伊予・讃岐編(7):豊稔池ダム(04.2)

 観音寺からタクシーで向かうは、豊稔池ダム。ここ讃岐平野、中でも大野原地区は、昔から水不足・干害に悩まされました。「嫁にやるなよ大野原の里へ 夜も夜伽のない里ぞ」といわれるほど水の確保に追われたのですね。その対策として多くの溜池があります。その溜池をつくるために、1930(昭和5年)に完成したのが豊稔池ダムです。そしてここは日本で唯一のマルチプルアーチ・ダム。小さなアーチを連続して並べて水の圧力を分散させ、そのアーチのつなぎ目をバットレス(支柱)で支えるという構造のダムです。写真を参照してください。材料費が安くて済む工法なのですが、実は普及しません。公共事業予算をぶんどれないので、業者が採用しなかったのだと邪推します。ま、それはともかく基本的に「ダムはムダ」という意見なのですが、このダムに関しては写真を見ただけでその風格・風貌に圧倒されました。そして実際にこの目で見て、期待は裏切られなかった… す、ご、い。存在感あふれ古色蒼然とした石積み。(受益者となる付近の農民が、石を切り出し組み上げて築造) 古城のように屹立するバットレス。支柱と支柱の間に入ると背後の石のアーチが数万トンの水を支えていることをひしひしと感じ、畏敬の念と恐怖さえ覚えます。ダムの上部にのぼり、「立入禁止」のチェーンを乗り越え水面の方を見ると、優雅に弧を連ねたアーチが湖面に映えます。近代化遺産の魅力は、人知・人力とローテクを駆使して、一生懸命に世のため人のために尽くそうという無骨なまでの佇まいだと思います。そういう意味でこのダムは至高の逸品。来て、見て、触れてよかった。なお梅雨時には「ゆるぬき」というダイナミックな放水も見られるそうです。ああああああああああああああ、見てみたい。
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 運転手さんの勧めで、琴弾公園から砂で作った巨大な「寛永通宝」の銭形を見て、観音寺駅へ。丸亀駅でおり、駅前の猪熊弦一郎美術館は残念ながら休館中なのでカット。三越の包装紙のデザイン、上野駅壁画は彼の手によるものですね。丸亀城を見物して本日の行程は終わり。今夜は高松で宿泊です。
 そういえば出がけに山ノ神に「おみやげを買ってこないと、月夜の晩は歩けないわよ」と言われたことを思い出しました。まずは腹ごなしと、ホテルのコンシェルジュにデリシャスでチープなウドンショップはないかと尋ねたところ、近くの「川福」という店を紹介してくれました。さっそく行ってざるうどんを注文。これがまた美味。宝石のように輝き歯ごたえのある、極上の讃岐うどん。お土産として宅配をしてもらいました。
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 本日の一枚は、やはり豊稔池ダムですね。
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# by sabasaba13 | 2005-03-12 05:40 | 四国 | Comments(0)

伊予・讃岐編(6):別子銅山(04.2)

 本日は、松山から新居浜の別子銅山、観音寺の豊稔池ダム、丸亀城を経て高松へ移動します。左手に瀬戸内海、右手に四国山地や石鎚山を眺めながら、予讃線で新居浜へ。ここからバスで約30分、鉱山の展示と保養施設を組み合わせたマイントピア別子に到着しました。別子銅山は、1691年の開坑から1973年の閉山まで一貫して住友が経営した鉱山です。中でも近代に作られた産業遺跡・遺物が数多く点在するところから、「住友のインカ」「四国のマチュピチュ」と呼ばれているそうな。残念ながら最も遺跡が集中している東平(とうなる)・旧別子地区は冬季には閉鎖されているため、行けません。入口にあたる端出場(はでば)地区にあるマイントピア別子のみの見学となりました。幸いUさんという、ダイエットに成功した今いくよ(くるよ?)のような印象の方がガイドとして案内してくれました。多謝。
 まずは鉱山鉄道を再現した鉄道で約400m移動して、観光用に整備された坑道へ。途中、当時のまま残された煉瓦づくりの中尾トンネルを抜け、溶接せずにピンのみで留められたピントラスト鉄橋を渡ります。坑道の中は、人形によって当時の作業風景が復元されています。すんばらしいなと思ったのは、体験コーナーです。木製ポンプによる水の汲み上げや、棹銅を想定した重さ30kgの荷を背負子で背負うなどなど。体で体験した事って重みがありますよね。特に前者では、蒸気機関を発明した人の気持が少しわかりました。もう一つの印象的な鉄橋と第四通洞の入口を見て、川越しに見事なレンガづくりの旧水力発電所を遠望。ここは機械や設備も良好な状態で保存されているとのことなので、公開すべきだと思います。昼食はもちろん、うどん。タクシーで新居浜駅に行き、予讃線で観音寺へ。なお、別子銅山については「黄金伝説 (近代成金たちの夢の跡)」(荒俣宏 集英社)という本に詳しく書いてありますが、残念ながら絶版。復刻を望みます。
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 本日の一枚は、旧水力発電所です。
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# by sabasaba13 | 2005-03-11 06:40 | 四国 | Comments(0)

