富士宮編(5):富士宮(17.2)

 記念館のとなりでは河津桜がもう咲きはじめていました。それでは伊東駅へと戻りましょう。途中に、津波発生時の避難先を示す掲示がありました。そして伊東駅から伊東線に乗って熱海駅へ。東海道線に乗り換えて沼津へと向かいます。
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 三島あたりから、富士山が頂上までクリアに見えてきました。これはいけそう、期待で胸はふくらみます。そして沼津駅に到着、ここで列車を乗り継ぎますがすこし時間があるので駅前へ出てみました。沼津は以前に訪れたことがあるので今回はカット、駅前に貼ってあった「ゆるキャラ」だけ撮影しておきました。沼津信用金庫の「ころろん」は、富士山をモチーフに女性職員が考案されたそうです。「おとのちゃま」はT-1グランプリのイメージキャラクター。これは、静岡市茶業振興協議会が、小学生にお茶の楽しさとおいしさを知ってもらうために開催しているとのこと。なるほど、tea-1か。参加者が"お茶の○×クイズ"、"お茶の種類あて"、"お茶の入れ方実技"の3種類の競技を行い、日本茶の茶ンピオンを決定するそうです。
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 そしてふたたび東海道線に乗って富士駅へ、身延線に乗り換えて富士宮駅に到着しました。一階にあった観光案内所に寄り、地図をいただき、富士宮焼きそばの美味しい店を訊ねると、富士山本宮浅間大社の前にあるお宮横丁を紹介してくれました。ついでに富士山をよく眺望できる場所をお聞きすると、大社の鳥居と、市役所上階からの眺めが良いそうです。残念ながら土曜日なので市役所には入れないとのこと。うーん、い、け、ず。ツーリストのために入れてくれてもいいのに。念のため、ダブルダイヤモンド富士で有名な田貫湖へ行くバスの時刻表を調べていただくと…一日数本しかありません。悪魔の機械を買わせて、○ヨ○や○ッ○ンのCEOや株主たちを肥え太らせようという腹なのかい、えっ、おい、とからみたくなりました。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-02-21 06:32 | 中部 | Comments(0)

富士宮編(4):伊東(17.2)

 「伊東観光番」の壁に貼ってあった掲示を見ると、近くに東郷平八郎の別荘、「東郷記念館」があるとのこと、ちょっと寄ってみました。人柄をしのばせるような質素な木造平屋の日本家屋ですが、彼が夫人の療養のために建てた別荘だそうです。
 東郷平八郎と言えば、戦艦「三笠」に乗り込み、日本海海戦を勝利に導いた名将として知られていますが、彼が日米開戦に関わったことはあまり知られていません。『御前会議 昭和天皇十五回の聖断』(大江志乃夫 中公新書1008)という名著をもとに紹介したいと思います。(p.203~8)
 戦争を回避するための日米交渉において、ぎりぎりの対立点が、中国からの全面撤兵というアメリカの要求を日本(近衛文麿内閣)が受諾するかどうかの一点であったことは周知の事実です。東条英機陸相は、撤兵の責任を陸軍が負わないために、海軍に戦争の自信がないと発言させ、撤兵やむなしとの結論を海軍の責任として出させることを考えていたようです。「反対してくれないか」と東条陸相に頼まれたと、及川古志郎海相は証言しています。日米戦争ともなれば主役は海軍で、海軍が反対しているのに、陸軍が撤兵を拒否すれば対米開戦の責任を陸軍が全面的に負うことになります。しかし自信がないにもかかわらず、及川海相は和戦の「決定は総理に一任したい」と発言し、海軍の態度表明を避けてしまいました。
 彼は後に、「私の全責任なり」と述べ、アメリカと戦えないと海軍が言わなかった理由を二つ挙げています。まず、満州事変(1931)のころ、彼の上司である谷口尚真大将が、対英米戦は不可能なので事変に反対しました。これに対して東郷平八郎元帥が、彼を以下のように面罵したそうです。
 軍令部は毎年作戦計画を陛下に奉っておるではないか。いまさら対米戦できぬといわば、陛下に嘘を申し上げたことになる。また東郷も毎年この計画に対し、よろしいと奏上しているが、自分も嘘を申し上げたことになる。今さらそんなことがいえるか?
 神様にひとしい雲上人である東郷元から、上司である谷口に叩きつけられたこの面罵、「このことが自分の頭を支配せり」と及川海相は語っています。なお東郷平八郎は1934年に死去しているので、大江氏は「死せる東郷が生ける海軍を対米戦に走らせ壊滅させた」と評されています。大江氏は、年度作戦計画は想定にもとづく純戦略計画であり、実際の戦争遂行を指導すべき政略である戦争計画とは次元が違い、この発言は支離滅裂であると批判されています。
 もう一つの理由は、「近衛さんに下駄をはかせられるな」という沢本頼雄海軍次官からのアドバイスによるものです。下手に対米戦に反対すると、"保身術にたけた無定見な公卿出身の近衛"から責任を押しつけられる。そうなれば弱気な海軍に対する国民の激烈な批判も予想されます。そこで近衛の口から「対米戦はできない」と言わせれば、海軍の責任は回避できるということです。
 というわけで、陸軍は海軍に、海軍は近衛首相に、それぞれ戦争決意の責任を転嫁し、結局、1941年10月16日、近衛首相はその責任を回避するために内閣総辞職をしました。そして後任の東条英機内閣によって対米戦が遂行されたわけです。やれやれ。
 これは関東大震災時の虐殺とも通底しますが、官僚(軍人も官僚ですね)・政治家の恐るべき無責任さをどう理解すればいいのでしょうか。大局を概観して熟慮し、責任をもって決断し実行するということを回避するという、日本の政治構造の宿痾。いまだに治癒されていないことに恐怖すら覚えます。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-02-20 07:39 | 中部 | Comments(0)

