名護市長選

 先日行われた沖縄県名護市長選挙で、いわゆる「オール沖縄」の支援を受けて辺野古新基地反対を掲げた岸本洋平氏が、自民党・公明党が推薦した渡具知武豊(とぐちたけとよ)氏に敗れてしまいました。無念です。東京新聞の記事・解説を引用します。

名護市長選に自公系現職 辺野古新基地「信任」とは言えず
 米軍普天間飛行場の移設に伴う新基地建設が主要な争点となった名護市長選で、移設を推進する政府・与党の支援を受けた現職の渡具知武豊(とぐちたけとよ)氏が再選された。だが、渡具知氏は辺野古移設について、4年前の前回市長選と同様に今回の選挙戦でも賛否を明言しなかった。再選によって辺野古移設に「信任」を得られたと政府・与党が認識しているのであれば、大きな誤りだ。
 渡具知氏は選挙戦で、米軍再編交付金を財源にした子育て支援策の実績を前面に打ち出した。その一方で、移設の是非は「国と県の訴訟の推移を見守る」と繰り返し、辺野古問題への言及を避ける戦術を取った。
 辺野古新基地の建設反対を表明した前任の稲嶺進市長時代、政府は市への交付金凍結で圧力をかけ、建設を強行した。住民は政府の露骨な「アメとムチ」で分断され、翻弄された苦い記憶がある。
 沖縄では米軍由来とされる新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」の感染拡大で、主要産業の観光業が大打撃を受け、地域経済は疲弊。住民にとって、建設反対の意思を示せば、政府から再び交付金を止められ、日常生活に影響しかねないとの不安もあったとみられる。
 今年で日本復帰50年の節目を迎える沖縄は、いまだに米軍の事件や事故など基地問題に苦しめられている。政府は「辺野古が唯一」と負担を押し付けるのではなく、住民の気持ちに寄り添った解決策が今こそ求められている。(村上一樹)

 辺野古新基地のいかがわしさについては、東京新聞の中澤誠記者による講演会をぜひご参照ください。そしてその胡散臭い新基地を建設するために、自民党+公明党政権が沖縄県や名護市に対して取った一連の政策には怒りを覚え嘔吐を催します。代表的なものが、金を使って住民を分断する「アメとムチ」策です。その具体例について、『週刊金曜日』(№1299 22.10.9)から辰濃哲郎氏の記事を引用します。

 まずは沖縄振興予算だ。12年度に創設された沖縄県に対する一括交付金の推移をみるとわかりやすい。使途が比較的自由な一括交付金は、使い勝手の良い貴重な財源だ。仲井眞氏が基地容認に転じた直後に決まった14年度の交付金は1759億円に跳ね上がった。ところが、翁長知事になった途端に減額が続き、18年度は14年度より571億円も少ない1188億円にまでカットされている。
 15年度からは、新基地建設の現場に近い名護市の辺野古、豊原、久志の3地区に対して直接補助金を防衛省が交付する枠組みを創設した。基地建設反対を掲げる稲嶺進氏が市長を務める名護市を通さない補助金交付は、沖縄の分断策と受け止められた。(p.25~6)

 ほんとに腐卵臭が漂ってくるような薄汚いやり口ですね。それに加えて反対行動への容赦ない弾圧も日常的に行われています。その一例として『週刊金曜日』(№1333 21.6.18)に掲載された、キャンプ・シュワブゲート前での座り込みで逮捕された具志堅なつ氏の体験を紹介します。

