言葉の花綵201

 血は、けっして人類の一般の事業をまえにおしすすめるために流されるのではない。反対に、人類の一般の事業は、流血にもかかわらず前進するものであって、けっして流血の結果として前進するのではない。流血の責任者はどこでもつねに、理性と真理との代表者ではなく、無知と停滞と無権利との擁護者であった。ある歴史的人物がおそるべき殺戮者であったと立証すること…は、この人物が人類の敵であったこと、この人物の示した手本がなにびとにとっても、またなにものにとっても、弁明の材料とはなりえなかったと立証することを意味する。(ピーサレフ)

 私有財産の廃止により、真の、美しい、健全な個性があらわれる。物や、物の象徴(貨幣)を蓄積するために、一生を浪費する人はなくなろう。人は、生活することになるだろう。生活するとは、この世で一番まれなことなのだ。たいていの人は存在しているだけなのだ。…現代の世界は、苦しみから、また苦しみにもとづく悩みから脱却したいと望んでいる。現代は、その方法を社会主義と科学とに頼っている。現代の目的は、個性が歓喜をとおして、自己を表現することだ。この個性は、在来のどんな個性よりも、さらに大きく、豊かで、美しくなろう。(オスカー・ワイルド)

 わたしがアントニヌス家の一員であるかぎりは、わたしの都市、わたしの国というのは、ローマであるが、わたしが人間であるかぎりにおいて、わたしの祖国は世界なのだ。(アウレリウス)

 弱い者にたいしてかくも強い国家は、病気や死の原因がむらがっている暗い工場のなかで、弱い者を保護するには無力だろう。…人間は人間を虐待し、生命の体液をすっかりしぼりとるだろう。しかし安穏無事な国家はいうのだ-「自由を黙認しよう」。そうだ。もっとも強い者が、もっとも弱い者を圧迫し、おしつぶす自由、殺人組織の自由を、である。(クレマンソー)

 なに! 諸君は一国民全体をテコにもち、自由と理性を支点にもっていながら、しかも地球をひっくりかえせないというのか! (ダントン)

 われわれがルンペンとちがって、余暇をほしがるのは、それによって自分の好きなことを、よりたくさんしたいからです。それはドレイが獣的な強制のもとに仕事をしなければならないのとは、まったくちがいます。ルンペンは余暇をむだに使ってしまいますから、みじめなのですが、われわれは、その余暇を用いて幸福になろうと思っているのです。忘れないでいただきたいのは、余暇は休息ではない、ということです。休息は睡眠のように、しなければならないものであります。本当の余暇とはわれわれの好きなことをする自由であって、なにもしないということではないのです。(バーナード・ショウ)

 私も過去の事実をのべ、未来に期待して、仕事を続けよう。(司馬遷 『史記』)
# by sabasaba13 | 2020-02-18 20:05 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『カツベン!』

『カツベン!』_c0051620_17164286.jpg 山ノ神から、周防正之監督の最新作が面白そうという話を聞きました。「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」「ダンシング・チャップリン」といった佳作を世に送り出してきた周防監督ですから期待できるでしょう。しかもタイトルが『カツベン!』、サイレント映画時代に活躍した活動弁士をテーマとする映画とのこと、これは楽しみですね。さっそく、山ノ神と一緒に、「ユナイテッドシネマとしまえん」で見てきました。

 まずは公式サイトから、あらすじを引用します。
 子どもの頃、活動写真小屋で観た活動弁士に憧れていた染谷俊太郎。"心を揺さぶる活弁で観客を魅了したい"という夢を抱いていたが、今では、ニセ弁士として泥棒一味の片棒を担いでいた。そんなインチキに嫌気がさした俊太郎は、一味から逃亡し、とある小さな町の映画館〈靑木館〉に流れつく。靑木館で働くことになった俊太郎は、"ついにホンモノの活動弁士になることができる!"と期待で胸が膨らむ。しかし、そこには想像を絶する個性的な曲者たちとトラブルが待ちうけていた! 俊太郎の夢、恋の運命やいかに…!?
 ウィントン・ケリー(p)+ポール・チェンバース(d)+ジミー・コブ(ds)トリオの演奏のような、テンポがよくドライブ感にあふれた映画でした。ロマンスあり、アクションあり、サスペンスあり、笑いあり、はじめから最後まで、憂世の瑣事を忘れてスクリーンに没入してしまいました。やはり映画はこうでなくてはいけない。
 一癖二癖ありそうな、うさん臭く魅力的な登場人物も映画を盛り上げてくれます。靑木館館主の凸凹夫婦(竹中直人・渡辺えり)、酔漢ですが異様に存在感のある活動弁士・山岡秋聲(永瀬正敏)、靑木館のライバル・橘館の館主で極悪非道で冷血な橘重蔵(小日向文世)などなど。私が一番好きなのは、職人肌の映写技師・成河(浜本祐介)です。当時の映写機はクランクを手で回して映すので、映画の場面に合わせて微妙にその速度を変えるのが技師の腕の見せどころだったのですね。またクランクを足で回しながら食事をとるという神業も見せてくれました。
 なかでも特筆すべきは、主人公・染谷俊太郎役の成田凌です。感情豊かに映画の登場人物になりきるその活動弁士ぶりには舌を巻きました。さぞや猛練習をしたのでしょうね、お見事でした。ヒロインの栗原梅子(→沢井松子)役を演じた黒島結菜も、凛とした佇まいと芯の強さで魅せてくれました。
 そして全編を貫くのが、映画への愛です。観客も含めて、みんな映画が好きで好きでしようがないという気持ちがびしびしと伝わってきます。周防監督による、映画へのオマージュともいうべき映画でした。

