京都編(3)(04.12)

 予報通り本日は晴れ後曇り。自転車をデリバリーしてもらい、出発です。ホテル近くにある地元密着型喫茶店「アマゾン」で美味しいモーニング・サービスをいただき、めざすは大徳寺。東本願寺脇を走り、京都で一番長い通りである油小路通りを、町屋を堪能しながら延々と北上。途中で植柳小学校の二宮金次郎像、女体のレリーフが壁面を覆う西陣電話局、本阿弥光悦屋敷跡をゲットしました。それにしても街中の消火器・消化バケツの多さにはいつも驚きます。火事の恐ろしさを骨の髄まで知っている街なのですね。
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 まずは大徳寺塔頭の龍源院へ。四つの個性あふれるお庭が見られ、おまけに喫煙所もある素晴らしいお寺さんです。
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 そして瑞峯院、ここのお寺さんにもいいお庭があります。たしか重森三玲(しげもり・みれい)の作です。そういえば彼はイサム・ノグチと親交があったように記憶しています、この庭とモエレ沼公園とどこかでつながっているのかもしれません。
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 次は小生が大好きな高桐院を見物。いつもいつも惚れ惚れしてしまうのは、入口から本道へと至るアプローチです。わずかな距離なのにあえて曲がり角を設けて変化をつけ、リズミカルな敷石や植え込みで視線を魅了してくれます。もちろん灯篭と数本のもみじだけで構成されているシンプルなお庭も大好きです。ぜったい紅葉の季節に来るぞ、っと何回かめの誓いをたてました。
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 大仙院は相変わらず商売っ気たっぷりで脂ぎっています。「今ここで頑張らずにいつ頑張る」という力みかえった横看板に圧倒されました。隣りにある今宮神社で軽く感じると願いが叶うという「阿呆賢さん」という石を持ち上げ、あまりの重さに三歩歩めず。残念ながら名物あぶり餅は休店でした。
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 そして船岡山に登って眺望を楽しみ、脱衣場に「爆弾三勇士」の浮彫りがあるという伝説の銭湯、船岡温泉の外観を見物しました。
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 次は千本ゑんま堂(引接寺)へ。本日の一推しはここですよ、ここ。眼光鋭い閻魔像もさることながら、みんなの願いを何でもまとめて叶えてあげまっせえ、という雰囲気がムンムン充満しています。一見の価値あり。幼い少女が駆け寄って一心不乱に祈っていた姿に、信仰の原型を感じました。さて昼食は湯豆腐「わら」にしようと意気込んで行ったら、臨時休業。ふと目に入った看板のネギ焼きという言葉につられ、お好み焼き「きたいち」に入りました。香り高い九条ネギをふんだんに入れた絶品の味。旦那と女将の掛け合いも面白いし、再訪を期す。
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 次は釘抜きさん(石像寺)です。ここも庶民の祈りで支えられているお寺さんで、願いが叶えられた時に奉納する釘抜きと釘がお堂の壁面を埋め尽くしている様は圧巻。境内に張り出してある奉納金も、ほとんどが千円なのもいいですね。裏には弘法大師の井戸があります。
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 北野天満宮・平野神社・大将軍八神社・だるま寺(法輪寺)をひやかし、山中油店でごま油を購入。落花生油も舐めさせてもらいましたが、ほんとに胡麻と落花生の味がするのに感動。化け猫の気持ちがわかりましたね。
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 そして大サカキが睥睨する浄福寺、諸神諸仏と桜が境内を埋め尽くす雨宝院、晴明人気でブレイクし様変わりした晴明神社、一条戻橋、伊藤仁斎古義堂跡、京都ハリストス正教会を見物。
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 日暮れも近くなるとさすがに冷えてきました。ペダルをこいでいると、後ろから何か呟き声が聞こえてきます。「寒い… 寒い… ぜんざい食べたい… 寒い…」 すわっ、これは危険信号、山ノ神が瀕死の状態です。「ごま油を舐める?」と聞いたら、「あたしはろくろ首ではない」と切り返されるのは目に見えているので、とりあえず大急ぎでホテルへ。「わらじや」のうぞうすい(鰻の雑炊)を奉納して、事なきを得ました。
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 本日の一枚は、大徳寺高桐院です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-13 07:50 | 京都 | Comments(0)

京都編(2)(04.12)

