第13回江古田映画祭で『パレスチナからフクシマへ』を観終わった後、20分の休憩をはさみ、次の映画は『ガザ~オスロ合意から30年の歩み』です。2部構成になっており、第1部は「エルアクラ家」(約2時間)。ガザ北部のジャバリア難民キャンプで暮らすエルアクラ家の人びとを10年以上にもわたって記録したドキュメンタリーです。砲撃・爆撃や戦闘のシーンはなく、ガザの日常生活を淡々と克明に映像におさめており、その過酷な状況が手に取るようにわかります。 エルアクラ家の長男バッサムは、学生時代に抵抗運動に参加してイスラエル占領当局によって2年間投獄された経歴を持つためにイスラエルでの仕事も許可されず、かといってガザの中でも仕事を見つけられません。長男でありながら、弟たちの学用品1つ買ってやれない自分が惨めで情けないと話します。同家には成人男性が7人ほどいますが、仕事についていたのは1人だけ、彼の収入だけで15人家族が食いつなぐ生活です。ガザの異常に高い失業率がよくわかります。 しかしそうした苦境の中で、一家は互いを思いやり助け合います。長男バッサムは、弟の学費のために結婚しないと言います。また彼は大学卒で英語に堪能ですが、アメリカに行って稼ぐ気はありません。「家族・コミュニティの中に幸せがある」と彼は言います。 貧しいけれどもあたたかく固い絆で結ばれた家族、家の増築を手伝ってくれるコミュニティ。父親のアブ・バッサムは「イスラエルに奪われた故郷に帰れると思うか」と尋ねられて、「私には無理だが、私の家族が帰る」と答えます。あの苛烈な環境のガザにおいて、パレスチナ人の心を支えているのは、こうした家族やコミュニティなのだと痛感しました。そしてもしその家族やコミュニティを、イスラエルのジェノサイドによって奪われたとしたら… その痛みと悲しみと怒りは、想像を絶するものでしょう。それがいま、ガザで起きていることなのですね。 第2部は「ハマス」(約1時間20分)。ハマスがガザ市民の支持を得る要因を、無料の幼稚園運営や就職先の紹介などの慈善事業と、イスラエルに対する断固とした武装闘争から説明します。しかし、その強権のため海外からの支援金を着服するなどの腐敗が起こっていることも明らかにします。またハマスの武装闘争に対するイスラエルの報復や封鎖によって、ガザの生活環境が過酷なものとなっていることを映像とともに紹介します。病気の蔓延、精神の崩壊、自殺の増加… そしてイスラエルによる激甚な報復を承知の上で10月7日の襲撃を敢行したハマスに対するガザ市民の悪感情は決定的となったと結びます。 映画の終演後に、土井敏邦監督のトークがありました。以下、私の文責でまとめます。 等身大・固有名詞でないとパレスチナ人の痛みはわからない。あなたが大事な人を失った時の痛みと悲しみを想像してほしい。いまガザではその3万倍の痛みと悲しみが渦巻いているのだ。パレスチナ人の「人間の顔」を伝えたい。 ハマスは、自らのイデオロギーのために市民を犠牲にした。これは絶対に許せない。ハマス‐イスラエルという二項対立ではない。私の立ち位置は「民衆」であり、民衆にとって良いことか悪いことかが判断の基準となる。 ガザはもう立ち直れないのではないかと、途方にくれてしまう。私たちに何ができるか。それでもガザに踏みとどまる人びとがいるだろう、その人たちを支え生きさせる。餓死者を一人でも減らす。そのためにも国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を潰してはならない。UNRWAの現地職員がハマスのイスラエル奇襲攻撃に関与した疑惑が浮上したことを受け、米国や日本などがUNRWAへの資金拠出の停止を決めたが、同機関は戦時下のパレスチナ自治区ガザで人道支援活動の中核だ。活動資金の枯渇は住民の命を脅かす。またUNRWAに雇用されて命を繋ぐガザ市民も多数いる。声を上げ、日本政府に圧力をかけて資金拠出を再開させないと、多くの人命が失われる。 なぜ10/7の襲撃をハマスは敢行したのか。カタールやサウジアラビアがイスラエルと和平を結ぼうとしているので、それを分断するためであろう。「アラブの大義であるパレスチナ問題を忘れるな」ということである。 これだけ民間人を殺したのはホロコースト以来であり、ホロコーストを食い止めるためには何をしてもよいとイスラエル国民は考えている。ハマスを選んだガザ市民も同罪であり、多少の犠牲は仕方ないとも。「沈黙を破る」運動は逼塞しているだろう。 地べたの人の声を受け止めて、何をすべきか。どういう立ち位置にいるべきか。自分の生き方を問い直す。問題(パレスチナ・原発)は描かず、人間を描く。人間の後ろに問題がある、それを感じ取ってほしい。そして登場人物に、自分を映す鏡を見たい。自分はどうなんだと問いかける鏡を。 #