 なお迂闊にも気づかなかったのですが、本編に登場する無声映画はすべて周防監督がつくったオリジナルのものだったのですね。しかも『椿姫』のマルギュリット役を草刈民代、アルマン役を城田優、『金色夜叉』のお宮役を上白石萌音、『南方のロマンス』のヒロインをシャーロット・ケイト・フォックスが演じるという豪華版。観客への挑戦状ともいうべき、こうした遊び心も楽しいですね。
# by sabasaba13 | 2020-02-16 07:18 | 映画 | Comments(0)

『パラサイト』

『パラサイト』_c0051620_1783642.jpg ポン・ジュノ監督の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が滅法面白いという映画評をいくつか読みました。カンヌ国際映画祭では、審査員満場一致でパルムドールに選ばれたようだし、韓国映画の質と志の高さは常日頃痛感しているし、よろしい見にいきましょう。先日、山ノ神を誘って「ユナイテッドシネマとしまえん」に行ってきました。まずは公式サイトから、あらすじと監督のコメントを引用します。
 過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、"半地下住宅"で 暮らす貧しい4人家族だ。
 "半地下"の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ"普通の暮らし"がしたい。
 「僕の代わりに家庭教師をしないか?」 受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。"受験のプロ"のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった--。
 パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…"半地下住宅"で暮らすキム一家と、"高台の豪邸"で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく--。

 違った環境や状況に身を置く人々が、同じ空間に一緒に住むことは容易ではありません。この悲しい世界では、共存や共生に基づく人間関係が成り立たず、あるグループが他のグループと寄生的な関係に追いやられることが増えています。
 そのような世界の真っ只中で、生存をかけた争いから抜け出せずに奮闘する家族を誰が非難したり、"寄生虫"と呼ぶことができるでしょう?
 彼らは初めから"寄生虫"であったわけではありません。彼らは私たちの隣人で、友人で、そして同僚だったのにも関わらず、絶壁の端に押しやられてしまっただけです。
 回避不能な出来事に陥っていく、普通の人々を描いたこの映画は「道化師のいないコメディ」「悪役のいない悲劇」であり、激しくもつれあい、階段から真っ逆さまに転げ落ちていきます。
 この止めることのできない猛烈な悲喜劇に、みなさまをご招待いたします。
 評判にたがわず、見事な映画でした。貧困と格差という深刻なテーマを、これほど面白く恐ろしい映画にしたポン・ジュノ監督の力業には首を垂れましょう。
 前半では、日の当たらない半地下住宅に住むキム一家の貧困ぶりを、まるで饐えた臭いが漂ってくるようにリアルに描きます。その象徴が、部屋の一番高いところに設置されたむきだしの便器です。実は「貧者にしみついた臭い」というのが、後にモチーフの一つとなるので、監督も相当苦心して撮影されたことと思います。
 そして中盤になると舞台は一転、日の当たる高台にある豪邸に変わります。芝生の庭、広い部屋、しゃれた調度、半地下住宅とは残酷なまでに対照的です。そこに住む社長の娘の家庭教師として雇われたギウは、彼の家族に寄生して「普通の暮らし」をしようと考えます。息子の家庭教師として姉を招き入れ、運転手を追い出して父を、家政婦を追い出して母を招き入れます。そのためにキム一家はさまざまな手練手管を駆使しますが、その手口がお見事です。学生証の偽造からはじまって…あとは見てからのお楽しみ。そしてパク社長一家に寄生(パラサイト)することに成功したキム一家。(このあたりまではネタをばらしていいでしょう) 富裕な家族と貧しい家族の奇妙な交錯、その中で交わされた二つの言葉が印象に残りました。「一線」と「臭い」です。パク社長が、運転手のギテクにかけた言葉が、「君は一線を越えないところがいい」。そしてパク一家が気づく「切り干し大根のような臭い」、つまり半地下住宅に住む貧者に染みついた貧困の臭い。貧困になった人間は、臭いが染みつきそこから一生抜け出せない/抜け出すな、という韓国社会の残酷さが伝わってきました。いや日本でもそうだな、萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言を思い起こしました。
 ここまででも、優に一本の映画がつくれるぐらいの面白さですが、これ以降のスリル、サスペンス、スラップスティック、そしてスピード感は超弩級のものです。何度息を呑み、腰が浮き、手に汗を握ったことか。もちろんネタはばらしません。

 「道化師と悪役のいない猛烈な悲喜劇」、監督のこの一言がこの映画を語りつくしていました。悪人は一人も登場しないのに、結果として互いを傷つけてしまう。悪いのは、人が人に寄生しないと維持できないシステムにあるのではと考えてしまいました。なかでも人を最もスポイルするのは、富者が貧者に寄生して蓄財をすることではないでしょうか。雇用されて働く以外に選択肢がなく失業したら生きていけない貧者を、「自己決定」「自己責任」という言葉で目隠しをしながら過重な長時間労働へと追い込み、莫大な利潤を得る。そして、貧者同士の憎しみ、貧者の富者に対する怒りが社会に瀰漫する。それを映画的な面白さとともに、見事に描いたのが本作だと思います。私の個人的な解釈ですが、そうしたさまざまな解釈を許し、かつそうするよう刺激する、きわめて懐の深い映画です。本年度アカデミー賞を受賞したのも頷けます。

