『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』

c0051620_18221723.jpg 私の大好きなビル・エヴァンスのドキュメント映画、『タイム・リメンバード』が公開されるというビッグニュースを知りました。これは何がなんでも見たい。山ノ神を誘って、「アップリンク吉祥寺」へ見に行きました。ほぼ満席でしたので、ジャズの人気はさほどなくなってはいないようです。一安心。若者が多かったのが意外でしたが、たいへん嬉しいことです。人気投票やお金のためではなく、音で美を表現したいという高い志をもった音楽家は、世代を超えて支持されるものと確信しております。
 さて、はじまりはじまり。数々の名盤を残したジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンス(1929~80)の51年の生涯を辿ったドキュメンタリー映画です。幅広い分野でドキュメンタリーを撮ってきたブルース・スピーゲル監督が、8年の歳月を費やして制作しました。ビル本人の肉声や映像・写真、演奏シーンを中心に、彼と共演したジャズマンたちへのインタビューをまじえて、「時間をかけた自殺」とも言われる彼の人生を再現していきます。そのインタビュイーの顔ぶれが凄い。トニー・ベネット、ジム・ホール、ポール・モチアン、ゲイリー・ピーコック、ボブ・ブルックマイヤー、ジャック・ディジョネット… 綺羅星の如き名プレイヤーたちの映像を見られただけでも来た甲斐があったというものです。それにしても、端正な容姿とリリカルな演奏からは想像もつかないほど、凄絶な人生だったのですね。放埓な女性関係と重度の薬物中毒、兄や愛人の自殺、はじめて知ったことばかりでした。彼を奈落の底へ落としたのは麻薬だと思いますが、あれだけの技術と才能を持ちながらなぜ麻薬にのめりこんでいったのか、その探求があまりなかったことに物足りなさを感じました。プログラムに掲載されていた監督の話に、そのヒントがあるような気がします。黄金のトリオを組んだ、ドラマーのポール・モチアンへのインタビューです。
 「知っているかい?」とポールは言いました。「ビルは自分がすばらしいピアノ・プレイヤーだと思っていなかった。才能があると思っていなかった」
 「私は彼に言ったよ。“君の才能はすごいよ、何を言っているんだい?”」
 「ビルは委縮することもあった」とポールは言いました。「それを乗り越えるために、セッションをした」
 萎縮? あれほどの才能と技術がありながら、何を恐れていたのでしょう。彼が麻薬に溺れた理由はこのあたりにありそうです。映画の最後で、歌手のトニー・ベネットが、エヴァンスから「美と真実を追求し、他のことは忘れろ」とアドバイスを受けたそうです。美と真実… 美はわかりますが、彼にとっての真実とは何だったのでしょうか。たしか映画の中で彼は、「1音を弾くごとに、自分が見えてくるんだ」と言っていたのですが、本当の自分を音楽で表現することではなかったかと想像します。口で言うのは簡単ですが、これは至難なことでしょう。本当の自分とはどういうものか。それが醜く卑小なものだったらどうするのか。おそらく彼は一切の妥協を排して自分を凝視し、それを音楽で表現しようとして、その重圧にしばしば押しつぶされたのではないか。そして麻薬へと逃避したのではないか。

 この映画のもう一つの見どころは、何と言っても素晴らしい演奏のシーンです。鍵盤に食い入るように前かがみとなる独特の姿勢から紡ぎ出される美しいメロディ。あれは、本当の自分と対話しようとしているのかもしれません。とくに、スコット・ラファロ(ベース)とポール・モチアン(ドラムス)と組んだ黄金のトリオの映像には、感無量でした。三者が三様に自己を表現しながら、一つになって対話をしているかのような見事な演奏。中でも、低音弦楽器奏者の末席を汚す者として、スコット・ラファロの演奏には脱帽です。卓抜なテクニックと類まれなる歌心、私が憧れるミュージシャンの一人です。スピーゲル監督は、下記のようなポール・モチアンの話を紹介してくれました。
 私がインタビューした多くの人たちは、とても嬉しそうにビルのことを話してくれたのですが、ポールはもっと話したくて、ビル、スコット、ポールが『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』をライブ録音した、1961年6月11日の運命的なギグについても語ってくれました。その日曜日には、何か魔法のようなとても美しいことが起こったのです。トリオ・レコーディングについてのビル、スコット、ポールそれぞれの違ったビジョンが頂点を迎え、音楽への異なるアプローチがありました。それぞれの楽器が、彼らの音楽の中で互いに依存せずそれぞれがソロをとるなかで、楽器の新たなそしてより新鮮な独自性が生まれました。音楽は進化の新たな章を奏でたのです。
 「私たちは2週間ぶっ続けでヴァンガードで演奏した。多くの夜、トリオのサウンドは素晴らしいもので、本当に新たな極みに到達した。その運命的な日曜日のレコーディング・セッションの最後、ギグが終わると、私たちは微笑んでいた。新たなトリオに不可能はなかった。悲劇が数週間後に起こるなんて誰だって思いもしなかった」
 この時のライブ演奏が、『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』と『ワルツ・フォー・デビイ』という二枚のレコードで聴けるとは何て幸せなのでしょう。ありがとう、オリン・キープニューズさん。しかし、その数週間後に、スコット・ラファロが交通事故で亡くなるという悲劇が起こり、このトリオは消えてしまいます。

 音楽の素晴らしさとジャズの奥深さを堪能できた映画でした。お薦めです。
# by sabasaba13 | 2019-05-22 07:19 | 映画 | Comments(0)

かもめ

c0051620_913673.jpg アントン・チェーホフの戯曲や短編小説は文庫でよく読んだのですが、実際の演劇は見たことがありません。常々、彼の脚本による舞台を見てみたいものだと思っていたのですが、ようやくその思いが叶いました。新国立劇場の芸術監督・小川絵梨子氏と演出家・鈴木裕美氏が全キャストをオーディションで選考して、『かもめ』を上演するそうです。小川氏は、作品を中心に据え置いて、作品に必要な俳優と出会うためだと言っておられますが、たいへんなご苦労だったでしょう。これはぜひ見てみたい。山ノ神を誘って、初台にある新国立劇場で観劇してきました。なおイギリスの劇作家・トム・ストッパードによる英訳版を翻訳して使用していますが、小川氏によると、リズムが良く会話体が多いというのがその理由です。まずはあらすじを紹介します。
 ソーリン家の湖畔の領地。彼の妹である女優のアルカージナと愛人の小説家トリゴーリンが滞在している。アルカージナの息子コンスタンティンは恋人のニーナを主役にした芝居を上演するが、アルカージナは芝居の趣向を揶揄するばかり。コンスタンティンは憤慨しながら席を外すが、アルカージナは、ぜひとも女優になるべきだ、とニーナをトリゴーリンに引き合わせる。ニーナは、トリゴーリンに名声への憧れを語り、徐々にトリゴーリンに惹かれていく。コンスタンティンは自殺未遂を引き起こし、さらにはトリゴーリンに決闘を申し込むが、取り合ってすらもらえない。モスクワへ戻ろうとするトリゴーリンに、ニーナは自分もモスクワに出て、女優になる決心をしたと告げ、二人は長いキスを交わすのだった。
 2年後、コンスタンティンは気鋭の作家として注目を集めるようになっている一方で、ニーナはトリゴーリンと一緒になったものの、やがて捨てられ、女優としても芽が出ず、今は地方を巡業している。コンスタンティンがひとり仕事しているところへ、ニーナが現れる。引き留めるコンスタンティンを振り切り、再び出て行くニーナ。絶望のなか、部屋の外へと出て行くコンスタンティン。そして…
 さすがに自らこの舞台にあがりたいと望んだ俳優のみなさんたち、熱気にあふれる演技でした。それにしても摩訶不思議な劇です。主人公が誰なのか、よくわからない。悲劇なのか、喜劇なのか、よくわからない。幾重にも連なる一方的な恋愛。自分のことは雄弁に語るのに、人の話を聞こうとしない登場人物たち。想像力をかきたてる衝撃的なラスト・シーン。
 『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』(光文社古典新訳文庫)の書評でも紹介したのですが、チェーホフの不思議な魅力を読み解いた訳者・浦雅春氏の解説が秀逸なので再掲します。都会に住む花形作家であるという事実に居心地の悪さを感じ、何かというと脚を引っ張り合う気取った文学仲間にも馴染めず、底意地の悪い批評家たちに嫌悪感を覚えていたチェーホフは、そのような文学的な垢を洗い流すために流刑地・サハリンへと旅行をしました。浦氏によると、チェーホフにとってサハリンでの体験は大きな衝撃だったようです。閉ざされた流刑地サハリンにおいて、彼はロシア自体が「閉ざされた」サハリン島にほかならないこと、いや人間の存在そのものが「閉ざされた」ものであることを発見します。その結果、精神病棟に、屋敷に、自分の殻に、狭隘な考えに閉じ込められた人物たちが彼の戯曲にしばしば登場するようになります。
 そして、幼い少女が何の罪の意識もなく売春に走り、人間と家畜がひとつ床に雑居するサハリンの言語を絶する現実に、チェーホフは「あらゆるものを意味づける神=中心の喪失」を再確認することになります。彼は、それを「人間の条件」として受け入れる眼を獲得しました。その結果、彼の戯曲からは、主人公の視点によって成立する世界がなくなります(「主人公の喪失」)。事物、人間、思想、思念がすべて等距離にながめられる起伏のないのっぺりとした空間。意味づける中心がない世界と、自己に閉じ込められた個人、よってそこには会話は成立しません。よってチェーホフ劇は、累々たる言葉の屍が積み重なる「ディスコミュニケーションの芝居」となります。しかし浦氏曰く、それはコミュニケーションへの渇きにほかならない。言葉にはならないけれど、誰かにわかってもらいたい、きっとわかってくれるはずだ、それはもはやコミュニケーションではなく「祈り」に近い。ただその切なる願いも、チェーホフは醒めた目で突き放してしまいます。『かもめ』のラスト・シーンのように。
 “累々たる言葉の屍”がより積み重なる今だからこそ、チェーホフの芝居は人を惹きつけるのかもしれません。『三人姉妹』、『ワーニャ伯父さん』、『桜の園』もぜひ観てみたいものです。
 以前に、「クロアチアの貴婦人」と呼ばれるリゾート地・オパティアで、チェーホフの胸像を見かけました。よろしければご笑覧ください。
またしこしこと集めてきた、チェーホフの言葉も紹介します。
 小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である。

