北海道編(8):函館(04.9)

 そして徒歩で元町地区へ。まずはハリストス正教会に行き、内部で(おそらく)日本唯一の女性イコン画家山下りん(1857~1939)の描いた聖像画数点を拝見。柔らかく暖かな表現が印象的でした。この一帯は、カトリック元町教会、聖ヨハネ教会、東本願寺函館別院と、宗教施設が集中しています。八幡坂から見下ろす海と港も素晴らしい眺め。ここから歩いて数分で、ロープウェー駅です。ロープウェーに乗って函館山頂上へ。塩害による被害や倒木が、台風18号の凄まじさを物語っています。頂上からの眺めは、期待を裏切られませんでした。お見事。両側に海が迫る市内の眺望は一見の価値がありますね。ここだけの話、山ノ神はつい最近までここの写真を見て渡島半島の一番くびれた部分だと信じ、「北海道ってけっこう小さいのね」と思っていたそうです。振り返ると、津軽海峡や下北半島も眺められる360度のパノラマ。
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 ここには、伊能忠敬北海道最初の測量地の記念プレートや、ブラキストン-ライン(本州と北海道では、鳥類・哺乳類の種が著しく異なる)を提唱したトーマス・ブラキストンの記念碑もありました。またこのあたりは戦前要塞が築かれ立入禁止区域で、その遺物がたくさんあるそうなのですが、時間がないので探索はカット。日本三大夜景(長崎稲佐山・神戸六甲山)の一つといわれる夜景はぜひ見にきましょう。
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 ロープウェーで麓に下りて、すぐそばにある元町配水場を見ようとしたら、台風被害のため見学できず残念。函館護国神社で、旧奉安殿と箱館戦争時の新政府軍死者の墓を見た後、函館公園へ。
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 啄木の「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」という歌碑がありました。この公園には、旧博物館(日本最古の博物館建築?)や、古い市立図書館など、洋風レトロな公共建築物件が目白押しです。後者は、前述した相馬哲平の寄付によりつくられたとのこと。忘れがたい人物ですね、うん。なおこの図書館には啄木文庫があります。妻の節子が「啄木は焼けと申しましたが、私の愛着がそうさせませんでした」と言って守り抜いた日記・遺稿が、妹婿の宮崎郁雨に形見として伝えられ、ここに託されたのですね。
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 さらに歩いて海を望む啄木一族の墓へ。「死ぬ時は函館で」という啄木の思いを汲んで、節子は遺骨を函館に埋葬することを願っていたそうです。しかし彼女も啄木のあとを追うように翌年死亡。その翌月に周囲の尽力により墓がたてられました。合掌。「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」が墓碑に刻まれた歌です。なお彼のために奔走した宮崎郁雨の墓が、啄木を見守るようにすぐそばにありました。さきほどの文学館で、啄木が借金を借りた相手とその額を死ぬ直前に記したノートを見せてもらいましたが、郁雨と金田一京助が最も多額でした。本当に彼のことを理解し愛し助けていたのですね。
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 少し先に行くと立待岬。眼前に津軽海峡、下北半島・津軽半島も遠望できる絶景の地です。そして帰りに山中の道を通って碧血碑へ。途中で函館山要塞物件を見つけました。
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 函館戦争で戦死した旧幕府軍の死体は新政府の命令により、野晒しにされ放置されました。それを無視して柳川熊吉という人物が遺骸を埋葬したのがここです。なお彼はそのために新政府に逮捕されてしまいますが。その後、1875(明治8年)に大鳥圭介・榎本武揚らによって816名を祀るこの碑が建立されました。合掌。「勝てば官軍」という言葉どおり、勝者と敗者の扱いの差に愕然とします。新政府軍戦死者は市内の一等地に丁重に祀られ、旧幕府軍戦死者は山の中。地価にしてどれくらい違うのだろう。でもよく見てください。こんな不便な地にわざわざやってきて花や供物をそえる人がいるのです。護国神社の墓にはその形跡がなかったのに。このあたりは啄木がよく散歩したそうで、「一握の砂」に「函館の臥牛の山の半腹の 碑の漢詩(からうた)も なかば忘れぬ」という歌があります。この碑を見て彼が何を思ったのか… 今回の散歩で小生が思わず合掌したのは、敗者・弱者・犠牲者に対してですね。石原慎太郎ではなく、石川啄木の側に立ちたい。
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 青柳町の啄木住居跡、節子が通った質屋、高田屋嘉兵衛の銅像を見て、再び函館山へ。うんっ、確かに素晴らしい夜景でしたね。日本三大夜景、ようがす、賛成しましょう。でも物凄い混雑で閉口したけど。ロープウェーで山麓駅に降りると、そこには散歩の変人の大敵、天敵、不倶戴天の敵、修学旅行の学生たちが長蛇の列をつくっていました。危ういところだった。
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 夕食はやはりイカを食わねば。目の前でおかみがさばいてくれた新鮮なイカの刺身を堪能しました。
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 本日の二枚は、八幡坂と函館山夜景です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-24 06:31 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(7):函館(04.9)