伊予・讃岐編(5):松山(04.2)

 駅前で自転車を借り、じゃこ天うどんで腹ごなしをして松山徘徊を開始。まずは正岡子規の菩提寺・正宗寺と彼の生家を復元した子規堂を見物。子規と野球の碑もありました。
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 そして松山中学に赴任した夏目漱石が初めて泊まった旅館「山城屋」(『坊っちゃん』にも描かれています)、彼の下宿を復元した愚陀仏庵を訪問。一階に子規、二階に漱石が住んでいたそうです。
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 すぐ近くに松山城があります。リフトに乗って、天守閣へ。1854(安政元)年の再建だそうですが、最上階からは市内・伊予平野・石鎚山・瀬戸内海が一望できます。絶景絶景。
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そして道後温泉へ。自転車で20分程でした。途中でぞぞぞっと霊界アンテナが反応。止まってふと見ると左下写真の看板がありました。「タンポポの胞子に乗って世界に広がれ奉仕の種」? 40秒ほど考えて、胞子と奉仕の駄洒落かと合点。へたへたとその場に崩れ落ちそうになるのを堪え、気を取り直して道後温泉駅へ。明治の駅舎を忠実に再現したもので、レトロで瀟洒な洋館風の建物です。すぐそばにある子規記念博物館は残念ながら休館。「いくたびも雪の深さを尋ねけり」という印象的な子規の句が垂れ幕に書かれていました。
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 そして1894(明治27)築の、巨大木造三階建太鼓櫓付公衆浴場の道後温泉本館に到着。自転車を返却する時間が迫ってきたので、心残りながらも入浴せず。いやはや日本広しといえども、道後と別府に行って温泉に入らなかったのは小生ぐらいかな。算額を二十数面保存している伊佐爾波神社(公開されておらず)、一遍の生地といわれる宝厳寺を訪問。そして漂泊の俳人、種田山頭火終焉の家である一草庵へ。戦後に復元されたものですが、山頭火がお菓子の箱を利用して作った「不在中 郵便受」もリアルに再現されていました。「おちついて死ねそうな草萌ゆる」という句碑が心に迫ります。
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 見るべきものは見つ、というわけで駅までダッシュ。無事に自転車を返せました。日暮れは近いけれど、観光案内所で知ったターナー島へ行くことにしました。『坊っちゃん』の中で野だいこが「全くターナーですね。どうもあの曲り具合つたらありませんね。ターナーそつくりですよ」と言った松のある小島です。ターナーが好きなので、ぜひ見てみたい。伊予鉄道で梅津寺駅まで行き駅員さんに聞いたのですが、場所がよくわからない。とりあえず海沿いの道を夕焼けを見ながらとぼとぼ歩いていると、あった。間違いなし。しばらく夕陽を浴びながら、島と海を眺めていました。ふう。駅でカレーぶっかけうどんをいただき、ホテルに戻り観光パンフレットを読み直していると、松山は野球拳発祥の地であることがわかりました。「大正13年、川柳家の故前田伍健さんが即興的に作ったもので本家松山野球拳として伝統を守っている健康的な芸能である」 "健康的"に座布団一枚。もひとつわかったこと。松山の皆さんは語尾に、ぞなもし、ぞなもし、ぞなもし、と必ずつけるのかと思いきやそんなことはありませんでした。そりゃそうだよね、われわれだって語頭に、てやんでえ、なんてつけませんから。
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 本日の一枚は、ターナー島ぞなもし。
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# by sabasaba13 | 2005-03-10 06:27 | 四国 | Comments(0)

