伊勢・美濃編(17):神島(14.9)

 長い長い石段をのぼりはじめ、振り返ると港や家並み、そして海が一望できました。曇天で視界もよくないのが無念。さらにのぼっていくと、木々が生い茂り眺望をさえぎってしまいます。てっぺんについても、小説に"ここからは、島がその湾口に位いしている伊勢海の周辺が隈なく見える。北には知多半島が迫り、東から北へ渥美半島が延びている。西には宇治山田から津の四日市にいたる海岸線が隠見している"(p.5)とあるような絶景は見られませんでした。そして本殿を参拝。
伊勢・美濃編(17):神島(14.9)_c0051620_14184397.jpg

 新治がここでこう祈った場面が心に残っています。
 神様、どうか海が平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように! わたくしはまだ少年ですが、いつか一人前の漁師になって、海のこと、魚のこと、舟のこと、天候のこと、何事をも熟知し何事にも熟達した優れた者になれますように! やさしい母とまだ幼い弟の上を護ってくださいますように! 海女の季節には、海中の母の体を、どうかさまざまな危険からお護り下さいますように! …それから筋ちがいのお願いのようですが、いつかわたくしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように! …たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような… (p.26~7)
 願いにもちゃんとプライオリティがあるのですね。まず村のこと、次に家族のこと、そして最後に自分のこと。小説の主人公の祈りなので一般化はできないでしょうが、このメンタリティは古人たちが等しく持っていたものだと思います。コミュニティの存続と繁栄が何よりも優先されたのでしょう。そして物事を熟知しそれに熟達した優れた人間になること。「今だけ・金だけ・自分だけ・地位だけ」というメンタリティとはいかにかけ離れていることか。もし安倍伍長が八代神社に参拝にきたらどんな祈りを捧げるでしょうか。たぶんこんな感じじゃないかな。
 神様、日本がひたすら経済成長できますように! 潤った大企業から政治献金ががばがばわが党に贈られますように! アメリカがもっと愛撫してくれますように! 中国や韓国や北朝鮮になめられませんように! …国民がもっと愚鈍になって政治や歴史に無知・無関心でありますように! 原発事故や辺野古新基地のことを忘れてくれますように! 自民党・公明党・官僚・財界にどんなひどい目にあわされても黙従してくれますように! そしてそのストレスをいろいろな弱者にぶつけてうさをはらしてくれますように! …もっとスマートフォンにかじりついてくれますように!
 なお小説では、最後に新治はこう思います。"こんな身勝手なお祈りをして、神様は俺に罰をお下しになったりしないだろうか" もし仮に安倍伍長が"こんな身勝手なお祈り"をする御仁でしたら、選挙で罰を下さねばなりません。次の参議院議員選挙が楽しみです。

 本日の一枚です。
伊勢・美濃編(17):神島(14.9)_c0051620_1419334.jpg

# by sabasaba13 | 2016-03-29 14:19 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(16):神島(14.9)

 まずは八代神社へ行きましょう。狭隘な斜面に身を寄せ合うように立ち並ぶ家々、その間をうねるように設けられた石段、どこか懐かしい島の風景です。六角形の共同井戸がありましたが、かつてはここで井戸端会議に花が開いたのでしょうね。
伊勢・美濃編(16):神島(14.9)_c0051620_6171394.jpg

 その近くには古い時計台がありましたが、パンフレットによると1929(昭和4)年に建てられたもので、当時島内で唯一の時計だったそうです。さらに坂をのぼっていくと、石段のとなりに洗濯場がありました。小説では、島の女たちが平たい石の上に布を伸ばして足で踏みながら談笑する場面がありましたが、たぶんここですね。今では水も少なく、もちろん使われてはいないようです。解説板があったので転記します。
洗濯場(寺田さん宅前)
 神島では生活用水の確保が島民の切実な願いの一つでありました。昭和54年に答志島から神島間の海底送水管敷設工事が完成しました。以前は貴重な水を大切に使うため、洗濯は島の中央部を流れる表流水を利用していました。(中略)
 小説『潮騒』の取材で、神島を訪れた三島由紀夫が一ヶ月程滞在し、当時の組合長だった寺田さん宅が階段の左手に見えます。
 寺田さんのお宅はあの家でしょうか。
伊勢・美濃編(16):神島(14.9)_c0051620_6173744.jpg