 本日は快晴。まずは青函連絡船記念館を見物。摩周丸を保存・展示してあります。そういえば、今年は洞爺丸が沈没してからちょうど五十年目にあたる年ですね。1954(昭和29年)9月26日22時43分、台風15号により湾内で沈没、死者・行方不明1200人弱という日本海難史上最悪の事故です。合掌。解説によると、他にも青函丸・北見丸・日高丸・十勝丸が沈みましたが、一隻だけ助かったのが大雪丸です。「南西の風のときは木古内に行け」という先代船長の言葉を信じ、冷静沈着な操船を行なったおかげとのこと。そして土方歳三最期の地碑へ。旧幕府軍と新政府軍の最後の戦いである箱館戦争(1868~69)に、土方率いる新撰組も合流し、ここ一本木の関門で銃弾にあたり倒れました。享年35歳。
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 そしてテクテクと歩いて駅前にもどり、朝市へ。見た瞬間に、こりゃ観光客向けのぼったくり市場で地元の人は来ない!と直感しました。立ち寄らずに二十間坂通りを港に向けて歩いていきましょう。
 土産屋がつまったはこだて明治館(旧函館郵便局)の前を通り、高田屋嘉兵衛資料館に到着。彼は、江戸後期の海運業者、蝦夷地(北海道)の物産を運ぶ北前船の船頭です。幕府がロシアの開国要求を拒否したことで、外交関係が険悪となり、ロシア船による襲撃事件が多発します。これに対して幕府はロシア軍人ゴロウニンを捕縛(彼はこの一連の事件に無関係)、その報復としてロシアは嘉兵衛を拉致します。彼は豪胆かつ沈着冷静な態度でロシア側の信頼をかちとり、交渉の仲介として尽力、自らの解放とゴロウニンの釈放送還に成功します。函館は、彼が支店を置き開発を進めた港、つまり函館という町の生みの親なんですね。ぐじゃぐじゃした見づらい展示でした。赤レンガ倉庫群(旧金森倉庫)の間を抜けて、函館北方歴史資料館へ。嘉兵衛の持ち船辰悦丸のTシャツを購入して、函館市文学館へ。啄木についての大変充実した展示がありました。それなのに来館者は私一人。見るに見かねたのか、学芸員の方が近づいて来ていろいろと解説をしてくれました。大逆事件の真相を世に伝えようと執筆した「A letter from prison」の現物を見ることができ、感激。なお啄木の妻、節子が通った質屋の建物が現存しているとのこと、さっそく教えてもらい、さらに近くに食事の美味しい店はないかとお訊ねしました。すると、作家の辻仁成がよくオムライスを食べにくるというラーメン屋があるとのこと。「来々軒」という店なのですが、行ってみたらあいにくのお休み。
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 このあたりの景観は素晴らしい。函館山の麓に並行して連なる何本もの坂道、振り返れば港と海、そして洒落た家並み。函館は津軽海峡から吹きつける強風のため、火災が多い街です。函館を愛した啄木が札幌へと移ったのは、1907(明治40)年の大火事で職場を失ったためですね。そのためか、防火を意識した銅板・石・煉瓦を使用した建物が多く、眼を楽しませてくれます。また日米和親条約(1854)でいち早く開港場となり、欧米の文化が流入したため、洋風を取り入れた建築も目に付きます。一階が和風、二階が下見板の洋風という家屋も多いですね。市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)、旧小林写真館、函館中華会館、啄木が勤めた弥生小学校(この学校の教師橘智惠子に彼は惚れたのですね。亀井勝一郎もここを卒業)をふらふらと見物。
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 そして「福々亭」で塩ラーメンを食べました。北方民族資料館で、アイヌやアリュート文化の懐の深さに唸り、基坂をのぼって函館市旧イギリス領事館へ。ペリーの銅像を見た後、坂のどんつきにある旧函館公会堂と旧北海道庁函館支庁舎を見物。旧公会堂はとにかく派手で、色は青と黄色、巨大なぺディメントが三つと徳俵に親指がかかっている悪趣味すれすれの建物。実は函館は在野の精神が横溢するところで、箱館戦争の時も新政府軍を嫌い、旧幕府軍を支援したそうです。1907年の上記の大火事の後、まず政府が支庁舎を再建しますが、相馬哲平をリーダーとする有力市民たちは寄付をもちより、支庁を見下ろす高い所にど派手で目立つ立派な公会堂を建設したのですね。その意気やよし。こんな愉快・痛快な景観はなかなかないですね。さぞや役人たちは、苦虫を噛み潰したような顔をしたでしょう。
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 本日の一枚は、赤レンガ倉庫群(旧金森倉庫)です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-23 05:59 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(6):室蘭(04.9)