伊予・讃岐編(4):内子(04.2)

 ふたたび予讃線に乗り、内子へ向かいます。この予讃線は、山並みを縫うように走り、車窓からは山間の集落や棚田・段々畑や海を眺められる気持ちのいい路線です。内子はかつて木蝋生産で栄えた町で、白壁づくりの民家・商家が見事に保存・復元された八日市・護国町一帯が売り物。まずは歩いて内子座へ。大正時代につくられた芝居小屋です。座席は升席、花道・回り舞台・せり上がり・奈落などがそろった本格的な歌舞伎小屋で、現在でも上演が行われているとのこと。これは貴重な物件ですね。いつか人形浄瑠璃をここで見てみたい。
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 そして1879(明治12)年につくられた元化育学校を拝見。アーチ型の窓が、リズミカルに並ぶ愛らしい建物です。児童館として利用しているところに識見を感じます。テクテクと歩いて八日市・護国町地区へ。なるほど、懸魚・海鼠壁・床几・蔀戸・うだつ・虫籠窓で飾られた白壁の旧家が建ち並ぶ良い町並みです。倉敷とちがい、今暮らしている人たちの生活の臭いが感じられるのもいいですね。廃品回収のお知らせとか、さびついた自転車とか。そうそう、鏝絵(こてえ)を普及させようといている職人さんのギャラリーがあったのは嬉しかったですね。
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 いかにも内子らしい張り紙も発見。ふと脇の路地を見ると、尖塔のある不思議な建物を発見。いそいそと近づき観察した結果、廃業した映画館ではないかと結論。ビンゴ。「元活動写真館 旭館」という張り紙がありました。
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 後日わかったのですが、大江健三郎氏の生家が内子にあるのですね。不覚。
 「すこしの事にも先達はあらまほしきことなり。 (徒然草五十二段)」
 そして駅に戻り、また予讃線で松山へ向かいます。気がついたのですが、JR四国では自動改札が導入されていないのですね。駅員さんに切符を手渡しするというのは、人間的な行為なのだとあらためて痛感。人員削減をしないぞっという意思表示だといいな。これは一つの識見です。おまけに女性駅員の多いこと多いこと。内子駅の改札の女性も妙齢の… あっ写真を撮らせてもらうのを忘れた! これも不覚。それはともかく調べてみたら、JR四国の過去五年間の事務系採用者数は、男性9名、女性5名。女性が36%しめています。ちなみにJR東海では過去四年間で、男性90名、女性23名。20%です。さらにJR東海のサイトは、採用情報が元号表記、女性は()内の数字で表されています。そして松山着。改札の方は二人とも女性でした。

 本日の一枚は内子座です。
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# by sabasaba13 | 2005-03-09 06:23 | 四国 | Comments(6)

伊予・讃岐編(3):宇和町(04.2)