 それにしても韓国映画が絶好調ですね。『タクシー運転手』、『1987、ある闘いの真実』、『共犯者たち』、『スパイネーション/自白』、『金子文子と朴烈』など政治や社会や歴史に関する重要なテーマと、映画としての面白さが両立しているところに、敬意を表します。これに比べると日本映画にはやや見劣りを覚えざるを得ません。その違いはどこから生まれたのか。『週刊金曜日』(№1223 19.3.8)に掲載されたインタビューの中で、片山慎三監督はこう話されていました。
 日韓の映画業界の体質の違いにも敏感だ。売れ筋の原作で観客動員を見込む日本の映画業界の傾向に対し、韓国では「結末がわかっているようなものを作って何が面白いんだ、という考え。2~3年かけ、お金もかけてオリジナル脚本をちゃんと書く。だから全然違う。それが悔しかったです、韓国映画を見ていて」。
 それは国の文化政策の差でもある。脚本執筆中は無収入が普通の日本と、申請すれば国からの援助があって生活費に充てられる韓国。「それでヒットしたら興行収入を国に還元し、それがまた将来の支援へと回される」。この循環が、韓国映画の質を支えている。(p.50)
 オリジナルの優れた脚本を書こうとする映画業界の意気込み、それを支える観客と行政。この差なのでしょう。とくに脚本家を財政的に支える文化政策には驚きました。金は出さずに口を出す、どこかの国とは大きな違いです。本年度アカデミー賞でメーキャップ・ヘアスタイリング賞を受賞したカズ・ヒロ(辻一弘)氏が、記者会見での「日本の経験が受賞に生きたか」という質問に対して、「こう言うのは申し訳ないのだが、私は日本を去って、米国人になった」「(日本の)文化が嫌になってしまったし、(日本で)夢をかなえるのが難しいからだ。それで(今は)ここに住んでいる。ごめんなさい」と答えたそうですが、彼が日本を見捨てた理由もこのあたりにあるかもしれません。
 大風呂敷を広げると、映画の件も含めて、韓国から学ぶべき点は多々あると思います。例えば、『生きづらさについて考える』(毎日新聞出版)の中で、内田樹氏が韓国の教育についてこう述べられています。
 韓国に毎年講演旅行に出かけている。ご存じないと思受けれど、私の著作は教育論を中心に十数冊が韓国語訳されていて、教育関係者に熱心な読者が多い。ここ3年ほどの招聘元は韓国の教育監である。「教育監」とは見慣れない文字列だと思うが、日本とは教育委員会制度が違っていて、韓国は全国が17の教育区に分割されていて、それぞれの区での教育責任者である教育監は住民投票で選ばれているのである。
 数年前にこの制度が導入された結果、多くの教育区で教員出身の教育監が誕生した。彼らは自身の教育経験を踏まえて、できるだけ教員たちを管理しないで、その創意工夫に現場を委ねるという開明的な方針を採った。その結果、日本ではまず見ることのできない自由な校風の公立学校が韓国の各地に続々と誕生している。(p.47)
 また『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(若宮健 祥伝社新書226)の書評でも紹介したように、日本からもたらされたパチンコによる事件や事故、実害(家庭の崩壊、自殺、窃盗、業界団体からの政治家への賄賂)が多発した韓国では、メディアと市民が一体となってパチンコ廃止運動を展開し、これに行政・政治家・裁判所も動きを合わせ、2006年に完全廃止としました。
 もちろん韓国が日本から学ぶべき点も(たぶん)あると思いますが、日本が韓国から学ぶべき点も多々あります。質の高い映画をつくれる環境、自由な雰囲気の教育、社会の問題に関心を持ちその解決に向けて立ち上がるメディアと市民。「嫌韓」などという安易な動きに惑わされず、日韓両国の諸相を虚心坦懐に見つめ、互いに学ぶべきところは学んでいけたらいいな、とつくづく思います。

 追記。前述の書評を読み返していたら、『朝鮮日報』の社説に次の一文がありました。
 現政権は、人生に疲れた無力な庶民に働き口や働きがい、貯蓄の喜びを提供する代わりに、ギャンブルという麻薬を与えた。賭博は常に財産や人生を台無しにする大多数と、その多数の犠牲による利益を得る少数の人たちとの関係で成り立っている。(p.42)
 なるほど、この指摘は「IR推進法(特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律)」、俗称「カジノ推進法」の本質をも鋭く剔抉しています。社会保障制度を骨抜きにし、労働環境の悪化を放置し、疲労感と無力感に苛まれる庶民に、それらを忘れさせるために国家権力が与える麻薬。東京オリンピックも、この種の麻薬かもしれません。
# by sabasaba13 | 2020-02-14 06:21 | 映画 | Comments(0)

信州編(9):上田(16.8)

 それでは御代田駅へと向かいましょう。帰りは下り坂、広大な風景を楽しみながらペダルを踏まずに一気に下ります。そしてしなの鉄道御代田駅に到着、ブロンプトンを折りたたんで一服していると、「ここが世界一小さなテレビ局」という看板があるほんとに小さなスタジオがありました。
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 そしてしなの鉄道に乗り込み、小諸で乗り換えて上田に着きました。お目当ては上田交通真田傍陽線の廃線跡です。しかし好事魔多し、駅前に出ると粉糠雨が降っています。せんかたない、コンビニエンス・ストアで雨合羽を買い、持参の帽子をかぶって走ることにしました。なおさすが雨の多いイギリスでつくられたブロンプトン、大きなゴム製のベロがついたしっかりとしたマッド・ガードが備え付けられ、雨天時の走行にまったく支障がありません。
 さて、上田交通真田傍陽線は、長野県上田市の上田駅と真田町(現・上田市)の傍陽駅・真田駅を結んでいた上田交通の鉄道路線です。1927(昭和2)年に開通し、菅平高原や群馬県への交通手段として、さらに上田市と真田町で収穫された高原野菜・リンゴなどの農産物を輸送するための路線としても盛んに利用されましたが、上田駅から直接菅平高原、群馬県へ行くバスが増発されたり、農産物の輸送がトラックに移行したりしため赤字路線に転落。1972(昭和47)年2月20日に廃止となりました。現在、上田城跡公園の東側に、その一部が遊歩道として残されています。それではのんびりと走ってみましょう。道路の下をくぐるトンネルには架線の碍子が残っていたり、川のあたりでは橋梁の跡があったりと、往時の姿を偲ばせてくれる物件がいくつかありました。
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 せっかくなので、古い町並みが残る北国(ほっこく)街道沿いも散策してみましょう。上田は以前にも何度か訪れたことがあるので、よろしければ旅行記をご笑覧ください。うん、あいかわらず素敵な街並みですね…と思いきや、雨が強くなってきました。これはたまらん、急いで上田駅へと退散。駅前にあった全国チェーンの珈琲屋に避難しました。