 君は人生とはなんぞやと訊ねてきているが、それは、ニンジンが何かと訊ねるのと同じことだよ。ニンジンはニンジンであって、それ以上のことはわからない。

 神には脇にいてもらおう。いわゆる偉大な進歩的な理想には脇にいてもらおう。人間からはじめよう。それが誰であれ―主教、百姓、百万長者の工場主、サハリンの徒刑囚、食堂の給仕であれ―人間に対して優しくし、思いやりをもとう。人間を尊敬し、憐れみ、愛することからはじめよう。それなしにはなにもはじまらない。

 世界はすばらしい、ですが、ただ一つすばらしくないものがある、それはぼくらです。

 過ちを犯すよりは、だまされている方がいいのだ。

 欺瞞こそ生存競争で最も確実な期待できる手段である。

 風邪を引いても世界観は変わる。ゆえに世界観とは風邪の症状だ。

 嘘を吐いても、人人は信じる。ただ権威をもって語れ。

# by sabasaba13 | 2019-05-20 07:35 | 演劇 | Comments(0)

戦禍の記憶

c0051620_18165092.jpg 大石芳野氏の写真展『戦禍の記憶』が、東京都写真美術館で開かれていると知り、山ノ神といっしょに見てきました。氏は、戦禍や内乱など困難な状況にありながらも逞しく誇りをもって生きる人びと、そして土着の文化や風土を大切にしながら生きる人びとを主なテーマとした写真を撮り続けられている方です。まずは展覧会の趣旨を、チラシから転記します。 
20世紀は「戦争の世紀」といわれます。二度にわたる世界大戦で人類の危機とでもいうべき大量の殺戮と破壊をもたらした後も安寧を迎えることはなく、米国、旧ソ連を軸とする東西の冷戦に起因する朝鮮戦争やベトナム戦争、ソ連のアフガン侵攻などが勃発しました。21世紀を迎えてもなお、世界のどこかでひとときも収まることなく戦争が続いています。
 戦争の悲惨な傷痕に今なお苦しむ声なき民に向きあい、平和の尊さを問いつづける大石芳野。広島や長崎、沖縄、朝鮮半島に大きな傷を残している太平洋戦争の後遺症をはじめ、メコンの嘆きと言われるベトナム、カンボジア、ラオスの惨禍、そして民族や、宗教・宗派の対立で苦しむアフガニスタン、コソボ、スーダン、ホロコースト…。本展では約40年にわたり、戦争の犠牲となった人々を取材し、いつまでも記憶される戦禍の傷にレンズを向けてきた作品約150点を展覧します。
 JR恵比寿駅から徒歩10分ほどで写真美術館に到着。館内に併設されている「MAISON ICHI」というパン屋さんでサンドウィッチと珈琲をいただいてから、鑑賞をしました。

第1章 メコンの嘆き
 ベトナムでは、アメリカ軍が散布した枯葉剤による後遺症に苦しむ人びと。カンボジアではポル・ポト政権によるジェノサイド政策の犠牲者。ラオスでは、ベトナム戦争でアメリカ軍が投下した爆弾の不発弾が大量に埋蔵され、その爆発によって傷ついた人びと。大石氏のカメラは、彼ら/彼女らの心に寄せるように向き合います。見ていて心が痛むのは、やはり傷ついた子供たちの姿です。氏曰く、「全土のどこでも、闇を見つめているような表情がそこここにある」(目録p.47)。カート・ヴォネガットは『追憶のハルマゲドン』(早川書房)の中で「子供たちを殺すことは―“ドイツ野郎(ジェリー)”のガキどもであろうと、“ジャップ”のガキどもであろうと、将来のどんな敵国のガキどもであろうと―けっして正当化できない」と言いましたが、同様に子供たちを傷つけることはけっして正当化できないと、胸に刻みましょう。

第2章 民族・宗派・宗教の対立。
 ソ連による侵攻、アメリカによる攻撃、そして部族間の内戦が続くアフガニスタン。廃墟となった首都カブールで、必死に生き延びようとする人びとの姿が心に残ります。セルビアによる攻撃や弾圧にさらされるコソボ。きっとこちらを見据えるギゼルという少女の写真から、目を逸らすことができませんでした。
 セルビア側についたロマ人のギゼル(9歳)。一家は、戻ってきたアルバニア系勢力に家を燃やされた。「何も悪いことはしていないのに」。(p.91)
 そして豊富に埋蔵される資源をめぐる民族紛争が起こり、ダルフール地方では200万人以上の人びとが死と追放の憂き目にあったという南スーダン。
 章の最後は、ホロコーストの現場と生き残った方々の写真です。“何も悪いことはしていないのに”、ユダヤ人やロマ人であるというだけで、殺された人びと。人類はここから何を学んだのか、学ばなかったのか。民族や部族や宗教が違えば、殺してもかまわないという状況が、いまだ続いていることに慄然とします。

第3章 アジア・太平洋戦争の残像
 そして日本が深く関わったアジア・太平洋戦争によって、傷つけられた人びとの写真です。731部隊の現場と目撃者、中国残留邦人、従軍慰安婦、ヒロシマ・ナガサキの被曝者、沖縄戦を生き延びた人びと。伊江島で見つかった子供の小さな頭蓋骨の写真には、下記のキャプションがありました。
 自然壕が防空壕の役割を果たしたが、住民と日本軍が共用したので悲劇も絶えなかった。戦争で最も被害を受けたのは子どもたち。すべて大人に責任があると訴えるような子どもの頭蓋骨が伊江島の壕から現れた。(p.166)
 展覧会のタイトルを、“戦火”ではなく“戦禍”としたところに大石氏の意思を感じました。戦争のおぞましさは、戦闘中に傷つき殺されるだけではなく、その後も様々なかたちでずっと人びとを苛むということだと思います。枯葉剤、不発弾、悲嘆、憎悪、悔恨、まさしく禍です。それを防ぐためには、戦禍にあった人びとの姿を記憶すること、伝えること、そして心を寄せることが大切なのだというメッセージを受け取りました。この目録をときどき見つめ、お手軽・お気軽に戦争をしようとする輩に抗っていきたいと思います。
 なお本展でいちばん心に残ったのが、アフガニスタンのカブールで撮影されたオミッドという10歳の少年を写した二枚の写真です。私も山ノ神も、はじめは同一人物だと気づきませんでした。左の写真は、暗い目をして、パチンコで捕った小鳥を弄ぶ無表情のオミッド。右の写真は、ノートを広げて明るく微笑むオミッド。目に光があるのがはっきりわかります。キャプションはこうです。
 オミッド(10歳)の父親は戦死し、貧しさゆえに学校に通えない。パチンコで小鳥を捕って遊ぶ。(p.78)

 学校へ行きたいというオミッド。入学の手続きを手伝い、通学を始めた。丸刈りになって、毎日学校が楽しくて一日も休まない。(p.79)
 目録に掲載されていた藤原聡氏の解説によると、寂しそうに遊んでいるオミッドを見かねた大石氏が、証明写真を撮りに連れて行き、入学手続きの手助けをしたそうです(p.10)。微かですが、未来への希望を感じさせてくれる写真でした。世界中の子どもたちが安心して学校へ通い、友だちと遊び学び、そして戦争は自然現象ではなくそれによって利益を得る者が起こす人為的な禍であることを知ってほしいと切に願います。
# by sabasaba13 | 2019-05-18 08:16 | 美術 | Comments(0)