 薄曇りの朝、まずは大通公園へ。テレビ塔下から出発して、西へ。まずは啄木の銅像と歌碑を拝見。「しんとして幅廣き街の秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ」 そしてお目当てのイサム・ノグチ作の滑り台「ブラック・スライド・マントラ」に到着。高さ3.6メートル、重さ80トンの黒御影石製の滑り台/作品は、磨かれ、触れられ、深く神秘的に輝いていました。「この作品は子どもたちのお尻で仕上げられる」と彼は語ったそうです。いざ滑らん、と近づくと昨日の雨で濡れています。どないしよ。どうしたと思います? 実はズボンを一枚しか持ってきていないので、ここで汚してはまずいと思い、滑りませんでした。今は激しく後悔しています。滑るべきであった… 再訪を期す。付近のベンチ・石橋・石組みや思わず駆け上がりたくなる小さくうねる丘も、おそらくイサム・ノグチのデザインだと思います。他にも「聖恩無彊」の碑、開拓の功労者ケプロン像、有島武郎の碑など、けっこう見所あり。
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 地下鉄で琴似に行き、現存する屯田兵屋を見学。また地下鉄で中島公園に戻り、豊平館へ。開拓使の貴賓接待所として建設された木造洋風建築です。日本初のホテルですね。内部が公開されているので、さっそく拝見。シャンデリアを下げるところの鏝絵(こてえ)は、なかなかの手練の作とみた。公園内を歩いていると、白い石の抽象彫刻を発見。む、もしやと思い近づくとやはり安田侃の作品でした。北海道立文学館を見学して、大通公園に戻り、テレビ塔地下の「あっぱれ亭」で味噌ラーメンを食しました。札幌時計台(札幌農学校演武場)を見物した時点でタイム・アップ。残念ながら「サッポロビール博物館」はカットして特急列車に飛び乗りました。
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 一時間強で東室蘭に到着し、乗り換えて室蘭へ。チキウ岬灯台と強制連行された中国人の慰霊碑を訪れたいのですが、前者は遠く、後者はどこにあるかわからない。やむをえずタクシー利用かなと思い、駅前で客待ちしている車に乗ろうとしましたが、虫の知らせが… もしや慰霊碑の場所を運転手は知らないのでは。そこで旧駅舎を利用した観光案内所に行き、室蘭に詳しい個人タクシーを紹介してもらいました。さとるタクシー[090-5951-1146]がやって来て、搭乗。室蘭観光に半生を賭けているような熱意をもった方で、よかったですよ。室蘭と聞くと、工業都市というイメージしかなかったのですが、川村悟さんに風光明媚な場所をたくさん教えてもらいました。室蘭は、「の」の字のような半島に囲まれた良港で、その半島部分に山がモッコリ盛り上がっているという変化に富んだ地形です。絵鞆岬や測量山の頂上からは、渡島半島、恵山岬、駒ケ岳、内浦湾、羊蹄山、有珠山、昭和新山、白鳥大橋、市内、工場群が一望できます。わんだほー。途中でキタキツネにでっくわしたのには驚愕しました。そうそう、絵鞆岬に「先住民慰霊碑」がありました。これは一つの識見ですね、罪が清算されるわけではないけれど。
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 そして灯台フリークの聖地、チキウ岬灯台へ。アイヌ語の「チケウエ(断崖)」がなまったそうですが、地球の丸さがわかるような水平線が見えるので「地球岬」という当て字もあります。丸く見えるわけはないのですが… 高さ100mほどの断崖に毅然と佇む白亜の灯台です。1920(大正9)年に設置されて以来、80年以上も光を投げかけてきたのですね。残念ながらそばには行けないのですが、灯台と水平線と紺碧の海と断崖の絶景を十二分に満喫いたしました。大きめの写真で紹介します。右の水平線に見えるのが、渡島半島です。 そして「中国人殉難烈士慰霊碑」へ。強制連行され、室蘭近辺で死亡した中国人の方々を慰霊する三角形の碑が、海に向って建っています。寂しげにポツンと一つ置かれた小さな花束が、印象的でした。合掌。
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 東室蘭駅に着き、川村さんに教えてもらったラーメン屋で味噌ラーメンを食べ、いざ函館へ。駅にフルムーンとやらのJR宣伝ポスターが貼ってあり、「妻と同じスピードで歩いていく。そんな小さな事が大切だと気づく。」とのコピーでした。思わず激昂しましたね、わたしゃ。うつけもの、いい年こいてそんな大事なことを知らなかったのか! スタスタ先に歩いて、何度山ノ神に叱責されたことか、ううっ。三歩下がって妻の影踏まず、常識です。そして日は落ち、夜である。沿線の小駅を石のやうに黙殺して、特別急行列車は一路函館へと全速力で馳せていきました。そうだ、帰宅したら葉山嘉樹の『海に生くる人々』を読んでみよう。
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 本日の二枚は、ブラック・スライド・マントラとチキウ岬灯台です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-22 06:31 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(5):小樽(04.9)