 2020年12月22日、火曜日。「今年最後の座り込みだね」と、夫と2人で「オール沖縄那覇の会」が手配してくれた辺野古行きのバスに乗り込んだ。(中略)
 「キャンプ・シュワブ」ゲート前では午前9時、正午、午後3時と1日3回の土砂や資材、生コンの搬入があり、そのつど、座り込みによって搬入阻止を試みる。3回目の座り込みの時、私の右斜め前にその年配の女性が座っていた。
 気づくと、彼女の両側から2人の機動隊員が彼女の両腕を垂直に引っ張り上げていた。私たちは、リーダーの山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)の提案で、コロナ禍以来、隊員と市民両方の安全のため、声をかけられたら自ら立って移動しようと申し合わせていた。
 このことは機動隊員にも伝わっていると思っていた。強く両腕を引っ張り上げられたら、彼女は自分の足で立つことはできないだろうし、何より彼女の身体が心配になった。私はそれを隊員に伝えたいと思った。その時、別の隊員から肩をたたかれ「立ってください」と促された。私は勢いよく立ち上がるとともに、彼女の左側にいた隊員に手を伸ばし、「痛いですよ」と声をかけた。
 私の主観では、ポンポンと肩をたたき「痛いですよ」と声をかけた(警察、検察での供述ではすべてそう答えている)。しかし供述調書では「1回の殴打による」となった。
 その隊員は斜め前で腰を曲げていたので、彼の身体になるべく触れずにつま先立ちをして、彼の肩に手を置いた。
 その隊員が振り向きさまに「たたいたでしょう」と、激高した。私も強く「たたいてません!」と応じた。その瞬間、号令のような声が聞こえ、隊員の渦の中に倒された。両腕、両足をつかまれ、あっという間に基地の中に運び込まれてしまった。
 何かの冗談だろう-。まるで、お芝居の中にいるような感じだった。すぐに解放されるだろうと思いながら、隊員に囲まれて立っていた。
 しかし、「殴打による公務執行妨害で逮捕する。○時○分」の口上とともに手錠をかけられ、警察車両に乗せられてしまった。
 殴打なんて…。私の右手は、棍棒か鉄パイプか? 彼の肩には大きなアザでもできたのか? 私の左手には機動隊員にねじ曲げられたアザができていたが…。(p.20)

 死臭が漂ってくるような下卑たやり口ですね。基地建設を強行するために、自民党+公明党政権が沖縄県や名護市に対して行なっているこうした一連の行為は、「いじめ」「いやがらせ」「ハラスメント」「ヘイトクライム」と表現した方が適確だと思えます。今回の選挙結果は、新基地建設賛成の方が増えたのではなく、この政府によるあまりにも執拗で陰湿な「いじめ・いやがらせ」に疲れた方が増えたためではないでしょうか。今回の投票率が68.32%で、これまでで最も低いという事実もその証左でしょう。『週刊金曜日』(№1360 21.1.14)で、阿部岳がこう指摘されています。

 候補者それぞれに屈折がある。単純な「賛成派」対「反対派」の構図ではない。あえて単純化するなら「あきらめ派」と「反対派」の争いになっている。
 そうさせたのは、政府である。民主主義の理念から最も遠いあきらめという感情を、国策として名護市民に植え付けた。新基地をめぐる賛否の争いにならないよう、選挙の構図自体をゆがめてきた。(p.15)

 これは鋭い視点だと思います。問題は民主主義の理念を否定するような没義道で卑劣な手段を使ってでも、自民党+公明党政権が新基地建設を強行する理由です。
 まずアメリカ政府・軍部の立場を考えてみましょう。日本の負担で最新式の基地がもらえるのは国益にかなう、これはわかります。ただ沖縄に基地が集中すると、攻撃を受けた時に被害やダメージが大きくなるのではないでしょうか。また海兵隊の存在意義についても疑問が出されているという話も仄聞しております。素人考えですが、アメリカとしてはもらえるものはもらうが、それほど新基地獲得に熱心ではないと思います。
 では日本政府・軍部の立場はどうか。新基地を献上することによって、アメリカ側の好意を買うことができ、その威光を背景に権力をふるえる。また将来的には自衛隊の基地として使用したいという考えもあるでしょう。私が本命だと考える理由はズバリ、「民意は国策を変えられない」という強い意思をわれわれに見せつけるためです。もしも沖縄県民の反対によって辺野古新基地建設が中止に追い込まれたら、民意で国策が変えられたという悪しき前例を残すことになります。国策に反対するな、政府に抗うな、大人しく諦めろ/忘れろ…ということだと思います。
 極端に言えば「政権を取れば何をしてもよい」というのが自民党と公明党の党是なのでしょう。そして多くの有権者が両党を支持し、多くの有権者が選挙を棄権し、結果として現政権を存続させています。沖縄県や名護市の人びとを「アメとムチ」で分断・翻弄して新基地反対をあきらめさせ、さらには在日米軍を沖縄県に過剰に集中させて塗炭の苦しみを与えているのは、自公政権を存続させている有権者だと思います。ぜひ一人でも多くの方に、自公政権が沖縄に対して何をしてきたのか/いるのか、その事実を知ってほしいものです。