富士宮編(3):伊東(17.2)

 それでは古い交番へと向かいましょう。松川を渡ると、なにやらメッセージが所狭しとべたべた貼ってあるけったいなスナックに遭遇。ふりかえると、和風とモダン、二つの意匠の望楼がよいアクセントとなった旅館「東海館」が、川面にその威風を映していました。
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 再会を祝して記念撮影。玄関に掲示してあった解説を転記しておきます。
伊東市指定文化財 旧木造温泉旅館東海館

 東海館は伊東温泉を流れる松川河畔にある大正末期から昭和初期の温泉情緒をいまに残す木造三階建て温泉旅館群の一つです。昭和3年(1928)に創業、昭和13年頃(1938)、昭和24年頃(1949)に望楼の増築など、幾度かの増改築を行いながら旅館業を営んでいましたが、平成9年(1997)、70年近く続いた旅館の長い歴史に幕を下ろしました。その後、伊東温泉情緒を残す町並みとしての保存要望もあり、所有者から建物が伊東市に寄贈されることになりました。平成11年(1999)には、昭和初期の旅館建築の代表的な建造物として文化財的価値をもち、戦前からの温泉情緒を残す景観として保存し、後世に残す必要があるという理由から市の文化財に指定されました。平成11年から平成13年にかけて保存改修工事が行われ、平成13年(2001)7月26日、伊東温泉観光・文化施設『東海館』として開館しました。
 創業者の稲葉安太郎氏が材木店を営みながら、国内外の高級な木材を集め、この旅館を建てる際に形や木目などの美しく質の良い木材などをたくさん使っています。昭和13年頃に建築された部分では3人の棟梁を各階ごとに競作させたこともあり、廊下の飾り窓や階段の手すりの柱などにそれぞれ違った職人の技と凝った意匠を見ることができます。他にも、玄関の豪快で力強い彫刻や書院障子の組木のデザイン、照明器具などもみどころです。
 今回は時間がないので、内部の見学はカットしましたが、こちらも再訪を期します。

 そして旧松原交番に到着、現在は「伊東観光番」として観光案内所となっております。なんとなくどんくさく土臭い、愛嬌のある交番です。

 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-02-19 08:48 | 中部 | Comments(0)

富士宮編(2):伊東(17.2)

 気になったので、帰宅後にインターネットで調べてみたところ、「レトロな風景を訪ねて」という素晴らしいサイトに出会えました。それによると、このあたりの「猪戸町」、および西小学校付近の「新天地」は、赤線跡だそうです。"赤線"という言葉は安易に使われているようなので、『赤線跡を歩く』(木村聡 ちくま文庫)を参考に説明しておきたいと思います。いわゆる赤線の原型となったのが、内閣の要請・出資を受けて設立されたRAA(Recreation and Amusement Association)という民間団体が、遊郭など既存の施設を転用して"進駐軍"(※占領軍ですよね)向けにつくった慰安施設です。その目的は、"進駐軍"から一般の婦女子を守る"性の防波堤"とすること。かつての日本軍が占領したアジアで女性への強姦・陵辱を頻繁に行ったことが記憶にあったのでしょう、当然アメリカ軍兵士も同様の行為をするにちがいないと考えたのですね。しかし性病の流行や倫理観の相違などから、すぐにGHQは全ての施設にオフ・リミッツ(立入禁止)の看板を掲げ兵隊の出入りを禁止、そのため日本人相手の商売へと鞍替えしました。その直前の1946 (昭和21)年1月、GHQの指令により、日本における管理売春の公娼制度は廃止されましたが、戦後社会の混乱と性風俗の悪化を恐れ、特定の地域を限って私娼による慰安所を設けて営業することが許されることになります。こうした動きがあいまって、吉原・洲崎・玉の井・亀有・立石・新小岩・新宿・千住・品川・武蔵新田・八王子・立川・調布などで産声を上げたのが「赤線」。なおその名の由来は、警察がこの地域を地図に赤線で囲って示したところからきています。そこでは鮮やかなタイルと色ガラス、入口にホールのある独特の様式が生まれ、カフェー調の店が全国の盛り場で流行しましたが、1956 (昭和31)年5月24日売春防止法が公布、翌年4月1日同法の実施により姿を消すことになります。

 伊東の猪戸町・新世界が"赤線"として指定されたのかどうかは確認できませんでしたが、同サイトによると、古い歓楽街の面影を濃密に残す建築が数多く残っているそうです。掲載されている写真を見ても、それらしい雰囲気の建物ばかりです。これまでにも前掲書を片手に、鳩の街玉ノ井洲崎を散策してきましたが、こちらもぜひ徘徊してみたいですね。ほんとうに再訪を期す。また京都にも、「五条楽園」という歓楽街の残り香が漂う街並みがあることを教示していただきました。こちらもぜひ訪れたいと思います。

 なお興味のある方には、類書として『敗戦と赤線 国策売春の時代』(加藤政洋 光文社新書418)もお薦めです。
# by sabasaba13 | 2017-02-18 06:30 | 中部 | Comments(0)

富士宮編(1):伊東(17.2)

 「カマキン」といえば、オカマのキン○○ではなくて、今は亡き神奈川県立近代美術館鎌倉ですが、「カマゲイ」ってご存知ですか。オカマとゲイではありませぬ。はたしてその正体は? すこし話が長くなりますが、おつきあいください。ふふふ…