by sabasaba13
| 2024-03-14 07:07
| 映画
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第13回江古田映画祭のチラシが舞い込んできました。3年前に『襤褸の旗』を観て以来ですね。どりゃどりゃ、面白そうな映画が上映されるかな。おっ、ぺちょ(筆者注:唾をつける音)、これはいい。土井敏邦監督の映画二本と、監督のトークがあるぞ。 『パレスチナからフクシマへ』 56分 『ガザ~オスロ合意から30年の歩み』[初上映] 約180分 これは是非観にいきましょう。なお山ノ神は合唱団の練習があるので行けないとのこと。ひとりで会場の武蔵大学に行ってきました。かなり広い会場ですが多くの人がつめかけていました。やはりこの問題に関心を持つ方が多いのでしょう。鑑賞後に購入したDVDの解説を転記します。 パレスチナ・ガザ地区の人権活動家ラジ・スラーニは、イスラエル占領下で解放運動に献身し、5年間の投獄と拷問の日々を強いられた。その後もガザで人権擁護の活動を牽引し続けている。その活動は世界で高く評価され、「ライト・ライブリフット賞」など数々の国際平和賞を受賞した。 冒頭、凄まじい砲撃を受けるガザの市街地、瓦礫にされた建物、片目を抉らえた子どもの死体といった直視できない映像から映画は始まります。いや、目を背けてはいけない、これは今起きている現実なのだと自らに言い聞かせつつ凝視しました。そしてその破壊の跡や被害の状況をつぶさに聞き取り記録するスラーニ氏。今にして思えば、これはイスラエルが行なった戦争犯罪を裁くための証拠にするためなのですね。 そのスラーニ氏が来日し、土井敏邦監督に伴われて福島県飯舘村を訪れます。そして被災した方々の話をじっくりと聴き、質問を重ね、自分の考えを述べる。それだけの内容なのですが、深く深く心に響く映画です。まず被災者と向き合い対話をする時のスラーニ氏の表情。彼は、被災者の怒り・悲しみ・不安に対して、真摯に、共感と同情をもって向き合います。その表情や眼の何と人間的なことか。おそらく自分がガザで経験したことと重ね合わせているのでしょう。 さらに彼が被災者を励まし、慰め、助言をする際の力強い言葉の数々には圧倒されました。自分の心に刻み込み、多くの人に伝えたい言葉です。幸いなことに、会場でDVDを販売していたので購入して、再生しながら書き留めました。以下、ぜひ紹介します。 言葉を失ってしまいます。誰でもミスを犯すものですが、これは人為的なミスです。人為的な大惨事です。なんて愚かなことを。 自分に言い聞かせるようにスラーニ氏。食い入るように彼を見つめ、その言葉に聴き入る被災した方々。実に感動的なシーンでした。 中でも最も心に残ったのは、銀杏を栽培していた農夫が「諦められない。諦めないで福島にいます」と呟いたときに氏が静かに語った言葉です。 私たちには"諦める権利"はないんです。 民主化のために闘い命を落とした(奪われた)アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻、ユリア・ナワルナヤ氏も同じことを言われていました。 私に諦める権利はない。 辺野古新基地建設を阻止するために闘う仲宗根寛勇(かんゆう)氏も。 私たちは諦めませんよ。諦めたら負けです。諦めなかったら勝つんです。 福島第一原発の水素爆発と炉心溶融は事故であると同時に犯罪であること、そしてその責任者は処罰されなければならないことを、胸に刻み込みます。 そして人間を尊厳を脅かす力に対して、福島とガザと沖縄とロシアの人びとともに諦めずに闘い続けましょう。 ほんとうに良い映画でした。そしてラジ・スラーニ氏がご無事であることを心より祈ります。 追記です。『チェルノブイリの祈り』(スベトラーナ・アレクシェービッチ 岩波現代文庫)に、次のような言葉がありました。 セルゲイ・ワシーリエビッチ・ソボリョフ #