 レトロなビルの中にある喫茶店で、先程博物館で購入した小樽案内書を読み作戦をねりました。銭湯めぐりと啄木物件訪問に決定。トレーシー・ハイドと手を組んで歩きたいような手宮線廃線跡の遊歩道を抜けて、かつて小林多喜二が勤めていたビルを利用した「1・2・3ホテル」を見て、小樽運河へ。山ノ神から「しょぼいわよおおお。日本三大がっかりよおおお」とさんざん聞かされたので、全く期待していなかったのですが、結構いいじゃないですか。規模は大きくないですが、水面にその姿を映す赤煉瓦倉庫の佇まいは素敵でした。なお「日本三大○○一覧」という楽しいサイトを発見したので紹介しましょう。それによると、日本三大がっかり名所は「札幌時計台」「高知はりまや橋」、同率三位が「名古屋テレビ塔・京都タワー・那覇首礼門」でした。異議あり! 「はりまや橋・倉敷・仙台青葉城」でしょう。
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 北一ガラスと寿司屋と土産屋と観光客が蠢く堺町通りを早足で歩き抜け、小樽新聞社跡とオタルナイ運上屋跡を拝見して銭湯密集地帯の南小樽へ。
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 このあたりの街並みは気に入りました。古い建物をきちんと大事に使いこなしているという雰囲気があります。そして何と歩いて数分の距離に銭湯が三軒もありましたね。小町湯、鹿乃湯、潮ノ湯。中でも鹿乃湯は逸品。半円アーチとペディメント(三角破風)と縦長の窓を組み合わせたファサードのデザインは銭湯とは思えませぬ。日本三大銭湯にノミネートしましょう。[筆者注:門司の梅の湯東京の子宝湯]小町湯にある煉瓦造りの煙突も捨てがたいけど。少し離れたところにインターナショナル様式の旧山田湯もありました。
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 さて歩き疲れて一休みしたいなと思ったら、「はち」という喫茶店がありました。渡りに船、さっそく入って珈琲を所望。真空管アンプと銘器フォステクスFE-103を組み込んだ手製スピーカーが、バッハのパルティータを奏でています。うーん、マンダム。てびねりのカップ類もしぶいし、いいお店です。気合を入れなおし、小雨が降り出す中、港を見下ろせる水天宮へ。「悲しきは小樽の町よ 歌うことなき人々の声の荒さよ」という啄木の歌碑があります。彼は、騒然とした商業都市・小樽が気に入らなかったようですね。
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 聖公会という教会の前を通り、職人坂を通り過ぎ、旧山田湯・だるま湯をカメラにおさめ、啄木の下宿跡へ(現在は食堂「た志満」)。そして彼が勤めた小樽日報社跡を拝見。結局彼は二ヶ月ほどで小樽を去り、釧路に向います。
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 そして駅から船見坂をのぼり、あの男が住んでいた高級住宅街の富岡へ。この坂からの眺めは観光ポスターの写真に良く使われるそうで、なるほど、坂道、街並み、港、船、海が一望できる絶好のビューポイント。ハリー・ライムじゃないけれど、あの家々を二、三十軒つぶしても屁とも思わない心情は、この眺めによって育まれたのかもしれない。
 札幌への帰路は、海が眺められるバスを選択。車中で、明日の計画を考えました。函館への移動日ですが、夕張に行くか、札幌市内を見るか、室蘭によるか、迷いましたね。後ろの席で地元のおばさんが「明日は晴れそうだね」と話しているのを聞き、午前中に札幌市内、そして室蘭のチキウ岬灯台によってから函館に行くという強行軍を決意。そして夕食は楽しみにしていた秋刀魚の刺身です。地元発行のグルメ・ガイドで当たりをつけた「さっぽろっこ」という店に行こうと、すすきのの横断歩道を渡ろうとしたら、安岡力也を天日干しして油を抜いたような客引きが寄ってきて「ソープ行かない?」と誘ってきました。いや秋刀魚を食いにいくと断固として拒絶すると、彼曰く「その店はチェーン店だ、やめとけ。俺が旨い店を紹介してやる」 ぼったくり、暴力、バールのようなもの、身元不明の水死体という言葉が頭の中をグルングルンと回りましたね。しかし♪俺の眼を見ろ、何にも言うな♪というメロディが脳内で鳴り響き、一瞬にして理解しました。嗚呼、青魚が好きな人の眼だ。「同志よ」と頷きあって頬擦りし(嘘)、その店に連れていってもらいました。ご丁寧に「この人に、秋刀魚の刺身と炭火焼、鮭の白子の天ぷらねっ」と注文までしてくれて… 「小鉢」という店ですが、絶品でした。言葉では表現できない旨さですね、秋刀魚の刺身は。ふうっ。帰りにまた彼に出会ったので、親指をグッと突き出すと、彼もニッと微笑をかえしてくれました。そして私は、脇目もふらず、一目散に、まっすぐに、寄り道もせず、ホテルへと向ったのです。ほんとだよ。
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 本日の二枚は、小樽運河と船見坂です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-21 06:29 | 北海道 | Comments(2)

