関東大震災と虐殺 29

 9月5日、水曜日。ふたたび亀戸署での動きです。既述のように、自警団員四人が軍隊に殺されたことにより、留置場内は前にもまして騒然となりました。そして午前3時(諸説あり)、古森署長は川合義虎・平沢計七ら労働運動家・社会主義者10人の身柄を、騎兵13連隊安東中尉らに引き渡しました。かねてから敵視していた労働運動の指導者たちにして、大島事件などの大失態を告発する恐れのある危険人物たちを、軍隊に殺してもらおうとしたわけです。これがいわゆる亀戸事件です。法に縛られて自ら手を下しづらい警察は、戒厳令下で異常な使命感と功名心に燃え狂っている中下級軍人を、ちょっと唆すだけで、目的を遂げられると分かっていたのですね。後に触れる、王希天・大杉栄殺害と同じパターンです。
 なお後日、この事件が発覚し、自警団員4名の遺骨返還が問題化したとき、警察側は「死体は荒川放水路堤防に於て焼死溺死者や○○(鮮人)死体百余名と共に火葬しているからどれが誰の遺骨ともわからぬからせめてもの心慰めとしてソノ内の一部のホネをおわけする」(『報知新聞』 1923.10.11)と言ったそうです。また川合義虎らの遺体は「亀戸署附近の空地に於て他の数十名の○○死骸と共に焼き棄てられ」、そして「刺殺された○○二十七名と同じく殺されたものの服装を○○と着かえさせ三台の自動車に積込んで大島八丁目の小名木川と中川の交流点より約一丁上流左側の広場に約二百七十名の○○○の死体を積上げた中に混入」した(『報知新聞』 1923.10.11)というように、手のこんだことまでして犯跡を隠蔽しました。虐殺事件を隠蔽するための官憲による遺骨消滅策は多々行なわれたようで、高野実氏は「死体は各地区毎に一定の場所に集めて本所の被服廠跡を死体処理場として焼いた。馬力で積んで運ぶ毎日は臭くて臭くてしょうがなかった」(三原令 『聞き書き』)と証言しています。これで被服廠跡の死体数は38,000から42,000に急増したそうです。また田山精三氏は「朝鮮人の死体も罹災民の死体とごちゃまぜで商船学校付近の埋立地に埋めた」(三原令 『聞き書き』)と述べ、一般の罹災者と朝鮮人犠牲者の死体を混ぜて焼却したことを証言しています。(①p.190~1)
 なお亀戸事件の犠牲者を追悼する碑が亀戸の浄心寺にあります。

 さて、権力中枢の動きです。この日、警視総監は赤池濃から湯浅倉平に代わっています。理由はわかりませんが、官憲による不祥事・失態の責任をとらされた可能性はありますね。なお内務省警保局長の後藤文夫は10月12日まで執務しています。

 9月5日、山本権兵衛内閣は朝鮮人暴動の流言はまったく根拠のないものと断定する趣旨の内閣告諭を出しました。
内閣告諭第二号
今次ノ震災ニ乗ジ 一部不逞鮮人ノ妄動アリトシテ鮮人ニ対シ頗ル不快ノ感ヲ抱ク者アリト聞ク 鮮人ノ所為若シ不穏ニ亙ニ於テハ速ニ取締ノ軍隊又ハ警察官ニ通告シテ其処置ニ俟ツベキモノナルニ民衆自ラ濫リニ鮮人ニ迫害ヲ加フルガ如キコトハ固ヨリ日鮮同化ノ根本主義ニ背戻スルノミナラズ 又諸外国ニ報ゼラレテ決シテ好マシキコトニアラズ…民衆各自ノ切ニ自重ヲ求ムル次第ナリ
 同じ5日、関東戒厳司令官・福田雅太郎大将は司令官令第二号を出し、自警団の誰何、検問、また官憲の許可なく武器を携帯することを禁止しました。警視庁も宣伝ビラを連発し、流言の否定、暴走する民衆の統制、自警団の取締りに取り組みます。
 しかし重要なのは同日午前10時、各方面の官憲を集めて開かれた臨時震災救護事務局警備部における打ち合わせです。議題は「外部に対する官憲の採るべき態度」、この時期にはすでに朝鮮人暴動の流言に対して官憲内部でも疑念が生じていたので、官憲内部で外部に発表する統一見解を定める必要があったからです。ここで決定された方針が「鮮人問題に関する協定」です。(①p.266~8) ここまで縷々述べてきたように、朝鮮人虐殺事件における官憲と軍隊の責任は大なるものがあります。流言飛語の流布、自警団結成の勧奨、武器の貸与、殺人の容認と黙認、そして虐殺の遂行。結論から言えば、この協定の内容は、その責任をできうる限り隠蔽し有耶無耶にし誤魔化すこと、それができない部分では虚偽を捏造してでも「仕方がなかった」と合理化することです。
鮮人問題に関する協定
一、鮮人問題に関し外部に対する官憲の採るべき態度に付、九月五日関係各方面主任者事務局警備部に集合取敢えず左の打合を為したり。
第一、内外に対し各方面官憲は鮮人問題に対しては、左記事項を事実の真相として宣伝に努め将来之を事実の真相とすること。
従て、(イ)一般関係官憲にも事実の真相として此の趣旨を通達し、外部へ対しても此の態度を採らしめ、(ロ)新聞社等に対して、調査の結果事実の真相として斯の如しと伝うること。
 左記
朝鮮人の暴行又は暴行せんとしたる事例は多少ありたるも、今日は全然危険なし而して一般鮮人は皆極めて平穏順良なり朝鮮人にして混雑の際危害を受けたるもの少数あるべきも、内地人も同様の危害を蒙りたるもの多数あり。
 皆混乱の際に生じたるものにして、鮮人に対し彼らに大なる迫害を加えたる事実なし。
第二、朝鮮人の暴行又は暴行せんとしたる事実を極力捜査し、肯定に努むること。
 イ、風説を徹底的に取調べ、之を事実として出来得る限り肯定することに努むること。
 ロ、風説宣伝の根拠を充分に取調ぶること。
 (第三、第四、第五伏字)
第六、朝鮮人等にして、朝鮮、満州方面に悪宣伝を為すものは之を内地又は上陸地に於て適宜、確実阻止の方法を講ずること。
第七、海外宣伝は特に赤化日本人及赤化鮮人が背後に暴行を煽動したる事実ありたることを宣伝するに努むること。
 まさか参加された官僚の皆様方は、この協定が白日の下に晒されるとは想像だにしなかったでしょうね。情報公開の大事さを痛感します。と同時に、官僚諸氏がいかにそれを恐れるかも納得します。
 まず官憲に責任はなかったという虚偽をでっち上げて、これを「事実の真相として宣伝に努め将来之を事実の真相とすること」。嘘を事実にしてしまい、官僚の責任を未来永劫免れようとするそのなりふりかまわぬ姿勢には感動すら覚えます。さてその虚偽の中味です。まず、朝鮮人の暴行等は「多少ありたる」、つまり官憲の流布した流言は嘘ではない。危害を受けた朝鮮人は少数いたが、危害を受けた内地人(日本人)は多数いた。混乱によって暴行を受けた、ということなのでしょうか。これは意味不明ですね。問題は次の一文です。「鮮人に対し彼らに大なる迫害を加えたる事実なし」。危害は少しあったが、迫害はなかった。 "虐殺"を"迫害"と言い換えて印象を弱める官僚的作文であり、その虐殺を全否定する真っ赤な嘘です。そして流言の内容である「朝鮮人による暴動・放火」を、「事実として出来得る限り肯定することに努むること」。実際にはなかった暴動・放火を、あったかのように見せろということですね。第三・第四・第五の伏せ字というのが、たいへん気になりますね。何が書かれていたのでしょう。
 そして朝鮮や満州(間島地方でしょうか)に帰って、"悪宣伝"、つまり真実を伝えようとする朝鮮人を"適宜、確実阻止"すること。この表現に「殺しても構わない」という暗黙の了解を感じるのは穿ち過ぎでしょうか。そして海外に対しては、社会主義者である日本人・朝鮮人が暴行を煽動したと宣伝すること。そのような事実はまったくなかったにもかかわらず。

