名護にある運転手さん御用達の「宮里そば」で昼食、沖縄そばに舌鼓をうちました。いよいよ山ノ神最大のお目当て「美(ちゅ)ら海水族館」へ。よっぽどジンベイザメに会いたかったようですね、はしゃぎまわっていました。過去に何かあったのかな。私はケッという感じでつきあいましたが、これが意外といける。巨大な水槽の中で悠々と泳ぐジンベイザメとマンタは、圧巻でした。
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 本日の一枚は、中城城です。曲線美に注目してください。
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# by sabasaba13 | 2005-05-26 06:18 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(4):本島(03.8)

 翌日はタクシーを一日借り切って本島北部・中部を徘徊しました。まずは佐喜眞美術館を見学。丸木俊・位里さんの「沖縄戦の図」を委託され、この絵を展示するために佐喜眞道夫さんが建てた個人美術館です。在日米軍と交渉して、奪われた土地の一角を取り戻しつくられたので、普天間基地に食い込むように建っています。沖縄戦の悲惨を描きつくすかのような400×850cmの巨大な絵には圧倒されます。他にもケーテ・コルヴィッツやルオーの作品もありました。ここの屋上からは普天間基地を一望できます。ドーナツのようにまあるい宜野湾市のど真ん中を占める暗黒の空虚のような米軍基地。市街地の中に基地があるという恐るべき現実をまざまざと実感できます。館の前には、佐喜眞家の大きな亀甲墓があります。そして凄まじい騒音をばらまきながら、米軍のヘリコプターが上空を疾駆していきました…
 追記。2005年4月1日、イラクに派遣されたヘリコプター22機が普天間と嘉手納に帰還。ヘリ部隊のイラク派遣から八カ月続いた静かな日々は終わり、街に再び爆音がとどろいたとのことです。その中には04年8月、沖縄国際大学に墜落したCH53D大型輸送ヘリの同型機も含まれています。こうしたニュースをきちっと報道して欲しいですね。
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 そして中城(なかぐすく)城へ。せっかくですので、沖縄の古代・中世史を簡単にまとめてみます。沖縄人のルーツは不明です。おそらく九州・奄美からやってきた人々が沖縄諸島に住みつき、南方から台湾経由でやってきた人々が宮古・八重山諸島に住みついたと考えられます。本土では、約2300年前から稲作が開始されますが(弥生時代)、琉球列島ではその後も漁労と狩猟を主とした採集経済の時代が続きます。12世紀頃になると、沖縄は大きな激動の時代を迎えました。農業の開始、鉄器の使用、そして各地に按司(あじ)と呼ばれる豪族が登場し、グスクという砦をつくって対立を始めたのです。また彼らは海を越えた交易にも力を入れました。14世紀になると按司たちによって北山・中山・南山という大きな3つの勢力圏が生まれます。1368年、モンゴル人の国家である元が滅び、漢族の国家である明が成立しました。明はさっそくアジア各国に使いを送り、服属をうながし、中国を中心としたアジア世界の秩序(冊封関係)を作ろうとしたのです。1372年、この使節が琉球にもやってきました。三山の王は争って明と外交関係を結び、他の勢力を圧倒しようとしたのです。そうした中、中山王を滅ぼし国を乗っ取った尚巴志が勢力を伸ばしました。彼は首府を首里城に移し、北山・南山を次々と滅ぼし、1429年ここに琉球王国が成立しました。これを第1尚氏王朝といいます。しかしこの王朝は、有力な按司たちをおさえられず、1469年に滅亡。そして有力な按司である金丸が王位につき、尚円となのります。これが第2尚氏王朝です。以後14~15世紀にかけて、琉球は繁栄し「黄金時代」を迎えることとなります。
 なぜ琉球王国は繁栄したのか? この当時の中国(明)製品は、アジアの人々にとって非常に魅力的なものでした。(ex.陶磁器・絹織物…) しかし明は倭寇といった海賊に中国が荒らされるのを恐れ、厳しい貿易制限策を行ないます。中国と冊封関係を結んだ国としか貿易を許さず、また中国人が海外へ行って貿易をするのも禁止します[=海禁政策]。よってみんなが欲しがる中国製品を、正式なル-トで大量に手に入れることができる国が東アジア貿易を制覇するチャンスが生まれたのです。それが琉球王国でした。琉球は中国によって最も優遇された国で、その進貢の回数は群を抜いています。[明の時代(1368~1644)に171回!] そして琉球は、大量の中国製品を持ち帰り、それを東南アジア・日本・朝鮮で売りさばき、帰りにその国の特産物を船に満載して、琉球の特産物とともに中国で売りさばき、莫大な富を得たのでした。
 というわけで琉球王国は中継貿易により東アジア貿易を制した貿易立国でした。しかし16世紀に入ると、この繁栄にかげりが出てきます。まず明が弱体化し、中国商人が密貿易を活発に行ない始めたこと、そしてポルトガル・スペインが東アジアに進出し琉球にかわって中継貿易を始めたこと、そして日本商人もこの貿易に積極的に加わったことがその理由です。これにより琉球王国の東アジア貿易における独占的地位は、崩壊することになりました。
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 本日の一枚は、佐喜眞美術館屋上から見た普天間基地です。
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# by sabasaba13 | 2005-05-25 06:15 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(3):那覇(03.8)