 最後に『週刊金曜日』(№1311 21.1.8)に載っていた、寺井一弘弁護士の言葉を紹介します。

 政権は人々が忘却すること、諦めることを期待しています。沖縄・辺野古のテント村に「諦めた時が敗北である」というスローガンが書かれていますが、まさにそれ。今こそ忘れず、諦めない闘いが必要です。(p.53)

 古代中国に、「自分が一番したいことはするな。敵がもっとも嫌がることをせよ」という言葉があるそうです。ようがす、自公政権の嫌がることをしましょう。
 忘れない、諦めない、知る、考える、行動する。

 追記です。『東京新聞』(22.1.25)にも"地方自治をカネで操る、野蛮な政府"に関する指摘があったので紹介します。

本音のコラム 沖縄を支配する交付金 鎌田慧
 沖縄・名護市長選で現職・渡具知武豊市が当選を決めた。現在もっと重大問題である沖縄の海を破壊して、巨大な米軍基地を建設する。それも地盤がマヨネーズ状態、建設不可能として県知事が工事の承認を拒否しても「推移を見るだけ」として、なんら言及しない。
 しかも、安倍、菅、岸田政権が住民の抵抗を排除して毎日強引に工事を強行して、自治体の長として黙殺、だんまりをつづける。人間としてどう考えているのか。といって、この選挙戦に関わっていないので、書くのは苦痛だ。それでも「(政府は)移設工事を黙認する現職の渡具知武豊市長が再選されたことで『地元の理解』という大義名分を維持できた」との解釈がある(「産経新聞」24日)。
 同市辺野古の海に土砂投入を開始したのが、渡具知市長が初当選した年の12月。防衛省関係者は「渡具知氏が勝たなければ、あのタイミングではできなかった、と語る」(同紙)。
 それと引き換えに、年15億円の「米軍再編交付金」が交付されるようになった。「学校給食」「子ども医療費」の無償化ができ、票を集める。
 米軍基地や原発など、住民の命にかかわる装置を受け入れれば、カネを支給し、拒否すれば情け容赦なくストップする。地方自治をカネで操る、野蛮な政府をわたしたちは拒否できていない。(ルポライター)

# by sabasaba13 | 2022-01-26 06:47 | 鶏肋 | Comments(0)

岡山・広島編(27):倉敷(16.10)

 それでは本日の倉敷お目当て物件part1、すぐ近くにある「若竹の園」保育園へと参りましょう。三角屋根がキュートな愛らしい建物ですが、敷地内に入るのは憚られるので門のところから撮影。なお倉敷市の公式サイトにこの幼稚園の由来についての解説があったので引用します。

 20世紀初頭、繊維産業の急速な発展が倉敷にも及び、女性労働者の急増とともに育児環境や子どもの発達への影響が悪化し始めます。このような社会問題を解決するために、倉敷さつき会が先頭に立ち、大原孫三郎や倉敷紡績からの援助も受けながら、大正14年(1925)に「若竹の園」保育園がつくられました。
 園舎の設計は、教育者・建築家・芸術家として著名な西村伊作が行いました。西村は設計にあたり、バンガロー様式を採用して、小さな棟を複数配置する図面を描きました。結果、森の中に立ち、庭に小川の流れる「おとぎの国」の夢のお城のような園舎に出来上がり、数回の増改築を経ても核となる当初の部分が良好に残っています。
 西村は、与謝野鉄幹・晶子らとの交流を深める中で「文化学院」を創設し、文部省令に縛られない自由な教育を実践しました。倉敷文化協会に招かれて「文化生活の実行」と題する講演を行ったことが契機になり、倉敷との縁が生まれます。そして、倉敷教会や祐安の洋館群も手がけることになりました。

 さすがは大原孫三郎、女性労働者の育児環境にも配慮をしていたのですね。そして西村伊作による設計というのには驚きました。わが敬愛するお二人の間には交流があったのですね、すこし嬉しくなりました。