 本日の三枚です。
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# by sabasaba13 | 2020-02-12 06:20 | 中部 | Comments(0)

信州編(8):御代田(16.8)

 ブロンプトンにまたがり、さらに西へと疾駆。途中で右折して緩やかな上り路を北へと向かいます。こういう時に六段変速は有効ですね。そして普賢寺にとうちゃこ。
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 さて、なぜ御代田の普賢寺に来たのか。実はこのあたりに、故武満徹氏の別荘があるのです。日頃、氏の音楽を愛聴しているわけではありませんが、時々無性に聴きたくなることがあり、そのような時はその不思議で魅惑的な響きに身を浸らせます。聴き終わると心身の調律をすませたようで、すっきりとした気分になれます。私にとって必要な音楽家の一人ですね。さて、御代田に氏の別荘があるのをなぜ知ったのかというと、「クラシック音楽はワンダフル!」というサイトを偶然読んだおかげです。作者の方に謝意を表すとともに、転記させていただきます。
 役場で聞いたとおり、まっすぐ北へ向かってタクシーで約10分、普賢寺へと向かった。この寺のうら一帯が普賢山落とよばれる別荘群であるはずだ。寺の裏にまわると、目の前の小高いところ一帯が別荘地のようである。しかしそこに至るには、右と左に見えるどちらかの坂を上らなければならない。そして、上りきった二つの地点はずいぶん離れているようなので、右か左かうまく選ばないと、別荘を探し当てるのがかなり難しくなりそうだ。坂の上に広がるゆたかな緑にさそわれて、私たちは右側の坂をえらんだ。ところがその坂を上るには、先ず個人の家の裏庭を通らなければならないことに気がついた。夫は躊躇したが、私は腰をかがめ「すみません、通してください」と小さな声で繰り返しながら、夫の先にたって誰もいない裏庭を通りぬけ坂道にでた。上りきった角地は、生垣にかこまれた広い庭になっていた。生垣に沿っていくと、少々奥まったところに玄関がみえ、その脇の部屋に灯りがついていた。わけもなく懐かしくなるような、そのしっとりと落ちついた雰囲気に包まれて門の前を過ぎようとした時、低い門柱の表札が目にはいった。縦書きのはっきりした文字で「武満」とあった。
 普賢寺の門前にブロンプトンを停め、右側の坂を上るとたしかに個人宅の裏庭のような空間がありました。人の気配がないので「おじゃまします」と心の中で呟き、さらに坂道を上ると山荘群があります。そのうちのひとつ、大きな三角屋根が印象的なモダンな意匠の山荘の郵便ポストに「武満」と記されていました。ここだ。
 これだけでもう満足です。近くの森を歩き、清冽な空気を吸いながら、彼がこのあたりを散策しながら楽想をねっていたのかなと思うと、耳朶の奥で「弦楽のためのレクイエム」が響いてきました。

 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2020-02-10 07:23 | 中部 | Comments(0)

信州編(7):御代田へ(16.8)

 なお以前に近江八幡でいただいた『ウィリアム・メリル・ヴォーリズ展in近江八幡』に、彼と軽井沢の関係について、もう少し詳しい解説がありましたので、こちらも紹介します。
 ヴォーリズは、日露戦争中の1905年に来日し、近江八幡に着任した最初の夏を軽井沢で過ごしました。若くして異国の地に来た彼にとって、ここで同じクリスチャン仲間の宣教師たちと出会えたことは、心強かったことでしょう。満喜子夫人とのハネムーンも軽井沢でした。
 また、軽井沢には、夫妻の別荘(1920年)、ヴォーリズの実母が住んだ現浮田山荘(1922年)をはじめ数多くのヴォーリズ建築が建てられ、避暑地・軽井沢は、建築主との出会いの場でもありました。
 テニス愛好家だったヴォーリズは、軽井沢ではテニスコートのクラブハウスの設計も行いました。このテニスコートが、現天皇陛下と美智子皇后の出会いの場となったことは有名です。
 さらにヴォーリズが軽井沢に残した建物を、地図付きで紹介する掲示もありました。へえー、こんなにたくさんあるんだ。軽井沢会テニスコートクラブハウス、軽井沢集会堂、日本キリスト教団軽井沢教会、旧鈴木歯科診療所、旧ヴォーリズ別荘、アームストロング別荘、軽井沢夏季診療所(マンロー病院)などなど。写真におさめて、しばし沈思黙考。予定を変更してもう少し旧軽井沢を散策する選択肢もありますね。結論はもう少し先に延ばしましょう。
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 それでは国道18号線を西へと走り、御代田へと向かいましょう。そろそろお腹がへってきたので、走りながら昼食をとるお店を物色していると「盛盛亭」というステーキ屋があったので入店。
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 信州のステーキをいただきました。
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# by sabasaba13 | 2020-02-08 07:29 | 中部 | Comments(0)

言葉の花綵200

 最初に抵抗する方が、最後に抵抗するより楽だ。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 こんにち、いたるところに栄えている国家をつらつら考えてみると、なさけないことに、私は、自己の利益を国家の名によって得ようとする金持たちの陰謀のほかは何も見ることができません。かれらは、まず、どうしたら不正にかき集めたものを失う恐れなく安全に保持できるか、そして次には、どうしたらできるだけ少ない金で、貧民の労力をやとって、それを濫用することができるか、ということについての、あらゆる手段と奸策を工夫し案出するのです。(トマス・モア 『ユートピア』)