 如月のとある休日、お天気が良いとの気象情報に後押しされて、富士宮にふらりと行ってきました。お目当ては富士山と富士宮焼きそば。後者については、「ヤ・キ・ソ・バ・イ・ブ・ル」(渡辺英彦 静岡新聞社)という面白くかつ興味深い本を読んで以来、ぜひ現地で食べてみたいものだと思っていました。東京の屋台で食べたことはあるのですが、「ワインと焼きそばに旅をさせるな」という格言を信じましょう。せっかくなので、周辺に面白いものはないかと、「文化遺産オンライン」と「全国のB級グルメ 注目ランキング」を渉猟したところ、伊東に古い交番があり、三島では「長泉あしたかつ丼」が食べられることが判明。地元のあしたか牛をふんだんに使ったメンチカツどんぶり、メンチを溺愛する私としては見逃せません。よろしい、伊東→富士宮→三島と経巡りましょう。ほんとは、旧岩渕火の見櫓と、さかさ富士が見られる田貫湖にも後ろ髪を引かれましたが、時間的に厳しいと判断して今回はカットしました。
 東海道線で熱海まで行き、伊東線に乗り換えて伊東駅に到着。伊東は以前に訪れたことがあるので、今回は交番に特化しました。途中にイノシシの像がありましたが、後学のために解説板を転記します。
猪戸温泉通りの由来

 ここ猪戸温泉通りは中伊豆方面に至る陸路の伊東温泉の玄関口として古くから拓けました。
 又、海路の発達とあいまって明治の初めより幾多の温泉宿をはじめ、いろいろな商い店が軒をつらね繁華街の中心となった歴史的な賑やかな街道であります。
 猪戸所在の天与の源泉は昔、猪が湯あみし霊泉の湧出を発見「猪戸の元湯」として長い歳月、多くの人々に親しまれ湯守り「出湯権現」の石の祠が祀つられております。
 この辺一帯を昔、「猪渡」と言い後に「猪戸」に変ったといわれております。
 今般、猪戸温泉通り商店街のシンボルとして猪の像を建立し、猪戸界隈の歴史、文化を偲ぶと共に商店街の飛躍発展を祈念する次第であります。
平成二年三月吉日 建立 協同組合 泉栄会

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# by sabasaba13 | 2017-02-17 06:30 | 中部 | Comments(0)