 キーボードを叩いているうちに気が滅入ってきました。これほど下劣な文章にはなかなかお目にかかれません。朝鮮人暴動は誤認だったことを認めれば、国家責任は明白になってしまいます。そこで国家責任を徹底的に隠蔽するために、朝鮮人暴動の捏造方針がここに決定されたのですね。そして暴動は社会主義者の日本人と朝鮮人の合作だと宣伝して外国からの非難から逃れようとしたわけです。政府や官僚の言うことを絶対に信用してはいけないと、あらためて銘肝しましょう。
# by sabasaba13 | 2017-11-01 06:34 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

近江編(44):水口(15.3)

 なお少し離れたところにある大池寺には、小堀遠州作と伝えられる蓬莱庭園があるそうですが、泣いて馬謖を斬る、時間の関係で省略しました。列車が来るまで少々時間があったので、水口石橋駅近くの「ポエム」で珈琲をいただいて一休み。そして駅に行きホームで待っていると…
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 何と白黒で塗られたパトカー仕様が入線してきました。これは魂消た日和下駄。こういうどうでもいいことを調べる時には、ほんとうにインターネットは便利です。今、調べてみると、滋賀県警が春の全国交通安全運動の一環で近江鉄道に依頼して走らせている「パトカー電車」だそうです。車内の天井には婦人警官の写真がべたべた貼ってありましたが、これは近江八幡市出身で、滋賀県交通安全ふるさと大使になっているAKB48のメンバー田名部生来氏だそうです。この手の金太郎飴的素人娘集団にはまったく食指が動かないので、どうでもいいことですが。
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 この電車には悪意はないと思いますが、最近、警察の影が日常生活に静かに忍び込んでいるようで不気味さを感じています。先日、大きなスポーツバッグを背負って自転車に乗っていただけで警官に職務質問をされたこともありました。杞憂だと…いや、違いますね。『共謀罪の何が問題か』(岩波ブックレット966)の中で、髙山佳奈子氏がこう書いておられました。
 このように、テロを中心とする危険な事態には、国際条約や決議、またそれらに対応する国内立法や独自の国内法によって、すでに対応可能な体制が整っています。そして、法案の内容自体に、テロ対策が規定されていません。
 こんな奇怪な法案を、なぜ、与党は、虚偽の看板を掲げて国民をだましてまで強行しようとするのでしょうか。…ここでは、「犯罪が減って仕事のなくなった警察が権限を保持するため」という理由を書いておきましょう。(p.40~1)