by sabasaba13
| 2024-03-13 06:14
| 映画
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3月10日、山ノ神といっしょに池袋・東京芸術劇場に行って「東京空襲資料展」を見学してきました。以下、チラシから紹介文を転記します。 ~戦中・戦後の生活や労苦を物語る資料に加え、当時の様子を写した写真資料を展示~ 違和感を覚える紹介です。なぜ責任の所在をぼやかすような曖昧な表現をするのでしょう。「太平洋戦争は始まり」は「日本は太平洋戦争を始め」に、「この…空襲で10万人ともいわれる尊い生命が失われました」は「この…空襲でアメリカは10万人ともいわれる尊い生命を奪いました」とすべきではないでしょうか。見識を疑います。 最大のお目当ては、空襲に遭った方々が経験談を語る映像です。その凄まじい経験に言葉を失い、一時間ほど見入ってしまいました。戦争の実相を知るために、これはいつでも視聴できるライブラリーとして整備してほしいものです。(もうされているのかな) そして同じことが今、イスラエル軍によってガザ市民に対して行なわれていることも忘れないようにしましょう。 心に残った言葉があります。ある方がこう言われました。 悲惨な時代だった… どうしようもない時代だった… 「どうにかできる時代」にするよう、みんなで尽力しましょう。主権者なのですから。 そして展示品と解説を見学。いくつか紹介します。 M60油脂焼夷弾筒(左) 油脂焼夷弾はナフサネートやパーム油などをガソリンと混ぜ、鉄製の筒に詰めたナパーム弾。東京では木造家屋の密集する下町地区で大量に投下され、空襲後の罹災地域では油脂が燃え尽きた後の筒が大量に残された。 M50テルミットマグネシウム焼夷弾(右) 昭和20年(1945)に都内で拾得された金属焼夷弾。油脂焼夷弾に比べて貫通力に優れており、テルミットで外側を包むマグネシウムを燃焼させ、着弾すると閃光を発しながら火花をまき散らし、火災を引き起こす。同年8月の八王子の空襲などで大量に使用された。 隣組防空群腕章 従来からあった「家庭防火団」が昭和14年(1939)に「家庭(※隣組カ)防空群」となった。近隣10戸程度で組織された民間の防火組織で、警察の指揮統率の元、適切な消火活動ができるよう、退避や消火訓練がおこなわれた。 東京都区部焼失区域図 戦後に撮影された、東京中心部と周辺 『国民防空図譜』 第21図 隣保班 なおこの図譜の上部には、こう書かれています。 『空襲時の防火にとって隣保班の陣営ほど重要なものはない 「我家は我手で護る」の信念を堅持すると共に隣保共助の精神を強化して家庭と隣組との総力で沈着機敏に防火に従事し是非とも自衛防火の徹底を期さなければならぬ』 自助、共助…あれ、公助はないのか。国家権力は市民の命や暮らしを守る気はないということですね。日本という国家の体質は、いまも戦前とあまり変わっていないようです。でも変えなければ、主権者ならできるはずです。
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by sabasaba13
| 2024-03-12 05:59
| 鶏肋
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土井敏邦監督による『津島 -福島は語る・第二章-』が上映されるそうです。100人近い福島原発事故の被災者たちから集めた証言を丹念にまとめ前作『福島は語る』に続く第二弾です。パレスチナや福島など、人間としての尊厳を脅かされている人びとに寄り添い、映像におさめて私たちに届けてくれる土井監督。本作もぜひ観にいきましょう。山ノ神を誘いましたが、またまた所用のため断られました。 小雪の舞い散る酷寒の金曜日、ひとりで新宿の新宿の「K's cinema」に行きました。