 本日は予報通り雨。晴れの日を自転車による京都散策にあてる決意を固めたので、電車・自動車による移動が中心となる天橋立観光に決定。基本中の基本、日本三景の中で、小生も山ノ神も未踏の地なんです。特急「まいづる」に揺られて約一時間半、西舞鶴に到着。途中の綾部あたりで雪が降り始めたのにはびびりましたが、小雨模様ですんだので一安心。駅前の喫茶店でモーニング・サービスを食し、レンタカーを借りました。伊藤麻衣子を万力で縦に12cmほどつぶしたようなキュートな女性が懇切丁寧に応対してくれて助かりました。さっそく天橋立へ向かい出発。途中に「山椒大夫屋敷跡」という眉唾ものの物件もありました。約40分で到着、さっそく南側の飛龍観にリフトで登り、天橋立を堪能。リフトで下ると、何とおひいさんが顔をのぞかせはじめました。さっそく自転車を借り、天橋立を往復。そして車で北側に移動し、ケーブルカーに乗って傘松公園へ。先程とは違った角度で天橋立を一望できます。もちろん股のぞきもしましたよ。さて小腹がへったので展望食堂でうどんを食べていると、突然のじゃじゃ降り。食べ終わり外に出ると、またおひいさんが今日は。いやあ強運ですね、さすが神様同伴。
 さて、カニを食うならそろそろ舞鶴に戻る時間だし、伊根という漁村にも行きたいし、迷うところです。おそるおそる山ノ神にお伺いをたてると、「カニはいつでも食べられる。見るべきものを見るべし」という有難い御託宣をいただきました。海沿いの快適な道を、丹後半島に沿って北上。運転している山ノ神も「時速70kmだ。身の程を知れ。はい。」と同じ声で腹話術をしながら、ご機嫌の様子です。約30分で伊根に到着。ここは舟屋という海に張り出した家々が建ち並んでいます。一階が船着場兼舟の倉庫、二階が住居という造りになっていて見事な景観。鏡のような湾と、飛び交う海鳥と、湾に沿って連なる舟屋。「よそさん」の勝手な願いですが、いつまでも変わらずにいてほしい場所です。街並みを散策していると突然野猿が現れたのにはビックリしましたけれど。後ろ髪を引かれるように車に乗り込むと、またじゃじゃ降り。山ノ神の背後に後光だかオーラだか天使の輪だかが輝いているようでした。途中にある「とれとれ市場」で寿司を買い、車を返却して特急で帰京。
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 本日の二枚は、天橋立と伊根です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-12 19:40 | 京都 | Comments(0)

京都編(1)(04.12)

 どうも一年に一度は上洛しないと気がすまないたちで、昨年末に京都に行ってきました。今回は、京都に関する興味深いエッセイを数多く著している入江敦彦氏の「秘密の京都 京都人だけの散歩術」(新潮社)を参考にして、ツーリストが普通行かない所を重点的に徘徊しようと思います。あと未踏の地、天橋立にも行く予定。天候が不安定だという予報なのですが、山ノ神同伴なので何とかなるでしょう。ほな、いってみよか。