 君たちが種をまく。刈りとるのは別の人だ。
 君たちが富をみつける。ためこむのは別の人だ。
 君たちが着物を織る。着るのは別の人だ。
 君たちが武器を作る。使うのは別の人だ。

 種をまけ-だが暴君に刈りとらせてはならぬ。
 富をみつけろ-さぎ師にもうけさせてはならぬ。
 着物を織れ-なまけものに着させてはならぬ。
 武器を作れ-ひっさげて君たち自らをまもるために。(シェリー 『英国の人々へ』)

 専制政治の下では祖国などない。他のものがそれに代っている。利益、栄誉、帝王への忠勤。(ラ・ブリュイエール)

 役人を選び出したり、また役人の責任を追及する最終の権威が、大衆にあるとするのは不得策だ、という理論がある。そういう論法には、なにか誤りがありそうだ。…その理由の一つは、専門家が唯一または最良の批評家でないような若干の問題、つまり生みだされた結果に対して、すぐれた専門家ではない人びとの正当な批評が許される問題が存在するからである。たとえば、家の長短を批評する役割をはたすのは、建築家だけではない。家を使う人びと、つまり居住者が実はずっとよい批評家なのだ。(アリストテレス 『政治学』)

 御領中にまかりあり候数万人の内、たとえいかに賤しき小民たりとも、一人にても餓死流亡に及び候わば、人君の大罪にて候。さりとて人君自ら御手を下し候事は成されがたく、すべて役人に御任せなされ候事ゆえ、万一行届かざることありとも、しいて人君の罪とは思召されず。下よりもまた左は存じ奉らざるより、家老は奉行の過ちとし、奉行は下役人の過ちとし、誰が罪とも定かならず…表面ばかりの取計らいにて事をすまし候。…家老、年寄の不行届きとは申すものの、実は人君の治政に御心これなきよりかく相成り候。(渡辺崋山)
# by sabasaba13 | 2020-02-06 07:02 | 言葉の花綵 | Comments(0)

カルテット・アマービレ

カルテット・アマービレ_c0051620_2133919.jpg 先日、コンサート会場でもらったチラシを見ていると、ブラームスの弦楽六重奏曲第一番とシェーンベルクの「浄められた夜」の演奏会があるそうです。いずれも私の大好きな曲で、特に前者はエア・ハグしたくなるような愛おしい曲です。演奏家については、白寿ホールの公式サイトを引用します。
 世界の音楽コンクールの中でもとりわけ難関として知られるARDミュンヘン国際音楽コンクール。1952年以来4年ごとに14回行われてきたその弦楽四重奏部門で、東京クヮルテット、ウェールズ弦楽四重奏団に次いで日本の団体としては3団体目の入賞という快挙を2016年に成し遂げたカルテット・アマービレが、Hakuju Hallで室内楽シリーズをスタートさせます。シリーズの柱に据えて挑むのは、室内楽の王道のブラームスです。その様々な編成による室内楽作品に他の作曲家の作品を加え、折に触れ多彩なゲストと共演しながら室内楽の奥深い魅力を掘り下げていきます。第1回目となる今回は、彼らにとっては恩師にあたり、また桐朋学園の大先輩でもあるチェロの堤剛、ヴィオラの磯村和英、二人の大家をゲストに招きます。演奏するのは、ブラームスの室内楽でも特に人気が高い弦楽六重奏曲第1番、ブラームスに深い尊敬の念をいだいていたシェーンベルクの傑作六重奏曲、そしてシェーンベルクに学び、後には師と共に新音楽を牽引したウェーベルンの青春時代の四重奏曲です。新世代を牽引することが期待されるフレッシュな弦楽四重奏団の挑戦にご注目ください。
 これは楽しみですね、山ノ神を誘って二人で聴きにいってきました。小田急線の代々木八幡駅で降りて、商店街を五分ほど歩くと白寿ホールに到着です。白寿…"九十九歳"ホール? 不思議な名称ですね。いま、インターネットで調べたところ、電位治療器などを手掛ける白寿生科学研究所が運営を行なっているそうです。音楽を聴いて健康になって長生きしましょう、というコンセプトでしょう。エレベーターで七階にあがると、300席の清楚な雰囲気のホールがあります。なお全席がリクライニングシートで、定員を半分ほどにしてリクライニングで音楽を楽しむ特別はコンサートも開かれるとのこと。一度経験してみたいものです。なおNHKのクルーが巨大なテレビカメラを設置していたので、後日に同局の番組で放映される模様です。
 そして舞台に、篠原悠那・北田千尋(ヴァイオリン)、中恵菜(ヴィオラ)、笹沼樹(チェロ)の四人が登場。一曲目はウェーベルンの「弦楽四重奏のための緩徐楽章」(1905)、シェーンベルクやベルクと並んで新ウィーン楽派の中核メンバーであった彼が、シェーンベルクに入門する前後に独力で書かれた初期作品です。はじめて聴く曲でしたが、心身が洗われるような美しく清々しい曲でした。視線や身振りや呼吸を駆使してひとつの音楽をつくりあげる四人のアンサンブルも見事。こうしたアンサンブルを楽しむことが、室内楽の醍醐味ですね。
 そして二曲目はシェーンベルクの「浄められた夜」(1899)、十二音技法に走る前に作曲された初期の作品です。この曲から二人の御大が合流しました。若者四人と白髪の老人二人、孫と祖父、生徒と老師といった風情に、思わず緩頬しました。なお恥ずかしながら知らなかったのですが、ヴィオラの磯村和英氏は、かつて東京クヮルテットで活躍された方なのですね。それはさておき、何と幻想的かつ官能的な音楽なのでしょう。三十分間、心を揺さぶられ続けました。そして音楽をがっちりと支える、堤・磯村両氏の骨太の音には脱帽です。先ほどのウェーベルンではさほど気にならなかったのですが、この曲では若者四人の奏でる音の線の細さが耳につきました。しかし技術もあるし音も綺麗なのでどんどん伸びていくでしょう、今後の精進を期待します。ただヴィオラの中恵菜氏はいいですね、全身全霊を音楽に吹き込まんとする姿に見惚れてしまいました。
 ここで20分の休憩、うれしいことに9階のスカイラウンジで喫煙ができるそうなので、行ってみました。音楽の余韻で火照った体を夜気でさまし、新宿の夜景と心に潜む闇のような代々木公園を眺めながら紫煙をくゆらせればこの世は天国さ。
 そして後半はお待ちかね、ブラームスの「弦楽六重奏曲第1番」(1860)です。弦楽四重奏曲については、ベートーヴェンの残した名作群の重圧により、40歳になるまで曲を発表することができなかったブラームスでしたが、弦楽六重奏曲については、これまで同様の曲種がなかったという気安さから、27歳にして作曲したのがこの第1番です。彼の若々しい清新な感情に満ち溢れた名作で、特に切なく甘美な第1楽章と、激しく抒情的な第2楽章をこよなく愛しております。やはり若手の線の細さがありますが、全体として名演でした。六人が心を一つにしてブラームスの素晴らしい音楽を紡ぎだせる喜びが、こちらにもびしびしと伝わってきます。この曲でも、堤・磯村両御大と中氏の存在感が大きかったですね。第1楽章、ヴィオラとチェロがユニゾンで旋律を奏でるところでは、中氏と堤氏がやや半身になって向き合い、互いを見つめ微笑みながら二重奏をされていました。おじいちゃんと孫娘が仲睦まじく語らっているようなその風情には、羨望すら覚えました。
 演奏が終わると万雷の拍手、それに応えてのアンコールは、ドボルザークの弦楽六重奏曲、イ長調、op.48の第三楽章。最後まで、室内楽の喜びを満喫できた、すばらしいコンサートでした。