北海道編(4):小樽(04.9)

 天気予報では、本日は曇りのち雨。しかし小樽は一日かけて歩き回ろうと決意していたので初志貫徹。お目当ては運河、倉庫群、手宮の操車場、レトロな街並み、啄木と小林多喜二の足跡めぐりです。そうそう、石原慎太郎の傲岸不遜・傍若無人な性格を育んだのが小樽という街だという説(『〈私〉の愛国心』 香山リカ ちくま新書485)を検証するのも楽しみですね。
特に小樽は、本土資本の日本銀行や日本郵船、山下汽船などが乗りこんで造った近代都市で、街の山手(天国)に住む「勝ち組」と、湾岸部(地獄)に住む「負け組」の荷役労働者や朝鮮人などに二分されていた。もちろん山下汽船小樽支店長、石原潔の長男坊だった慎太郎は「天国」世界の御曹司である。だから、彼は差別主義者というよりは、下層世界(敗者や弱者)を「見ない」「見えない」、そこまで想像力が届かない「植民者」の心情を持つ男だと考えるべきなのだろう。(『AERA』 2003.5.26)

 札幌から電車に乗り約30分で小樽着。まずは小樽交通記念館へ。ここには、現存最古の煉瓦造機関庫・転車台が残されています。幌内と手宮を結ぶ路線は、日本で三番目に古いものです。開拓に必要な物資を運び込み、内陸の資源を搬出するため路線で、手宮がその起点なのですね。鉄道ファンの聖地! でも女性の鉄道ファンってほとんどいないような気がしませんか。♪深くて暗い川♪を探求する材料になるかな。フランス積み・イギリス積みの見事な建造物でした。記念館のすぐ目の前に約1600年前の壁画が保存されている手宮洞窟保存館があるので見物。よく見えませんでしたけど。
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 ここからは徒歩で市内を散策、個性あふれる倉庫群を堪能いたしました。旧日本郵船小樽支店、北運河を見て、小樽市博物館(旧小樽倉庫)につくと、「銭湯の文化」という特別展示をしていました。こりゃ面白そうだと見学。小樽がきわめて銭湯の多い地域であることを知りました。さっそく、学芸員の方にその理由を尋ねると、①人口の密集、②船員が多い、③新しく商売を始める者が借家住まいをしていた、ということでした。なるほど。常日頃疑問に思っている「なぜ関東の銭湯は、お寺型なのか?」という疑問をぶつけたところ、さすがの学芸員さんも分からないとのお返事。ついでに石原慎太郎の住んでいた場所を教えてもらい、上記の話をしたところ、彼曰く「小樽に来た時はもうすでに傲岸不遜であったと聞きましたが、その可能性は大きいですね。内心忸怩たるものがあります。」と眼に瞋恚の炎をメラメラと燃やしながら答えてくれました。東京都の博物館・美術館が、あの男によってひどい目にあっているとのことです。そして二人は「同志よ」と言って抱擁しあったのでした(嘘)。美味しいラーメン屋があるかと訪ねると、近くの「麻ほら」という店でよく昼食をとると教えてくれました。廃線を利用した遊歩道を歩いてさっそく参上、さっぱりしているけれどコクのある醤油ラーメンを食しました。そして市立小樽文学館に行くと、祝日の翌日なので休館。小林多喜二のデスマスクが見たかったのにい!
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 本日の一枚は、小樽北運河です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-20 09:05 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(3):モエレ沼公園(04.9)