 予報通り、晴れ時々曇りの天気。「京都見聞録」という貸し自転車屋に、ホテルまで自転車を届けてもらい出発です。お隣の養源院のお庭に挨拶し、もしや紅葉が残っているのではと淡い期待を胸に東福寺へ。途中の今熊野商店街にある「ゲベッケン」というパン屋でモーニング・サービスをいただきました。焼きたてパン二個+珈琲飲み放題、満足満足。さすがに紅葉は終わっていましたが、緋毛氈を敷き詰めたような散り紅葉が素晴らしい。そして川端通りを北上し、加藤順漬物店で年賀を送りまくり、出町柳へ。下鴨神社の糺の森を散策しました。都市のど真ん中に残っている原生林ということで、世界遺産に選ばれたとか。ところどころに見事な紅葉が見られるのには驚愕。もう年末だというのに… 賀茂川を渡って枡形(出町)商店街へ。錦市場も結構ですが、こうした地域に密着した商店街もいいですね。おばさんの波をかきわけながら、店頭で売られているものを物色。九条ネギが美味しそう、必ずネギ焼きを食うぞと心に誓いました。どんつきにある蕎麦屋で鴨南蛮とニシンそばをいただき、さらに北上。
 桓武天皇に無実の罪をきせられ非業の死をとげた早良親王を祀る上御霊神社を拝見しました。ここは応仁の乱勃発の地でもあります。人気のない森閑とした境内はただならぬ気配を感じさせます。「怨念がおんねん!」と薄ら寒いギャグをとばしても、虚しく空に吸い込まれていくだけでした。次は天寧寺。比叡山が借景となる額縁門が有名なのですが、残念ながら修復中。裏手の墓地に近藤勇の墓があると、今知りました。付近にあった地蔵の石仏を集めた上善寺を訪れ、再び賀茂川を渡って上賀茂神社へ。ここの神官たちが住んでいた家々が明神川に建ち並ぶ「社家町」もいい雰囲気ですね。この辺は、すぐきの産地でもあります。さて東へ向かい、山の麓にひっそりと佇む大田神社によって、深泥池(みぞろがいけ)へ。氷河期以来の動植物が今も生き続ける貴重な池なのですが、京都有数の心霊スポットとして有名ですね。安藤忠雄設計の「陶板名画の庭」を見たかったのですが、残念ながら休館。
 そして本日のメイン・ディッシュ、大文字山へ。大文字送り火まで登るハイキング・コースがあり、そこからの眺望は絶景との情報を信じましょう。銀閣寺門前の左手奥に自転車を置き、案内表示に従って登攀開始。木々の間を抜けて急な山道・石段を登ること約三十分、突然視界が開け大文字に到着。…………… すごい 京都の全貌が眼下に一望できる最高のビュー・ポイントです。「京都はあたしのものよ! オーホホホホホホホ」という気持ちになります。ほんっとに凄いですよ、ここは。はるか大阪の高層ビル群まで見通せました。はあ 心の底からお勧めします。リフトもあるのですが、多分お盆の時期のみの運行で焚き木しか乗せてくれないと思います。再び自転車に乗り、吉田神社の参道を西へ走り京都大学の脇を走り抜け、洋食屋「金平」へ。タンシチュー、カキフライ、カニコロッケをガツガツと瞬時にたいらげてしまいました。そしてホテルに到着。電話をして自転車を引き取ってもらいました。一日1500円、午後八時まで使用可、宿へのデリバリー・サービス、きちっと整備された自転車、この店はいいですね。「京都見聞録」090-7117-0410、お勧めです。後日ある方から、将軍塚からの眺望も素晴らしく、「京都も琵琶湖もわしのものじゃ、ガーハハハハハハハ」という気持ちになるそうです。夜に行ったことはあるのですが、昼は未見。うし、今度行ってみよう。
 デジカメの調子が悪かったので、残念ながら本日撮った写真はすべておしゃか。以前に撮影した金平のタンシチューをのせておきます。ほんっとに美味しいですよ。
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# by sabasaba13 | 2005-02-11 08:31 | 京都 | Comments(0)

山陽編(5):下津井~岡山(04.10)