 なおいただいたチラシによると、堤剛氏によるベートーヴェンのチェロ・ソナタ全曲演奏会がサントリー・ホールで開かれるとのことです。これはぜひ聴きたいものです。
# by sabasaba13 | 2020-02-04 06:45 | 音楽 | Comments(0)

『家族を想うとき』

『家族を想うとき』_c0051620_21141665.jpg 『わたしは、ダニエル・ブレイク』という素晴らしい映画を最後に、2014年に引退したケン・ローチ監督。その彼が復活して、ふたたび映画をつくってくれました。御慶。パンフレットによると、引退の翌年にイギリスで保守党が圧勝し、福祉予算を大幅に削減しはじめると、彼の怒りに火がついたそうです。タイトルは『家族を想うとき』、これは面白そう、さっそく山ノ神を誘って新宿武蔵野館で見てきました。
 まずは公式サイトから、あらすじを引用します。
 イギリス、ニューカッスルに住むある家族。ターナー家の父リッキーはマイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意。「勝つのも負けるのもすべて自分次第。できるか?」と本部のマロニーにあおられて「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていた」と答えるが、どこか不安を隠し切れない。
 母のアビーはパートタイムの介護福祉士として、時間外まで1日中働いている。リッキーがフランチャイズの配送事業を始めるには、アビーの車を売って資本にする以外に資金はなかった。遠く離れたお年寄りの家へも通うアビーには車が必要だったが1日14時間週6日、2年も働けば夫婦の夢のマイホームが買えるというリッキーの言葉に折れるのだった。
 介護先へバスで通うことになったアビーは、長い移動時間のせいでますます家にいる時間がなくなっていく。16歳の息子セブと12歳の娘のライザ・ジェーンとのコミュニケーションも、留守番電話のメッセージで一方的に語りかけるばかり。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、子供たちは寂しい想いを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう─。
 前作の『わたしは、ダニエル・ブレイク』では、貧者を苦しめる福祉行政にスポットが当てられましたが、本作ではその貧困を生み出す労働環境をテーマとしています。
 家族とともに幸せな暮らしを送りたいというささやかな願いのために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意したリッキー。その際に、宅配会社の上司マロニーが言った、「勝つのも負けるのもすべて自分次第」という言葉が真っ赤なウソであることを、この映画は容赦なく描いていきます。過重なノルマ、それが達成できない時の違約金、コンピューター端末による管理と監視。独立した自営業者という建前なので、本来なら労働時間を自分で決められるはずなのですが、契約したノルマが過重なために期待する収入を得るためには長時間労働をせざるを得ません。前の担当者から排尿のためにペットボトルを渡された時には冗談かと思っていたリッキーですが、やがて利用せざるをえなくなります。
 じょじょに追いつめられ、心がすさみ、息子セブとの軋轢がたかまっていく様子が、胸が苦しくなるほど伝わってきます。そして衝撃のラストシーン。もちろん中身は明かしませんが、「ちょっと待ってくれ」と口走りたくなるような衝撃を受けました。
 直情径行だが家族思いのリッキーを演じたクリス・ヒッチェン、しっかり者の妻アビーを演じたデビー・ハニーウッド、はすに構えて父親に反発する息子セブを演じたリス・ストーン、なんとかして家族の心をひとつにしようと健気に頑張る娘ライザ・ジェーンを演じたケイティ・プロクター、いずれも名演でした。