 儀保駅から沖縄唯一の鉄道「ゆいレール」に乗りました。いやあああ、おじい・おばあでいっぱい。あとで地元の方からきいたら、沖縄各地の町内会がツァーを組んで乗りにきているそうです。そして国際通り・牧志公設市場を散策。後者は、沖縄で大好きな場所のひとつです。ある沖縄の方が、「沖縄に来て是非見て欲しいものは二つ、県立博物館と牧志公設市場。時間がなくて一つだったら牧志公設市場。」と言われておりました。迷宮のように道が入り組み、現代美術のように商品が積み上げられ、南国の食材があふれ、元気な女性が楽しく忙しそうに働く、本当に楽しくて魅力的な場所です。第一市場では、一階の店で買った魚を、二階の食堂で調理して食べさせてくれます。イラブー(海蛇)の燻製も調理してくれるのかな。いつも気になるのですが、棒状ととぐろ状の二種類があるのですね。ある本で読んだのですが、客に求められた品物がないと隣の店の方が「これを売りなさい」と渡してくれるそうです。競争原理ではなくて共同原理が息づいているのですね。敗戦の衝撃で打ちひしがれていた男性を尻目に、女性たちが元気に働きはじめた闇市がその嚆矢だそうです。すぐ近くにある、猫がいっぱいたむろしている希望ヶ丘公園をふらついて、飲み屋で夕食。頭から尻尾の先まで丸ごとかじれるグルクン(沖縄の県魚?)のから揚げを賞味。これは美味でしたね。
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 今回は時間がなくて行けませんでしたが、すぐ裏手にある壺屋も趣がある町並みです。焼き物(ヤチムン)が好きな方は、建ち並ぶ壺屋焼の店にはまって抜けられなくなるでしょう。

 本日の一枚は、以前に撮影した壺屋の写真です。
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# by sabasaba13 | 2005-05-24 21:01 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(2):那覇(03.8)