保育所で国旗・国歌

 毎日新聞(2017.2.14)によると、厚生労働省が、保育所に通う幼児に対して、国旗や国歌に親しむことを求める保育指針を公表したとのことです。
 厚生労働省は14日、保育所に通う3歳以上の幼児に対し、国旗や国歌に親しむことを求める文言を初めて盛り込む保育所保育指針改定案を公表した。同日文部科学省が公表した幼稚園の教育要領案に表現を合わせた形だが、保育所は学校教育法に基づく施設ではなく、保護者から幼児を預かる福祉施設のため、過度の押しつけにつながる可能性があるとの懸念が出そうだ。
 保育所保育指針改定案には、国旗について「保育所内外の行事において国旗に親しむ」、国歌については「正月や節句など日本の伝統的な行事、国歌、唱歌、わらべうたや日本の伝統的な遊びに親しむ」という表現が盛り込まれた。国旗は現行の幼稚園の教育要領、国歌はこの日公表された教育要領案と同じ表現となっている。
 保育指針改定案はパブリックコメント(意見公募)を実施し、18年度から施行する予定という。厚労省は改定について、「幼稚園と保育所の一体化を進めており、文科省の教育要領の見直しに合わせた。国旗掲揚や国歌斉唱を強制するものではない」と説明している。
 幼稚園は学校教育法で義務教育前の教育を担う場、保育所は児童福祉法で保護者に代わって保育する場とそれぞれ位置付けられており、本来の目的は異なっている。【山田泰蔵】
 やれやれ、なぜこの国の官僚諸氏は、「愛国心」を子供や若者に強要したがるのでしょうね。これを"異端審問官的な他者支配欲"と喝破されたのは法哲学者の井上達夫氏です。(『現代の貧困 リベラリズムの日本社会論』 岩波現代文庫)
 誤解のないように言えば、愛国心自体を危険視しているのではない。危険視さるべきなのは、「愛国心は強制できる、しかも一定の儀礼を愛国心の踏み絵として強制することによって、それを植え付けることができる」とする異端審問官的な他者支配欲であり、「日本人ならみな日本を愛するのが当然だ、しかも日の丸に敬礼し、君が代を斉唱し、靖国の英霊への国家的慰霊の受容という同じ仕方によって、日本という国への愛を表現するのが当然だ」という同質社会的不寛容の蔓延である。国を愛するとは何をいかなる仕方で愛することなのかについて、視点を異にする人々が相互批判と相互啓発を通じて連帯するような関係性の欠損、すなわち、異質な他者との共生を受け入れない〈関係の貧困〉から、我々が未だ脱却できていないことこそが、危険視さるべきなのである。(p.324~5)
 「私を愛して」としつこくつきまとうのだから、ストーカー国家だと指摘されたのは、評論家の佐高信氏です。(『属国 米国の抱擁とアジアでの孤立』 ガバン・マコーミック 凱風社)
 2007年が明けると、愛や希望や美しさを語るメディアが東京中に溢れた。日本人がみな、春でもないのに突然、恋の季節に心を奪われたのか-むろんそうではない。政府が国民に愛国を求めていたのだ。おそらくこの国が隣国の北朝鮮とよく似ているのはこの点だろう。隣国の国民も「親愛なる指導者」と愛するよう求められている。評論家の佐高信は、自分を愛せとつきまとうような国を「ストーカー国家」と呼ぶ。国民が愛国を強制され自己犠牲がこのうえなく美しい行為だと教えられた20世紀前半の日本を覚えている人もいるだろう。しかしその日本の終末は悲惨なものだった。(p.285~6)
 いやいや、家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)の加害者に近いと言われたのが、小説家の高橋源一郎氏。(『ぼくらの民主主義なんだぜ』 朝日新書)
 誤解を恐れずにいうなら、わたしには、この国の政治が、パートナーに暴力をふるう、いわゆるDV(ドメスティック・バイオレンス)の加害者に酷似しつつあるように思える。彼らは、パートナーを「力」で支配し、経済的な自立を邪魔し、それにもかかわらず自らを「愛する」ように命令するのである。(p.171)
 対象が何であれ、"愛"を強要するのは、分別のある真っ当な人間のすることでないと思うのですが。異端審問、ストーカー、DV、いずれも言い得て妙です。
 その「愛の強要」がとうとう、幼児までを捕捉しようとしています。病膏肓に入る、幼児嗜好性のストーカーですね、これは。個人が行なったら、犯罪なのに。
 それにしても、妄執とも言うべきストーカー行為を、臆面もなく官僚諸氏がくりかえすのは何故か。いまひとつ腑に落ちなかったのですが、片山杜秀氏の『大東亜共栄圏とTPP 片山杜秀の本7』 (ARTES)を読んで、目から鱗が落ちてコンタクトレンズが入りました。
 …福祉国家モデルが、いまつぶれようとしています。とくに日本。では、どうするのか。
 国が「面倒みます」とはいったものの、もう面倒をみられなくなった。面倒をみられなくなったのなら、同じ国で国民だとかいう必要ももうありません。道州制どころか国は分裂して、昔みたいな薩摩藩とか何藩だとかに分裂しちゃえばいいじゃないか、食えるところだけ食っていけばいいじゃないか、みたいな話になってきます。オレだけ食えればいいじゃないか、ということですね。そうなってしまったら、歴史は浅いけれども、今まで積み上げてきた近代国家のシステムは壊れてしまいます。国家を壊さないとするなら、どうするか。やはり福祉国家の破産後には、安上がりな連帯のしかけがまた帰ってくるでしょう。
 橋下市長がいっている《君が代》とかのポーズは、また戦争しましょうとか、また帝国主義のモデルに帰ろうといっているわけではありません。たんに、もう面倒はみられないんだけれども、だからといって、社会を壊してもらっては困るんですといっているわけです。いちおう日本国民じゃないですか、まあ仲良くして絆があるようなふりをしようじゃありませんか、錯覚して一生生きててくださいということなんですね。
 そのためには国旗とか国歌とかで、仲間だということにしておくのがよい。お互い面倒はみないけれど、仲間なんだよと。お互いが面倒をみないのになんで仲間なんだかわかりませんが、一緒なんだよ、日本人なんだよというわけですね。やはり、われわれはバカですから、国旗や国歌でなんとなく仲間かなと思っていると、何年かはごまかされます。やっぱり、おかしいかな、と思っているうちに死んでいく。この国はそういう段階にきてしまっているんです。
 橋下市長がいっていることは、大阪維新の会の維新八策とかのスローガンを見ればわかるように、基本的には新自由主義です。自助、自立、自由、自己責任。国家や自治体は面倒をみません。勝手にやってくださいと。そのぶん、役人とかがいらなくなるから給料を減らしますよと。だから、お金がかからないようにしますと。お金がかからないということはサーヴィスも低下します。あんたたちの面倒はみないんですと宣言しているに等しいですね。でも、同じ日本人じゃないですか、国旗、国歌があるから、仲良くしましょう、社会を壊して反乱を起こさないようにしてくださいね。いっていることは結局これだけではないですか。
 ひどい国ですね。私は本当にもう、泣けてくるというか、ついにここまできたかという感じがいたします。いま《君が代》がどうとかいっているのは、戦争をしようとか、そんな話とはまったく関係のない、ただこちらは面倒をみないけど、少しでも連帯心を低下させないような安上がりなしかけをひとつでも多くもっていたい、というそれだけの話にすぎないわけでしょう。
 左翼の人は、「また戦争が」とかいって心配してますが、どうも違うのではないか。ただ、安上がりで絆があるように見せかけようという話だけなんですから。そこをわかっていただいて、今の日本を考え直すことが大事なんだと思うんです。(p.52~6)
 なるほど。日本国政府はもう国民の面倒を見ない。金持ちに有利なシステムをこのまま維持したい。でも貧しい人たちが文句を言ったり暴れたりしたら困る。そこで日本人としての絆があるように見せかけるために国旗・国歌を利用する。安上がりだし。これは炯眼です。待機児童をなくすために、保育所を増やすことが大事なのにね。

 なお同書では、家族のことにも言及されているので、こちらも引用します。
 いま日本という国は、経済が右肩下がりである。税金も集らないとなると、家族が壊れていく分は国家が面倒をみることになるから、保険とか年金とかを充実させて、国民の生活を保障して安心して暮らせるというのが、近代のわれわれが考える美しい国のはずなんだけど、その美しい国を求めることは、つまり国がちゃんとやるということは求めることができない。にもかかわらず、安倍政権においては、もう面倒みられないので勝手にやってください。それは家族でやってください。なければこれから作ってください、いい家族を。そのための倫理教育とかはお金もかからないから国ががんばってやりますよ。つまり、家族を復興すれば、国があんまり面倒をみなくても日本人は大丈夫ですよ。こういうレベルの話になってきているのではないですか。これが私の理解するところの安倍晋三流の美しい国ですね。美しい国というのは、国が近代国家として国民の生活の面倒をみることをなるべくやめて、国の負担を減らして、その代わり自助努力でやってください。そしてその自助努力の基本は家族だ、ということです。(p.222)
 安倍伍長政権は、国民の面倒を見る気などさらさらない。銘肝しましょう。そしてそういう政権を、六割近くの方々が支持していることも。ほんとうに泣けてきます。
# by sabasaba13 | 2017-02-16 06:28 | 鶏肋 | Comments(0)