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# by sabasaba13 | 2022-01-24 07:26 | 山陽 | Comments(0)

岡山・広島編(26):石井十次(16.10)

 石井十次については、『日本の歴史を旅する』(五味文彦 岩波新書1676)の中に以下の記述があったので引用します。

 牧水より少し前に日向に生まれ、日本で最初に孤児院を創設し「児童福祉の父」と称されたのが石井十次である。慶応元(1865)年に児湯郡上江村馬場原(児湯郡高鍋町上江馬場)で、高鍋藩の下級武士である石井万吉の長男として生まれ、宮崎学校、高鍋学校に学び、明治12(1879)年に上京し攻玉社に学ぶも脚気にかかって帰郷した。
 岩倉具視暗殺計画の嫌疑で鹿児島に護送され監獄生活を送るなか、ここで西郷隆盛の吉野開墾の話を聞いて感激し、出獄後は五指社をつくって開墾事業を起こしたが失敗。明治15年に医学を学ぶため岡山市に移住しキリスト教に入信する。
 同19年に岡山県甲種医学校を出て、翌年に四国巡礼途中の男児を引き取ったのをきっかけに孤児教育会(後の岡山孤児院)を岡山市の三友寺で創設した。明治25年に前年の濃尾地震に被災した孤児93人のため名古屋市に孤児院を開設、27年には郷里の茶臼原(児湯郡木城町・西都市)へ移住させるため、院児25人は現地で開墾を始めた。
 しかし理想郷の運営は困難を極め、岡山でコレラが流行し、妻が亡くなる窮地に陥ったが、多くの援助があって立て直していった。明治31(1898)年に私立岡山孤児院尋常高等小学校を設立し、翌年、倉敷の実業家の大原孫三郎の経済的援助を受けて幼稚園を設立した。
 日露戦争による戦争孤児や東北地方の凶作による孤児多数を受け入れて、岡山孤児院の収容者数は1200人を超え、40年には東京事務所と大阪事務所を開設する。大正元(1912)年には茶臼原への孤児院の移転が女子部移転によりほぼ完了し、同2年に私立茶臼原尋常小学校を設立したが、翌年に持病の腎臓病が悪化して亡くなった。
 享年48.孤児救済に生涯を捧げた一生であって、その信念に多くの支援が寄せられたのである。(p.53~4)

 そうそう、大原孫三郎は柳宗悦の日本民藝館設立にも助力したことも付言しておきましょう。それにしても"学者の尊重すべきこと、学問研究の自由は冒してはならないこと"の重要性を知悉していた大原孫三郎、どこぞの御仁には彼の爪の垢を煎じて飲んでいただきたいものです。
 なお近くにある有隣荘には小川治兵衛がつくった庭があるのですが、春秋のみの特別公開ということでした。再来を期す。

# by sabasaba13 | 2022-01-22 08:42 | 山陽 | Comments(0)

岡山・広島編(25):大原孫三郎(16.10)

 なおこの大原美術館の設立者である大原孫三郎は、私が心から尊敬する人物です。以前も紹介したのですが、何度でも紹介しましょう。『日本の百年5 成金天下』(今井清一 ちくま学芸文庫)からの引用です。