 軽微な道路交通法違反の摘発が「ねずみ捕り」と批判的に呼ばれることがありますが、それに似た状況が、より重い処分を伴って、いろいろなところで起こっています。共謀罪規定を導入すれば、警察の取締権限の範囲は大幅に拡大します。本来必要のない処罰規定をわざわざ作ることにより、犯罪でなかったものを犯罪と呼び、警察の実績を上げる効果がもたらされるのです。(p.43)
 髙山氏によると、現在、犯罪の認知件数は毎年大幅に減少し、戦後最低記録を更新中です。例えば、2002年における刑法犯の認知件数は約285万件、2015年のそれは約110万件。その一方で、同じ期間に警察職員の数は約2万人増加しているそうです(p.41)。警察組織の利権を守るためには、仕事を増やす必要があります。そのために、今まで摘発の対象になっていなかった行為を摘発する。「共謀罪」法案はそのための布石でしょう。もう一つは、"テロの脅威"など人びとの不安を煽り、それを燃料として警察組織の必要性と拡充を正当化する。旅先の辺鄙(失礼)な地で、「テロに注意」というポスターをよく見かけるようになりました。甲府駅前のバス停紀州鉄道西御坊駅静岡県立美術館のバス停筑後吉井駅別所線上田駅真岡鐡道車内山陰本線宍道駅などなど、写真を見ていただければわかるように「こんなところで殺傷行為をおこなうテロリストがいるわけないだろ」と半畳を入れたくなるような場所にすらです。もし仮にテロの危険が高まったとすれば、髙山氏が言うように、それは安保法制が強行されたことにより、日本が「アメリカと一緒に武力を行使する国」と見られて、イスラム過激派から敵視されるようになったからでしょう(p.31)。あるいはもっと高所より見れば、『世界正義論』(筑摩選書)の中で井上達夫氏が述べられている分析も参考になります。
 節度ある階層社会における宗教的差別や市民的政治的人権侵害にリベラルな先進社会が目をつぶる代わりに、後者の世界分配正義侵犯に対する追及を棚上げするという取引は、階層制社会にとっても、リベラルな社会にとっても、「おいしい取引」であろう。しかし、このような二つの不正黙認を交換する政治的妥協は、仮に、国際政治秩序の安定性を実現しえたとしても、それは不正の構造化による安定であり、正義の名を冠することは許されない。節度ある階層社会の柔和な外観をもった差別や政治的抑圧に晒される人々や、豊かな先進諸国の冷酷な無視により、基本的必要充足を阻まれたまま放置される人々など、この政治的取引によって黙殺され不可視化される人々が、忍従を拒否し、怒りをテロその他の形で暴力的に爆発させる可能性は常に伏在しており、かかる「倫理的時限爆弾」を抱えた政治的妥協は、長期的視点から見れば、安定性を達成することもできないだろう。(p.192)
 私なりに言い換えれば、いわゆる先進国が、後進的な専制国家から富を搾取する見返りに、当該国内における差別や抑圧を黙認すれば、被害者たる民衆がその怒りを暴力的に爆発させる可能性があるということでしょう。日本がそうした行為に加担しているのであれば、テロの攻撃対象となる可能性も強くなります。

 なお同書は、"世界正義"について考究した重厚な一冊で、一読、たいへん勉強になりました。例えば、下記の一文など、安倍上等兵に、熨斗をつけて額縁に入れてクール超速宅急便でお送りしたいものです。
 表現の自由・集会結社の自由・参政権などのいわゆる「市民的政治的人権」は、政府が国民の「公共のもの(res publica)」たる国家を私物化せず、国家の主権をその存在理由国民の人権保障のために行使しているか否かを国民がチェックするための人権であるがゆえに、最低限にして最優先の正統性承認条件をなす。これらは他の人権と並列される人権の一部というより、人権保障を確保するための人権であり、政府が人権保障の責務と権能を国民によって受託されていると言えるための、そしてそれゆえにこそ政府が国際特権を享受する資格があると言えるための前提条件である。(p.158)
 なるほど、安倍でんでん内閣が、特定秘密法案や共謀罪法案を成立させたのは、国家を私物化していることを国民にチェックさせないための措置なのですね。よくわかります。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-10-31 06:24 | 近畿 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 28

 また埼玉県の各地でも大虐殺が起きています。まずは熊谷です。内務省からの指示に加えて、東京から流入する避難民を通じて、朝鮮人暴動の流言は広まっていったようです。埼玉県は、避難してくる朝鮮人を川口で検束し、蕨に移送。その北への護送を各町村の自警団にゆだねました。残暑の厳しいなか、家族連れも含む朝鮮人たちは、徒歩で休憩もなく延々と歩かされ、途中、逃亡した者が合わせて10数人、殺害されています。彼らが熊谷に着いたのは4日の夕方、蕨から50キロを30時間かけて歩き続けた末のことでしたが、熊谷町中心部は、数千とも思われる人々に埋め尽くされていました。彼らは東京の仇を打とうと殺気立った烏合の衆と化しています。「中心部入り口における殺戮に加わった民衆は、その昂奮をそのまま市街地へ持ち込んだ。彼らは血がついた刀、竹槍、棍棒を持って逃げた朝鮮人を探し、みつけ出しては殺す。そこに自警のかけらは少しもない。狂気に支配されたとはいえ、血に飢えた者が獲物を捜し求め、狩りを楽しみ、みつけたら殺戮を楽しむ、というのが実相である」(⑤p.165)。逃げずに縄で縛られ、おとなしく連行されていく者も容赦なく暴行を受けた。「その時私は、眼の前で日本刀を持って来た人が、『よせ、よせ』というのをふりきって、日本刀で朝鮮人を斬ったのを見ました。…こんな時に斬ってみなければ切れ味がわからないといって、斬ったのだそうです」(⑤p.167)。竹やりを背中に何本も刺された朝鮮人も目撃されています。彼らが最終的にたどり着いたのが深夜の熊谷寺の境内、ここで残りのすべての朝鮮人が「万才、万才」の声のなか、殺害されました。町のあちこちに転がった遺体は、暑い中、すぐに激しい腐臭を発するようになりました。野犬が食いあさる、放置されたままで誰も近づかなかったこれらの遺体を黙々と荷車に積み込み、野焼きしたのは、一人の火葬人夫と、町の助役である新井良作だけでした。その後、熊谷市の初代市長となった新井は、1938年に朝鮮人犠牲者の供養塔を建立しました。