 狭い道をぶらぶらと歩いていくと海が見えてきました。そして八代神社に到着、こちらにも解説板があったので転記します。
八代神社 創立年代は不詳 主祭神 綿津見命(わたつみのみこと)
 明治40年に境内社山神社、神明社ほか十一社を合祀し八代神社となる。国の重要有形文化財になっている「鉄獅噛文金銅像嵌鍬形(てっしもんこんどうぞうがんくわがた)」や「画文帯神獣鏡(がぶんたいしんじゅうきょう)」などが保存されており、数々の祭祀儀礼が行われていたことを物語っております。毎年元旦未明に、奇祭ゲーター祭りが行われることで有名です。
 三島由紀夫は八代神社を「最も美しい場所のひとつ」と語っています。
 小説のなかでは、新治が村の平穏と美しい花嫁を授かるように祈った場所として、また、初江が新治の航海の無事を祈った場所として描かれています。
伊勢・美濃編(16):神島(14.9)_c0051620_6175953.jpg


 本日の二枚です。
伊勢・美濃編(16):神島(14.9)_c0051620_6181962.jpg

伊勢・美濃編(16):神島(14.9)_c0051620_6184167.jpg

# by sabasaba13 | 2016-03-28 06:19 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(15):神島(14.9)

 8:20に神島港に到着、船からおりると「三島文学 潮騒の地」という記念碑が出迎えてくれました。小説『潮騒』の冒頭、"歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。/歌島に眺めのもっとも美しい場所が二つある。一つは島の頂きちかく、北西にむかって建てられた八代神社である。"と刻まれていました。
伊勢・美濃編(15):神島(14.9)_c0051620_6341057.jpg

 小説に関する解説板がいくつかありましたが、その一つを紹介します。
 昭和27年、27歳の三島由紀夫はギリシャを旅し、その青い空と太陽、白い大理石の古代彫刻などともに、その風土や文化に深い感銘を受けたといわれています。そして、ギリシャの小説「ダフニスとクロエ」を日本に移して書くことを思い立ち、父のつてで、当時の農林水産局の紹介により、選んだ舞台がここ神島でした。
 昭和28年、神島を訪れた三島は、漁協組合長の寺田宗一さん宅に宿泊しながら島中を取材して周り、純愛小説『潮騒』を書き上げました。神島の美しい風景がエーゲ海と重なり、名作『潮騒』が生まれたのかもしれません。
 『潮騒』は島の美しい自然や素朴であたたかな暮らしを背景に、海女の「初江」と漁師の「新治」という若い2人を描いた純愛小説です。
 三島は、昭和28年に川端康成へ送った手紙の中で神島について、「人口千二、三百、戸数二百戸。映画館もパチンコ屋も呑屋も、喫茶店も、すべて"よごれた"ものは何もありません。この僕まで忽ち浄化されて、毎朝六時半に起きてゐる始末です。ここには本当の人間の生活がありさうです。」と島の純粋さを書き記しています。
 昭和29年に小説『潮騒』が刊行され、同年に映画化されて以降、これまでの5回の映画化がなされ、いずれも神島でロケが行なわれました。
 八代神社、監的哨、神島灯台など、『潮騒』の舞台は、今も当時のままその姿を残しています。
 はい、読んできました。実は三島由紀夫の小説で読んだことがあるのは『金閣寺』だけですが、技巧的な文章に辟易して楽しめませんでした。それに比べて『潮騒』は、二人の純愛を軸に、みごとな自然と人間の描写、息を呑むようなクライマックスと、一気呵成に読み終えることができました。それではその舞台をこれから訪れることにしましょう。まずは山海荘へ寄って、パンフレットを購入しましょう。港にいた地元の方に場所を訊ねて山海荘へ、「しおさいの島」(200円)と「「潮騒」を探しに神島へ」(100円)というパンフレットを購入しました。