客席に入ると…カアカア…閑古鳥が咆哮しています。8人! ま、とても寒いということもあるでしょうが、それにしてもねえ。福島は忘却されつつあるということでしょうか、危惧してしまいます。 まずは公式サイトから、イントロダクションと津島の紹介を引用します。 イントロダクション 「私たちは どこから来て どこへ行くのだろうか」というテロップで、映画は静かに始まります。ほんとうに、原発を抱えて、被災者を切り捨てて、私たちはどこへ行くのでしょう。足元しか見ていないのではないかな、眼前に千尋の谷が迫っているというのに。 映画は、インタビューと映像で綴られる九つのテーマで構成されており、その合間に津島の自然と動植物の映像が流されます。春夏秋冬、晴れ、雨、曇り、雪、津島の人びとはもうこの美しい自然の懐に帰れないのかと思うと胸が痛みます。 第一章 "記録" 毎月津島を訪れて各地点の放射能測定を続け、その結果を避難している人びとに伝えている今野義人さんへのインタビューです。彼は津島の歴史についても独自にまとめられています。 第二章 "開拓" 開拓の様子や労苦について、関場健治さん・三瓶宝次さん・志田昭治にインタビューをします。満蒙開拓団https://sabasaba13.exblog.jp/33218688/の引き揚げ者も多かったことも知りました。二重に国策の犠牲にされらわけですね、この国の酷薄さをあらためて痛感します。 第三章 "共同体" 津島というコミュニティについて石井ひろみさんと今野千代さんと須藤カノさんが語ってくれます。石井さんは、布団を干して出かけたら突然雨が降ってきたので慌てて戻ったら、誰かが布団を家の中に入れておいてくれたと話されていました。すごい…鍵もかけないんだ。 第四章 "伝統文化" 津島に伝わる田植え踊りについて今野秀則さんが話してくれます。田植え踊りを通して歴史が育まれ、それを受け継いだ人びとが将来に繋げていく、それができない悔しさがあるから裁判を闘えるという話が印象的でした。 第五章 "家族喪失" 亡くなった義父の思いを引き継いで裁判を闘う三瓶春江さん、嘘をついてまで避難させた母が認知症となって急死したことを悔やむ武藤晴男さん、夫と息子を相次いで失った佐々木やす子さんが、それぞれの思いを語ります。 第六章 "子どもの傷" 避難先でいじめにあった結美さんのご両親である柴田明美さんと明範さん、隼人さんと玲さんと祖母の須藤カノさんが、その経験を話します。 第七章 "棄民" 国家に棄てられた津島。津島原発訴訟原告団長の今野秀則さんは、その思いをこう語ります。 もし、より多くの人の、より多くの幸福を願うとすれば、(津島のような)少数派を放り出し、実質的に避難という形にしても、きちんと手当なり賠償なり制度を設けていけばいいと。経済効率的にはそれが最善の策なんだろうね。でも、それは違うと思うんですよ。そうやって一部を切り捨てて、経済効率的な観点から、一人ひとりの日本国民の住民の被害を見て見ぬふりをして、効率性の観点から切り捨てていく。それは、住民の生活にとって、本当に切実に必要とする部分を削り取っていくということだと思うんですよね。 津島区長会会長の末永一郎さんの話です。 「帰る、帰らない」は別の話だ。汚したものは、きれいにして返しなさい。それは原則でしょ。今回の事故の原因は、東電は、この津波自体が想定外だって言ってるわけね。だけど、いろんなものを自然災害もテロも含めて、あらゆるものを想定するのが事業者でしょ。それを認可したのは国でしょ。東電が単独で原子力発電所を扱えるわけがないのだから。そしたら一蓮托生で国の責任でしょ。その中でこの過酷な事故が起きたのだから、あなたたちは無条件で、俺がその時言ったのが、「山林も含めて元の姿に戻せ」と。 第八章 "故郷" 馬場績(いさお)さんが、故郷への思いをこう話します。 私や津島を追われた人にとっては「故郷は生きる根源だ」と断言します。津島で生活を築いてきた、命をつないできた。その土台を奪われたわけでしょ? 山から流れてくる水、家の側で採れる山菜やキノコが私たちの命をつくってきた。それを、よそからもってきたもので償うことができるのか? それはできないでしょ。