新・正午浅草

c0051620_118680.jpg 劇団民藝が、永井荷風を主人公とした『新・正午浅草 荷風小伝』(作・演出=吉永仁郎)という劇を上演するとの情報を得ました。荷風ファンの末席を汚す一人として、これは見逃せません。おまけに今年は荷風生誕140年にして没後60年です。山ノ神を誘いましたが所用のために無理とのこと、独りで出かけることにしました。劇場は「紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA」、新宿タカシマヤ・タイムズスクエア南館の七階にあります。初日のため、かなり客席はうまっており何となく華やかな雰囲気でした。まずは公式サイトより、あらすじを引用します。
 昭和32年秋の昼下がり、市川市八幡。独りで暮らす77歳の荷風が、書斎にもち込んだ七輪に木片をくべて、野菜入りの自称釜飯をつくっている。そこへかつての愛妾お歌が久しぶりに訪ねてくる。お歌はわびしさに驚くが、荷風は2千万円の預金通帳を入れたカバンを置き忘れたことも面白おかしく語ってみせる。思わずお歌の視線はカバンへ。思い出話はやがて40年書きついだ日記へと移り、名作「?東綺譚」の娼婦お雪との日々がよみがえる…。
 何といっても、永井荷風(本名は壮吉)役を演じた水谷貞雄の見事な演技に脱帽です。頑固で、へそまがりで、女好きで、狷介で、辛辣で、でも優しそうでどこか憎めない荷風の風貌がよく伝わってきました。最後のほうになると、まるで荷風がよみがえって眼前にいるような気すらしてきました。
 冒頭で、荷風が“まつざきこうどう”の本を読みながら、老人が若い娘と寝るのは良いが子どもをつくってはいかんと独り言をつぶやく場面がありました。今にして思うと、「家庭を持たずに自由に生きる」という荷風の生き様を象徴した言葉なのですね。なお“まつざきこうどう”という方はどこかで聞いた覚えがあります。今調べたところ、松崎慊堂という江戸時代後期の儒学者で、渡辺崋山の師匠だった方でした。
 猫と遊びながら“釜飯”と自称する怪しげな料理をつくっているところに、かつての愛妾お歌が訪ねてきます。そして彼の日記『断腸亭日乗』を見つけ、荷風に読んでもらうところから劇は展開していきます。日記に出てくるエピソードの場面と、今現在の荷風の部屋との往復、よくできた脚本です。息子に社会的な地位と名誉を期待する厳格な父・久一郎(伊藤孝雄)と、それをかわしながら自由に生きようとする飄々とした荷風、この親子のやりとりが面白いですね。でも父に勧められた結婚を断れず、また尊敬する恩師・森?外に頼まれた慶応義塾大学教授の職を引き受けるなど、義理堅い一面もあります。とは言っても、父が亡くなるとすぐに離婚し、?外が亡くなるとすぐに職を辞してしまうのが荷風です。
 軍靴の音が鳴り響く時代になると、荷風は軍国主義を忌み嫌い、不服従・非協力の姿勢を貫きます。『断腸亭日乗』に下記の一文があるように。
 軍部の横暴なる今更憤慨するも愚の至りなればそのまま捨置くより外に道なし。われらは唯その復讐として日本の国家に対して冷淡無関心なる態度を取ることなり。(1945.5.5)
 劇では友人と共に馴染の静かなカフェを訪れて、持参したドビュッシーのレコードをかけてもらう場面がありました。彼は、フランスでドビュッシーの生演奏を聴いたことがあるのですね、羨ましい。なお現在からこの場面に転換するときに流れた曲は、ピアノ曲「夢」でした。そこに居合わせたのが菊池寛、国策に協力する彼を荷風は嫌い店から立ち去ります。
 そして日記は、玉ノ井で出会った娼婦お雪のことに触れますが、そう、『?東綺譚』のモデルとなった女性ですね。荷風に恋心を抱き結婚を申し込むお雪、自由に生きるために優しく断る荷風、そして傷心を押し隠して健気に明るく振る舞うお雪。しっとりとした良い場面でした。苦界にありながらも懸命に生きようとするお雪を、飯野遠が見事に演じていました。
 ふたたび現在へ、お歌は借金を申し入れますが、荷風にやんわりと断られて立ち去ってしまいます。自由と孤独のなか、誰にも看取られずに死んでしまう荷風…
 なお題名の「正午浅草」は、晩年の『断腸亭日乗』がほぼ毎日この一文のみ記されていることからつけられました。浅草にある「アリゾナ」でいつも昼食をとっていたのですね。空襲の際も、この日記だけは持ち出した荷風。たとえ四文字とはいえ、その日にしたこと/あったことを日記に書き残すことが、彼にとって生きる証だったのかもしれません。

 老境を迎えつつある私としては、いろいろと考えさせられたお芝居でした。演出家のピーター・ブルックに「演劇とは、自分と他人とが違うということを確認していく作業です」という言葉あるそうですが、荷風とは違う自分なりの老い方に思いを馳せるよいきっかけとなりました。
 なおあえて注文をつければ、国家や社会に対する痛烈な批判者であった面をもっと取り上げてほしかったと思います。荷風の視線は、今だからこそ必要ではないのかな。『断腸亭日乗』からいくつか紹介します。
 日本人は何事に限らず少しく目新しきものの盛になり行くを見れば忽恐怖の念を抱く。島国根性今以て失せやらぬものと見えたり。今日の時勢を見るに女給踊子の害の如きはたとへこれありとなすも恐るるに足らず。恐るべきは政治家の廉恥心なきことなり。社会公益の事に名を托して私欲を逞しくする偽善の行動最恐るべし。(1929.9.19)

 日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。政党の腐敗も軍人の暴行もこれを要するに一般国民の自覚に乏しきに起因するなり。個人の覚醒せざるがために起ることなり。然りしかうして個人の覚醒は将来においてもこれは到底望むべからざる事なるべし。(1936.2.14)

 昏暮土州橋よりの帰途銀座食堂にて晩餐を命ずるに半搗米の飯を出したり。あたりの客の様子を見るに、皆黙々としてこれを食ひ毫も不平不満の色をなさず。(以下十三行半切取。一行抹消)国民の柔順にして無気力なることむしろ驚くべし。(1939.12.2)

 日本人の口にする愛国は田舎者のお国自慢に異ならず。その短所欠点はゆめゆめ口外すまじきことなり。歯の浮くやうなお世辞を言ふべし。腹にもない世辞を言へば見す見す嘘八百と知れても軽薄なりと謗るものはなし。この国に生まれしからは嘘でかためて決して真情を吐露すべからず。富士の山は世界に二ツとない霊山。二百十日は神風の吹く日、桜の花は散るから奇妙ぢゃ。楠と西郷はゑらいゑらいとさへ言つて置けば間違はなし。押しも押されぬ愛国者なり。(1943.7.5)

 歴史ありて以来時として種々野蛮なる国家の存在せしことありしかど、現代日本の如き低劣滑稽なる政治の行はれしことはいまだかつて一たびもその例なかりけり。かくの如き国家と政府の行末はいかになるべきにや。(1943.6.25)
 壮吉さん、その行末が今なのですが、何てことはない、政治がさらに低劣で滑稽なものになり、即位と改元に沸き立つ国民はさらに柔順になっただけです。

 余談です。倉科遼の原作、ケン月影の作画による『荷風になりたい 不良老人指南』(小学館)という漫画があります。ケン月影が描く女性がみな同じ顔であることに辟易しますが、荷風の生涯を要領よくまとめています。
# by sabasaba13 | 2019-05-16 06:15 | 演劇 | Comments(0)

河鍋暁斎展

c0051620_1341966.jpg 映画『金子文子と朴烈』を見に行くときに駅構内のポスターで知った河鍋暁斎展、山ノ神とともに訪れてきました。場所は六本木、東京ミッドタウンのガレリア3階にあるサントリー美術館です。ミッドタウンの桜も八分咲き、たくさんの人びとが詰めかけてスマートフォンで写真を撮っていましたが、展覧会会場も大混雑なのかな。まいったなと懸念したのですが杞憂でした。閑古鳥が鳴くほどではありませんが、牛歩の如き速度で列は流れていきます。
 まずはチラシの紹介文を引用しましょう。
 多様な分野で活躍した画鬼・河鍋暁斎、その画業については、長らく諷刺画や妖怪画などに焦点が当てられてきました。しかし近年の研究により、駿河台狩野家の伝統を受け継ぐ筆法と、独特な感性をもとに活躍の場を広げていった姿が明らかになりつつあります。
 卓越した画技を持っていた暁斎は、着色と水墨の両方を使いこなし、仏画・花鳥画・美人画など、多岐にわたるジャンルで優れた作品を遺しました。
 本展では、国内の名品およびイギリスからの里帰り作品を含む約120件によって、幕末・明治の動乱期に独自の道を切り開いた暁斎の足跡を展望するとともに、先人たちの作品と真摯に向き合った暁斎の作画活動の一端を浮き彫りにします。
 “その手に描けぬものなし”というサブタイトルとは、よくぞつけたもの。天馬の如き彼の筆は、天衣無縫にさまざまなものを描き尽くします。真面目な仏画、艶っぽい美人画、笑いをさそう風刺画や動物画、身の毛もよだつような残酷な絵や幽霊の絵。ただ見惚れるのみ。
 気に入った作品をいくつか紹介しましょう。水墨画の技の冴えを見せてくれるのが「枯木寒鴉図」。枯れた枝に屹立し、前方をきっと凝視する一羽の烏の凛とした佇まいに、思わず背筋が伸びます。筆と墨だけで、その烏の姿を通して“孤高”をこれほど完璧に表現した暁斎、脱帽です。
 「美人観蛙戯図」は、団扇を手に涼をとる妙齢の美人を描いています。彼女が微笑みながら見つけているのは、足元で遊んでいる蛙たち。「鳥獣戯画」を換骨奪胎したものでしょう、相撲をとったり、腕組みをしたり、煙管をくわえたり、子蛙を背負ったりと、さまざまな蛙の姿を生き生きとユーモラスに描いています。真面目な美人画と空想的な鳥獣戯画の合体、これぞ暁斎。
 思わず緩頬してしまうのが「貧乏神図」。ぼろぼろの服を着て渋い面の貧乏神は、もうこれ以外の姿は想像できないようなリアルさです。よく見ると、足元には注連縄でつくられた結界があり、彼がそこから出られないようになっています。おまけに表装もわざとぼろ布を使った手の込みよう。
 「大仏と助六」は、遊び心にあふれた絵です。縦長の紙に大仏の顔左半分を描いた大胆不敵な構図。しかも助六が踊りながらその鼻の穴に入ろうとしています。鼻道と花道の駄洒落なのですね。これが宴席で頼まれて即興で描いた絵(席画)だというのですから驚きです。
 仰向けに浮かぶ鯰に乗った猫と、曳き舟のように長い髭を引っ張る二匹の猫を描いた「鯰の船に乗る猫」は諷刺画です。当時、政府の高官をその髭から鯰になぞらえたそうです。また国家を揺るがす地震を引き起こすという意味もあったようです。その鯰を手玉にとる猫たち、その意気やよし。なお暁斎は、1870(明治3)年、40歳のとき、書画会で描いた作品が政府高官を嘲弄したとして投獄されましたが、こうした作品なのかもしれません。
 暁斎がますます好きになってしまう、素敵な展覧会でした。