 そして埼玉県の本庄でも虐殺が起こりました。9月4日午後8時過ぎ、埼玉県警察部が。群馬県に移送させようとした朝鮮人十数名を乗せた貨物自動車が、群馬県多野郡新町の自警団にさえぎられて群馬県内に入ることが出来ず、本庄警察署に避難してきました。これら三台の貨物自動車に朝鮮人多数が乗っているのを目撃した住民たちの中から、「朝鮮人の来襲だ」と叫ぶ者がいて、それはたちまち人の口から口に伝わります。自警団では、団員を鐘楼に駈け上らせ警鐘を乱打させました。夜の町に鐘の音が響き、それを耳にした他の鐘楼でも鐘がたたかれ、本庄町とその周辺は騒然となりました。そして、女子供はかたく戸をしめて家に閉じこもり、男たちは提灯を手に日本刀、シャベル、鳶口、鉄棒をもって本庄警察署附近に集まってきたのです。群衆は急激に増加してその数は三千人にも達し、警察署の周囲は、提灯の灯でうずまりました。かれらは口々に、「朝鮮人を出せ」と、警察署員に向かって連呼し、狼狽する署員の制止をふりきって署内に乱入しました。そして、貨物自動車で移送途中の朝鮮人が収容されている演武場その他に殺到しました。群衆は、翌5日朝までに建物を鳶口等で破壊し、朝鮮人33名をとらえると、熊手、日本刀、鉈、鳶口、長槍等で殺害しました。警察の非力を知った群衆は、自警団員を中心に一層凶暴化しました。すでに本庄町とその周辺は無法地帯になっていて、煽動者は、バンザイ、バンザイと叫び、凶器を手に、「やっちまえ、やっちまえ」と、町の所々に集る群衆に声をかけて歩きました。
 翌6日午後、本庄警察署長・村磯重蔵が帰署してきたことを知った煽動者たちは、日頃から署長に反感をいだいていたので、群衆に、「署長を殺してしまえ」と、説いて歩きました。群衆もこれに応じて警察署周辺に集り出し、夜に入った頃にはその数も数千名にふくれ上りました。煽動者たちは、署長を殺し警察に放火せよと叫び、遂に午後八時頃署内に喚声をあげてなだれこみましだ。署長はその間に逃れましたが、煽動者たちは、日本刀、シャベルをふりかざして署員をおどし、署内を荒し廻ったのです。警察では軍隊の派遣を乞い、それによってようやく鎮圧することが出来ました。(⑧p.176~8) その慰霊碑が城立寺長峰墓地に建立されています。
 なぜ人びとが村磯署長に反感を抱いていたのか、『大正大震災』(尾原宏之 白水社)を読んでわかりました。村磯署長は、中山道の宿場町・本庄で栄えた女郎屋を厳しく取り締まり、また町の青年が楽しみにしていた神輿担ぎを威圧的に統制し、規則を破る者を拘引し、さらにしつこく監視したのですね。以下、本書より引用します。
 村磯が祭りに手をつけたのは象徴的な意味を持つ。神島二郎によれば、自然村における生産労働の淋しい日々の中にちりばめられる祭祀は、人々に「季節的にめぐりくる豊富・解放・平安のエクスタシー」を与え、また通過儀礼を通して「隠居や隠棲、「あの世」への帰入、生まれかわり、そしてその連続としての子や孫の生命力にたいするあこがれや期待」を与えてきた。そしてそれは、現実の苦痛や圧迫や欠乏に耐え、安楽や自由や豊富の獲得を諦めさせる力となった。祭りは、自然村の生産との関連を断ち切られるようになっても、なお「一時的な融合と情動の昂揚」をもたらす。都市化により祭りの数は整理されていくが、逆に少ない機会は大きく盛り上げられる。人々は華やかな祭りへと誘導され、そこで抑圧感が発散される。本庄署襲撃は、「ハレ」の場を禁圧された住民の情動が噴出したものでもあった。(⑫p.127)
 民衆による朝鮮人虐殺の真因を理解するためには、共同体への抑圧や崩壊、それに反発する住民の情動にも注意を払うべきかもしれません。

 もうひとつが、埼玉県上里町神保原で起きた虐殺です。本庄と同様、群馬県に移送される朝鮮人を乗せたトラックが神流川のあたりで群衆に襲撃され、42人の朝鮮人が殺害されました。1952年にその慰霊碑が安盛寺に建立されています。
# by sabasaba13 | 2017-10-30 07:05 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

近江編(43):水口(15.3)

 ちょいと趣旨は違いますが、外務省某幹部がこんなことをおっしゃっていました。
 日本人の実質識字率は5パーセントくらいだから、新聞は影響力を持たない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく。
 面白うてやがて悲しき…ですね。今の日本や世界について、格差社会について、テロや難民について、気候温暖化について、沖縄や福島について、そして安倍でんでん内閣の本質について、多くの方々が無知・無関心なのは、この実質識字率の壊滅的な低さ、言い換えれば本を含む活字媒体から縁遠くなったことに起因すると思います。それにしてもその原因はいったい何なのでしょう。私の場合は、まず暇潰し、そして視野が広がり知らない世界に出会える享楽が読書にはまる契機でした。やはりスマートフォンという恐るべき暇潰しメカがあらわれたことが大きいのだと愚考します。ただ、読書と違い、視野を狭窄させ世界を小さくするスマートフォンに享楽を感じる理由は、想像すらできません。

 なお最近読んだ『「おもてなし」という残酷社会』(榎本博明 平凡社新書839)の中に、興味深い指摘がありましたので引用します。
 過剰な「お客様扱い」という意味で、この頃とくに違和感があるのは、図書館で本を借りる際に「ありがとうございます」といわれることだ。
 こちらが無料でサービスを受けているのだから、お礼をいうべきはこちら側のはずだ。それなのにお礼をいわれるのだから、恐縮してしまう。
 と同時に、そのような従業員教育をする図書館の体質の変化に大いに違和感がある。
 なぜ、そこまで「お客様扱い」を徹底しようとするのか。なぜそこまで市民に対して自己中心的な心を植えつけようとするのか-。(p.20~1)
 うーむ、知らなかった。でもこれは確かに違和感を覚えます。深読みですが、各図書館にサービス競争をさせて、アンケートなどでその結果を数値化し、点の低い図書館の予算削減や統廃合を狙う地方自治体行政の腹黒い意図があるのかもしれません。でもせめて図書館は、競争原理とは無縁の場であってほしいし、傍若無人に騒ぐガキがいたら厳しく窘める雰囲気であってほしいものです。