脈々とつながってきた家族や地域や社会のつながり、そこに自分はいたんです。自分の居場所を奪われたという点でも、奪われた故郷は私にとって命の根源です。「だから、それを返してくれ」というのは、当然の叫びだ!と私は思います。 最終章 "帰郷" 2023年3月31日、避難指示が解除された後、妻と共に津島に戻り築200年の実家で暮らしはじめた紺野宏さんは、「ここで死ぬ」という覚悟を語ります。 私の心に残った話が三つあります。まず関場健治の話です。 真上には、ちょうど天の川が横たわって、ロマンチックな夜、お風呂入って、橋の上で夕涼みする時に、ホタルが飛んでて、お金じゃ替えられない。 紺野宏さんは、あるとき、畑でチョロチョロと微かな水の音を耳にしました。 音のする方を見ると、鉛筆の芯くらいの氷水がとけて流れてきたの。あれが春の音。生きてる、って思った。 そして須藤カノさんの話。 オレは、津島でみんなに育ててもらって、引っ張ってもらって、ここまで育ってきたという気持ちがある。津島にいた時は喜びがあった。「オレは生きている!」という実感があった。 お金では買えないもの。それは豊かな自然であり、人と人のつながりであり、生きているという実感。津島にはそれに満ち溢れていたのですね。みなさんの話から、そうしたかけがえのない故郷の姿がひしひしと浮かび上がり、それを一瞬にして奪い去った原発事故の禍々しさを照らしだします。肝に銘じましょう、お金で買えない大切なものを原発事故は破壊するのだと。 ふたたび公式サイトから、土井監督のメッセージを引用します。 監督メッセージ 終幕後、予定にはなかった土井敏邦監督の舞台挨拶というサプライズがありました。そして多くの人が観るべき映画になったと自負している、ぜひ口コミで本作のことを広めてほしいと話されました。合点承知之助、拙いブログですがお手伝いします。福島のことを忘れるな! 追記その一。購入したプログラムに、三浦英之氏による次のような一文がありました。人為的・政治的悲劇、いやこれはもはや犯罪というべきですね。 津島は原発事故以来、この国の為政者や電力事業者たちにとって、最も「語られたくない」地域なのである。 追記その二。『週刊金曜日』(№1463 24.3.8)に、沖縄を描く映画『戦雲』を完成させた三上智恵監督の言葉がありました。(聴き手:松村洋氏) 日本政府が意図的に「命を軽んじる状況」をつくり、国民の無作為がそれを支える。福島でも沖縄でも起きている現実です。 -そうした命を軽んじられている状況を変えていくには? #
by sabasaba13
| 2024-03-11 07:17
| 映画
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それでは嵐山に戻りましょう。途中に「京都平安郷」というお庭がありました。いま、調べてみると、「世界救世教いづのめ教団」という新興宗教の聖地だそうです。公式サイトから引用します。 解説板を転記します。 岡田茂吉記念館は、宗教法人「世界救世教」教祖である岡田茂吉師の宗教的・社会的偉業を記念して建設されました。病貧争の克服と地上天国の実現という岡田茂吉師の願いと教えは、世界救世教の活動の根幹として国内外で多くの人々に受けとめられ継承されてきました。今日では、地上天国の雛型である聖地の建設が、箱根神仙郷、熱海瑞雲郷、京都平安郷に、そしてタイやブラジルにおいても実現しています。箱根と熱海の聖地では、教祖の「美による救い」という教えに基づく美術館(箱根美術館、MOA美術館)が付置されていますが、ここ京都平安郷の岡田茂吉記念館では、教祖揮毫の書画を中心に展示を行っています。 MOA美術館と世界救世教の関係については何となく知っていましたが、箱根美術館もそうだったのか。
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by sabasaba13
| 2024-03-10 07:10
| 京都
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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