 なおカタログに、暁斎の弟子であり友人でもあった建築家ジョサイア・コンドルが寄せた追悼文が載っていたので転記します。
 (暁斎は)忍耐強く自然を観察し、また古人の作で価値あるものをことごとく敬虔な態度で模写した人であったが、その作品にはつねに独創性と天稟の才が横溢していた…彼はその独立不羈の性格と何でも描ける多才な技量により、免状ばかりで精神を伝えぬ一流派の束縛を長く免れることができた…彼は自ら構成した活気溢れる絵画の世界を一絵師として孤独に生き、古き巨匠の偉大なる魂を友としたが、今やその霊と相接しているのである。(p.194)
 彼の画業をよく理解し、そして敬愛の念をこめた素晴らしい追悼文ですね。
 余談ですが、暁斎が生まれた古河、彼が訪れた須坂の訪問記を上梓してありますので、よろしければご笑覧ください。
# by sabasaba13 | 2019-05-14 06:20 | 美術 | Comments(0)

『金子文子と朴烈』

c0051620_21514851.jpg なぬ! 『週刊金曜日』の映画評を見たら、目が点になりました。『金子文子と朴烈』という映画が作られた、しかも韓国で。そもそも金子文子とはどんな女性か。拙ブログでも触れましたが、『未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』(日中韓3国共通歴史教材委員会 高文研)にある簡にして要を得た紹介文を再掲します。
金子文子(1903~26)-朝鮮人と連帯し天皇制国家と闘った日本人

 金子文子という人を知っていますか。1923年の関東大震災の際、朝鮮人の朴烈(パクヨル)とともに検束され、皇太子(のちの昭和天皇)を爆弾で殺そうとしたとして「大逆罪」に問われて、死刑判決を受けた女性です。
 文子は横浜で生まれました。家柄を誇る父が「婚外子」(法的な結婚をへないで生まれた子)であった文子の出生届を出さなかったため、正式に小学校に入学できないなどの差別を受けたり、父に捨てられた母の再婚などのため文子の少女時代は不幸でした。9歳の時、朝鮮に住む父方の親戚の養女となりましたが、権威的なその家でひどくいじめられました。三・一独立運動を目撃した時、強者に抵抗する朝鮮の人たちに「他人事とは思えないほど感激した」といいます。
 16歳で養女を解消されると、実父が勝手に結婚を決めたため、その圧力を逃れて東京で苦学しているときに社会主義・無政府主義などに出会いました。そしてこれまでの体験から「一切の権力を否定し、人間は平等であり自分の意思で生きるべきだ」という思想に到達しました。さらに、さまざまな法律や忠君愛国・女の従順などの道徳は「不平等を人為的に作るもので、人々を支配権力に従属させるためのしかけである。その権力の代表が天皇である」と考えました。
 19歳の時、日本帝国主義を倒すことを志す朴烈と同志的な恋愛をして一緒に暮らすようになり、「不逞社」を結成します。朝鮮の独立と天皇制の打倒を志す二人は、爆弾の入手を計画はしますが、実現できないうちに検束されました。
 若い二人は生き延びることよりも、法廷を思想闘争の場にしようと考えて堂々と闘いました。死刑判決後、政府は「恩赦」で無期懲役にしましたが、文子はその書類を破り捨て、3カ月後、獄中で自殺しました。23歳でした。民族や国家を超えて同志として朴烈を愛し、被抑圧者と連帯し、自前の思想をつらぬいた一生でした。(朴烈は1945年に解放されました) (p.84~5)
 一体どんなふうに彼女を、そして朴烈を描いたのだろう。これは是が非でも見に行かなければ。あまり気が乗らない様子の山ノ神を無理に誘って渋谷のシアター・イメージフォーラムに行きました。地下鉄副都心線に乗ると、駅構内に「河鍋暁斎 その手に描けぬものなし」という、サントリー美術館のポスターがありました。うわお、これも見たい。河鍋暁斎展は次の日曜日に行くことにしました。
 まずは映画の公式サイトから、あらすじを引用します。
 1923年、東京。社会主義者たちが集う有楽町のおでん屋で働く金子文子は、「犬ころ」という詩に心を奪われる。この詩を書いたのは朝鮮人アナキストの朴烈。出会ってすぐに朴烈の強靭な意志とその孤独さに共鳴した文子は、唯一無二の同志、そして恋人として共に生きる事を決めた。ふたりの発案により日本人や在日朝鮮人による「不逞社」が結成された。しかし同年9月1日、日本列島を襲った関東大震災により、ふたりの運命は大きなうねりに巻き込まれていく。内務大臣・水野錬太郎を筆頭に、日本政府は、関東大震災の人々の不安を鎮めるため、朝鮮人や社会主義者らを無差別に総検束。朴烈、文子たちも検束された。社会のどん底で生きてきたふたりは、社会を変える為、そして自分たちの誇りの為に、獄中で闘う事を決意。ふたりの闘いは韓国にも広まり、多くの支持者を得ると同時に、日本の内閣を混乱に陥れていた。そして国家を根底から揺るがす歴史的な裁判に身を投じていく事になるふたりには、過酷な運命が待ち受けていた…。
 監督はイ・ジュンイク、パンフレットを購入して彼は尹東柱(ユン・ドンジュ)を描いた『空と風と星の詩人』という映画をつくっていることも知りました。これもぜひ見てみたい。
 「不逞社」の人たちがラジオ放送を聞き(※放送開始は1925年)、水野一人に全ての責を帰すなど史実と違うところも一部ありますが、おおむね歴史的事実に基づいたわかりやすい内容になっています。二人を弁護した布施辰治が登場するのも嬉しい限りです。
 この映画の見どころは、単純に日本の国家権力と民衆による朝鮮人虐殺を糾弾するのではなく、強大な国家権力にしたたかに抗う二人の若者の姿です。朝鮮人虐殺を糊塗するために、大逆罪を犯そうとした朝鮮人が実際にいたことをアピールしようとする日本政府。そのためには何としてでも裁判を成立させなくてはならず、その弱みにつけこんで二人はさまざまな要求をつきつけます。仲睦まじく寄り添う二人を写真に撮らせる(※いわゆる怪写真事件)、あるいは民族衣装で法廷に出ることを要求する。華やかな民族衣装で出廷した二人は、裁判をまるで結婚式のように仕立て上げてしまいます。
イ・ジュンイク監督は、プログラムの中でこう語っておられました。
 本作を通して、私は一人の青年の純粋な信念に光を当てたかった。そして今日の世界に生きる私たち全員に問いかけたかった。日本植民地時代の朴烈のように、私たちは世界と真正面から向き合っているだろうかと。
 そう、朴烈と、直接には触れていませんが金子文子の二人の姿を通して、世界と、そして権力と真正面から向き合おうという監督からのエールがびしびしと伝わってきました。
主役の二人を演じた俳優の演技が素晴らしい。ふてぶてしく、したたかに、ユーモラスに権力と闘いながらも時に憂愁の影がよぎる朴烈を、イ・ジェフンが見事に演じ切っていました。それに輪をかけて素晴らしかったのが、金子文子を演じたチェ・ヒソです。獄中で文子が書いた手記『何が私をこうさせたか』(筑摩叢書286)の中で、彼女はこう綴っています。
 「ああ、もうお別れだ! 山にも、木にも、石にも、花にも、動物にも、この蝉の声にも、一切のものに…」
 そう思った刹那、急に私は悲しくなった。
 祖母や祖父の無情や冷酷からは脱せられる。けれど、けれど、世にはまだ愛すべきものが無数にある。美しいものが無数にある。私の住む世界も祖母や祖父の家ばかりとは限らない。世界は広い。
 母の事、父の事、妹のこと、弟のこと、故郷の友のこと、今までの経歴の一切がひろげられたそれらも懐かしい。
 私はもう死ぬのがいやになって、柳の木によりかかりながら静かに考え込んだ。私がもしここで死んだならば、祖母たちは私をなんというだろう。どんな嘘をいわれても私はもう、「そうではありません」といいひらきをする事は出来ない。
 そう思うと私はもう、「死んではならぬ」とさえ考えるようになった。そうだ、私と同じように苦しめられている人々と一緒に苦しめている人々に復讐をしてやらねばならぬ。そうだ、死んではならない。
 私は再び川原の砂利の上に降りた。そして袂や腰巻から石ころを一つ二つと投げ出してしまった。(p.84)
 世界の美しさと広さを認識する感受性、弱者・貧者への共感と連帯感、強者・富者への批判と憤怒、そうしたものを併せ持った金子文子という多面的で自立心の強い女性を、きわめて魅力的に演じていました。時には怜悧な小悪魔のような、時には清楚な少女のような、時には強健な闘士のような文子を演じ分けたその力量には脱帽です。ちょっとした表情やしぐさや視線で文子の多面性を表現したその演技には、鳥肌がたつほどに見惚れてしまいました。
彼女の演技だけでも必見の映画です、お薦め。