 資本家が人間として誠実に生きる道は何か、ということを真剣に探求した人物に、もう一人、大原孫三郎がいる。彼は父の大原孝四郎が創立した倉敷紡績を継ぎ、これを倉敷レイヨンに発展させたが、かたわら社会事業に熱心であった。十八歳のとき二宮尊徳の『報徳記』をくり返し読み、事業の利益の何割かは社会へ還元すべきであって、私腹をこやしてはならない、という訓えに心をうたれた。そして二十歳のときにキリスト教の熱烈な感化を受けた。彼はまず、彼にキリスト教を教えた石井十次の経営する岡山孤児院を援助した。
 「岡山孤児院は、一時は千二百名の孤児を収容したこともあるが、孫三郎は日記に『孤児院のために働くは孤児院のために働くにあらず。石井のためにはもちろんあらず。また石井の事業にあらず、世界の事業である。神のための事業である』と記している。
 孫三郎が岡山孤児院に喜捨した金は莫大であるが、石井の明治四十一年の日記には『大原兄は満二年間、ほとんど毎月のように孤児院の会計の欠損せるにたいし、未だ一言の小言も言わずに助力せらる。毎月、頼むものも頼むもの、応ずるものも応ずるもの』とある。
 大正三年、石井が死去すると、孫三郎は孤児院長になった。彼の孤児への助力は、実業家の慈善のワクをはるかに越えていたのである。」
 大原孫三郎は、この他郷里の倉敷市に、病院、美術館、民芸館、考古館、天文台、農業研究所などをつくって一般に開放したが、中でも、大正八年に設立された大原社会問題研究所は、資本家の社会事業の常識を破ったものであった。
 「大原社会問題研究所は、大正、昭和初期の社会科学のメッカであった。所長の高野岩三郎の下に、櫛田民蔵、久留間鮫造、森戸辰男、大内兵衛、細川嘉六、笠信太郎などの学者が、ここから輩出した。この研究所がわが国の社会科学や労働運動に投げかけた影響は測り知れないものがある。
 それだけに大原社研はアカの巣窟とよばれ、孫三郎はアカの飼育者と非難されたことがしばしばであった。だが彼は高野所長の識見と人格を信頼して、これに関して一言の文句も言わなかった。彼は学者の尊重すべきこと、学問研究の自由は冒してはならないことを、その当時の誰よりもよく知っていた。」(青地晨 「大原三代」、『中央公論』1961.4)
 茂木惣兵衛や大原孫三郎のような生き方は、資本家としては例外であった。しかし、こうした例外は、明治の資本家にはないものであった。富の収奪や蓄積だけではなく、富の分配の問題を、心ある人びとは真剣に考える時期に達していた。(p.53~5)

# by sabasaba13 | 2022-01-20 06:19 | 山陽 | Comments(0)

描くひと 谷口ジロー展

描くひと 谷口ジロー展_c0051620_21573253.jpg 原爆の図丸木美術館で特別公開「大逆事件」を見た翌日、世田谷文学館で「描くひと 谷口ジロー展」を見てきました。

 谷口ジローという漫画家の存在は以前から知っていました。『青の戦士』や『LIVE!オデッセイ』を読んだことがあるのですが、その絵柄の脂っこさとくどさには辟易しました。その見方を一変させてくれたのが『「坊っちゃん」の時代』です。日露戦争(1904~5)から大逆事件(1910~11)までの時代という近代日本の大きな曲がり角を、夏目漱石・森鴎外・石川啄木・幸徳秋水という四人の絡み合いを軸に描くという関川夏央の原作も素晴らしいのですが、谷口ジローがそれを見事なマンガとして結実させています。脂っこさや硬さが削ぎ落とされ、線は端正でまろやかとなり、人物の感情は適確に表現され、街や自然や気象の描写は精緻を極める。いったい彼に何がおきたのだろうと思わせるほどに進化を遂げていました。近現代漫画史上、五指に入れたい傑作です。これを超える作品を描くことは不可能だろうと高を括ってしまい(『孤独のグルメ』はご愛敬)、いつの間にか谷口ジローのことは忘れていました。申し訳ない。
 ところがさらなる進化を遂げていたのですね。驚きました。蒙を啓いてくれたのはテレビ東京『新美の巨人たち』で去年の12月に放映された「歩くひと」です。解説を転記します。

 「孤独のグルメ」で作画を手がけた、漫画家の谷口ジロー。実はフランスでは手塚治虫に並ぶ超有名漫画家。谷口の名が海外に知られるきっかけとなった「歩くひと」は、セリフはほぼ無く、大きな展開もありません。平凡な男がひたすら歩くだけ。
 一体なぜこの漫画が、世界中の人を魅了するのか?その秘密を探ると浮かび上がってきたのは、日本が誇るあの世界的映画監督の存在! いくらでも眺めていられる絵を生み出す、作画のテクニックとは? 女優の寺島しのぶさんが、「歩くひと」の舞台となった清瀬市を歩きながら、その魅力を紐解きます。