 最終日ぐらいは落ち着いた上品な旅にしましょう。電車・タクシーを乗り継いで鷲羽山に行き、多島海と瀬戸大橋の絶景を堪能、下津井までのバスを待っていると… 来ない。係の方曰く「きまぐれやからのう」。おいおいそういう問題か、下電バス! しょうがなく徒歩で移動。途中に「笑う観光船」という看板があり、面白そうだと乗場に行ったら5分前に出航したばかり。
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 やれやれ、とぼとぼと歩いて下津井に着くと、おっなかなかおつな漁村です。なまこ壁、白漆喰、虫籠窓の重厚な建物がそこはかとなく点在、そして表面を焼いて炭状にした焼き板を家の壁にしているのが見所。腐敗防止のためでしょう、漆喰の白色とマッチしています。「観光客を誘き寄せよう」という姿勢がないのがいいですね。観光情報センターとして、古い商屋を利用した「むかし下津井回船問屋」が置かれていますが、このやり方もgood。展示室を見て分かったのですが、ここは北前船が蝦夷地から運んできた肥料に使うニシンを陸揚げしていた集散地だったのです。北前船の寄港地である函館、酒田、伏木、輪島、敦賀、境、竹原、尾道といった地名を見ると、かつて訪れた時の情景が走馬灯のように脳裏に浮かびます。いつか船をチャーターして北前船の航路めぐりをしてみたいな。ワクワクしませんか?
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 展示を見ていると、1990年に廃線となった下津井電鉄が「風の道」として整備されていて、児島まで歩いていけるらしい。未整備のワイルドな廃線跡を行くガッツはありませんが、一応「廃線」と聞くと血沸き肉踊るようになりました。大変歩きやすい土の道で、ところどころにナローゲージの架線柱やホームの残骸が残っています。電車になった気分で、海を見下ろしながら山の稜線に沿い、市街地を抜けて約6kmを歩破。JR児島駅まで歩いていく途中に、何やら大きな吊り橋が見えてきます。はてこんなところに…と不審に思い近づくと、歩道橋! 車もほとんど走っていないので、道路の真ん中で堂々と撮影しましたが、無駄な公共事業の典型例ですね。開き直りさえ感じます。
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 岡山へ戻る電車の中で作戦会議。天使「せっかくだから閑谷学校(江戸時代に岡山藩が民衆のためにつくった学校)に行きましょうよ」悪魔「だめだよ、飛行機に乗り遅れるよ」天使「弱気ねえ」わが心の内なるレッド・シューズ・ドゥーガン(古いなあ)は、悪魔の右手を上げました。岡山駅から路面電車に乗って、岡山城、そして後楽園へ到着。やはり基礎・基本が大事。今回の徘徊で、三名園と三名橋を仕上げることができました。それにしても路面電車を見ると、human scaleの街なんだなあという印象を受けてホッとしませんか。路面電車めぐりにはまりそうな♪恋の予感♪がします。札幌・函館・東京・江ノ島・豊橋・岐阜・富山・福井・大津・高岡・京都・堺・岡山・広島・松山・高知・福岡・長崎・熊本・鹿児島が、現在もゴトゴト路面電車が元気に走っている街です。
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 後楽園は池泉回遊式庭園で、築山、流れ、茶亭、石組などが美しく構成された変化の多い大名庭園です。広大な芝生と点在する梅林・桜林が大雑把すぎるかなと思いますが、芝生を縫ってたおやかに流れる水の流れはいいですね。ねころがって、しばしの昼寝を楽しみました。ZZZZZZ… 園内には、かつて岡山に留学していた郭沫若の詩碑がありました。
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 夢二郷土美術館に寄って、県立美術館へ。岡山出身の国吉康雄の作品が展示されておりました。この画家も気になりますね。
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 そして岡山空港から、空路帰郷。そういえば基本中の基本、日本三景の天橋立に行ったことがないなあ、などと思案にふけりつつ、窓は夜露に濡れていきました。