 それにしても、韓国映画の豊饒さと質の高さには驚いてしまいます。その理由の一端が、『週刊金曜日』(№1223 19.3.8)に載っていた、片山慎三監督へのインタビューでわかりました。(聞き手:中村富美子)
 日韓の映画業界の体質の違いにも敏感だ。売れ筋の原作で観客動員を見込む日本の映画業界の傾向に対し、韓国では「結末がわかっているようなものを作って何が面白いんだ、という考え。2~3年かけ、お金もかけてオリジナル脚本をちゃんと書く。だから全然違う。それが悔しかったです、韓国映画を見ていて」。
 それは国の文化政策の差でもある。脚本執筆中は無収入が普通の日本と、申請すれば国からの援助があって生活費に充てられる韓国。「それでヒットしたら興行収入を国に還元し、それがまた将来の支援へと回される」。この循環が、韓国映画の質を支えている。(p.50)
 嫌韓を叫んでストレスを発散させる方々にこそ、ぜひ見ていただきたい映画です。韓国から学ぶべきことは、けっこうありますよ。
# by sabasaba13 | 2019-05-12 06:46 | 映画 | Comments(0)

奇想の系譜

c0051620_21543689.jpg 美術史家・辻惟雄氏の名著『奇想の系譜』に基づく展覧会が、上野にある都美術館で開催されていることを知りました。主催者のあいさつ文を紹介します。
ごあいさつ
 美術史家・辻惟雄氏が、1970年に著した『奇想の系譜』。そこで紹介されたのは、それまでまとまって紹介されたことがない、因襲の殻を打ち破り意表を突く、自由で斬新な発想によってわれわれを、非日常的な世界に誘う絵画の数々でした。それから半世紀経った現在では、かつては江戸時代絵画史の傍流とされていた画家たちが、その現代に通じる革新性によって熱狂的ともいえる人気を集めています。
 本展では、『奇想の系譜』で取り上げられた六名の画家、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の他に、白隠慧鶴、鈴木其一を加えました。
 おおっ、私の大好きな伊藤若冲や、長沢芦雪や、歌川国芳の絵を一堂に会して見られる、これはたまりません。さっそく山ノ神を誘って、見に行くことにしました。

 時は三月の下旬、今年は開花が早いため、上野の桜はもう五分咲きです。よって上野公園はたくさんの人が押しかけ大混雑でした。おまけに上野動物園のパンダが先着順で見られるようになったことも混雑に拍車をかけたようです。さてお目当ての展覧会の混雑はどうでしょうか。以前に開催された「伊藤若冲展」が凄まじい混雑で見るのを諦めたことがトラウマとして心に残っています。戦々恐々としながら入口を入ると、チケットを購入するための行列はさほど長いものではありません。ああよかった。十五分ほど並んで買うことができました。
 まずは「幻想の博物誌」伊藤若冲。動物や植物を、リアルに、華麗に、生き生きと描いた彼の絵を見るたびに生きていてよかったと思います。生命の讃歌ですね。圧巻は「象と鯨図屏風」、巨大な象と鯨の対比、そして今にも“パオー”という嘶きが聞こえてきそうな愛らしい象。お得意の鶏をさまざまな姿で描いた「鶏図押絵貼屏風」では、真正面から描いた鶏がラブリー。思わずだきしめたくなりました、突かれそうだけど。
 次は「醒めたグロテスク」曽我蕭白、怪作「群仙図屏風」を間近で見ることができました。画面を埋めつくす不気味な仙人、仙女、龍、童子、そしてこの世のものとは思われないド派手な着色。見ているだけで気持ちが悪くなってくる絵など、そうそうお目にはかかれません。
 「京のエンターティナー」長沢芦雪のコーナーでは、「白象黒牛図屏風」に見入ってしまいました。白い巨象にとまる黒い烏、黒い巨牛のもとの白い子犬。大と小、黒と白のみごとな対比です。もちろんそれぞれの動物も的確に描写されています。カタログの解説で辻惟雄氏は、巨大な動物を対比的に描いたという点で、若冲の「象と鯨図屏風」との類似を指摘され、どちらかが、どちらかを見て刺激され描いたのではないかとされています。そして見た場所は、祇園祭礼の宵山の屏風見せの折と推測されています。「群猿図襖」もいいですね、群れ集う猿たちを個性豊かに描き分けています毛の柔らかさを表現する筆力には脱帽です。実は今回の展覧会で一番見たかったのが、芦雪の「なめくじ図」です。なんと、なめくじと彼が這った跡だけを描いた、空前絶後の絵です。その曲線がまるで抽象絵画の如きデザイン、これぞ奇想! カタログで馬渕美帆氏が、これは席画(画家が招かれた会席で客の注文に応じて描かれた絵)ではないかと指摘されているのは卓見です。画面を一筆書きで埋め始めて観客たちを驚かせ、最後になめぐじを描いて種明かしという趣向。うわお、その場に居合わせたかった。
 なお芦雪は、亀甲型の外郭のなかに「魚」の一字を入れた独特な印を使っていますが、その由来についての辻惟雄氏による解説がありました。『近世名家書画談』によると、芦雪が淀から四条の応挙の画房に通って修業を積んでいたころ、ある寒い冬の朝、往きの途中の小川が凍って、魚がそのなかに閉じ込められて苦し気なのを見ました。帰りに覗いてみると、氷がだいぶ溶け、魚が自由を得て嬉し気でした。そのことを翌日師に話すと、自分も修業時代は苦しかったが、そのうちだんだん氷が溶けるようにして画の自由をえたのだと諭され、肝に銘じて終生この印を用いたということです。いい話ですね。
 「執念のドラマ」岩佐又兵衛コーナーでは、凄惨な場面を豪華絢爛な色彩で描いた「山中常盤物語絵巻」が展示されていました。ほんとうは「洛中洛外図屏風」と「豊国祭礼図屏風」が見たかったのですが、展示替えがあって見られなかったのが無念。
 「狩野派きっての知性派」狩野山雪の絵は、正直に言って、若冲や芦雪にくらべてやや見劣りがします。私の眼力不足かな。
 「奇想の起爆剤」白隠慧鶴の禅画は、若冲、蕭白、芦雪など18世紀の京都画壇の個性的な表現が生まれるための起爆剤となった可能性が近年指摘されているそうです。縦2メートルもある巨大な「達磨図」の大胆不敵な表現を見るとさもありなんと思えます。
 「江戸琳派の鬼才」鈴木其一(きいつ)は、その高名はたびたび耳にしますが彼の絵を見たのははじめてです。うん、いい。繊細で的確な表現力と、華麗な色彩には目を瞠りました。「貝図」がいいですね、日ごろ何気なく食べている貝がこんなにも美しいものだと、其一に教えられました。「百鳥百獣図」は、数多の鳥と獣が双幅を埋めつくす生命の楽園です。見ているうちに幸せな気持ちとなり、耳朶にチャールス・ミンガスの「クンビア&ジャズ・フュージョン」の楽し気な調べが鳴り響てきました。
 そして掉尾を飾るのが「幕末浮世絵七変化」歌川国芳です。人体で顔を構成する「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」、猫を使った駄洒落で東海道五十三次を描いた「猫飼好五十三疋」、巨大な骸骨がぬっと姿をあらわす「相馬の古内裏」など、奇想が炸裂。しかし今回の展覧会で一番感銘を受けたのは、「火消千組の図」という額絵です。霊岸島や箱崎町を担当する火消の千組が成田山新勝寺に奉納したものです。手に手に鳶口を持った138人の火消が威風堂々と火事場に向かう姿を描いた絵ですが、その迫力には圧倒されました。ワーグナーの楽劇「タンホイザー」の行進曲が耳朶に鳴り響きます。またそれぞれの表情や刺青まで丹念に描き分けているのにも感嘆します。

 ああ面白かった。楽しかった。驚いた。やはり美術はこうでなくてはいけません。二百数十年後の私たちをこれほどドキドキワクワクさせてくれる奇想の画家たちにあらためて敬意を表します。そしてこうした美術を生み出した江戸という時代を、あらためて見直したいと思います。
# by sabasaba13 | 2019-05-10 06:18 | 美術 | Comments(0)