『タコ社会の中から』

 昨日、アメリカはサイバー攻撃や原発攻撃などで日本を壊滅させるオプションを持っていると書きました。どこかでそれに関する随筆を読んだことがあるなあと感じたのですが、思いだしました。『タコ社会の中から 英語で考え、日本語で考える』(晶文社)所収の「赤(と白と青?)の脅威」という随筆で、筆者はC・ダグラス・ラミス氏でした。
 世界中の国々のなかでいちばん、日本の国境を侵犯したり、日本人に戦争をしかけたりしそうな国はどこだろう? 答はあきらかだ。それはソ連ではなく、アメリカである。
 こんなことをいうのはタブーになっているけれども、第2次大戦後の歴史をみればそれは歴然としている。冷戦が始まって以来、アメリカもソ連も、相手の勢力圏にある国を直接侵略するようなマネはしていない。第3次大戦の引金となるのを恐れるからだ。中立国にも戦争をしかけていない。アメリカとソ連が当事国として関係している戦争や軍事行為はどれも、自分の勢力圏内の、すでに自分の支配下にある国で、その支配力が脅かされたときに始まっている。
 こうして朝鮮戦争はアメリカの勢力圏内の韓国でおき、インドシナ戦争はアメリカの勢力圏内の南ベトナムでおきた。他方、ソ連が軍事力を行使したのは、同盟国であるチェコスロバキアやアフガニスタンの侵略のときだけだ。超大国と結んだ「安全保障条約」は、その超大国が侵攻してくるのを防ぐ役にはたたないようだ。
 現在の国際的な権力構造からすると、日本を侵略しそうな唯一の国はアメリカである。といっても、侵略の可能性が大きいというのではなく、ソ連よりはまだ可能性があるというだけの話だが(もちろん第3次大戦が始まればソ連のミサイルが-アメリカの基地がここにあるから-日本に降りそそぐだろうが、第3次大戦は1時間ちょっとしか続くまい)。アメリカの侵略は、もちろん、(チェコや南ベトナムのときと同じパターンで)日本で政府の手におえないほどの反米運動がおきたときなどに、「正当な政府の要請により」行なわれる。そしてこれほど簡単なことがあるだろうか? 米軍と軍の装備はすでに日本国内に入っているわけだし、日本の自衛隊がそれに対して防御線をしいたり戦略を考えたなどという話は聞いたことがないのだから。(p.25~7)
 うわお。その通り。歴史をふりかえればたしかに一目瞭然、過去において他国に対して最も頻繁に戦争をしかけたり軍事行為を行なったりした国は、アメリカ合州国です。その理由は、ラミス氏が指摘している通り、当該国に対する支配力が脅かされた時ですね。これには当然、経済的な権益も含まれます。『政府はもう嘘をつけない』(堤未果 角川新書)によると、アメリカ合州国は、建国以来、235年中214年が戦争中だそうです。(p.170) アメリカは、戦争によって物事を解決する国なんだということを肝に銘じておいた方がよさそうです。そしてそのための準備にも余念がないということも。食事とゴルフを一緒にしてもらったとはしゃぎながら尻尾を振っている誰かさん、歴史を勉強してくださいね。
 という短いながらも鋭く本質を抉るエッセイが満載なのが本書です。日本語にして800字程度、おまけに英語バージョンも掲載されているという優れもの。シニカルに、ユーモラスに、真面目に、軽やかに、時には(特に権力に対して)怒気をはらみながら、ラミス氏の筆は縦横無尽に政治や社会や文化を活写します。なおこの「英語で考え、日本語で考える」シリーズは、他にも『最後のタヌキ』、『フクロウを待つ』、『ウォー・カムズ・ホーム』(いずれも晶文社)が刊行されていますが、すべてお薦めです。すべて絶版というのも悲しいのですが、古本屋のサイトで見つかると思います。
 なお拙ブログに『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』(平凡社ライブラリー)と『普通の国になりましょう』(大月書店)の書評も掲載してありますので、よろしければご笑覧ください。

ウィキペディアからラミス氏のプロフィールを引用します。
ダグラス・ラミス(Charles Douglas Lummis、1936年-)は、アメリカ合衆国の政治学者、評論家。専門は政治学。日本在住。サンフランシスコに生まれ、カリフォルニア大学バークレー校卒業。1960年に海兵隊員として沖縄県に駐留。1961年に除隊後、関西に住み、ベ平連の一員として日本での活動を始める。1980年津田塾大学教授。2000年退職。以後は沖縄に移り住み、非常勤講師を勤める傍ら、執筆や講演活動を行っている。日本人論批判で知られ、のち平和運動家、また文筆活動をする。
 映画『沖縄 うりずんの雨』にも出演されていましたね。なお知念ウシさんは、御夫人です。彼女が書いた『ウシがゆく』(沖縄タイムス社)も面白いですよ。

 タイトルの「タコ社会」ですが、これは中根千枝氏が日本社会を分析する際に提唱した「タテ社会」をひねったものです。タコ社会は階級社会であって、"分割して統治せよ (divide and rule)"という古くからの方針によって組織された社会です。底辺では、住民を別々のタテ組織に組みこむことによってヨコの関係-連帯-を阻んでいます。タコの足のように。上層部では、支配階級がヨコに連帯して社会を統治しています。タコの頭のように。(p.207~9) 私に言わせれば、連帯する1%と、分断される99%、ということですね。
 では、このタコ社会に抵抗するには、その外側に出るには、トンネルの壁に穴をあけるには、何をすればいいんでしょうか? ラミス氏は、こう答えておられます。
 方法は無数にある。逆コースについて勉強し、自然の野性を愛することをおぼえ、流行に目をくれず、自転車に乗り、ウィジェット(※役に立つ機能もなく芸術的価値もない小道具や装飾品のこと)を買うのをやめ、コンピューターを笑い、自分の主義に忠実であろうと決意し、民主主義のためにあらゆるところで(特に働いている人はそれぞれの職場で)闘い、先生が教えてくれなかったことを勉強し、外に出て日没をながめ、飼犬をはなしてやりなさい。すでにそういうことを実行している人は大勢いる。その人たちに加われば、あなたはタコ社会に負けないだろう。(p.209~11)
 なお留意すべきは、いまや全世界が「タコ社会」と化していることです。そしてタコの足どうしがいがみあっていれば、タコの頭は安泰です。中国や韓国や北朝鮮の人びとと罵り合っている場合じゃないと思うんだけどなあ。タコの頭を利するだけです。
# by sabasaba13 | 2017-02-15 06:27 | | Comments(0)