 すぐ近くには「水口小学校校歌と巖谷小波」という解説板があったので、後学のために転記します。
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 「城山高くあらずとも」で始まる本校校歌は、明治43年(1910)制定、作詞は巖谷小波、作曲は入江好治郎です。
 巖谷小波(明治3年~昭和8年)は、水口出身の著名な書家、巖谷一六の子で、日本における近代的児童文学の創始者であり、「お伽噺の小波さん」として、明治・大正期の子供たちの大きな支持を集めた人物です。
 小波は作詞にあたり、地名や校名の連呼を避け、郷土の身近な風景の中に、子供の健やかな成長を描いて見せます。
 なお作曲の入江は、水口出身で上野音楽学校卒。滝廉太郎とは同窓でした。
 そうそう、今読んでいる、中野重治の『梨の花』(岩波文庫)にも、その名前が出てきました。20世紀初頭の福井県の農村を描いた自伝的小説です。
 「さあ、一服してくんないの。」
 どのへんでか、「ずいぜん寺のおばあ」がせんべん菓子を山盛りにして持ってきた。それから和子さんがちょっと引きかえして、『幼年画報』やら『少年世界』やらを持ってきた。その『少年画報』にぽつぽつの穴のあいた写真があったのだった。
 そこは緑いろの紙になっていた。良平は読んで、驚いて顔をあげたがまた読んだ。あの巌谷小波に、「小波おじさん…」という呼び方で手紙を書いている子供がどこかにいるのだった。
 小波というのは、小波山人ともいったが、良平はやはり大吉の『少年世界』で知っていた。この人はお伽噺を書いていた。それから「むかしの話」という子供時分の思い出話も書いていた。それから、雑誌でなくて本も書いていた。(p.288)

# by sabasaba13 | 2017-10-29 07:36 | 近畿 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 27

 さて亀戸署におけるその後の動きです。(⑩p.51~6) 9月4日午後7時過ぎ、古森繁高署長は留置場に四人の自警団員を拘留しました。彼らは日本刀を携帯して、勝手に通りがかりの人を呼びとめ、怪しい人物に私刑を加えていたのでした。たまたま通りがかった警官が検問をやめるよう勧告すると、怒って日本刀で切りかかってきました。本人たちは官憲に協力しているつもりだから、不本意だったのでしょう。 彼らは応援の警官によって公務執行妨害、傷害罪で正式に逮捕されました。しかし、本人たちは不当逮捕と信じているので、留置場内で騒ぎに騒いぎます。警察と軍隊への悪口をあれこれ述べたて、「さあ殺せ」とわめいたりしました。ついに古森は「兵器ヲ用ウルニアラザレバ之ヲ鎮圧シガタキヲ認メ」軍隊(警備の騎兵十三連隊・田村春吉少尉ら)に引き渡して、刺殺させました(警視庁編『大正大震火災誌』)。
 この四人のなかに、石炭仲買い兼人夫差配師の秋山藤次郎が含まれていました。彼は中国人労働者多数をかかえていましたが、当時、亀戸署の特高刑事から「支那人を百人解雇して、日本人を使うようにせよ」と迫られ、拒否し続けていました(『報知新聞』 1923.10.14)。王希天と同じように、中国人サイドに立つ人物だったのですね。秋山は、あるいは大島事件など中国人虐殺を知っていて、留置場内で告発したかもしれません。いずれにせよ、軍隊と警察が共謀して日本人を虐殺した事件です。

 そしてこの9月4日、東京の周辺でも朝鮮人虐殺が猖獗を極めはじめていました。既述のように、9月2日、内務省が周辺各県へ、朝鮮人暴動という誤報と「町村当局者は、在郷軍人分会、消防手、青年団員等と一致協力して其警戒に任じ、一朝有事の場合には、速かに適当の対策を講ずるよう至急相当御手配相成度」という指示を伝えています。壊滅状態にある警察力を補強するために、各町村においていわゆる「自警団」を結成し協力するよう指示したわけです。注目すべきは「適当の対策」という文言、これは「場合によっては殺害やむなし」という暗黙の内容を含みもたせています。これによって東京周辺での虐殺が始まった可能性が高いと思います。

 またこの日も、地方の新聞は「朝鮮人の暴動・放火という流言蜚語」を事実として報道しつづけています。その影響も見逃せません。
 歩兵と不逞鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣… (福島民友新聞)

 放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に侵入 警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中… (宮城県・河北新報)
 9月4日未明、当時24歳だった姜大興(カンデフン)さんが、千葉県旧片柳村の染谷地区の畑で、槍や日本刀で武装した地元の自警団の男たちに追い掛けられ、頭や胸を刺されて死亡しました。染谷地区の住民が1923年に建てたお墓が常泉寺に残されていますが、最も早い時期に建てられた追悼碑の一つだそうです。また氏名や年齢が判明している犠牲者は数少ないとのこと。当時の染谷区長の孫で元大宮市議の高橋隆亮さん(71)は、自宅の古い机の引き出しの中に、県や片柳村、軍の関東戒厳司令部からの通知十一通を発見。自警団の結成を憲兵や警察に届け出るよう指示した通知もありました。なお犯人は事件直後、「恩賞にあずかりたい」と自ら警察署に出頭しているそうです。戒厳令下、朝鮮人は敵であり、敵を殺せば国家から恩賞を受けられるという民衆の意識がわかります。
# by sabasaba13 | 2017-10-28 07:59 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

近江編(42):水口(15.3)

 せめてもの恩返しに、私が冬籠り前の栗鼠のようにコツコツと貯えた、本に関する名言を掲載します。
 読書が勤学であるように解されたのは昔の道学先生の学究観で、読書は実は享楽である。(内田魯庵)

 読書は、人性の全てが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても、国と国との関係においても。(美智子皇后)

 本の読み方というのは、人の生き方と同じである。この世界にひとつとして同じ人の生き方はなく、ひとつとして同じ本の読み方はない。それはある意味で孤独な厳しい作業でもある-生きることも、読むことも。でもその違いを含めた上で、あるいはその違いを含めるがゆえに、ある場合に僕らは、まわりにいる人々のうちの何人かと、とても奥深く理解しあうことができる。気に入った本について、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは、人生のもっとも大きな喜びのひとつである。(村上春樹)