『福島は語る』

c0051620_2184970.jpg 『“私”を生きる』や『沈黙を破る』といった秀作を世に送りだし、ジャーナリストとしても活躍しておられる土井敏邦氏が、『福島は語る』という映画をつくられたそうです。その意図を、土井氏は公式サイトで次のように述べられています。
 原発事故から8年が過ぎました。日本は、2020年の東京オリンピックに向けて浮き足立ち、福島のことは「終わったこと」と片づけようとしているように感じます。しかし、原発事故によって人生を変えられてしまった十数万人の被災者たちの心の傷は疼き続けています。
 100人近い被災者たちから集めた証言を丹念にまとめました。その“福島の声”を、忘却しつつある日本社会に届けたいと願い、この映画を制作しました。
 まったくです。昨今では、東京オリンピックに加えて、新元号や新天皇の即位や十連休で大騒ぎしている日本社会。ほんとうに福島のことは、きれいさっぱり忘れてしまったようです。原発マフィアの皆さまの、ほくそ笑む顔が目に浮かびます。しかしこの事故のことは、絶対に忘れてはならない。問題の所在をはっきりさせておきましょう。それを明確に示してくれた中野敏男氏の一文を、『詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」』(NHKブックス1191)から引用します。
 …現在では、東日本大震災を前後して大きく問題化した二つのことが、あらためてその現状を厳しく照らし出すことになりました。
 その二つとは、ひとつは、普天間基地移転が焦点化する中であらためて問われている沖縄の過重負担という問題であり、もうひとつは、震災にともなう福島第一原子力発電所の事故に端を発した深刻な原子力災害のことです。わたしたちはいま、戦後に植民地主義の継続を考える際に、この戦後世界に作られていた「犠牲やリスクを不平等に配分する差別的な秩序」の存在に注目しました。ここまではそれをまずは冷戦状況下での東アジア地域の国際関係に即して見たのでしたが、そのような「犠牲やリスクの不平等」という差別はそれに限らず、「基地国家」とされるこの国の内外にさまざまに組織され、あるいは再編されて持続してきたと考えなければなりません。その中でも、過重な基地負担を強いられ続けている沖縄の問題と原発リスク負担を引き受けてきたフクシマの問題は、現在の日本社会にとって存立の基盤そのものに関わる、負担の深刻な差別的秩序の存在を露呈させたのでした。軍事基地の負担を沖縄に集中し、エネルギー供給に関わるリスクをフクシマその他に集中さしていればこそ、今日まで日本の他の地域の人々は、日常的にはそんな負担やリスクを意識しないままに「平和で豊かで安全な日本」であるという中央中心の自己認識をずっと維持してこられたわけです。そうであれば、これもまたひとつの植民地主義と言わねばならないのではないでしょうか。
 このように考えてくると、東日本大震災を経た今日、この日本は確かにひとつの大きな曲がり角に立っているということが分かります。大地震そのものは天災でしたが、それが重大な犠牲を強いつつ暴露してしまった事態は、「犠牲やリスクの不平等」を生むこんな差別的秩序に依存して進められてきた戦後日本の「経済成長」路線、この意味で植民地主義に立脚するこれまでの拡張路線の、手酷い破綻であるに違いありません。(p.287~8)
 そう、福島の原発事故を忘れてしまうと、沖縄の新基地建設強行に無関心だと、この「犠牲やリスクを不平等に配分する差別的な秩序」がこれからも未来永劫に続くということです。庶民を静かに抹殺しながら、一部の富者や強者が富み栄えるというこの社会が。
 過重なリスクを負わされて深刻な事故にまきこまれ、そして抹殺されつつある“福島の声”に耳を傾けることによって、このえげつなくいかがわしいシステムを体感したく思い、吉祥寺にある「ココロヲ・動かす・映画館◯」で見てきました。
 下記の八章仕立てで、計14人へのインタビューと、福島の美しい自然の映像で構成されています。『福島からあなたへ』の著者、武藤類子も登場されていました。

第一章 「避難」
 「自主避難」をめぐる家族間の軋轢と崩壊。他県で暮らす避難者たちと福島に残る人びととの乖離、避難生活の厳しさと苦しさに引き裂かれていく福島出身者たち。

第二章 「仮設住宅」
 4畳半一間での独り暮らす孤独感と先が見えない不安。「避難解除」され「仮設」を出ても、大家族が共に暮らす元の生活に戻れない絶望感。

第三章 「悲憤」
 「補償」の負い目と“生きがい”の喪失。「帰村宣言」で補償を打ち切られた生活苦と先の見えない不安と病苦。“自死”の誘惑が脳裡を過ぎる。

第四章 「農業」
 「福島産だから」と避けられる農産物。福島を想いながらも他県産を求める自責と葛藤。農家は“農業と土地への深い愛着”と、経営破たんの危機の間で揺れ動く。

第五章 「学校」
 避難し各地に離散した教え子たちに手書きの「学年便り」を送り続けた教師。差別を恐れ「原発所在地」出身だと名乗れない子どもたち。

第六章 「抵抗」
 水俣病と同様に被害を隠蔽し矮小化する国家の体質。“尊厳”のために闘う沖縄に、福島の闘いを重ね合わせる反原発運動のリーダーの抵抗。

第七章 「喪失」
 「帰還困難区域」となった飯舘村・長泥で、家と農地、石材工場を失った住民。追い打ちをかけるように、将来に絶望した跡取り息子を失う。原発事故で「人生を狂わされた」被災者の慟哭。

最終章 「故郷」
 「住民の一人ひとりの半生を全てを知る」故郷。「汚染されても美しい」故郷。原発事故が福島人に突き付けた“故郷”の意味。

 どのインタビューでも胸に突き刺さるような言葉が紡ぎ出されていますが、断腸の思いで二人だけ紹介します。
佐久間いく子さん
Q.生きていてもしようがないと思うことある?
うん。何回も思っている。ああ、今日逝くのかなあって。思う、思う。透析やっていると血圧が下がる。すると「ああ、もう、逝っていいや」って。
Q.どうしようもない気持ちに時々なるんだ?
時々じゃない。毎日ぐらい(笑い)。いい時なんて、ちっともない。
Q.何もかも失ったという気がする?
手足もぎとられたって感じかなあ。目に見えるものなら、掃いて集めて捨てるってこともあるけど、目に見えないものだから、これには困っちまうなあ。なんて言ったらいいのかなあ。どこさ、言っていいのかわからない。
Q.帰って生活もできない、コメも作れない。それで帰れって、補償を切る
死ねって言うみたい。
Q.そう聞こえるんだ?
うん。おめえら死んでもいいという感じだな。そうでしょ?

村田弘さん
 一言でいうと、(日本社会は)変わっていないと思います。国家が民衆に対応するときの姿勢は、基本的にまったく変わっていない。そのことが全く変わらず、また繰り返されようとしている結論に近いものを持っています。
 僕が駆け出し記者の頃、昭和42、43年ごろですが、朝日新聞・熊本支局にいました。当時、公害基本法などができて、「水俣の見直し」があった頃で、その取材をしていました。あそこで見たことも同じなんですよ。普通の人に被害が及ぶと、まずそれを隠す。(国は)チッソが水銀を放出していたことは最初、隠していた。それが隠しようがなくなると、それをごまかそうとする。それには学者も絡みます。それもごまかしきれなくなると、今度は範囲を狭める、矮小化する。被害を否定できなくなると、範囲を狭めるんです。それで矮小を認めて、問題を終りにしようとする。
 生活苦、病苦、孤独、先行きへの不安、軋轢、悔しさ、差別、絶望、分断、いじめ、希望、怒り。さまざまな語り口と表情で語られる福島の現状には、言葉もありません。東京オリンピックや新元号で浮かれている場合ではないでしょう。あらためて、この原発事故が多くの人びとの人生や暮らしを破壊し、美しく懐かしい故郷を破滅させたという事実に立ち竦む思いです。そして原子力マフィアや、この差別のシステムを駆動させている方々に対する瞋恚の焔が燃え上がります。J・M・クッツェーの卓抜な表現を借りると、彼ら/彼女らを「なろうことなら、ガラスをぶち破り、手を中まで伸ばしてやつをそのぎざぎざの破れ目から引きずり出し、やつの肉が尖ったガラスの先にひっかかってずたずたに切れるのも構わず、地べたに放り投げて外形もわからぬまでに蹴飛ばしてやりたいという衝動に駆られ」ます。(『夷狄を待ちながら』p.323 集英社文庫)

 そしてインタビュイーにこうした深く重い言葉を語らせた土井監督の手腕には敬意を表します。その背景について、プログラムに監督の言葉が載っていました。
 しかしそれまでのインタビュー映像を粗編集してつないでみると、自分の胸にストンと落ちる記録映像ではなかった。“胸に染み入る深さ”がないのである。
 原発事故後に自分や家族に起こった事象、今に至るまでの生活環境の変化、その中で抱え込んだ「問題」はある程度表現されてはいるが、語る人の内面、“深い心の傷”“痛み”が十分に引き出せてはいなかった。つまり「問題」は描けていても、その中で呻吟する“人間”が描き切れていなかったのである。
 そんな時、1冊の本に出会った。2015年度のノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチ著『チェルノブイリの祈り』である。
 この本は、事故から10年後に発表された事故被害者たちの証言集だ。そこにはアレクシエービッチ自身の解説はない。ひたすら被害者たちの生々しい語りが続く。しかもそれは単なる「事実の羅列」ではない。その言葉が、読む私の心に深く染み入るのだ。「被害者の証言」だけの作品なのに、なぜこれほどまでに私は衝撃を受けたのか。なぜこれほど読む者の心を揺さぶる語りを聞き出せたのか。どうすれば「事故の緊急リポートにすぎず、本質はすっぽり抜け落ちてしま」(アレクシエービッチ)わないドキュメントが生み出せるのか。私の“フクシマ”取材の行き詰まりを抜け出すヒントがここにあるような気がした。
 どんな過酷な事象や体験をも、「尊厳ある伝え方」で伝えていく。単に目の前に現れる、また語られる現象や事実を、ただ表象をなぞるのではなく、その本質と尊厳を見出す目。私が“フクシマ”取材に行き詰っていた原因はその欠落にあるのだろうか。それ以前に私は、“フクシマ”を伝えるためにこれまでに一体どれほどの「心のたたかい」をしてきただろうか。
 それでも私は、ここでおずおずと引き下がりたくはないと思った。「自分にはできない」と投げ出すことは、「心のたたかい」を放棄し自身の尊厳を放棄することに等しいことだからだ。
備わった資質もない私でも、“伝え手”としてできることがあるはずだ。「一人ひとりの人間が消えてしまったように」されていく国内の現状の中で、「個々の人間の記憶を残すこと」はこんな私でもいくらかはできるはずだ。
 アレクシエービッチにはなれなくても、『チェルノブイリの祈り』ほどの記録は残せなくても、私なりに「“フクシマ”の記憶と記録を残す」ことはできるはずだ。「福島は語る」はそういう試行錯誤と暗中模索の中で、かたちとなった作品である。
 そうか、スベトラーナ・アレクシエービッチに触発されたのか。私も、彼女の著作は『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)、『ボタン穴から見た戦争』(岩波現代文庫)、『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)を読んだので、土井監督の想いがよくわかります。本質を見極める明晰な頭脳と、人間の尊厳に敬意を払う温かい心。