 番組を拝見した上で、『歩くひと』(小学館文庫)を購入して読みました。うーむ、まいった。舞台は東京都清瀬市ですが、とりたてて絶景とは言えない町や自然を慈しむように丁寧に描いてあります。確かなデッサン、見事な質感や陰影、スクリーントーンの駆使によって表現された木漏れ日、水たまり、流れる雲、街並み、甍の波、街灯の明かり、犬や小鳥といった動物。氏は、日常の何気ない風景を、いかに心に沁みるような絵として描こうとしていたのだと思います。
 そして番組で、世田谷文学館で「描くひと 谷口ジロー展」が開催されているとの紹介がありました。互いに見合わす顔と顔、一緒に見ていた山ノ神とアイ・コンタクトが成立。よろしい、ぜひとも見にいきましょう。
 睦月、快晴・温暖・無風の好日、京王線芦花公園駅に降り立ち、世田谷文学館へと向かいました。なお「芦花公園」とは変わった駅名ですが、実は徳富蘆花の寓居が「恒春園」という公園になっているのですね。駅から歩いて十五分ほどのところにあります。蘆花がここに移ったのは1907年ですから、第一高等学校で幸徳秋水を弁護した講演「謀叛論」の草稿はここで書かれたのでしょう、おそらく。昨日、丸木夫妻の描いた「大逆事件」を見たのですが、不思議な縁を感じます。なお蘆花は書斎を「秋水書院」と命名していますので、秋水への思慕の情が強かったのでしょう。
 通を歩いていると電柱がないことに気づきました。電線を地下に埋めているのですね、すっきりとした眺めだし、災害時にライフラインが切断されないという大きな利点もあります。この措置は全国で進めて欲しいですね、財政が苦しい自治体だったら政府が補助をすべきだと思います。アメリカ製の武器を爆買いし、辺野古新基地に莫大なお金をかけ、在日米軍に「思いやり予算」をばらまき、税金を私物化して“お友達”や支持者にばらまくよりは、電線地下埋設の方がよほど世のため人のためになると思うのですが。ま、そう思わない方々がたくさんいて自民党政権を支持しているようですから、しばらくは無理かな。五分ほど歩くと文学館に到着です。
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 公式サイトから引用します。

 日本はもとより海外でも多くの読者を持つ漫画家・谷口ジロー(1947~2017)の作品世界を、貴重な自筆原画など約200点でご紹介する大規模個展です。緻密な作画、構成によって描き出されるその作品は、谷口ならではの世界、時空間に読者を惹きこむ力に満ち、深い読後感を残すことでも知られています。海外では大人の読者に堪える芸術として高い評価を受け、フランスのルーヴル美術館からもオリジナル作品を委嘱されています。世界で認められた日本のマンガ文化の中でも、その成熟を象徴する存在として挙げられる谷口ジロー作品の魅力を是非ご堪能ください。

 日本の展覧会では稀有なのですが、作品の撮影が可能とのことでした。虫の予感がしてデジタル・カメラを持参してよかった。
 初期の作品から代表作の『事件屋稼業』『「坊っちゃん」の時代』、さらに進化/深化を遂げようとした作品群、ヴェネツィアやルーヴル美術館を描いた作品、そして遺作。芳醇な自筆原画の数々に酔いしれました。なかでも出色の絵が『ふらり。』、蝦夷地測量に出立する前の伊能忠敬が江戸の町をふらりと徘徊するお話です。ユニークなのは、蟻の視点・鳥の視点から町や人や自然を描いていること、漫画の可能性をもっと拡げようとされていたのですね。
 いや、贅言はやめましょう。ぜひ世田谷文学館に足を運んで谷口ワールドを楽しんでいただきたいと思います。

 それでは練馬に戻って昼食をいただくことにしましょう。京王線芦花公園駅に戻ると、駅構内の窓から富士山が見えました。へえーこのあたりからも見えるんだ。
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 そしてわれわれ御用達、練馬駅近くの町中華「小姑娘(クーニャン)」へ。山ノ神は八宝菜、私は酢豚、デザートに杏仁豆腐をいただきました。味付けも仕上がりもよろしいのですが、何といっても素晴らしいのが野菜です。玉ねぎ、ピーマン、人参、長ネギ、大きめに切られた野菜のしゃきしゃき感には脱帽です。お値段も手ごろだし、お薦めのお店です。
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# by sabasaba13 | 2022-01-18 06:33 | 美術 | Comments(0)