 本日の一枚は後楽園です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-10 18:51 | 山陽 | Comments(4)

山陽編(4):尾道~しまなみ海道(04.10)

 さあいよいよ自転車による瀬戸内海縦断を決行する日です。午前中に尾道市内を見学し、昼頃出発と計画していたのですが、嫌な予感がしたので、貸出所が開く9:00出発に変更。それまで散歩がてら尾道城まで往復、坂の街を実感しました。林芙美子の銅像を愛でた後、「LOS」という喫茶店でモーニング・サービスをいただきました。
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 この店は白木の壁に落書OK、いくつか紹介します。[]内は小生のコメント。『尾道はインドのベナレスに似ている』[?]『意外とうまかったこの店(この店を食べたんじゃないよ)』[わかっとるわ]『尾道でチャーハン食べるパリジェンヌ』[ロートレアモンの詩のようだ]『尾道のネコは足が強くて毛並みがよい そしてバイクにびびる』[バイクに立ち向かう猫がいるか!] そういえば先程の散歩の最中、ドンッという音がしたので振り向くと、猫がポリバケツに飛び降りて、直角方向にクイック・ターンをして坂道をかけおりていったところでした。成程、坂道が多いからなあ、猫の足腰も強くなるか。
 そして自転車を借りて出発しました。まずは船を接岸しやすいように、階段状となっている雁木を見学。尾道大橋は歩道が狭く危険なので向島まではフェリーで渡ります。車の通行の多い「しまなみ海道」を避けて、サイクリングコースを設定してあるので快適に走れます。これなら楽勝。
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 そして因島に渡る因島大橋が見えてくると、ある衝撃的な事実にハタと気づきました。瀬戸内海は船の通航量が多い→橋桁が低いとぶつかる→よって橋桁が高い ハアハア喘ぎながら橋にたどりついて、一服。潔く撤退して、尾道の猫とのんびり戯れるか。いや簡単に諦めたらクセになる、決行。因島で可愛らしい潮流信号所と大浜埼灯台に寄った後は、ひたすらペダルをこぎました。上りの時は「来るんじゃなかった」と弱音を吐き、下りの時は「来て良かった」と口笛を吹きながら、因島→生口橋→生口島→多々羅大橋→大三島→大三島橋→伯方島→伯方・大島大橋→大島→来島海峡大橋→糸山サイクリング・ターミナルと走破しました。走行距離約80km、走行時間約7時間、総費用1500円。辛い時、苦しい時、悲しい時、きっと私はこう呟くでしょう。「俺は瀬戸内海を自転車で縦断した男だ」 それがどうしたと言われれば、身も蓋もありませんが…
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 ターミナルで自転車を乗り捨て、バスで今治駅まで行き、そうだここは四国だと気づいて美味しいうどんを食し、しまなみ海道を走るバスで尾道に戻り、宿泊地岡山へ。結局、尾道散策はできませんでした。それにしても、この本四架橋は無駄な公共事業だと痛感しましたね。通行料が高いためでしょう、とにかく通行量が少ない。記念にガラガラの橋を撮影しておこうとカメラを構えたら、40秒ほど待つとすぐ撮れました。二つ掘ったトンネルのうち片方は使用していなかったり、「料金は橋の半額 シャトル・フェリー」という看板があったり。自転車も50円または100円の通行料を取られるのですが、賽銭箱みたいなボックスに投げ込むだけ、勿論係もいません。(あっ無論ちゃんと払いましたよ)
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 本日の二枚は、因島の大浜埼灯台と潮流信号所です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-09 17:07 | 山陽 | Comments(0)