 福島を、そして沖縄を忘れることは、犠牲となった方々を抹殺することです。そしていつか自分も抹殺されることです。いや、もうすでに抹殺されつつあるのに、気づかないだけなのかもしれません。誰かを犠牲にして維持されるこのおぞましいシステムを止めましょう。できるのか? できます。このシステムは、私たちの知的および倫理的怠惰を燃料としているのですから。福島の悲劇を忘れてオリンピックや新元号に現を抜かす私たちの倫理的怠惰に、強烈な喝を入れてくれる必見の映画でした。お薦めです。

 追記です。『チェルノブイリの祈り』でドッグ・イヤーを折ったところを読み返すと、福島との共通点が多いことにあらためて気づきます。
セルゲイ・ワシーリエビッチ・ソボリョフ
 国は詐欺師ですよ、この人たちをみすててしまった。(p.146)

ゾーヤ・ダニーロブナ・ブルーク
 私はすぐには分からなかった。何年かたって分かったんです。犯罪や、陰謀に手を貸していたのは渡したち全員なのだということが。(沈黙) (p.189)

 人間は、私が思っていた以上に悪者だったんです。(p.189)

 ひとりひとりが自分を正当化し、なにかしらいいわけを思いつく。私も経験しました。そもそも、私はわかったんです。実生活のなかで、恐ろしいことは静かにさりげなく起きるということが。(p.190)

ビクトル・ラトゥン
 わが国の政治家は命の価値を考える頭がないが、国民もそうなんです。(p.214)

ワシーリイ・ボリソビッチ・ネステレンコ
 私は人文学者ではない。物理学者です。ですから事実をお話ししたい。事実のみです。チェルノブイリの責任はいつか必ず問われることになるでしょう。1937年〔スターリンによる大粛清〕の責任が問われたように、そういう時代がきますよ。五〇年たっていようが、連中が年老いていようが、死んでいようが、彼らは犯罪者なんです! (沈黙) 事実を残さなくてはならない。事実が必要になるのです。(p.237)

ナターリヤ・アルセーニエブナ・ロスロワ
 でも、これもやはり一種の無知なんです。自分の身に危険を感じないということは。私たちはいつも〈われわれ〉といい〈私〉とはいわなかった。〈われわれはソビエト的ヒロイズムを示そう〉、〈われわれはソビエト人の性格を示そう〉。全世界に! でも、これは〈私〉よ! 〈私〉は死にたくない。〈私〉はこわい。チェルノブイリのあと、私たちは〈私〉を語ることを学びはじめたのです、自然に。(p.253)

# by sabasaba13 | 2019-05-08 06:25 | 映画 | Comments(0)

へそまがり日本美術

c0051620_11581565.jpg 府中市美術館が気になります。『ノーマン・ロックウェル展』や『歌川国芳展』といった正統的な企画はもちろん、『立石鐵臣展』や『長谷川利行展』といった通好みの企画や、『石子順造的世界』といった意表を突く企画など、小さいながらも端倪すべからざる美術館です。
 またアプローチもよろしい。武蔵野の面影を残す府中の森公園を気持ちよく散策しながら辿り着けます。戦争遺跡フリークの方は、近くにある巨大なパラボラ・アンテナ(在日米軍旧府中通信施設)もお見逃しなく。
 今回の展示は「春の江戸絵画まつり」と称して、『へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで』というものです。…………………………なんじゃそりゃ! 公式サイトより、紹介文を引用します。
 人は、見事な美しさや完璧な美しさに、大きな感動を覚えます。しかしその一方で、きれいとは言いがたいもの、不格好で不完全なものに心惹かれることもあるでしょう。「へそまがりの心の働き」とでも言ったらよいでしょうか。
 例えば、禅画に描かれた寒山拾得の二人は、不可解さで見る者を引きつけます。また、江戸時代の文人画には、思わず「ヘタウマ?」と言いたくなるような作品があります。文人画の世界では、あえて朴訥に描くことで、汚れのない無垢な心を表現できると考えられていたのです。
 あるいは、徳川家光が描いた《兎図》はどうでしょうか。将軍や殿様が描いた絵には、ときおり見た人が「???」となるような、何と言い表せばよいか困ってしまうような「立派な」作品があります。描き手が超越した存在であることと、関係があるのかもしれません。更に近代にも、子供が描いた絵を手本にして「素朴」にのめり込む画家たちがいました。
 この展覧会では、 中世の禅画から現代のヘタウマまで、 日本の美術史に点在する「へそまがりの心の働き」の成果をご覧いただきます。へそまがりの感性が生んだ、輝かしくも悩ましい作品の数々を眺めれば、日本美術のもう一つの何かが見えてくるかもしれません。

 日本初!「へそまがり」で美術史を俯瞰する展覧会。中世の水墨画から現代のヘタウマ漫画まで、日本人の「へそまがりな感性」が生んだ絵画の数々を展望する初めての展覧会です。

 破壊力のある作品が勢ぞろい! 「おかしい」「ユルい」「へんてこ」「苦い」「かわいい」など、従来の"美術鑑賞用語"からはかけ離れた言葉で形容されるような、けれども、強烈なインパクトのある作品が揃います。
 うわお、ウィントン・ケリー(p)+ポール・チェンバース(d)+ジミー・コブ(ds)トリオの演奏のような、ドライブ感にあふれたノリノリの文章ですね。"破壊力のある作品"など、まともな学芸員なら顔をしかめるような表現を使うなど、なにかやらかしてくれそうな予感がします。これはぜひ見に行きましょう。山ノ神を誘ったのですが野暮用があるため、独りで府中市美術館へ行ってまいりました。
 いやあ、ほんとうに面白かった。美術館で笑うなんて稀有な体験です。禅画、俳画、南画、近代絵画から、目が点になるような突拍子もない絵が精選されており、会場のあちらこちらで笑いの静かな漣がわいていました。伊藤若冲長沢芦雪といった大物から、名も知らぬ禅僧や絵師、さらには幕府将軍や夏目漱石まで、よくぞまあとんでもない絵を集めたものです。学芸員および関係者諸氏の天馬の如き企画力、そして眼力と知識と遊び心に、深甚なる敬意を表します。
 あまりにも楽しかったので目録も購入しましたが、こちらも秀逸。それぞれの絵に一言が添えられているのですが、これがコメントというよりもツッコミです。例えば惟精宗磬(いせいそうけい)の「断臂(だんぴ)図」。雪舟の絵で有名ですが、禅宗の祖・達磨が少林寺において面壁座禅中、慧可という僧が彼に参禅を請うたが許されず、自ら左腕を切り落として決意のほどを示して入門を許されたという有名な禅機の一場面です。そのコメント(ツッコミ)が"目と鼻はただの黒丸"。右手で刃物を持ち、いままさに左腕を切り落とそうという緊迫した場面なのですが、泣きそうな慧可の目と鼻の穴はたしかに黒い丸。そこまでハッキリ言うか、とこっちもツッコミを入れたくなります。
 というわけで、ヘタヘタと座り込みたくなるような絵を、ツッコミとともにいくつか紹介します。
"白隠を超える唐突さ" 春叢紹珠(しゅんそうそうじゅ) 「皿回し布袋図」
 額に細長い棒を乗せ、手放しで皿を回す布袋さま。「何のために???」という疑問は、袋の上に乗って楽しそうに皿を回す布袋さまの温和な表情を見ていると吹っ飛んでしまいます。くるくるくるくる…

"次の寅年にはこんな年賀状を出してみたい" 風外本高(ふうがいほんこう) 「新春賀偈」
 脱力感と破壊力という点では、本展で一、二を争う怪作です。禅の世界での新春の祝辞です が、添えられた虎が…いや、これは断じて虎ではない。猫でも熊でも犬でもない、わけのわからない動物がわけのわからないポーズで佇んでいます。でも見ていると肩の力が抜け、♪今日がだめなら明日があるさ♪と、ドン・ガバチョのように歌いたくなってきます。

"鬼はリラックスしているようにしか見えない" 風外本高 「涅槃図」
 釈迦の臨終を動物たちが嘆き悲しむ場面ですが、その描写の雑なこと雑なこと。ここまで適当に描かれると、不思議なもので抱きしめたくなってきます。金棒をわきにおいて寛いでいる鬼よ、少しは悲しいふりをしなさい。

"激しい動き、果てしない脱力感" 仙厓義梵(せんがいぎぼん) 「布袋図」
 くねくねと踊っているようにしか見えない布袋さま、いいですね。程よく力も抜けてノリノリです。なお仙厓には「目をおせば二つでてくる秋の月」という、卓袱台をひっくり返したくなるような禅画もあります。