 私は本が世界を変えうるとは考えていないが、世界が変わりはじめるとき、世界はこれまでと異なる本を求めるものと信じている。(シュロモー・サンド)

 本に読まれないように! (渡辺一夫の父)

 思うのだが、僕らを噛んだり刺したりする本だけを、僕らは読むべきなんだ。本というのは、僕らの内なる凍った海に対する斧でなくてはならない。(フランツ・カフカ)

 私は現地に本を持っていって読むという、わりに良いくせがある。(安野光雅)

 わたしたちは本を読み、絵画を鑑賞し、美しい田園を散策しその片隅を発見し、静かに日光浴をし、同時代の知識に親しむことができないでいます。要するにわたしたちは、知的もしくは動物的ないかなる楽しみも欠けているのです。(ウィリアム・モリス)

 よく本を読む人はみな、開かれた新しい世界を想像できるのだ。(マルコムX)

 本が焼かれるところでは、最後に人間が焼かれるのだ。(ハインリヒ・ハイネ)

 きみ自身を、そしてきみの生活を変えたいならひとつだけ忠告を聞いてほしい。これだけのこと。テレビを消してよい本を読む。(リウス)

# by sabasaba13 | 2017-10-27 06:26 | 近畿 | Comments(0)

2017年衆議院選挙

 気鬱のため、しばらく休筆してしまいました。申し訳ありません。

 気鬱の原因は、もちろん衆議院選挙です。まず、安倍上等兵率いる自民党候補者に、なぜこれほど多くの有権者が票を投じたのか。これまで安倍上等兵内閣がしてきた施策を整理すると、憲法違反の秘密保護法制・安保法制・共謀罪法制、沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設強行、秘密だらけのTPP交渉、安全を無視した原発の再稼働・輸出、福島の被害者に対する冷酷な態度、一般国民を苦しめる消費税増税、政府・官邸による恐るべき言論統制と情報操作などなど。言うなればアメリカ・大企業・経済的強者・自民党・官僚ファースト、経済的弱者の棄民と地方の切り捨て、過半数の議席を得た政権は万能であり批判は許さないという傲岸な姿勢です。どれか一つをとっても万死に値すると私は思います。しかしこうした弱肉強食的政策を真っ当なものとして支持したがゆえの投票なのか。あるいは、それについて知らず、考えず、関心も持たず、何となく他の政権より良さそうだからという安易な理由からなのか。はたまた、北朝鮮への強硬な姿勢に好感をもったからなのか。いずれにせよ理解に苦しみます。
 二つ目は、戦後二番目の低さであるという、53.68%という投票率。気に入った候補者がいなければ投票する必要はないという、お買い物意識からなのでしょうか。しかし政治の世界には「黙っているなら認めたことになる」という厳しい原則があるですから、結果として46.32%の有権者は、安倍上等兵内閣に暗黙の支持を与えたことになります。それくらいのことも分からないのか、これも理解に苦しみます。

 やれやれ。でもあきらめません。古代中国人曰く、"自分が一番したいことはするな。敵がもっとも嫌がることをせよ"。安倍上等兵および自民党諸氏がもっとも嫌がるのは、私たちがあきらめることでしょうから。
 先哲の言葉を炬火として掲げながら、粘り強く抗いましょう。みんなが安心して暮らせる社会を求めて。
 進取的な国民の中では、性急さも結構だが、中国のような麻痺した場所に生まれた以上、それでは損するだけです。どんなに犠牲をはらったところで、自分をほろぼすのがせいぜい、国の状態には影響はありません。…この国の麻痺状態を直すには、ただ一つの方法しかない。それは「ねばり」であり、あるいは「絶えず刻む」ことです。(魯迅)

 われわれの戦いの見込みのないことは戦いの意味や尊厳を少しも傷つけるものではない。(V・E・フランクル)

 私たちが負けつづける限り、権力はいつまでも勝っておらねばならない。強者には一度の負けが決定的だが、弱者には負けることを止めたときが敗退なのだ。(金時鐘)

 カタ・ヒジはったら、ぷっつり、息切れがして、とても長続きはしないよ。日本は、そんなに簡単によくなる国じゃないんだ。(飯沼二郎)

# by sabasaba13 | 2017-10-26 06:29 | 鶏肋 | Comments(2)

関東大震災と虐殺 26

 そしてこの4日、「猫ニ逐ワレル鼠ノ如ク」「竹槍、鳶口等ヲ以テ野犬撲滅同様」(『政府戒厳令史料』 p.250)といった迫害を受け、さらに検束された朝鮮人を習志野俘虜収容所などに移送・拘留する決定がなされました。朝鮮人を保護することによって、国際的な非難を避け、日本による朝鮮支配への悪影響を防ぐためです。9月4日午後4時、第一師団司令部の戒厳令第三号「朝鮮人は習志野旧捕虜収容所に収容す。詳細は別に指示す」です。さらに同日午後10時、第一師団長・石光真臣は騎兵第二旅団・三好一にこう指示しました。(①p.195~6)
一、東京附近の朝鮮人は、習志野俘虜収容所に収容することに定めらる。
二、各隊は、その警備地域附近の鮮人を適時収集し、国府台兵営に逓送す。
三、貴官は、習志野衛戍地残留部隊を以て、国府台にて鮮人を受領し、之を逓送して廠舎に収容し、之が取締りに任ずべし。
四、鮮人の給養は、主食、日量、米麦二合以内、賄料、日額十五銭以内とし、軍人に準じて取り扱ふべし。その細部に関しては、計理部長をして指示せしむ。(『現代史資料』六巻 p.121)
 習志野の収容所は、騎兵第二旅団指揮下の騎兵第十三、十四、十五、十六連隊の東にある高津廠舎に開設されましたが、そこはかつて日露戦争の時のロシア人捕虜収容所、第一次大戦の時のドイツ人捕虜収容所となったところです。なお収容所としてはこの千葉県習志野陸軍廠舎(旧捕虜収容所)の他に、那須金丸ヶ原練兵場内、目黒競馬場、横浜港内碇泊の華山丸にもありましたが、いずれも一般市民から隔離した場所でした。(①p.182) こうして朝鮮人の各収容所への移送が、翌9月5日より始まりますが、この措置には、「保護」のほかに「選別→殺害」というもう一つの目的がありました。特に習志野の収容所がその舞台となったようです。たとえば、警視庁管内63署は留置場・演武場などに拘束していた朝鮮人の多くを目黒競馬場の収容所に送りましたが、そのなかで世田ヶ谷署は120名の拘束者を目黒と習志野にわけ、「注意人物は軍隊に托して習志野に移し」ました。(①p.201~2) また戒厳司令官・福田雅太郎は習志野送りを「玉石混淆共に砕ることなからしむるため」と述べ、橘清は「保護すべきは保護し拘束すべきは拘束し、事毎に機宜の処置」であると述べています。(①p.197~9)
 というわけで、おそらく、独立運動・労働運動・社会主義運動に深く関わっている朝鮮人、あるいは軍・警察が犯した"不都合な真実"を知り過ぎた朝鮮人は、習志野の収容所に送られる。また収容されている人びとに対する捜査・尋問を行なって前記のような「不逞」(日本の国家権力にとって目障りな)朝鮮人をあぶり出す。そして「玉」と判断したら保護し、「石」と判断したら…