 快晴。幸いなことにJRも復旧。本日は、宇和町、内子、を経て松山で宿泊です。宇和島駅から予讃線に乗り、卯之町で下車。山に囲まれた落ち着いた雰囲気の良い街です。お目当ては1882(明治15)年築、西日本最古の学校建築である開明学校。地図を片手にまずは米博物館へ。米作に関する展示があるのですが、その建物は旧宇和町小学校(1928年築)を移築したものです。日本で一番長い109mの廊下がある木造校舎といえば、ご存知の方もあるかも。壁には、雑巾がけタイムトライアル・レースの結果が貼ってありました。もしやと思い、係りの方に「奉安殿はありませんか」と尋ねると、すでに取り壊されたそうです。無念。ふと案内を見ると、すぐ上に当時の講堂も保存されているとのこと。ん、講堂? もしやあれがあるのでは… さっそく係りの方にお願いして鍵を開けてもらい、中に入りました。あった。戦前の学校では、奉安殿に保管してある御真影を儀式の時に講堂壇上正面に設置した奉掲所という施設にうつし、生徒が最敬礼している間だけ開扉していたようです。その奉掲所が非常に良好な保存状態で現存していました。残念ながら扉を開けることはできず、内部の様子は確認できませんでした。歴史の証人としてぜひこれからも大事に保存してほしいな。
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 そして長閑な町並みを歩いて、開明学校へ。心魅かれる意匠ではありませんが、当時の人々の教育にかける熱意には感服。ここは授業で使われた掛図のコレクションが充実しています。こんな校訓がありましたが、ムムム、ウサギの逆立ち(耳が痛い)。一つしか守れていない… 古い民家・商家が残る中町を抜けて先哲記念館へ。この町で医者をしていたシーボルトの高弟・二宮敬作と彼に師事していた初の女性婦人科医・楠本イネ(シーボルトの娘)についての展示がありました。その縁で高野長英も匿われ、その隠れ家も近くに保存されています。イネの娘の高子が私好みの美女であることがわかったことも収穫。
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 すぐ近くには高野長英が匿われていた居宅跡と、二宮敬作の住居跡がありました。
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 それにしても落ち着いた雰囲気の街並みが続き、歩いているだけで心が安らかになってきます。竜吐水が置かれていたのには驚きましたが、現役なのでしょうか。「子育ての秘訣 三か条」もいいですね、これくらいのんびりかまえてくれると子どもたちもほっとすると思いますよ。
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 ふらふらと駅までの道を彷徨っていると、不思議な建物を発見。「このアーチ窓の建物は何だったのでしょうか?」と書いてありますが、何だったのでしょう? そしてその謎を解こうとしているのは何者か? 宇和町教育委員会か、郷土史家か、はたまた路上観察学会か、謎は謎を呼びます。
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# by sabasaba13 | 2005-03-08 06:29 | 四国 | Comments(6)

伊予・讃岐編(2):宇和島(04.2)

 観光協会に自転車を返却し、港まで歩いていきました。途中でのぼり屋さんを見かけました。おそらく漁船が使うのでしょうね、漁業が元気なのは嬉しいかぎりです。「コンビニの名門 その名ぞ我らがサンヨードー」という看板も発見。ここまで胸を張られると、ハハーッと平伏してしまいます。
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 さてさてお目当ては、10世紀中葉、朝廷を震撼させた承平・天慶の乱の立役者、藤原純友の根拠地といわれる日振島です。前もって船の時刻表を調べたのですが、便数が少なく上陸は困難。やむをえず往復するだけのクルーズです。私はデッキで潮風をあびながらのクルージングが大好きなのですが、高速船だからなのか船室からは出られません。乗客はすべて地元の方々と釣り客。右手に細長い佐多岬半島を眺めながら、約1時間ほどで日振島に到着。小振りながら街並みがあるのには驚きました。純友の末裔なのかな。純友ゆかりの井戸や物見台もあるそうで、いつか再来を期しましょう。上陸せずにそのまま折り返し。
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 午後五時ごろ港に着いたのですが、一つひっかかっていることあり。実は先程の観光案内所で見た絵葉書に、見事な段々畑がのっていたのですよ、これが。棚状になった田畠には眼がない小生としては勿論行きたいが、日没は近く曇ってきました。タクシーで約40分。煙草を一服して沈思黙考。行かいでか。タクシーをつかまえて、ぶっとばしてもらいました。宇和島湾の南側にある遊子(ゆす)というところにあるのですが、かろうじて間に合いました。残照の中、漁港を見下ろすようにそそり立つ見事な段々畑! ここを見ずして段々畑を語るなかれ。(ま、『お嬢さん、僕と段々畑の話をしませんか』などと口説く人は少ないと思いますが) 集落のすぐ背後のかなりの急斜面に石を組んでつくった短冊のような畑がおそらく数百枚はあるでしょう。しかも現役で、ほぼすべての畠で野菜を栽培しています。しばらくタクシーに待ってもらって、うろうろと登ったり降りたりしました。"生きる"という人間の荘厳な/苦悩に満ちた営みに包まれながら… 天辺まで登ると、眼下に段々畑と灯りのつきはじめた集落・漁港、そして宇和島湾と夕霞にけむる対岸の山並み。時間よ止まれ。これで夕焼けなんてえことになったら、てえへんな絶景なのですが、残念ながらうす曇。タクシーでホテルに戻り、運転手さんに紹介してもらった大衆食堂で、宇和島名物の鯛飯を食す。鯛の刺身と生卵をだし汁に入れ、ぐちゃぐちゃかき回してご飯にぶっかけるというもので、美味でしたね。さすがにうどんは食いませんでした。人はうどんのみで生くるにあらず。
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 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2005-03-07 06:25 | 四国 | Comments(0)