山陽編(3):呉~大久野島~竹原(04.10)

 前中は軍港・呉を歩くつもりです。さっそく朝八時頃観光案内所に行くと、ぬぅぅわんと10:00開店。置いてあるパンフレットには地図が載ってない。貸し自転車がないのはいいとして、これは許せぬ所業。「さえりゃーせん」と捨て台詞をはいて、大久野島に行き、午後は尾道を散策しようかとロッテリアでハンバーガーを食べながら考えているうちに、ゴルゴ13のように冷静になれました。位置的にいって、呉は旅程に入れにくい、もう二度と来ないかもしれない… というわけで、思い直しました。コンビニエンス・ストアで呉市地図を購入するという裏技を使い、散歩開始。幸い快晴で気持ちのよい散策ができました。港を一望できる「歴史の見える丘」に行き、正岡子規と反戦歌人渡辺直己の歌碑を拝見。眼下には石川島播磨重工業の巨大なドックと工場群が、有無を言わさぬ迫力で広がっています。戦争と企業の結びつきを体で実感できました。
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 海上自衛隊の基地と煉瓦倉庫群が見える「アレイからすこじま」に行くと、潜水艦が曳航されてくるところでした。そして多数の軍艦と、在日米軍弾薬廠。コーネル大学のマーク・セルデン教授はテロを以下のように定義しています。「一九四九年のジュネーヴ協定をもとに、私はテロリズムを一般市民および彼ら/彼女らを支える環境に対して暴力ないし威嚇を組織的に使用すること、と定義する。」そうすると米軍が行ってきた/行っている行為はテロリズムです。詳細は「アメリカの国家犯罪全書」[ウィリアム・ブルム著 作品社]を参照してください。(ちなみにアメリカ政府は、テロリズムの正式な定義を示していないとのこと。そりゃできないよね。)すると「テロリストを支援する者もテロリスト」というブッシュ大統領の論理に従えば… 慄然とします。なお旧日本軍の魚雷用クレーンという珍しい物件もありました。
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 そしてバスに乗り、呉と倉橋島に挟まれた音戸の瀬戸へ。音戸の瀬戸は、平清盛が沈む夕日を扇で招き返して一日で開削したという伝説があります。さっそく日本で一番短い定期航路「音戸の渡し船」に乗船し向こう岸へ。桟橋に立っていると対岸から迎えに来てくれるという心温まるシステムです。料金は70円。清盛塚を見て、また渡し船で戻り、高台にある公園へ。瀬戸と大橋と渡し船と多島海を一望できる、素晴らしいビュー・ポイントです。
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 バスで呉市内に戻り、入船山公園にある旧呉鎮守府長官官舎を見物。金唐紙を使用した珍しい洋館です。戦艦陸奥のスクリューや大時計などもありました。
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 さて歩いて呉駅に行き、呉線で忠海(ただのうみ)まで移動。ここから今回のメイン・ イベント大久野島までフェリーで渡ります。15分ほどで到着すると、無料の送迎バスが国民休暇村まで連れて行ってくれます。 周囲約4kmの小さな島ですが、日本陸軍の毒ガス工場として、東京第二陸軍造兵廠忠海製造所が昭和4年に設置され、 昭和20年終戦後米軍により破壊されました。この工場は、各種の毒ガスや信号筒風船爆弾が製造されましたが、 イペリットの生産に重点がおかれていたとのことです。まずフロントで自転車を借り、レストランで冷凍のミックス・ ピザを食べながら案内を呼んでいると、うさぎの餌を売っていると書いてあります。実は実験用のうさぎが野生化したのですね。 さっそく購入すると、皮製の分厚い手袋も貸してくれました。オーバーだなあと思いつつ受け取り、自転車にまたがると、 すぐにうさぎたちが十数羽ワサワサと集まってきました。掌に餌を乗せると、 爪を立ててかぶりついてきます。手袋は必需品だった。 それにしても嬉しい。実は私、うさぎが大好きなもので… 至福の時間を堪能いたしました。
 雲ひとつない快晴、整備されたサイクリング道路、自動車は入島禁止、そして瀬戸内海と島々の見事な眺望。頭の中が真っ白になるくらい気持ちのよい走りでした。途中で頂上にある展望台への登り道がありました。きつそうなので躊躇しましたが、「とりあえず一番高い場所へは登る」という山ノ神の箴言を思い出し、自転車を置いて徒歩で十数分ゼイゼイ言いながら登りました。するとそこは完全に360度のパノラマ、もう絶句。海と空の青、遠近によるグラデーションを楽しめるたくさんの島影、その間を縫うように行き交う船。やはり彼女は正しかった、なぜなら神だから。Q.E.D.
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 そして圧巻は、島のあちこちに廃墟と化して残る貯蔵庫、発電所、研究所、砲台といった毒ガス関連の施設です。この島で何が行われていたかを物語る無言の証人ですね。その圧倒的な存在感と虚無感には胸を打たれます。人間の愚劣さを巨大な造形にしたモュメント。崩壊寸前で危険なのでしょう、すべて環境省による立入禁止の柵と看板があるのですが、実は簡単に入れます。 柵の両サイドが開いていたり、一跨ぎできるタイガーロープが張ってあったり。勿論中に入りました。 これはきっと環境省史跡保存課課長岩田喜三郎氏の考案で、「入ってもいいけど責任は自分で取れよ、 こちらはダメと言ったんだから責任はないぜ」 ということなんでしょう。気に入った。
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 そして毒ガス資料館でこの島の歴史について学んできました。というわけで、 大久野島はお勧めですね。 戦争史跡と廃墟とサイクリングと海と冷凍ピザがお好きな方には、一押しです。今度は休暇村に泊まって、 夕陽を眺めたいな。
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 フェリーで忠海港に戻り、さあどうしよう。宿泊地尾道に直行するか、少し西へ戻って竹原を見てくるか。大久野島のおかげでアドレナリンがビシビシ分泌しているのでしょう、勢いで竹原に寄ってきました。竹原は塩田で栄えた町で、古い町並みが残っているとのこと。保存地区に着くと、午後5時をまわっているのでもう薄暮です。ご当地出身の頼山陽の銅像がお出迎え。無理せず自然体に古い家並みを残してあるのがいいですね。徘徊する観光客はたぶん私一人。じょじょに暮れなずむ街に佇んでいると、濃密な閑けさ・寂しさに包まれます。耳を澄ますと、猫の鳴き声、子供の声、自転車のブレーキの音、一家団欒の声、水の流れる音、腹の虫の鳴く声が微かに聞こえてきます。消防団番所の赤いランプが怪しく輝く。すると近くの駄菓子屋から♪つつがなしや、ともがき… ♪というメロディ。次に♪菜の花畠に入日薄れ…♪が流れたら、もう涙腺が決壊しそうなのであわてて立ち去りました。夕暮れ時に観光地を訪れるというのは、けっこう賢明な選択肢ですね、勉強になりました。
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 駅前の看板に座布団を一枚あげ、そしていざ尾道へ。夕食は「みっちゃん」で尾道風お好み焼きを食しました。客の眼前で味の素をふりかけるのはやめたほうがいいですよ、女将。
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 本日の一枚は大久野島旧発電所です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-08 19:43 | 山陽 | Comments(7)