『スノーデン』

c0051620_6335565.jpg キャー、と夕刊を読んでいた山ノ神が素っ頓狂な声をあげました。なんだなんだ。「オリバー・ストーンの映画『スノーデン』が上映されてるわ」 たまたま氏の炯眼と批判精神に感銘を受け、『よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか! オリバー・ストーンが語る日米史の真実』(オリバー・ストーン/ピーター・カズニック 金曜日)を読み終え、今は『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史1~3』(オリバー・ストーン/ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫)を読んでいる最中です。これは天の配剤、おまけにアメリカ政府を震撼させた内部告発者エドワード・スノーデンが主人公ときたら見ないわけにはいきません。
 というわけで先日の日曜日、山ノ神と二人で自転車に乗り、イオンシネマ板橋まで行きました。満席かという一抹の不安もあったのですが、三分の二ほどしか埋まっていませんでした。

 まずは公式サイトからストーリーを紹介しましょう。
 それは、まさしく世界中に激震が走った瞬間だった。2013年6月、イギリスのガーディアン紙が報じたスクープで、アメリカ政府が秘密裏に構築した国際的な監視プログラムの存在が暴露されたのだ。さらに驚くべきは、ガーディアン紙に大量の最高機密情報を提供したのがたったひとりのNSA(米国国家安全保障局)職員であり、よくスパイ映画に登場するような厳めしく年老いた人物ではなく、ごく普通の外見をした当時29歳の若者だったことだ。
 匿名ではなく自らカメラの前に立ち、エドワード・スノーデンと名乗って素性を明かしたその青年は、なぜNSAやCIAから得られる多額の報酬と輝かしいキャリア、恋人と築き上げた幸せな人生のすべてを捨ててまで重大な告発を決意したのか。はたして彼は英雄なのか、国家の裏切り者なのか。ハリウッドきっての社会派の巨匠オリバー・ストーンが史上最大の内部告発"スノーデン事件"の全貌に迫った問題作、それが『スノーデン』である。
 2004年、9.11後の対テロ戦争を進める祖国アメリカに貢献したいと考えて軍に志願入隊したスノーデンは、足に大怪我を負って除隊を余儀なくされる。失意のさなかCIAに採用された彼は、持ち前のずば抜けたコンピュータの知識を教官に認められ、2007年にスイス・ジュネーヴへ派遣された。しかしそこで目の当たりにしたのは、アメリカ政府が対テロ諜報活動の名のもと、世界中のメール、チャット、SNSを監視し、膨大な情報を収集している実態だった。やがてNSAの契約スタッフとして東京の横田基地、ハワイのCIA工作センターへと赴任し、民主主義と個人の自由を揺るがす政府への不信をいっそう募らせたスノーデンは、恋人のリンゼイをハワイの自宅に残し、命がけの告発に踏みきるのだった…。
 なお前掲書『よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか!』の中で、オリバー・ストーン監督はこう語っていました。
 みんな想像力がないんですよ。私は人生ずっとそう思ってきました。たとえば、スノーデンが行動に出る。みんなビビッて、法律を破ったとか言う。主観的に「ヤバイことした」って思うのです。「国外脱出」と聞いて、どこに逃げるんだろうとか。彼がどうしてそういうことをしなければならなかったのか、想像しようとする人はほとんどいないのです。こういうことがあると、いつだってそうです。どんなニュースにも、非常に原始的な反応ばかりする。学生も、ジャーナリストも、教員も、劇作家も、常に心を開いて想像力を働かせなければいけません。(p.58)
 寺山修司曰く、"どんな鳥も想像力よりは、高く飛べない"。彼は想像力の翼を羽ばたかせて、なぜスノーデンが命がけの告発を行なったのかをこの映画で表現したのだと思います。そう、簡単に書きましたが文字通り"命がけ"です。アメリカ政府や企業に敵対する存在に対して、過去、政府・軍・CIAがどのような拷問を行ない、どのように殺戮してきたのかについては、ぜひ『アメリカの国家犯罪全書』(ウィリアム・ブルム 作品社)をご一読ください。おそらくスノーデンも分かっていたはずです。それなのに、なぜ…

 前半は、祖国に貢献したいという純粋な思いを持つスノーデンが、アメリカ政府の邪悪な行為に徐々に気づいていく様子を淡々と描いていきます。表向きはテロリズム対策として国内や世界中のメール、SNSを監視・盗聴し、膨大な情報を収集しているCIAやNSAですが、その実態はそれだけではないことに彼は気づきます。標的の弱みを握りスパイ行為を強要する、反政府的な人物を監視する、他国の首脳や政府に関する情報を盗聴する、などなど。自分の能力を活かせる高収入の職場と愛する恋人のために、こうした不正を見て見ぬふりをしてよいのか。国家機密なので、恋人と相談することもできません。このあたりの煩悶を、主役のジョセフ・ゴードン=レヴィットが見事に演じています。決して雄弁ではないのですが、ちょっとした言葉のやりとり、表情、しぐさで、揺れる心の動きを表現する演技には脱帽。詳細は知らなくとも、彼を信頼して支えようとするリベラルな立場の恋人リンゼイ・ミルズを演ずるシャイリーン・ウッドリーもいいですね。
 そして後半は一気呵成、手に汗握り、息を呑むような展開です。重要機密の違法なコピーと持ち出し、香港でのジャーナリストたちとの接触、公表の方法に関する意見の違い、迫りくるアメリカ政府の魔の手、そしてロシアへの脱出行。結果は知っているのですが、それを忘れさせるほどの素晴らしい演出とストーリーテリングでした。
 最後のシーンでは、ロシアに亡命したスノーデンがディスプレイを通して、会場に集まったアメリカ市民に語りかけます。やがてエドワード・スノーデン本人へと代わり、彼の静かな熱い言葉とともに映画は終わります。エンド・ロールで流れるピーター・ガブリエルの"The Veil"(覆い)も素晴らしい。ブラーボ。