 バスもタクシーもないので駅までの約4kmを早歩き。再び特急で札幌に戻り、地下鉄環状通東駅に行き、バスで約20分。イサム・ノグチの設計によるモエレ沼公園に到着しました。イサム・ノグチ(1904―88)。アメリカの現代彫刻家。英文学者で詩人の野口米次郎と、作家レオニー・ギルモアとの間に生まれ、少年期は日本で育つ。渡米した後、彫刻家 を志し、アジア・ヨーロッパを旅して見聞を広めた。パリでは彫刻家ブランクーシの助手をつとめる。ニューヨークに居を定め、肖像彫刻、舞台美術をへて環境彫刻やランドスケープ・デザインにまで幅広い活動を開始する。戦後は日本でも陶器作品や、和紙を使った「あかり」のデザインなどを行う。その後、アメリカ国内外の各地で、彫刻、モニュメント、環境設計を続け、「地球を彫刻した男」と呼ばれる。1988年12月30日ニューヨークで没。その彼の文字通り最後の作品がここです。ゴミ捨て場であったモエレ沼を公園として再生するに際し、イサムに設計を依頼した札幌市の英断には海よりも深く感謝します。「公園に彫刻作品が置かれるのか」という質問に対して、「公園全体が彫刻なのです」と答えたと聞きましたが、これがすべてを物語っています。マスター・プランができた直後に心不全で急死、文字通り彼の遺作です。さて、いつものことですが、今回は特にこの公園のすばらしさを言葉で表現する自信は全くありません。でもやってみましょう、蟷螂の斧ですが。
 まず目に入るのが富士山のような形をした、高さ60mの人工的につくられたモエレ山。まだ未完成で立入りは禁止。そしてガラスのピラミッドのような管理棟。中央噴水も工事中です。少し歩くと広大な芝生の広場。売店も立て札も道も木々もない、フラットな空間が広がります。キャッチボールをする人、寝転ぶ人、凧をあげる人、みんな思い思いに時を過ごしていました。その眼前にそびえるのがプレイ・マウンテン(遊び山)。三角錐の形をしており、石をつみあげベンチにも階段にもなる斜面と、芝生におおわれた斜面からなっており、子供たちがゴロンゴロンと転がり下っていました。頂上は360度のパノラマで、三日月形のモエレ沼や遠く札幌市内が見渡せます。その隣にはイサムの巨大な作品である「テトラ・マウント」が設置されています。
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 そして公園の三分の一ほどが林の中にあり、遊具の置かれた広場が点在しています。その遊具もすべてイサムがデザインしたもので、「さわりたい/のぼりたい/もぐりたい」と思わせる魅惑的な配色・フォルムをしています。高校生や大人が嬉々としてブランコにのったり、滑り台から滑り降りている姿が印象的でした。(もちろん小生も) そしてどんな遊び方をするかはこちらの想像力に委ねられているような遊具もたくさんあります。ちょっと勇気を出せば飛び越えられる、挑発的なスパンが印象的な遊具もありました。
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 そして刺激的な空間構成。手前に山型のジャングル・ジム、左にピラミッド型の管理棟、右にプレイ・マウンテン、遠くには自然の山々の稜線。どのアングルで切り取っても、こちらの感性を魅惑してくれます。公衆便所や水呑場にもイサムの細やかなデザイン感覚が反映されています。そして掲示板。少し歩いて気づいたのですが、この公園には「文字」がほとんど見当たりません。言葉ではなく、体でこの公園を楽しんでほしいというメッセージかな。そして子供や外国人を意識した思いやりでもあるのでしょう。上から三つ目の絵が気になるので、後で公園に問い合わせてみようと思います。「悲しんではいけない」というメッセージだったら素敵ですね。
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 夕暮れも近づき、プレイ・マウンテンの頂上に座り、陶然として公園全体を眺めていたら、後ろにいた若い二人の男性のしみじみとした美しさに溢れた会話が聞こえてきました。「モエレ沼って、前は何にもなかったよなあ…」 (間) 「札幌っていいところだなあ…」 そうだよねっ。郷土や祖国への愛というものは、こうやってしみじみと囁くように自然と口に出るものなんだよね。声高に叫んだり、無理矢理人に言わせたりするものではないんだよね、断じて。大きな空を紫色に染めながら陽が落ち、漆黒の闇が広がり、そして重い腰を上げて帰途につきました。
 イサム・ノグチの言葉です。「二重国籍で生まれた私は、自分自身がどこに属しているかはっきりしていませんでした。だから私は、本当に落ち着けるところ、そして、誰かの役に立てるところを探し続けてきました。」 大丈夫、あなたは地球に属しています。そしてこんなに楽しく役に立つ空間を私たちに贈ってくれました。心から感謝します。ありがとう。旅の喜びの一つは、「またここに来たいから、頑張って働こう」と思える場所に出会うことですが、今日は一日でいっぺんに二つ出会えました。自分へのご褒美に、夕食は十勝牛のステーキ。今思い出しても、胸が震えるような極上の一日でした。そうそう、ここで購入した記録映画「地球を彫刻した男」を見ていたら、「やっと少しわかってきた」というのが彼の口癖だそうです。これもいい言葉ですね。イサム・ノグチとの付き合いは長くなりそうです。次は酒田の「土門拳記念館」じゃ。

 本日の三枚です。
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 追記。掲示の意味がようやく判明しました。予想が外れて、すこし残念。

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# by sabasaba13 | 2005-02-19 07:47 | 北海道 | Comments(8)

北海道編(2):美唄(04.9)