 もう一つ私たちが記憶に留めなくてはならないのは、官憲が、収容した朝鮮人を強制使役したことです。具体的には、焼跡整理、死体処理などです。その目的は三つありました。第一に「多数の鮮人は決して不逞ならずして献身的に世務公益に努力する者である事実を示して、国民の反感を緩和すること。二は上野、両国、品川、新宿は帝都の関門、交通運輸の要衝で殊に目下の如き鉄道不通の際、物資を市外より得んとする際に於ては最其通路の障害物を除去し、交通運輸の安全を期せねばならぬ、然るに路面破壊されたのみならず、廃物山積して歩行すら容易でない、故に速かに障害物を除去するは非常の功徳であったからである。三は鮮人をして義侠的又は社会奉仕的に労働に従事せしむれば一般労銀の低下を促す原因となる」と考えたからです。とくに第三の理由は注目すべきですね。官憲と財界の関係が、不即不離の利益共同体であったことがよくわかります。
 中でも苛酷だったのが、死体処理作業でした。集団焼死のあった本所の被服廠跡などは足の踏み場もないほどの死体が残暑にさらされ、蛆、蠅の大群がむらがっていました。腐臭のたちこめるなかで荼毘に付す作業は難事であり、「気味の悪い仕事」として作業員の応募がなかったそうです。「『日給五円日払イニシテ三食弁当ヲ給ス』破格の条件で募集した88名の作業員が半日の作業でわずか4名しか残らなかった」ほどで、その臭気で卒倒する人もいました。その「一般内地人の嫌忌する労働」に朝鮮人が強制的に動員されたのでした。(①p.188~90)
# by sabasaba13 | 2017-10-21 05:51 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

近江編(41):水口(15.3)

 それでは旧水口図書館に向かいましょう。途中に、「名物かんぴょう」というポスターがありました。歌川広重の「東海道五十三次」に描かれてから、全国的に有名になったそうです。
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 踏切を渡って地図を頼りに歩いていくと、まるで貴族の別荘のように瀟洒な洋館がありました。解説板を転記します。
 この建物は昭和3年(1928)水口町出身の実業家井上好三郎氏の寄付により、水口町立水口図書館として建てられたもので、設計は滋賀県ゆかりのヴォーリズ建築事務所である。
 南東側を正面としその右隅に玄関を、右側側面に通用口を設け、一階は小学生用閲覧室と書庫、二階は成人用閲覧室兼会議室に利用された。構造は主要な躯体を鉄筋コンクリートで構成し、壁は煉瓦積みという手法をとっている。玄関の両脇にはトスカナ式の円柱を配し、その上には壁を半円アーチ状にくぼめて書物と燭台、オリーブなどのレリーフを施し図書館らしさを表現する。
 窓は縦型長方形で両開きガラス窓を配置している。また玄関上方の二階窓には小振りのバルコニーを設けアクセントとする。特に塔屋の上に置かれたランタンは、この建物のイメージに大きく寄与している。全体に装飾は抑えられているが上記のようなアクセントや太めの軒蛇腹が立面を引き締めており、戦前最盛期のヴォーリズらしさにあふれた珠玉の作品と高く評価される。
 宿場町の古い町並みに面して突如現れたモダンな建物は、当時の人々をあっと言わせ、知の館としてまたランドマークとして多くの人々に親しまれ、昭和45年の図書館移転後も教科書っ選定のための施設として利用された。
 その後老朽化が進む一方で、近代化遺産に対する市民の関心も高まり、平成13年には国の登録有形文化財となり、平成15年にはランタンの復原や構造補強など保存整備工事が行われ、ふたたび活用の道が開かれた。
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 "知の館"か…素敵な表現ですね。地元の方々の、この図書館に対する思い入れの深さを感じます。思えば、私も少年時代には図書館にたいへんお世話になりました。時は1970年代、携帯電話もスマートフォンもコンビニエンスストアもインターネットもテレビゲームもカラオケもディズニーランドもない時代でした。もちろんたいしたお金も持っておらず、あるのは時間だけ。内気な少年をなんの留保もなく受け入れてくれたのが区立図書館でした。人気のない書庫の片隅にある小さな窓から中学校のプールで泳ぐ女子生徒を覗…もといっ、座り込んで恐竜図鑑や「ドリトル先生」シリーズや「ゆかいなホーマーくん」など手当たり次第に本を読み耽った至福のひと時。もし私に知的好奇心らしきものがあるとすれば、それは間違いなく図書館によって育まれたものです。あらためて感謝の意を込めて、「ありがとうございました」と言いたいと思います。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-10-20 06:28 | 近畿 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 25