 本作品の主人公は二人いるのかな、と今思っています。一人はもちろんスノーデン、もう一人は…国家です。アメリカという国家がもつ力を、一部ですが実感できました。宏大な施設、高性能のコンピュータ群、数多の政府職員、これらが一丸となって政府と企業の権力と利益を守るために、情報を盗み、監視し、収集する。場合によっては、法を無視し、人権や自由を踏みにじっても。その冷酷にして圧倒的なパワーを、この映画はみごとに描いていました。
 そしてもう一人の主人公スノーデンは、命がけにこのleviathanに立ち向かいます。何のために? パンフレットによると、彼のツイッターでの自己紹介文は「かつては政府のために働いていました。いまは人々のために働いています」。今読んでいる『スノーデン・ショック 民主主義にひそむ監視の脅威』(デイヴィッド・ライアン 岩波書店)の中に、彼のこういう言葉がありました。
 自ら変わるべきかどうかを決定する機会を社会に与えたいと私は望んでいる。(p.5)
 そう、彼は民主主義のために、命がけで国家に立ち向かったのだと考えます。人々が政治や社会のあり方を決め、変えられる仕組みを。そしてそれを必死に阻む国家という怪物に対しても、戦い方と武器を工夫すれば一矢をむくいることができるというメッセージも受け取りました。
 「僕のような体力もない寡黙な優男(ごめんなさい)でも、怪物の向う脛ぐらいは蹴飛ばせるんだ」という彼の声が、ほら、聞こえてきませんか。「一緒に戦おうよ」。

 特に印象に残ったシーンが二つあります。
 まず一つめ、彼が日本の横田基地で働いている場面です。「日本が同盟関係を破棄したときには、サイバー攻撃をしかけて通信システムや物的インフラを破壊する」という身の毛もよだつ科白がありました。いや、これは充分にあり得ますね。『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治 集英社インターナショナル)の中に、下記の一節がありました。
 そうした米軍機の一機が、訓練ルートから遠く離れた四国の伊方原発のすぐ横に墜落したことがありました(1988年6月25日)。…原発の真上を低空飛行して、山の斜面に激突した。尾根の向こう側に落ちた機体は大破し、乗組員七名が全員死亡しました。もしこのとき、機体が手前に落ちていたら、福島なみの大参事になるところだったのです。墜落したのは山口県岩国基地から沖縄に向かう途中の米軍機でした。
 おかしい。なぜこんな場所を低空飛行していたのか。…前泊博盛さん(沖縄国際大学教授)は、ドキッとするようなことを言います。「原発を標的にして、演習していたんでしょう」 最初は私も、「いくらなんでもそれは言いすぎじゃないか。陰謀論じゃないのか」と思ったのですが、よく考えると低空飛行訓練というのは、基本的に軍事攻撃の訓練ですから、演習には必ず標的を設定する必要がある。そうした状況のなか、こんな場所をこんな高さで飛んでいたのは、たしかに原発を標的にしていたとしか考えられない。
 つまり、「米軍機は日本全土の原発を爆撃するために低空飛行訓練をしている」
 こう言うと、それは陰謀論になります。しかし、「米軍機は、日本全土で低空飛行訓練をすることで、いつでも日本中の原発を爆破できるオプションをもっている」
 これは疑いのない事実なのです。(p.232~3)
 駝鳥のように砂の中に頭をつっこんで安全だと思うのはやめましょう。ほぼ間違いなく、アメリカ合州国政府は、サイバー攻撃や原子力発電所爆破など、日本を壊滅させるオプションを用意しています。するかしないかは別として。トランプ新大統領と仲良さげに食事をしたりゴルフをしたりしている安倍晋三伍長は、知っているのかな。

 二つめ。ハワイでの場面で、パーティーを楽しんでいるときに、ある仲間が無人機を操作して標的を爆殺する話をします。当然、近くにいる無辜の民衆にも被害が及ぶのですが(副次的被害 Collateral Damage)、彼は、罪悪感はあるが次の日には日常に戻ってしまうと話します。そのディスプレイ上での映像が挿入されますが、その凄まじい爆破に衝撃を受けました。これでは間違いなく関係のない民衆を巻き添えにしてしまう。『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史3』(オリバー・ストーン/ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫)から引用します。
 2006年から2008年にかけてデイヴィッド・ペトレイアス大将の対ゲリラ活動担当顧問を務めたデイヴィッド・キルカレンと、2002年から2004年にかけて陸軍将校としてイラクとアフガニスタンで過ごしたアンドリュー・エグザムは、2009年5月の《ニューヨーク・タイムズ》紙の記事で、なぜパキスタンが激怒したかを教えてくれる。二人は、それまでの三年間でアメリカの無人機攻撃によって死亡した民間人は700人であるのに対して、テロの指導者は14人にすぎないことを示すパキスタンの報道を引き合いに出した。この数字は、戦闘員一人あたり民間人五〇人、つまり「命中率2パーセント」を意味する。アメリカの当局者がこうした数字を「断固」否定していることに触れ、民間人の死傷者数の割合がおそらく誇張されていることを認めながらも、キルカレンとエグザムは次のような警告を発した。「非戦闘員が一人亡くなるたびに、その家族の心がアメリカから離れ、新たな復讐心が生まれ、無人機攻撃の増加に足並みを合わせて急激に拡大している好戦的な運動への加入者が増える」、そしてパキスタンで、攻撃が行なわれている場所から遠く離れた地域でも「本能的な反感」があふれ出ていた。(p.398~9)
 アメリカ軍による対テロリスト攻撃によって、テロリストが増えていく。あの凄まじい映像を見れば納得です。愛する人が、無人機による攻撃に巻き込まれて殺されたら… 深読みをすると、アメリカ政府はテロリストを増やすために、無人機攻撃を含む対テロ戦争をしているのかもしれません。テロリズムが蔓延すれば、対テロ戦争のための軍事費を増やせる。軍需企業が潤い、軍人の天下り先も潤沢となる。テロ防止を口実に、この映画のように、国民の通話やSNSを盗聴・監視できる。情報公開もそれを理由に骨抜きにできる。治安維持のために、国民の自由や権利を制限することもできる。政府当局者にとっては、笑いが止まらないですよね。
 というわけで、アメリカの対テロ戦争に日本が加担すれば、テロリスト増加の片棒を担ぐことになるし、何よりも日本がテロリズムの標的となります。安倍伍長はそれを望んでいるのかもしれませんが。