 昨日とはうってかわり快晴。上の方で誰かが私のことを好きなんだ! 予定通り美唄とモエレ沼公園へ。特急列車の発車時刻まで40分ほどあるので、駅周辺を散策しました。まず駅前にある啄木下宿跡を見物。彼は札幌を「秋風の街」と評しています。そして北海道大学へ。広々とした敷地に樹木が生い茂る気持ちがよい大学ですね、ここは。ただ台風18号による倒木が無惨です。ポプラ並木も同様でした。古河講堂とクラーク像を見て駅に戻り、特急列車に乗って約30分で美唄に到着しました。
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 駅員の方に聞くと観光案内所はないとのこと。やむをえず観光地図をもらい、モーニングサービスを食べながら作戦をねろうとしたが、喫茶店が見当たりません。こういう時は郷土資料館へ行くのがよいとの経験則があります。ビンゴッ! そこで豊富な資料をもらい、休憩室でチェックし、今日のコースを組み立てました。見物したい所を貫くサイクリング・コースと、ロハの貸自転車があるのでこれを使いましょう。どうやら廃線となった炭鉱鉄道を利用したコースのようです。アプトの道以来廃線が気に入っているので、渡りに船。識見を感じますね、いいぞ美唄市。
 タクシーで起点となる旧東明駅に行くと、「今年から自転車貸出しは東明公園管理事務所に移転しました」というポスター。その上をウゾウゾと蠢く無数の虫… おまけに公園までの地図もいいかげんで、かろうじてたどりつたところが事務所がどこにあるのかわからない。だだっぴろい公園なのに案内図がないのです。一時間弱かかってたどりつきました。不親切だぞ美唄市。やれやれ、自転車を借りていざ出発です。樹木が邪魔して眺めが良くないのが残念ですが、美唄川と山の麓の舗装されたサイクリング・ロードを快走。途中で、謎の炭鉱物件や、廃屋となった住宅をしばしば見かけます。まずは三菱美唄記念館で美唄炭鉱についての学習。炭鉱施設や家々が建ち並び賑わう様子を映した写真を見て、無常を感じます。
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 そしてさらに川沿いにさかのぼり炭鉱メモリアル森林公園へ。ここには巨大な櫓二基と、電気関係を管理する開閉所、石炭を貯蔵する原炭ポケットが当時のまま保存されていました。蜻蛉が群れ飛ぶ中、寡黙に屹立しているその姿を見ていると、なぜか感傷的になります。
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 そしてUターンして、下り坂を気持ちよく駆け抜け、アルテ・ピアッツァ・美唄に到着。この地出身の彫刻家、安田侃(かん)の作品を展示している美術館です。驚いたのは、壁がないこと。少し小高い丘にある、天国に続くように空へと向かう階段を上ります。胸がワクワクする演出ですね。頂上に登りつめると起伏にとんだ広々とした芝生と木々がいきなり眼前に広がります。もうこれだけでも来たかいがあったというもの。そして美術館は、炭鉱の閉山により人口が激減し廃校となった小学校の校舎をそのまま利用してあります。一階は現役の幼稚園、二階が美術館、入場は無料。内部は、天井板をはがして朴訥とした梁を見せているほかは、教室・廊下は往時の姿をとどめています。そこに安田氏の手による大理石製の抽象彫刻が展示してあるのですが、まったく違和感がありません。それどころか、硬い素材+柔らかなフォルムの彫刻と、柔らかい素材+硬い直線により構成された教室と窓枠が見事にマッチしています。木の床のニスの匂いからは、ここで子供時代を過ごした人々の思い出が感じられ、それに彫刻が反応して息づいているようです。体育館も展示室として利用されるとともに、多目的ホールとして貸し出されています。ちょうどアマチュアの弦楽オーケストラが練習していたのですが、「豊かさ」と「幸福感」に満ち溢れた情景でした。いやあ、美唄に移住してこのオケの一員となって、ドボルザークの弦楽セレナーデを弾いてみたい。野外にも氏の作品が、空と借景となる山々と起伏にとむ芝生と木々を計算に入れながら配置されています。心が外へ外へとどんどん広がっていくような美術館。ほんとうに来てよかった。これまで訪問した美術館ベスト3にノミネートします。ちなみにあと二つは、牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館と、オランダのクローラー・ミュラー美術館。
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 さて自転車で美唄にある炭鉱物件を見て回るという選択肢もありましたが、すばらしい快晴なのですぐにモエレ沼公園に直行することに決定。以下次号。

 本日の三枚です。
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# by sabasaba13 | 2005-02-18 06:40 | 北海道 | Comments(10)

北海道編(1):札幌(04.9)

 昨年の9月に札幌・函館近辺をフラフラしてきました。夕張の炭鉱関連物件と、北海道の明治村である「開拓の村」と、未踏の地小樽と函館と、石川啄木の足跡の見物がお目当てです。下準備で札幌を調べていたら、大通公園にイサム・ノグチ作の彫刻があるという情報をゲット。そう言えば彼の遺作となったモエレ沼公園が札幌にあることを思い出し、さっそく旅程に組み込み! さらに藤森照信氏の「特選美術館三昧」を買って読んでいると、美唄にすんばらしい美術館があるとのこと。美唄といえば三菱炭鉱があるじゃないか。うしっ、ここも行こう。今回は札幌三泊、函館二泊なので、旅程の組み換えがある程度可能。天気・気分とのからみで右往左往することにしました。