"いくら仏の国でもあまり足を踏み入れたくない" 冨田渓仙 「石峰寺
 石峰寺は、京都伏見にある黄檗宗の寺で、伊藤若冲が庵を結び、石造の羅漢像を境内に安置したことで知られます…が、ここで描かれているのは幽鬼の如く不気味にゆらめく羅漢たち。たしかに足を踏み入れたくない。

"一度会ったら忘れられない河童" 小川芋銭 「河童百図〉幻」
 怖い… できればお会いしたくないものです。

"胴と手足を別々に作って縫い合わせた人形のよう" 三岸好太郎 「友人ノ肖像」
 まるで糸を切られて椅子に置かれたパペットのようです。友人は怒らなかったのな。なお彼の奥さんである三岸節子も画家で、彼の奔放な女性関係に苦しめられてどん底の生活を送り、彼が31歳で死んだ時に「ああ、これで私が生きていかれる」と思ったという凄絶なエピソードもあります。

"上様はどこまで本気なのか" 徳川家光 「鳳凰図」  徳川家綱 「鶏図」
 ここまでヘタだと、爽快感さえ覚えます。拝領した家臣は、どう褒めるか困っただろうなあ。もしかしたら、その困った顔を見たくてわざと下手に描いたのかもしれません。

"スナフキンではありません" 村山槐多 「スキと人」
 そう言われると、スナフキンにしか見えなくなってしまいました。余談ですが、彼がギターをかきならして歌う「おさびし山のテーマ」が大好きでした。

"笑顔とはこんなに嫌なものだったろうか?" 岸駒(がんく) 「寒山拾得図」
 ここまで人を不愉快にさせる笑顔を描いた絵師の力量には脱帽です。チコちゃんだったら、「ニヤニヤ笑ってるんじゃねえよ」と激怒するでしょうね。

"シビれるような強面の雄鶏" 長沢蘆雪 「鶏図」
 さすがは蘆雪、つがいの鶏をリアルに描写していますが、鑑賞者に「ガンつけてるんじゃねえよ」と睨みつける雄鶏の強面が尋常ではありません。ゆらめくような影も不気味ですね。道端でこんな鶏に出くわしたら、一目散に逃げましょう。

"部屋中をやるせないムードで満たす掛軸" 長沢蘆雪 「老子図」
 落胆した老子が牛の背に乗って他国へ去る場面だそうです。虚空をさまよう視線、感情を読み取れない無表情、この掛軸を飾ったら部屋中がブルーに入ってしまいそう。

"ゆるさの限界点に挑む画家" 中村芳中 「鬼の念仏図」
 大津絵の題材である「鬼の念仏」を描いた絵ですが、そのスライムの如きゆるさ加減が凄い。爽快な脱力感を心行くまで味わえる珠玉の一枚です。
 というわけで、こんなに面白い展覧会にはそうそうお目にかかれるものではありません。一緒に行けなかった山ノ神も、目録を見ながらクスクス笑い「落ち込んだ時にまた見よう」とご満悦の模様でした。5月12日(日)まで開催されていますので、思う存分脱力したい方、ぜひ府中市美術館へ。
# by sabasaba13 | 2019-05-07 06:24 | 美術 | Comments(0)

『記者たち』

c0051620_2284782.jpg 『記者たち 衝撃と畏怖の真実』という映画が面白そうです。「スタンド・バイ・ミー」の名匠ロブ・ライナーが、イラク戦争の大義名分となった大量破壊兵器の存在に疑問を持ち、真実を追い続けた記者たちの奮闘を描いた実録ドラマだそうです。これはぜひ見に行かなくては。山ノ神も快諾、二人で日比谷にあるTOHOシネマズシャンテに行って見てきました。
 まずは公式サイトからあらすじを引用します。
 2002年、ジョージ・W・ブッシュ大統領は「大量破壊兵器保持」を理由に、イラク侵攻に踏み切ろうとしていた。新聞社ナイト・リッダーのワシントン支局長ジョン・ウォルコット(ロブ・ライナー)は部下のジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)、ウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)、そして元従軍記者でジャーナリストのジョー・ギャロウェイ(トミー・リー・ジョーンズ)に取材を指示、しかし破壊兵器の証拠は見つからず、やがて政府の捏造、情報操作である事を突き止めた。真実を伝えるために批判記事を世に送り出していく4人だが、NYタイムズ、ワシントン・ポストなどの大手新聞社は政府の方針を追認、ナイト・リッダーはかつてないほど愛国心が高まった世間の潮流の中で孤立していく。それでも記者たちは大義なき戦争を止めようと、米兵、イラク市民、家族や恋人の命を危険にさらす政府の嘘を暴こうと奮闘する…
 煮えたぎるような熱いジャーナリスト魂を小気味よく描いた秀作です。この当時、真実を報道しようとしたメディアがいかに孤立していたか、痛いほどわかりました。ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった大手新聞をはじめ、アメリカ中の記者たちが大統領の発言を信じて誤った報道を続けていたのですね。「ペンタゴン・ペーパーズ」を暴いたワシントン・ポストよ、お前もか。そして傘下の新聞社からは記事の掲載を拒絶され、オフィスには匿名の脅迫メールが届き、身内からも裏切り者呼ばわりされる。
 しかし彼らは家族や恋人に支えられながら、真実の報道を追い求めます。余談ですが、ジョナサンの妻ヴラトカを演じたミラ・ジョヴォビッチに惚れました。旧ユーゴ出身という設定で、国家権力の恐ろしさを骨の髄まで知っている彼女は、「なぜ盗聴に気をつけないの」と旦那を叱責します。それはさておき、取材の方法も実話に基づいた興味深いものでした。政府高官の話はプロパガンダであることが見え見えなので、現場で働く下級のスタッフに小まめに電話をかけて取材をくりかえします。こうした地道な努力が真実へと至る道なのですね。
 そしてこの映画の主役は、何といってもロブ・ライナー監督が自ら演じる支局長ジョン・ウォルコットです。部下たちを厳しく、時には優しく叱咤激励しながら、民主主義のために政府の嘘を暴き真実を伝えようとする彼の姿には感銘を覚えました。彼の言です。
 他メディアが揃って政府の速記者になりたがるなら、勝手にやらせろ。

 政府が何か言ったら、記者として必ずこう問え。“それは本当か”

 私たちは子どもを戦争に送る人たちのために報道しているのではない。子どもを戦争に送られてしまう人たちのために報道しているんだ。
 最後の科白と共鳴するかのように、愛国心に駆られてイラク戦争に志願し、負傷によって下半身不随となって黒人青年のことがサイドストーリーとして描かれているのも見事です。

 それにしても十数年前に起きた国家権力による犯罪を、映画にしてしまうアメリカ社会の底力には頭が下がります。また国家権力と闘い真実を報道しようとするジャーナリストを描いた映画がつくられていることもお手本にしたいところです。『大統領の陰謀』しかり、『ペンタゴン・ペーパーズ』しかり。そういえば韓国でも、『共犯者たち』や『スパイネーション/自白』など、国家権力と闘うジャーナリストを描いた秀作がつくられています。なぜ日本ではこうした映画がつくられないのでしょうか。ま、“政府の速記者”を描いても面白い映画にはならないでしょうが。頑張れ、日本のジャーナリスト。

 追記です。『週刊金曜日』(№1222 19.3.1)にこういう記事が掲載されていました。
WIMNが政府に抗議声明 望月衣塑子記者にエール 宮本有紀

 安倍政権が、官房長官会見における『東京新聞』の「特定の記者」(望月衣塑子氏を指す)の質問内容を「事実誤認」とし、質問妨害などした行為について、「メディアで働く女性ネットワーク(WiMN)」が2月25日、「安倍政権による記者の弾圧・排除やこれらを正当化する閣議決定に抗議する」声明を発表した。
 声明は「『特定の記者』は約1年半、質問する順番を後回しにされ、質問中のは数秒おきに何度も『簡潔にお願いします』などと言われて制止され、妨害」されたこと、政府側が「質問が『事実誤認』『度重なる問題行為』であるとする『問題意識の共有をお願い申し上げる』との『申し入れ』を内閣記者会の掲示板に貼り出す」などしたことを「特定の記者をつるしあげ、その排除に記者クラブを加担させようとしているよう」と批判。「政府によるジャーナリストへの弾圧、言論統制そのものであり『特定の記者』を超えて、ジャーナリスト一人一人に向けられた『刃』」であると指摘し、「安倍政権は(略)直ちに記者に対する弾圧・排除をやめ、記者会見を正常化することを強く求め」ている。
 財務事務次官によるテレビ朝日記者へのハラスメントをきっかけに昨年結成されたWiMNには現在45社123人が参加。望月氏も会員だ(公表済)。代表世話人の林美子氏は「ジャーナリズムに携わる集団として、今回の事態に強い危機感を持っている。取材先や組織内でのセクシャル・ハラスメントや女性蔑視により、女性記者が仕事をしにくくなる状況と通底するものを感じる。この事態を見過ごせば、私たちの仕事の基盤が根底から揺らぐ」と話す。そして「ターゲットとされた望月記者を心から応援したい。一人ひとりの記者がその能力を十全に発揮できることが、日本の民主主義にとって不可欠だ」と強調した。(p.9)
 こうした事実や動きを知り、ジャーナリストを応援することが、政府の嘘を暴き、民主主義を守ることにつながるのだと思います。頑張れ望月記者、そしてWiMN。
# by sabasaba13 | 2019-05-06 07:23 | 映画 | Comments(0)