伊予・讃岐編(1):宇和島(04.2)

 早朝、ANA583便で松山空港に到着。今回は一人旅。ボテロが描いたムーミンのように温厚な(注:「豊満な」ということではないですよ)山ノ神は、「おみやげなんていらないわよ」とニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコしながら快く送り出してくれました。
 空港からバスでJR松山駅へ。「春や昔十五万石の城下町」という正岡子規の句碑が出迎えてくれます。何はともあれ、駅の食堂でうどんを一杯。とにかく四国のうどんは美味い! 今回の巡礼では山のようにたいらげて、蛇含草を食べたら薄汚いジーンズをはいたうどんが佇んでいた、というオチにするつもり。
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 さて今宵の宿泊地宇和島に行こうとしたら、信号機故障でJRが昨日から全面運休。やむをえず代替運行のバスで、3時間かけて宇和島へ行くことになりました。やれやれ。到着したのが午後一時頃、さっそく観光協会で自転車を借りて市内の散策を開始しました。とるものもとりあえず、空腹だったので眼前にあった普通の大衆食堂に入ってかきあげうどんを注文。プリプリの小エビに満ち満ちたかきあげと、歯が折れそうなモチモチのうどんを満喫。これで何と500円。至福。本気で四国への移住を考えたくなりました。まずは宇和島城へ。現存する天守閣めぐりの一環として、宇和島城・松山城・丸亀城を見物する予定ですが、その一発目です。市内中心にあるこんもりした小高い丘にある、白漆喰塗りの愛らしい天守閣です。観光地化されておらず、土産屋など一切なし。閑静な雰囲気の中で、古城の趣を満悦できました。天守に登ると、眼下の山間に広がる宇和島の町と、変化に富んだ海岸線と海が一望できます。
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 ふたたび自転車で街中を徘徊。まずは児島惟謙(これかた)の銅像を見物。1891年、来日中のロシア皇太子(後にロシア革命で殺されたニコライ二世)が日本人巡査に襲撃されるという大津事件が起こりました。ロシアとの関係悪化を恐れた政府は、法を曲げて犯人を死刑にするよう司法に圧力をかけるが、これを断固拒否して司法権の独立を守ったのが大審院長(現在の最高裁)児島惟謙です。宇和島出身だったんですね。彼の生家跡をたずねて、高野長英居住地跡へ。シーボルト門下の蘭学者ですが、幕府がアメリカ船モリソン号を砲撃した事件を批判し投獄されてしまいます。そして獄を脱走、硫酸によって人相を変え各地を転々としますが、最後は捕吏に発見され自害。彼は宇和島でも隠れ住んでいたのか。吉村昭の「長英逃亡」を読んでこなかったことを悔やむが、After the carnival。
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# by sabasaba13 | 2005-03-06 07:37 | 四国 | Comments(0)

「あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書」

 「あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書」(新評論)はお勧めです。先日、皇太子誕生日の記者会見で、皇太子妃が下記のように述べました。

 つい最近、ある詩に出合いました。それは、ドロシー・ロー・ノルトというアメリカの家庭教育学者の作った「子ども」という詩で、スウェーデンの中学校の社会科の教科書に収録されております。

 「批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる 殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる 笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる 皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなる しかし、激励をうけた 子どもは 自信をおぼえる 寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる 賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる 友情を知る 子どもは 親切を おぼえる 安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる 可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる」