 この映画を見てあらためて、今、労働者が置かれている非人間的かつ凄惨な労働環境に思いを馳せました。「勝つのも負けるのもすべて自分次第」という言葉の裏には、「勝つ可能性はほぼない、そして負けたら自己責任」という意味が隠されているのですね。自分で自由に決定した外見を装い、努力や能力次第で高収入も可能と思わせながらも、実質は低収入・長時間労働を強制する。まるでパートタイムの奴隷制です。最近読んだ『隠された奴隷制』(植村邦彦 集英社新書)の中に次の一文がありました。
 しかしながら、そもそも「自由な自己決定」とは複数の選択肢があることを前提とするものであって、他の選択肢がないなら、それは「自由」ではない。奴隷が受けるのが暴力的な「直接的強制」だとすれば、「自由な労働者」は、雇用されて働く以外に選択肢がなく、失業したら生きていけない、という経済的な「間接的強制」を受けているのである。しかも、「自由な自己決定」の結果については、必然的に「自己責任」が問われることになる。
 このような状態こそ「隠された奴隷制」なのである。そして、それは「隠された不正」にほかならない。(p.142)
 またプログラムに掲載されていた、ケン・ローチ監督のコメントも紹介します。
 このシステムは持続可能か、ということです。1日14時間、くたくたになるまで働いているバンのドライバーを介して買った物を手に入れるということが、持続可能と言えるのでしょうか? 自分で店に行って、店主に話しかけることよりもよいシステムなのでしょうか? 友人や家族にまで波及するようなプレッシャーのもとで人々が働き、人生を狭めるような世界を、私たちは望んでいるのでしょうか? これは市場経済の崩壊ではなく、むしろ反対で、経費を節減し、利益を最大化する苛酷な競争によってもたらされる市場の論理的な発展です。市場は私たちの生活の質には関心がありません。市場の関心は金を儲けることで、この二つは相性が悪いのです。ワーキング・プア、つまりリッキーやアビーのような人々とその家族が代償を払うのです。
 しかし最終的には、観客の方々が本作の登場人物に信頼を寄せ、彼らのことを思いやり、彼らと共に笑い、彼らのトラブルを自分のことと思わなかったら、この映画には価値がありません。彼らの生きてきた証が本物だと認識されることが、観客の琴線に触れるのです。
 そして2019年カンヌ映画祭における、監督スピーチの一節です。
 私たちがやらねばならないことはひとつ。耐えられないことがあれば、変えること。今こそ変化の時だ。
 8時間働けば、人間らしいdecentな暮らしを送ることができるシステムが必要です。そしてそれを勝ち取るための闘いは、19世紀以降、今に至るまで継続中なのですね。先日読み終えた『あなたと原爆』(光文社古典新約文庫)所収の「スペイン内戦回顧」の中で、ジョージ・オーウェルはこう述べていました。
 労働者階級の闘争は植物の生長によく似ている。植物というのは目が見えないし愚かではあるが、光の方へと伸び続けることくらいは知っていて、しかも何度も何度も挫折を味わわされても伸び続けるのだ。労働者たちは何のために戦っているのか? ただただそれなりにまともな生活を求めてのことである。そして、そのまともな生活が今日では技術的に可能だということにも、彼らはますます自覚的になってきている。この目的に対する彼らの自覚は、波のように満ち引きを繰り返す。(p.133)

 労働者が要求しているのは、こういった連中がそれなしでは人間的な生活を送ることが不可能な、最低限だと考える程度の物質にすぎないというのに。それは飢えない程度の食料、四六時中失業の恐怖に襲われる状態からの解放、子どもに公平な機会を与えられるという安心、一日一度の入浴、適切な頻度で清潔な下着やシーツに取り換えられること、雨漏りがしない屋根、そして一日の仕事が終わった後に多少の余力を残してくれる程度の長さの労働である。(p.144)

 ただ単に、物質的欠乏と、人を獣にさせるような労働が廃止されなければ、人類の本当の問題に取り組むことはできないというだけだ。私たちの時代の主要な問題は個人の不滅への信頼が衰弱してしまったということだが、平均的人間が牛のようにあくせく働かされたり、秘密警察の恐怖に震えている間は、そういう問題に対処することは不可能だ。(p.145)

 人を躊躇わせる全ての考慮すべき事柄-ペタンやガンジーの欺瞞のことば、戦うためには自分の品位を落とさねばならないという不可避の事実、民主主義的な空言を吐きながら苦力の帝国を維持しているイギリスのどっちつかずの道徳的立場、ソヴィエト・ロシアの不吉な拡張、左翼政治の浅ましき茶番-こういった全てが消え去って、徐々に目覚めつつある人民たちの、財産を持つ者たちとそいつらに雇われた嘘つきやおべっか使いに対する闘争だけが見えてくる。論点はとても単純だ。あのイタリア人兵士のような人々が、今では技術的には実現可能なまともな生活を送るのが許されるのか否か? 人民が泥濘の中に押し戻されるのか否か? 私自身は、根拠は十分ではないかもしれないにしろ、遅かれ早かれ人民が勝利すると信じているが、しかし「遅かれ」ではなく早急にそれを実現したいのだ。これから先一万年以内ではなく、言ってみれば、百年以内程度で実現したいのだ。それこそがスペイン内戦、そして現在の大戦、そしておそらくはこれから起こるであろう他の戦争の本当の争点だ。(p.145~6)

 追記です。植草甚一の伝記『したくないことはしない』(津野海太郎 新潮社)の中で、新宿武蔵野館が登場していました。
 大学に入ってすぐの夏(※1930年)、二十二歳の植草青年は狩野近雄にさそわれて有名な不良詩人サトウ・ハチローの『浅草』出版記念会に出席した。三十人ほどの小さなあつまりでエノケンもいた。
 会場の紅葉軒という上野のバーをでたあと、建築科で知りあった友人の中村四郎をつれだって新宿へ。浅草、銀座につづく第三の盛り場として、早くも新宿が台頭しはじめていたのだ。
 その新宿で、徳川夢声が主任弁士をつとめる人気映画館、武蔵野館のまえを歩いていたら、不意に「ぼくをアカだと思った金ぶち眼鏡の私服」に左腕をつかまれ、路上で背負い投げをくらって、そのまま駅前交番に連行され、こんどは手にもったカンカン帽で頬を殴られた。ところが、カバンのなかをかきまわしても、なにも証拠物件がでてこない。(p.158~9)