 金城町の五百年の風説と戦乱に耐えた見事な石畳には、何時来ても唸ってしまいます。今回は石畳についての解説板を発見しました。
石畳に落ちた雨水は特別に加工された土床により、吸水、浸透、ろ過される。また瓦れき、砂利等を敷くことにより、スーフカと称する用水講(ママ)へ注がれ、任意の村井(ムラガー=共同井戸)へと誘導される。島国で限りある小数の(ママ)可働力のみで、長い年月を費やし、失敗を繰り返し、血のにじむ苦労を重ね、遂に命の水を口にした。辻々の村井はすべて豊富な水で潤った。
 石畳が神々しく見えてきて、踏むをためらってしまいます。
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 すぐ脇に入ると、これも後光を放つような、戦災に焼け残った大アカギの群落があります。とても街中とは思えない森閑とした静謐な空間に林立する大アカギ。拝所があるので、御嶽(後述)として日常の信仰の対象になっているようです。巨木信仰を実感できる異空間です。歩いて儀保駅へ向かう途中で安谷川嶽(アダニガーウタキ)を発見。以下、スーパー・ニッポニカからの引用です。
御嶽(うたき)。奄美諸島と沖縄で、神社に相当する聖地をいう。森あるいはオガミともいう。たいていは樹叢をなし、本殿にあたる神聖な部分をイベ、ウブなどといい、樹木や岩石を祀る。礼拝や祭儀は、その前方の拝殿にあたる場所で行う。
 いろいろな姿の御嶽を拝見するのも、沖縄旅行の楽しみの一つ。植物に神を感じ、畏敬の念をもつというのは、我々が忘れてしまった幾多の感性の中で最も重要なものの一つだと思います。この御嶽は、アーチ門と石畳がある立派なものでした。
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 本日の一枚は、金城町の石畳。どうしてもこのアングルになってしまいます。
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# by sabasaba13 | 2005-05-23 06:12 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(1):那覇(03.8)

 二年前に山ノ神同伴で沖縄本島・宮古島・石垣島を彷徨してきました。台風が心配だったのですが、そこは小生の日頃の行いと、山ノ神の愛の力で見事でっくわさずにすみました。必ず最後に愛は勝つ!?
 お昼頃、那覇空港に到着。空港に着陸する際の超低空飛行にはいつもヒヤヒヤします。米軍が管制権を握っているためですね。低空飛行で着陸するのは大変難しい技術がいるときいたことがありますが、米軍が民間機にこうした危険を強いているという事実は銘肝しましょう。ホテルに荷物を置いて短パンに着替え、「かねひで」というとんでもない安売りの地元スーパーでサンピン茶とウコン茶(後者はとてつもなくまずいので要注意!)を仕入れてまずは県立博物館へ行き、沖縄の歴史と文化と自然を勉強しました。ソテツの実がもりもりと実っているところを初めて見ることができました。第一次大戦後の不況で砂糖相場が暴落し、飢えをしのぐために猛毒のソテツを食べ死亡する者も多かったという「ソテツ地獄」という話があります。この実なのか。そして龍潭(首里城付属の池)・弁財堂をめぐって首里城へ。
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 守礼門、第三十二軍司令部本部壕を見物して、歴代琉球王家の墓である玉陵(たまうどぅん)へ。琉球の石造文化には圧倒されますね。そして沖縄戦で殺された一中健児之塔へ。「非戦闘員であるべき学業年端もゆかぬ二百有余の学徒兵は、いまだかたい蕾のまま散華した」という碑文に胸がきしみます。
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 本日の一枚は玉陵です。芸術的な石組みでした。
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# by sabasaba13 | 2005-05-22 07:35 | 沖縄 | Comments(0)