 9月4日、火曜日。政府は千葉県・埼玉県にも戒厳令を施行します。

 既述のように、官憲は政策を大きく転換させました。すべての朝鮮人を検束して尋問・取調べを行ない、「順良」な朝鮮人は保護し、「不逞」な朝鮮人(独立運動家・労働運動家・社会主義者)は「適当処分」するという政策です。この日も大規模な朝鮮人検束が行われますが、その過程で命を落とした者も少なくありませんでした。前日9月3日付戒厳司令部の在郷軍人会宛の希望事項にこうあります。(①p.173~4)
一、不逞鮮人中放火ヲ企テシ形跡アリ然レドモ徒党ヲ組ミ暴行ヲ為スガ如キ噂盛ナルモ事実ト相違シ訛伝ニ過ギズ鮮人中ノ大部分ハ順良ナルモノニシテ之ニ対シ濫リニ暴行迫害ヲ加ウル等ノ行為ナキ様注意ヲ要ス。但シ真ノ不逞鮮人ト認メタルトキ又ハ彼等中抵抗シタル場合ニ在リテハ断乎タル処置ヲ取リ万違算ナキヲ期セザルベカラズ」 (『麻布支部臨時』第二号)
 「断乎タル処置」「万違算ナキヲ期セ」とは、"殺害差支えなし"を意味する軍隊用語です。そして検束の現場で、「順良」か「不逞」か、抵抗したかしないかの判断は、兵士、警察や自警団員が任意に委ねられていました。彼らの心証・胸先三寸・虫のいどころによって、「抵抗した」「不逞な」朝鮮人だと判断すれば、殺害してもよい、ということを意味します。朝鮮人の生命はあいかわらず、鴻毛の如く軽いものでした。
 また「検束し、抵抗したら"処置"する」という方針転換を、朝鮮人に広報していなかったことも問題でした。朝鮮語によるビラの配布やポスターの掲示、メガホンによるPRなどを、官憲はいっさいしていません。この方針転換を知らず、死の恐怖と極度の緊張とともに逃げ回る朝鮮人は、検束=虐殺ととらえています。そしてわが身を守るために逃亡または抵抗した者は、軍隊・警察・民衆によって殺されました。(①p.174~5)

 そして検束されて警察署内などにいても安全とは限りませんでした。寺島警察署に検束された曺仁承(チョ・インスン)氏の証言です。(①p.178~9)
 ひどい騒ぎ声が、ワーワーと庭の中に聞えてきたので同胞達は、又殺しにくるのだという恐怖感でいっせいに逃げだしたのである。私もこの儘おとなしく殺されてなるものかという気持ちで、無我夢中、外へとび出そうと警察の塀にとび乗った。すると外には自警団の奴らが私を見つけて、喊声を上げてとびかかって来た。私はその儘、警察の庭の方に落ちて助かった。…三十分程して、私は…庭の中の方へ行ってみた。すると、その時、私の目の中に入った光景は巡査が刀を抜いて同胞たちの身体を足で踏みつけた儘、突き刺し無残にも虐殺しているのであった。只警察の命令に従わず逃げだしたからという事だけで、この時八人もの人が殺され、多数の人々が傷ついた。私は余りのむごさと恐ろしさの為に腰が抜けんばかりであったが、ようやくその場を離れた。そして、留置場の方へゆくと太い棒をもった巡査が私を殴ろうとしたが、私は拝むようにして必死で棒を避けた。そして、私は突きとばされるようにして留置場の中に入れられた (朝鮮大学校 『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』)
 塀の外の自警団も、塀の中の警察も、逃亡したら「適当処分」「断乎タル処置」すなわち「殺害差支えなし」の意識を持ち続けていたことがわかります。後ろ手にしばりあげ、逃亡したら殺害するような扱いですから、「保護」というよりは「捕虜」ですね。

 この9月4日には、暴走する自警団への対策も決定されました。臨時震災救護局警備部の打ち合わせにおいて、「人民自警団ノ取締ニ関スル」次の決定がなされます。
一、自警団ハ警官及軍隊ニ於テ相当ノ部署ヲ定メ之ヲ其ノ指揮監督ノ下ニ確実ニ掌握スルコト
二、自警団ノ行動ハ之ヲ自家付近ノ盗難火災ノ警防等ニ限リ通行人ノ検問抑止其他権力的行動ハ一切之ヲ禁止シ、勢ニ乗ジテ徒ニ軽挙妄動スルガ如キハ厳ニ之ヲ禁遏スルコト
三、自警団ノ武器携帯ハ之ヲ禁止シ、危険ナキ場所ニ領置シ置クコト、尚漸次棍棒其他ノ凶器携帯ヲ禁止スルコト
四、自警団ハ廃止セシムル様懇諭シ可也急速ニ廃止セシメ便宜町内ノ火災盗難警戒巡邏ヲ許スニ止ムルコト (『東京震災録』)
 朝鮮人に対する殺戮・暴行をくりかえす自警団の牙をいかにして抜くか。これは細心の注意をもって慎重に行なわなければなりません。言うまでもなく、流言を流布し、自警団結成を奨励し、軍・警察に協力させ、朝鮮人殺戮や暴行を勧奨あるいは容認したのは、官憲です。自警団の活動を即時に停止させれば、当然に自警団は反発し、事実を誤認して不祥事を惹起させた官憲の責任が問われます。自らの責任を隠蔽しつつ穏便に自警団の暴力を沈静化させる、官憲の努力はこの一点にかかっていました。例えば、自警団が設けた検問所に警官・兵士を投入し、自警団を任務から解放する。その一方で軍隊の威力を誇示し、なしくずしに自警団の縮小化し、夜警グループ化を推進する。また武器の携帯禁止も、銃砲刀剣取締令に違反する戎器の範囲にとどめ、民衆の自覚に訴えて押収するというように、自警団の反発をはばかって、可能なかぎり刺激を避けつつその牙を抜くようにしました。(①p.244)
# by sabasaba13 | 2017-10-19 06:26 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)