# by sabasaba13 | 2020-02-02 08:08 | 映画 | Comments(0)

信州編(6):軽井沢タリアセン(16.8)

 そして園内を散策しながら深沢紅子の野の花美術館へ。下見板張りの瀟洒な二階建て洋館で、ファサードの三角屋根や連続する縦長窓が素敵です。なんとこのお伽話に出てくるような建物は、1911(明治44)年に建てられた旧軽井沢郵便局なのですね。数多訪れるようになった外国人の目を意識したのでしょうか。
 その先にも、塩沢湖に面して建つ素敵な洋館がありました。過度な装飾もなく落ち着いた佇まいですが、モダンな意匠の手すりをそなえた一階・二階のベランダが素敵ですね。ん? あのユニークな形状の煙突には見覚えがあるぞ。もしや…
信州編(6):軽井沢タリアセン(16.8)_c0051620_940645.jpg

 解説によると、この建物は「睡鳩荘」というそうです。転記します。
 この山荘は、昭和6年、実業家である朝吹常吉(三越社長、帝国生命社長など歴任)が、旧軽井沢の二手橋上に建てた別荘である。その後、フランス文学者である長女の登水子が、毎年夏を過ごした。
 設計はW.M.ヴォーリズであり、特に一階リビングは広く、領主館的な雰囲気を漂わせ、二階は4部屋の寝室になっている。軽井沢に残る別荘建築の代表的なものであり、朝吹家より寄贈を受け、移築復元した。
 やはりヴォーリズの設計でした。館内を拝見し、二階のベランダに出て湖の眺望と心地よいそよ風を満喫。
信州編(6):軽井沢タリアセン(16.8)_c0051620_9463115.jpg

 それにしても、彼と軽井沢にはどういう縁があるのでしょう。館内にあった解説を転記します。
ヴォーリズと軽井沢 建築史家 宍戸實
 W.M.ヴォーリズは、アメリカ西部のカンザス州出身で、明治38年に英語教師として来日した。最初の地が近江八幡で、そこがヴォーリズにとって活動のベースとなり、一生を過ごすことになる。英語教師は1年で解雇されるが、近江ミッションを設立し信徒伝道を行なって、それに伴ういくつかの事業を始めた。それが明治43年ヴォーリズ合名会社となり、大正9年にW.M.ヴォーリズ建築事務所と近江セールズ株式会社となる。
 ヴォーリズは正式の宣教師ではないし、正規の建築学を学んだ訳でもなく、商業の経験を積んできたものでもない。だが、どれも専門的になり、一つ一つ成果を得ていった。建築家ヴォーリズとして、日本の近代建築界に足跡を残し、大きな影響を与えた。また、アメリカから軟膏のメンソレータムの製造販売権を得て、日本の家庭の常備薬とさせた。(略)
 ヴォーリズが軽井沢にいつから来はじめたのかは定かではないが、設計した建物からみると明治末期からと思われる。最初に設計した建物は明治44年、設計番号8503、グレシット・ハウスである。これは愛宕山中腹706番辺りである。これが西洋人建築家の設計による最初の別荘となる。次いで大正2年になると6戸も設計した。その中に近江ミッションの軽井沢ハウス380番があるが、この時からヴォーリズは避暑生活を兼ねて軽井沢で仕事を始める。(略)
 グレシット別荘以来、昭和17年までの31年間、軽井沢で設計した別荘は46棟、ほかに軽井沢幼稚園、軽井沢教会、ユニオン・チャーチ、軽井沢会集会所、同テニス・クラブ、軽井沢サナトリウム、不二屋、日本福音教団他2棟、合計56棟である。この中で評価されている建物は、南ヶ丘の広大な敷地に建った牧歌的なドーミー・ハウスと、見事な壁付暖炉のある山荘風の朝吹別荘パーラー、軽井沢テニス・クラブ、軽井沢サナトリウム、軽井沢教会である。(略)
 ヴォーリズが、軽井沢に与えた影響、遺したものは何だったのか。それはその土地の雰囲気に溶け込んだ素朴さではなかったろうかと思われる。関西に多いヴォーリズ設計の建物をみると、大阪にあるものは大阪人の気質にふさわしい設計だし、東京の朝吹邸(東芝クラブ)と京都の下村邸(大丸ヴィラ)はロケーションに合うように豪華に仕上げるなど、ヴォーリズの設計はTPOの建築とも言える。それ故、軽井沢の建物は概して粗末で今日から見るとこれが建築家の設計したものであるかと疑われるかも知れない。しかし、素朴さはショウ師以来のことであり、避暑生活は簡易生活で、別荘は簡易建築でよい、とヴォーリズは考えていたに違いない。それは桜の沢上の近江ミッション・コンパウンドに表されている。
 また、依頼主の要求に応じて、朝吹別荘のようなパーラーもつくりあげている。この部屋にいると、ジェームス・タウン植民地長官W.ストラッキイの言葉が思い起される。「われわれはこの地に生きている限り、ホールを建設し、そこに住む」。
 この場合のホールとは、広い居室のことをいっている。ヴォーリズはそれ以前、大正13年に東京・高輪に鉄筋コンクリート造の朝吹邸を完成させているが、このような顧客の相談に応じて図面も引かずにスケッチだけで気軽に応じる場合があったようだ。(略)

 本日の二枚です。
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信州編(6):軽井沢タリアセン(16.8)_c0051620_9472738.jpg

# by sabasaba13 | 2020-01-31 06:19 | 中部 | Comments(0)