「のだめカンタービレ」

 「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子 講談社)が面白いですね。初めて本屋の店頭で見た時、楽器を弾く美少女の表紙から「のためのカンタービレ」というタイトルだと勝手に思い込んでしまいました。何だ、惚れた腫れたのクラシック+恋愛マンガかとたかをくくっていたのですが、ある日、「のだめ」とは主人公の名前、野田恵を略したものだと発見。普通、ヒロインのニックネームに「のだめ」などとつけませんよね。これは何かありそうと早速購入。現在も愛読しています。指揮者をめざす千秋真一と、ピアニストだか保育園の先生だか千秋の嫁さんだか何をめざしているのかよくわからない野田恵を主人公とするマンガです。とにかくアクの強い個性的な登場人物が目白押し。派手好き目立ちたがりの峰竜太郎、古武士のような黒木康則、千秋に恋する山形出身で凝り性な奥山真澄、女癖の悪い菊池亨、そしてほとんど性格が破綻している世界的名指揮者フランツ・フォン・シュトレーゼマン(偽名ミルヒ・ホルスタイン)… もうバルザックの世界ですね。真面目さと不真面目さの絶妙なバランスが、お見事です。
 そして作者の描写力の確かさには感服します。マンガで楽器を描くのは、非常に難しいと思います。これまでバイオリンやトランペットの曲線をまともに描いたマンガにはお目にかかったことはないのですが、氏はそれを楽々とリアルに表現してしまいます。これは凄いことです。
 音楽マンガの傑作といえば、「わずか1小節のラララ」「いつもポケットにショパン」(くらもちふさこ)、「Blow up !」(細野不二彦)、「Go ahead !」(江口寿史)などが思い出されますが、その殿堂に加えましょう。
 疑問が一つ。千秋真一のパリでのデビュー・コンサートで、なぜシベリウスの交響曲第二番を選んだのか。次巻で明らかにされるかな。私は、二番よりも五番と六番の方が好きなのですが。
# by sabasaba13 | 2005-05-21 21:15 | | Comments(0)

『「日本株式会社」を創った男 宮崎正義の生涯』

 『「日本株式会社」を創った男 宮崎正義の生涯』(小林英夫 小学館)読了。敗戦後の経済成長を推し進めた日本型経営システムの見直しが叫ばれています。資本と経営の分離、日銀による資金統制、企業別労働組合と労使協調、企業活動全体に対する官僚の指導などがその内容ですね。ムードに踊らされてこうしたシステムを一挙に葬り去ると、グローバリゼーションの餌食にされてしまうので慎重に考え行動した方がよいと思いますけれど。
 それでは、いつ、誰が、なんのために、こうしたシステムをつくりあげたのか。これについては、野口悠紀雄氏が「1940年体制」論を唱えて、太平洋戦争直前の国家総動員体制にその端緒があると述べられています。しかしこの本は射程をさらにのばし、「満州国」にそのルーツがあると主張しています。そのキー・パーソンが、満鉄調査課ロシア班に所属した宮崎正義(1893~1954)です。彼はロシア留学中にロシア革命を経験し、その後のソ連の国家統制経済による急速な重工業化を研究します。そして石原莞爾との出会い。日米による世界最終戦争を主張する彼は、そのために国家統制による重工業化が必要と考え、日本経済と「満州国」経済を有機的に連携させようとします。そのブレーンとして宮崎に眼をつけたわけですね。以後、この二人が中心となって日満財政経済研究会を組織し、ソ連をまねた「生産力拡充五ヵ年計画」として結実します。石原はその準備期間として10年(20年説もあり)必要と考え、この間一切の戦争をすべきではないと主張します。しかし日中戦争の勃発(1937)とその泥沼化により、石原と宮崎の計画は完全に破綻してしまいます。これ以後は二人とも歴史の舞台から消えていきます。そして生産力拡充ではなく、戦争遂行のための官僚による経済統制がはじまっていきます。これが「1940年体制」ですね。ここから主役は岸信介を中心とする新官僚へと代わっていきます。そして敗戦後も…
 国家による経済統制という緻密なプランをねりあげる思考力、それを実現するための行動力、凄い人物だなと思いました。しかし敗戦後、彼はこう言っています。「願う処は将来世界平和の一つの支柱たり得るほど日本が正しく成長することである」(1947) 彼にとって重要なのは生産力をシステマティックに拡充することだけであって、その目的は戦争から平和に簡単にシフトできる程度のものだという印象を強烈に受けます。いかにして効率的・合理的に目的地に着くかを考えるのが技術、どこを目的地にするかを考えるのが教養だとすると、彼は典型的なテクノクラートなのですね。石原莞爾を含め、教養を欠く優秀な官僚が日本の近現代史をひっぱってきたのだなあという思いを禁じ得ません。
 もう一つ気になったこと。宮崎や石原は、当時の資本主義の腐敗・堕落の原因は「大株主のその場主義的我利の横暴」(p.104)であると批判します。だから経営者と官僚が主導権を握るべきだという考えです。そして今、グローバリゼーションがめざしているものは、まごうことなく「大株主のその場主義的我利」なのですね。歴史は進歩していないということを痛感します。
# by sabasaba13 | 2005-05-20 06:13 | | Comments(0)