 昼頃に新千歳空港に到着。利休鼠の雨が降るあいにくの天気。小生の悪運もここに尽きたかと落胆しつつ、電車で札幌に行きラーメンを食べながら本日の予定を考えます。札幌市内の彷徨か、「開拓の村」散策か。雨の日は地図で目的地をさがすのが面倒なので、後者に決定。新札幌駅まで行きタクシーで「開拓の村」に到着。ここは明治・大正時代の道内の建物を移築・復元・保存している野外博物館です。有島武郎住居や屯田兵屋や開拓小屋、にしん漁で潤った青山家住宅など興味深い物件がありました。石川啄木がかつて勤めた旧小樽新聞社を見上げて感無量。鉄道馬車も復元されており、雨に打たれながら客車を引く馬の姿には哀れを覚えます。そうそう、北海道大学恵迪寮の「ニュートンもクソの落下に気がつかず」という落書きは傑作でしたね。そりゃそうだ。愛知県にある「明治村」のようなきらびやかさはありませんが、往時の北海道の姿を想像できる、なかなかよい博物館です。あらためて、近代日本が持ったはじめての植民地は北海道と沖縄なのだなあと考えさせられました。
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 夕食はホテル近くの寿司屋で鉄火丼を食す。ファイターズの話題で、お店は盛り上がっておりました。スワローズ・ファンとしては、いつかこのチームと日本一をあらそいたいですね。さてさて今回の旅は雨模様の日が多くなると覚悟を決めました。明日も雨ならば市内彷徨、晴れたら美唄とモエレ沼公園に行くことに決定。モエレ沼公園は是が非でも晴れた日にぶつけようと心に誓います。
# by sabasaba13 | 2005-02-17 06:31 | 北海道 | Comments(0)

トゥー・ハンズ

 レオン・フライシャーの「トゥー・ハンズ」を聴きました。彼は、ジストニアという病気により右手が完全に麻痺してしまったピアニストです。35年におよぶ必死のリハビリによって回復し、レコーディングしたのがこのアルバムです。ピアノが弾ける喜びが慈雨の如く心を濡らしてくれます。シューベルトのピアノ・ソナタ第21番(遺作)もしみじみとした良い演奏ですが、圧巻はJ.S.バッハの「羊は安らかに草をはみ」ですね。カンタータ第208番《わが楽しみは愉快な狩だけ》BWV.208のアリアを、エゴン・ペトリがピアノのために編曲した曲です。かなり遅めのテンポで一音一音を慈しむように弾いた演奏で、心のひだひだにじわっと染み込んできます。それにしても、こんなに単純な和声・リズム・旋律でこれほど人の心を揺さぶれるとは。バッハの力量に感嘆するとともに、あらためて音楽に感謝したいですね。昨今「癒し」という言葉が巷に溢れて辟易しております。しかしその実態は、感覚を麻痺させて痛みを一時的に忘れさせてくれる麻酔薬の如きものです。まあそれが悪いとは一概には言えませんが。私がほしいのは、滋養強壮剤です。この曲を聴いていると、心身にほくほくと栄養分が行き渡るのを感じます。聴いた後は無性に人に優しいことをしてあげたくなり、山ノ神の肩を(肩ですよ肩!)揉んであげたりする健気な私です。ブッシュとシャロンに聴かせてあげたい。
# by sabasaba13 | 2005-02-16 06:30 | 音楽 | Comments(0)

「ものづくりに生きる」

 「ものづくりに生きる」(小関智弘 岩波ジュニア新書318)読了。著者は大田区内の町工場で働くベテラン旋盤工です。“ビルの屋上から設計図を紙飛行機にして飛ばせば、三日後には製品になってもどってくる” 螺子一つから、最先端のハイテク部品までを作り出す町工場街と、そこに生きる職人たちを姿を生き生きと描いた好著です。モノをつくるということの奥深さと尊さをしみじみと感じます。そして仲間と励ましあい助け合いながら働くことの素晴らしさ。珠玉の言葉をいくつか紹介します。「機械にもニンベンをつけて仕事をするもんだ。」「人のためではない。まして金のためなんかではない。ただ自分が納得できる仕事をしたいだけである。」「つまらない仕事というものはない。仕事をつまらなくする人間がいるだけである。仕事が味気ないのではない。味気なく仕事をするから、楽しくないだけである。」「職人というのは、人の役に立つ仕事をする人間です。その人間の仕事が楽しくないはずがない。楽しんで働けなければ、職人じゃないですよ。」「"遊び"に理解のある職場ほど、働きやすい。たとえ結果としてうまくゆかなくても、その"遊び"に寛容な職場は人を育てる。職場のふところが深いということだろうか。分刻み、秒刻みに能率をあげることばかり考えているような職場は息がつまるし、遊びと怠けの区別もつかないような人のもとで働くのはたまらない。」
 納得のいく仕事がしたいという気持ちが大事だと痛感しました。他者を蹴落とそうとする競争原理からは、良い仕事は生まれないと思います。いやあ働く意欲がもりもりとわいてきました。そしてわれわれから働く機会を奪おうとする存在に対する怒りも。
# by sabasaba13 | 2005-02-15 06:30 | | Comments(0)