 これがきっかけで、この本の売れ行きが伸びているそうです。著名人が読んでいるからすぐ飛びつくという姿勢には疑問をもちますが、今回は例外。是非多くの人たちに飛びついて欲しい。以前この本を読んで感銘を受けて以来、周囲の人々に推薦しまくっております。もちろんこの詩も良いのですが、もっと素晴らしいのが、スウェーデンという国の教育に対する姿勢です。1994年のスェーデン文部省「学習指導要領の概要」には、学校の任務は「生徒に、将来を築くという困難な事業への楽観的な展望を与えること」とあるそうです。五臓六腑にしみわたる言葉ですね。だから教科書も、社会の仕組みの建前・きれいごとを受験用に羅列するようなものとは全く違います。社会の現状(犯罪、同性愛、麻薬…)を真っ向から取り上げ、子供たちが将来どうやってそれに立ち向かってゆけばいいのかを伝えようとしています。社会の一員として、社会を築き、担い、そしてより良く変えていく、そうした市民になってほしいという思いがビシビシ感じられます。ただ「国を愛せ、国を愛せ」とストーカーのようにつきまとうどこかの国々とは、志が違いますね。例えば…

 生徒たちはみじめな給食に真剣に立ち向かうことにしました。数回のクラス委員会での討議の後、生徒たちは三つの重要項目について(自治体に)要求を提出することにしました。①給食への予算配分を二倍にすること。②民主的な投票で決まったお好みの料理トップ20―私たちが食べたいのはこれだ。③使い捨て食器類の全廃。

課題
 生徒たちの給食改善のための行動について、あなたの意見はどうですか。それは緊急の問題ですか。生徒達は理性的に行動しましたか。あなたなら、何か他の方法を取ったのではないでしょうか。これに引き続いて何をしたらいいでしょうか。あなたには学校の予算編成に参加してこうしたいということがありますか。討論しましょう。

 というわけで、もしこの本がベスト・セラーになれば確実に日本も良い方に変わると思います。そういう意味で、もし私が有力な政治家・官僚・財界のメンバーだったら、この本を焚書リスト・有害図書リストの中の筆頭に加えますね。他の焚書リストとしては、「サイキス・タスク」(フレーザー 岩波文庫 絶版) 「億万長者はハリウッドを殺す」(広瀬隆 講談社 絶版) 「安保条約の成立」(豊下楢彦 岩波新書 品切れ) 「御前会議」(大江志乃夫 中公新書 絶版) 「無境界の人」(森巣博 集英社 品切れ) 「絶望の精神史」(金子光晴 講談社文芸文庫) 「河上肇評論集」(岩波文庫 絶版) 「日本/権力構造の謎」(ウォルフレン 早川書房) 「公私」(溝口雄三 三省堂)を入れるかな。おおっ、絶版/品切れ率は66%!
# by sabasaba13 | 2005-03-05 16:06 | | Comments(0)

上州彷徨

 法師温泉旅行(05.2)の時につくった俳句です。雑俳ですが…


 雪冠りて怒り鎮めし浅間かな
 
高崎の少林山達磨寺から遠望した浅間を詠みました。でも鎮めてはいけない怒りもありますよね。

 梅の香の心洗ひしタウトの家
 
同じく達磨寺にあるブルーノ・タウトの寓居「洗心亭」が題材。ちょうど梅の花がほころびはじめて、良い香をはなっていました。

 身の溶けて雪となりけむ法師の湯
 
身も心も溶けて、蒸発して、空に上って、雪になって、法師の山々に降り積もったような気がしたので…

 亡き母の初寝の宿や雪埋む
 
先日逝去した義母の新婚旅行がここ長寿館だと聞いて驚きました。

# by sabasaba13 | 2005-03-03 06:34 | 邪想庵句集 | Comments(0)

法師温泉~館林編(2)(05.2)