 本日の二枚です。
伊勢・美濃編(15):神島(14.9)_c0051620_6343930.jpg

伊勢・美濃編(15):神島(14.9)_c0051620_635029.jpg

# by sabasaba13 | 2016-03-27 06:35 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(14):神島へ(14.9)

 朝目覚めて窓から空を見上げると、どんよりとした曇り空。テレビで天気予報を見ると、今日は曇り時々雨です。やれやれ。本日は、船で神島と菅島を訪れた後、近鉄に乗って賢島へ、タクシーで英虞湾を一望できる横山展望台・安乗埼灯台・大王埼灯台をまわる予定です。
 7:40に出航する船に乗るために佐田浜港へと歩いていると、ソフトクリームを掲げた海女さんの像がありました。いや、自由の女神を模しているのかな、よくわかりません。その先には「離島加盟旅館 指定駐車場」という看板がありましたが、離島の宿に宿泊すると駐車料金が無料になるということなのでしょう。
伊勢・美濃編(14):神島へ(14.9)_c0051620_891172.jpg

 そして鳥羽マリンターミナルに到着、館内にあった神島と菅島のウォーキング・マップをいただきました。うぉっ、映画『潮騒』に出演した山口百恵の顔はめ看板がありました。ファンだったら卒倒・失神ものですね、しかしそれほど彼女に入れ込んでいない私は冷静に撮影。
伊勢・美濃編(14):神島へ(14.9)_c0051620_816187.jpg

 そして坂手島、答志島、神島、菅島を結ぶ鳥羽市市営の定期船に乗り込みました。定刻の7:40に出航、それほど寒くないのでデッキに出て支援をくゆらしながら、穏やかな海や島影の眺めを楽しみました。答志島の和具港に寄った後、船は一路神島をめざします。
伊勢・美濃編(14):神島へ(14.9)_c0051620_8165623.jpg

 なおさきほどいただいたマップによると、港の近くにある山海荘で「しおさいの島」(200円)と「「潮騒」を探しに神島へ」(100円)というパンフレットを購入できるとのことです。

 本日の二枚です。
伊勢・美濃編(14):神島へ(14.9)_c0051620_8172185.jpg

伊勢・美濃編(14):神島へ(14.9)_c0051620_8181961.jpg

# by sabasaba13 | 2016-03-26 08:20 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(13):鳥羽へ(14.9)

 それではタクシーへ戻りましょう。途中で家族連れとすれちがったので挨拶をし、「あと十分ほどですよ」と声をかけると、「80歳をこえたばあさんもいる」とのこと。すぐ後ろから矍鑠としたご老人がすたすたとのぼってきましたが、大丈夫だったでしょうか。タクシーに乗り込み、熊野市駅へと出発。近道を走ってくれたのですが、風伝峠に向かう古道のところで停めてくれました。ここにも見事な石畳が残っているとのこと、待っていてもらってすこし歩いてみました。
伊勢・美濃編(13):鳥羽へ(14.9)_c0051620_633866.jpg

 駅に着いたのが午後三時過ぎ、食事をとっている時間がないので熊野名物の食べ物がないかと訊ねると、さんま寿司を売っているお店を教えてくれました。料金を支払って丁重にお礼を言って下車、「喜楽」というお店でさんま寿司を購入。「Cafe Bougie」で珈琲をいただき、15:42発の紀勢本線・亀山行の普通列車に乗車。さっそく脂ののったさんま寿司をたいらげました。
伊勢・美濃編(13):鳥羽へ(14.9)_c0051620_6333442.jpg

 車窓を流れる風景を眺めたり、明日以降の旅程を確認したり、転寝をしたりしていると、18:27に多気駅に到着。18:33発の参宮線・鳥羽行列車に乗り換えて19:36に目的地の鳥羽駅に着きました。さすがは真珠養殖のメッカ、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」になりきったポスターが駅構内にありましたが…コメントは控えましょう。
伊勢・美濃編(13):鳥羽へ(14.9)_c0051620_634767.jpg

 夕食をとりたいのですが、駅構内の店はもう閉店、駅周辺にも食事のできる店はありません。やれやれ、数分歩いて今夜の塒、ロードイン鳥羽に到着。チェックインをし、隣にあったセブン・イレブンでチキンカツカレーを購入して、部屋で寂寥感をつまみにいただきました。

 本日の二枚です。
伊勢・美濃編(13):鳥羽へ(14.9)_c0051620_6342744.jpg

伊勢・美濃編(13):鳥羽へ(14.9)_c0051620_6344788.jpg

# by sabasaba13 | 2016-03-25 06:35 | 近畿 | Comments(0)