椿姫

 フェニーチェ歌劇場による「椿姫」(ヴェルディ)を東京文化会館で観て聴いてきました。熱心かつ良きファンとはお世辞にも言えないのですが、オペラは好きです。日常の空間・時間から完全に切り離されて五感を堪能できるのがいいですね。軽くカフェで食事をして、観劇し、終わったら鰻でも食しながら感想を語り合う、なんてえのが理想なのですが仕事もありなかなかそううまくはいきません。ロビーでコンビニのサンドイッチをぱくついている人々の姿は物悲しい…
 さてこのオペラは19世紀中頃を舞台にした高級娼婦の愛と悲劇の物語です。原作はアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)、主人公が白い椿しか好まないところから「椿姫」と呼ばれていたのですね。オペラの題名「ラ・トラヴィアータ」は、「道を踏み外した女」という意味で、第3幕でヒロインが自らをそう呼ぶことから付けられました。1845年頃のパリが舞台とされていますが、この時代設定が大変興味深いです。1830年の諸革命(ex.フランス7月革命)以後、ヨーロッパの社会・経済が加速度的に大きく変化した時代です。簡単に言うと、銀行家、大産業家といったブルジョワジーたちが支配階級となり、立憲君主のもと、財産・教育による資格制限で、民主主義に対して防衛された自由主義制度がねづいていった時代です。歴史学者のホブズボームは「市民革命と産業革命」(岩波書店)の中でこう述べています。
 ブルジョワ世界は無情にも、人間を、かれの『自然的な優越者』に結びつけている、雑多な封建的絆をたちきったし、またむきだしの利己心以外に、すなわちつめたい『現金勘定』以外に、人間と人間をつなぐものをなにものこさなかった。それは、宗教的熱情や騎士の情熱や無教養な感傷主義というもっとも神聖な感情を、利己的な計算というつめたい水のなかで溺死させてしまった。それは人間の価値を、交換価値にかえてしまった。
 つまり交換価値=金がすべてを牛耳るという、人類が始めて経験する社会がヨーロッパで現れたわけです。当時の人々は、さぞ戸惑い、喜び、怒り、悲しみ、そして金によって手に入れられるようになった前代未聞の快楽にふけったことでしょう。
 そういう意味で、今回の演出のポイントは「金」だと思いました。暗い短調の前奏曲とともに男たちが次々と現れ、娼婦然として中央に座っている主人公ヴィオレッタに金を渡していくシーン。第二幕の郊外の場面では、木立を背景に、木の葉ではなく紙幣がハラハラと常時舞い落ちてきます。第二場では舞い落ちた大量の紙幣をそのままにして、パーティーのセットがつくられます。そして登場人物たちは金を踏み歩きながら、劇が進行していきます。「金は人間と人間との関係を破壊する」という、このオペラのテーマをよく表現していると思います。
 衝撃的だったのがラスト・シーン。「生きられる、うれしい」と言ってヴィオレッタが死んだ劇的な瞬間の直後に、いきなり引越し屋のような男たちがドヤドヤと入ってきて煙草を吸いながらどんどん部屋を片付けていったのです。まるで「あなたたちも、このホールを出たらすぐこの話を忘れてしまうのだろう」と言われたような気がしました。
 
# by sabasaba13 | 2005-05-19 06:14 | 音楽 | Comments(2)