 翌朝、朝食をいただき、朝風呂に浸って身も心もゆるゆるになりました。鳳仙花の実がはじけるように、みなさんはそれぞれの行動を開始。スキーに行く方、山歩きに行く方、帰宅する方、山へ芝刈りに行く方、人生いろいろです。小生は、群馬県立館林美術館に行く予定。「藤森照信の特選美術館三昧」(TOTO出版) を読んで、いつか訪れようとねらっていた美術館です。この本はお勧めです。建築の専門家から見た美術館という視点は刺激的。
 バスに乗り込もうとすると、宿の方がやってきて「今日は山ノ神のお祭りなので…」と、お神酒と赤飯をくれました。いやはや上州の山奥にまでわが山ノ神の名声が響き渡っているとは。感無量。上毛高原駅までバスに乗り、新幹線で高崎着。両毛線に乗り換えて伊勢崎で降り、東武線に乗り換えようとしたところ、尿意を催したのでトイレへ。次の列車は、と時刻表を見たところ一時間後! しゃあない、昼飯を食べて伊勢崎を散策しましょう。商店街に下のような看板がありましたが、「かかあ」とは? 解説を読んで納得、「上州のかかあ天下」のことなんですね。上州のかかあは、働き者で天下一だというのが本来の意味だそうです。ブラジルの国旗をよく見かけたので、そういえば外国人労働者が多い街だということも思い出しました。喫茶店でピラフと珈琲をいただき、煉瓦造りの時報鐘楼を拝見。駅に向かう途中に、こんな標語を発見。ひさびさにちょーむかつきましたね。今の苦しみをもたらしている原因・構造を考えず/批判せず/変えようとせず、ただただ耐えろちゅうのかい、え、おい、伊勢崎三中PTAのみなさんよお、とからんでしまいました。
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 東武伊勢崎線に乗って約50分で多々良駅に到着。ここから美術館まで徒歩20分ですが、幸いなるかな駅前に無料貸し自転車がありました。10分弱で到着。広大な芝生の中に、ほぼ平屋に近い印象の美術館が大地に蹲るように建っています。半月形の展示室を両手で抱えるように、ガラスばりの回廊が両サイドにもうけられています。回廊ぞいに水路がつくられ、空を映して情景に変化をもたらしているのは秀逸なデザイン。設計は、高橋てい一氏によるものです。展示室に入る時のみ有料なので、そこ以外の区域が出入り自由なのも結構毛だらけ。ベンチでまどろんでいる方もいました。この美術館の目玉は、フランスの彫刻家、具象的な動物像を製作するフランソワ・ポンポン(1855~1933)の作品群です。以前オルセー美術館で、愛くるしく的確にシンプルに豊かに白熊を表現した作品を見て以来、ずっと気になっていた作家なのです。「Pompon」という作家銘を見てぶっとびましたけれど。「不思議なことに、動物には端というものはなく、一巡する輪郭によってフォルムを閉じ込めなければならない」 彼の言葉です。鹿やふくろうや豹など、小ぶりな作品が数点展示されていました。ほわあと口元が緩んでしまいましたね、うん、一個欲しい! でも彫刻に触って鑑賞できないのは残念です。おぼろげな記憶では、オルセーで白熊のお尻をなでたような気がします。彫刻家も、触感でも鑑賞してほしいと望んでいるのではないでしょうか。手垢や油を落とすために人を雇えば、雇用の創出になるし。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」ならぬ「ポリッシャー・イン・ザ・ミュージアム」、やってみたいな。奥の別館には、「大鹿」という大きな彫刻と、彼のアトリエが再現されていました。他に、群馬県出身の画家の絵(ex.福沢一郎…)や、ベン・ニコルソンやデイヴィッド・ホックニーなどイギリス・モダニズムが常設の展示です。それにしても群馬県とイギリス・モダニズムってどんな関係があるのだろう。頭を抱えてしまふ…
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 喫茶室で珈琲をいただき、一服しながら受付でもらった館林の観光地図を見ていると、結構面白そうです。分福茶釜の茂林寺や、田山花袋の旧居・文学館や、正田記念館・日清製粉記念館(皇后の実家)などなど… 宮中では「粉屋の娘」と陰で呼ばれていたそうですね。つつじの綺麗な時期に来てみたいな。美術館のすぐ近くにある多々良沼が、渡り鳥の飛来地ということなので、ちょっと寄って愛でてきました。ワサワサと群れる数百羽の鳥たちに「君たちの仲間の羽毛のおかげで、僕は安眠できるんだ」と感謝しながら。そういえば、「たたら」とは製鉄に使う鞴(ふいご)のことなので、このあたりには鋳物師(いもじ)集団がいたのでしょうね。分福茶釜説話の存在や、三大茶釜産地(芦屋釜・京釜・天命釜)の一つ、天命が近くの佐野にあるなど、符合します。館林から特急に乗って帰宅。
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 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2005-03-02 06:31 | 関東 | Comments(0)