山陽編(2):山口~岩国(04.10)

 薄曇ですが、本日はまず山口へ。日明貿易により富を得た大内氏により築かれた城下町で、応仁の乱以後京都の文化人・知識人が避難し殷賑を極めた場所です。駅で自転車を借り、県立美術館、サビエル記念聖堂を見物。彼が山口で布教を始めてから400年を記念して作られたものです。
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 旧県庁舎の外観を見てから、瑠璃光寺へ。五重塔と木々が池の面に映り、それを借景となる背後の山々が優しく抱く。いいですね。若山牧水の歌碑と雪舟の銅像がありました。雪舟がこの山裾に「雲谷庵」というアトリエを構えていたそうです。このあたりは香山公園として整備されていて、桂小五郎と西郷隆盛らが討幕の密議を行ったという枕流亭が移築されていました。
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 さらに二十分ほどペダルをこいで常栄寺へ。雪舟が作庭したと伝えられる庭園が残っています。テープによる説明のくどさには辟易しましたが、この庭園は素晴らしい。石組だけで自然を表現するいわゆる枯山水なのですが、様々な形の石と幾何学的な植込みを、芝生の上でバランスよく配置した構成力は卓越したもの。雪舟の手によるものかどうかはさておいて、しばらく佇んでしまいました。「庭は地球の彫刻である」というイサム・ノグチの言葉を思い出します。眼福眼福。
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 そして情緒豊かな一の坂川沿いの遊歩道を快走して湯田温泉へと向かいま、キキーッ 「→亀山湯」という看板を発見。よし寄り道じゃ。直線主体のアール・デコ+インターナショナル様式に瓦屋根がのっかっているのも見物ですが、現役の煉瓦作りの四角い煙突がすごい。韮山の反射炉かと思いました。拳で小さくガッツポーズをつくって撮影。
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 さあ急がな、キキーッ 塀の上で猫が見つめています。山ノ神のコンピュータのスクリーンセーバーに、過去撮影した猫の写真をスライドショーとして設定したらいたくご満悦のようだったので、とりあえず奉納品として撮っておこう。パシャ ちょっと無愛想・不細工な白猫だったけど。15分ほどで湯田温泉に到着、お目当てはご当地出身の中原中也記念館です。学生の頃彼の詩が好きで「サーカス」を暗誦したなあ、なんてあまづっぱい思い出にひたりながら見学。この詩に出てくるサーカスが興行された場所を金沢で見た覚えがあるのですが、年譜を見ると、中也の父は陸軍軍医で彼が5~7歳の頃金沢に赴任していたとのこと、納得。彼の詩の特徴のひとつはオノマトペ(擬声語)なのですが(ex.ゆやーんゆよーんゆやゆよん)、小学校6年の時に書かれた作文を読んでこれも納得しました。「たゞ白雲が綿のやうにプアプアたゞよふて居た」 栴檀は二葉より香し、ですね。
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 山口駅で自転車を返却し、再び新山口へ。徒歩で山頭火の旧居を復元した「其中庵」と、現役で実働している転車台を見物して、山陽本線で岩国へ移動です。
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 防府・柳井に後ろ髪を引かれつつ約2時間で到着、すると小糠雨です。感謝の舞が気に入らなかったのか、猫のせいか、山ノ神の神罰かな。バスに乗ってまずは旧岩国学校(現教育資料館)へ直行。典型的なインク壺型の擬洋風学校建築です。唐突にとってつけたような鐘楼部分がキュート。そして歩いて十分、錦帯橋へ。初めて拝見するのですが、プロポーションといい、ロケーションといい見事な橋ですね。下から見上げると橋裏の構造がまた凄い。今年架け替えられたばかりですが、これからは技術伝承のために五十年ごとに架け替えるそうです。竹筋コンクリートという珍しい構造の岩国徴古館(昭和20年築)を見物してタクシーで駅へ。山陽本線で広島乗り換え、今夜の宿泊地、呉に到着しました。夕食はもち、カキフライ定食。口福口福。
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 本日の二枚は、瑠璃光寺と錦帯橋です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-07 16:52 | 山陽 | Comments(0)

山陽編(1):山口(04.10)

 こんにちは。旅行記を中心に、書評やら雑感を書き綴ってみます。まずは昨年の秋に徘徊した山陽路の旅行記です。

 広島県に「毒ガス島(大久野島)」があります。かつて日本軍が極秘に毒ガスを製造していた島で、それに関する資料館や廃墟となった施設があると知り、かねてから行ってみたいと思っていました。うしっ、決行。ここを中心に山口から岡山までの四泊五日の彷徨を計画、秋吉台やら尾道やら閑谷学校やら、未踏の地を組み込みながらニヤニヤしていました。するとあるサイトで、瀬戸内海(尾道⇔今治)を自転車で縦断するサイクリング・コースの存在を発見。売られた喧嘩は買いましょう。また立花隆の本を読み、香月泰男という画家にも興味を持ったので、故郷山口県三隅町にある美術館にも行きたいな。「いいとこにはずっといて、あきれたらすぐ立ち去る」「天使の如く大胆に、悪魔の如く細心に」という原則を胸に、いざ山陽路へ。