 オルテガ・イ・ガゼット曰く、"過去は、われわれがなにをしなければならないかは教えないが、われわれがなにを避けねばならないかは教えてくれるのである"。私たちは、新大統領に一喜一憂するよりも、アメリカの歴史を真剣に学んだ方がよさそうです。とりあえず、お薦めの歴史書を挙げておきます。『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史1~3』(オリバー・ストーン/ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫)、『アメリカの国家犯罪全書』(ウィリアム・ブルム 作品社)、『アメリカ帝国とは何か』(ロイド・ガードナー/マリリン・ヤング編著 ミネルヴァ書房)、『アメリカ帝国への報復』(チャルマーズ・ジョンソン 集英社)、『アメリカ帝国の悲劇』(チャルマーズ・ジョンソン 文藝春秋)、『パクス・アメリカーナの五十年』(トマス・J・マコーミック 東京創元社)、『アメリカの世界戦略』(菅英輝 中公新書1937)。
# by sabasaba13 | 2017-02-14 06:34 | 映画 | Comments(0)

言葉の花綵153

 亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国 (田中正造)

 ほんとうのことを知らないというのは、戦争に賛成しているのと同じことだったのよ。わたしは、吉二を戦争で死なせた罪があるの。「無知の罪」という罪が、ね。(米田ひさ)

 これが日本であったら、人の心も知らないやつだといって、たたき殺されるような深い憤怒と悲哀のなかで、彼は私に「ここを写せ!」と叫ぶのです。「このおれを撮れ!」と迫るのです。そして、これこそ戦争をやめさせる最大の力であり、そのような民衆のいるかぎり、かならず平和はかちとられるという確信を、私はもつことができました。(岡村昭彦)

 ベトナム戦用の枯葉剤を米軍に納めていたアメリカの化学企業ダウ・ケミカル社は、国内向けの缶入り除草剤には次のような注意書きをつけていた。「この薬品はかならず子どもやペットの手の届かないところに置いて下さい。また、他の目的で家事に用いたり、灌漑用水を汚染したり、飲んだりしてはいけません」―と。これを(対人)散布しながら、米軍は除草と言いはったのである。生きている人間の価値はペットよりも低くみなされたのだ。(中村梧郎)

 戦争は人を不道理になすのみならず、彼を不人情になします。戦争によって、人は敵を憎むのみならず、同胞をも省みざるに至ります。人情を無視し、社会をその根底において破壊するものにして戦争のごときはありません。戦争は実に人を禽獣化するものであります。(内村鑑三)

 武具は市民服に従うべし。月桂冠は文民の誉れに譲るべし。(キケロ 『義務について』)

 常備軍は時とともに全廃されるべきである。…さらに常備軍について考えねばならぬことは、殺すために、あるいは殺されるために雇われるというのは、人間がほかのものの手で(たとえそれが国家であるとしても)単なる機械や道具として使用されることを含んでいるように思われるということである。しかし、そのような使用は我々の人格がもつ人間性の権利と一致するはずがないのである。(イマヌエル・カント 『永遠の平和のために』)

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」と。
 あやまち? ほんとうにそれは過失だったのか。また、いったい何があやまちなのか。アメリカが原爆を投下したことか。日本が中国を侵略したことか。米英蘭に宣戦を布告したことか。それとも客観的に、十五年戦争の発端となった満州事変の謀略であるか。…それらすべてが国家的確信犯罪でなくて過失だったというのか。(高橋和巳 『孤立無援の思想』)
# by sabasaba13 | 2017-02-13 08:09 | 言葉の花綵 | Comments(0)

虐殺行脚 千葉編(13):国府台(16.9)

 なおこのサイトで、八千代市大和田新田に「無縁仏の墓」が、八千代市・萱田山長福寺に「震災異国人犠牲者 至心供養塔」が、八千代市民会館のすぐ隣にある墓地に「無縁供養塔」があることを教示していただきました。また朝鮮人たちを拘束した陸軍の捕虜収容所は、現在、習志野市東習志野保育園となっているそうです。いずれ日を改めて訪れたいと思います。

 本日の締めは、国府台(こうのだい)にある教会です。バスに乗って八千代台駅に戻り、特急に乗ること二十分ほどで京成八幡駅に到着、普通列車に乗り換えて数分で国府台駅に着きました。持参した地図を片手に十分ほど歩くと、日本福音ルーテル市川教会会堂(千葉県市川市市川4-288-14)に到着です。均整のとれた白亜の教会で、四角い鐘楼がいいアクセントになっています。竣工は1955(昭和30)年、設計はヴォーリズでした。駅へ戻る途中で初見の透かしブロックを発見。そして国府台駅から京成電鉄に乗ってわが家へと帰りました。
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 というわけで、虐殺行脚千葉編一巻の終わり、次回は東京編です。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-02-12 08:27 | 関東 | Comments(0)