 朝の天気予報では、山口地方は降水確率90%の断固とした傘マーク。腐っても気象庁、まさか外しはすまい。機中で小生の灰色の脳細胞は目まぐるしく動きます。「秋吉台・香月美術館はカット、明日行く予定の山口に防府を組み合わせて今日はしのごう…」 しかし諦めきれず、「二度と煙草は吸いませんから、陽光をもたらして下さい」と山ノ神に願をかけました。すると山口宇部空港に着陸する頃になると、黒雲は消え、陽がさしているではありませぬか。嗚呼、奇跡だ。さっそく空港ロビーで人目を憚らず、約束どおり感謝の舞を山ノ神に奉納しました。♪ラリホーラリホーラリルレロ、コイルはでぶっちょぼよよんのよん♪ さっそくバスで新山口(小郡)に行きました。ここ小郡は種田山頭火が最も充実した日々を過ごした所で、彼の銅像が駅前で出迎えてくれました。「まったく雲がない笠をぬぎ」「空へ若竹のなやみなし」
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 バスを乗り換えて秋吉台へ。砺波平野の散村、木曽三川の輪中とならぶ社会科見学三大聖地の一つです。内部がだだっぴろい鍾乳洞の秋芳洞を通り抜け、坂道を少し登ると、秋吉台を一望できる展望台に到着します。うずくまっている羊のような石灰岩が、広大な山腹に点在する雄大な眺望。でもすぐに見飽きて昼食。
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 不味いうどんを食いながら、午後の日程を沈思黙考。タクシーを使えば、香月美術館に加えて、角島灯台+土井ヶ浜遺跡を見られそうですが、バス・電車利用だとおそらくどちらかは無理。うーん、よろしい、泣いて馬謖を斬る、タクシーで行きましょう。さっそく車をつかまえて、約20分で三隅町立香月泰男美術館に到着しました。香月泰男(1911~74)、山口県三隅町出身。東京美術学校卒業。満州に応召され、敗戦時にシベリアへ抑留される。戦後、その体験をテーマに<シベリア・シリーズ>を発表し、炭と方解末を使った材質感と、深い人間性の洞察をふまえた制作で著名。と、無味乾燥な説明で恐縮ですが、実は先日出版された立花隆の『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』を読んで、いたくこの画家に興味を抱きました。戦争・収容所体験や死んだ兵士への鎮魂を、自ら解説文を書き添えた、具象と抽象の間でギリギリのバランスをとった重厚な画面で表現し尽くそうとする姿勢には感銘を受けます。<シベリア・シリーズ>全57点は山口県立美術館が所蔵しており(スペースの関係で一括展示は不可能)、この美術館には小品や家族に送った絵葉書、彼が製作したおもちゃや遊具、そしてアトリエが復元されています。彼が肌身離さず持ち歩いたボロボロの絵具箱には胸を打たれました。外へ出ると、彼が<私の>地球と呼んだ三隅の光景が広がります。
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 ここから日本海に向かい南下すること約一時間、コバルトブルーの美しい海にかかる大橋を渡って角島に到着。お目当ては、1873(明治6)年にH・ブラントンによって設計起工された日本で一番美しいと言われる角島灯台です。均整のとれたプロポーション、えもいわれぬ色合いの御影石による造形、放物線状のアーチが連続する装飾。貴婦人のようなその姿に見惚れました。手が回りきれないけれど、抱きしめたくなるような灯台です。105段の螺旋階段を上り頂上に出ると、360度のパノラマ、眼下には美しい日本海。呆然・恍惚としてしばらく眺め入ってしまいました。ふう。
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 そして次なる目的地、土井ヶ浜遺跡へは車で約20分。保存状態の良い弥生人骨300体以上が、装身具や土器と一緒に出土した遺跡として、業界では著名です。まず人類学ミュージアムを見物。展示は陳腐でしたが、展望室の表示が傑作でした。西海観光バスに乗ってやってきた無法松みたいな九州人に「見えんじゃなかとか!」と叱責され、新任学芸員の山尾恵さんが涙を浮かべながら書き込んでいるシーンを想像してしまいました。ドラマだなあ。ヨンさま主演で「海がちょっとだけ見える展望室」という映画を作ってはいかが。本当にちょっとだけしか海が見えませんでした。外に出ると、コーティングしてレプリカの人骨をちりばめ、ドームで覆った遺跡を見学できます。これはいいアイデアですね。体中に矢尻がささり、首を切り取られた「戦士の死体」は圧巻でした。
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 そして山陰本線特牛(こっとい)駅まで送ってもらい、乗車。第六感に襲われて途中の滝部駅で下車して、旧滝部小学校へ。ペディメント(三角破風)と三連アーチをファサード(前面部)に構えた凄まじい物件です。現在は郷土資料館として利用されているのですが、二階の講堂に上がると、やっぱし御真影を収納する奉安庫があった! 係の方の許可を得て撮影し、この辺にこうした物件は他にないかと尋ねたところ、あるとのこと。神に愛されし者よ。さっそく「歩いて何分ぐらいですか」と能天気に訊いた瞬間に、ストップ・モーションのように空気が凍りつきました。礼を言ってそそくさと立ち去りましたが、まあいいや。下関まで行き、山陽本線に乗り換えて新山口に帰着。
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 本日の一枚は角島灯台です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-06 08:43 | 山陽 | Comments(2)