『自衛隊も米軍も、日本にはいらない!』

『自衛隊も米軍も、日本にはいらない!』_c0051620_22155209.jpg トルコとシリアで発生した大地震、そのとてつもない被害に衝撃を受けました。一人でも多くの方が救われるよう、心から祈っております。日本政府も早速救助チームを派遣したと『日本経済新聞』のニュースで知りました。余震が続き予断を許さない状況でしょうが、ぜひご無事で。そして一人でも多くの人の命を救ってあげてください。よろしくお願いします。

 政府は6日、トルコ南部を震源とする地震を受け、行方不明者の捜索、救助を実施する国際緊急援助隊・救助チームの派遣を決めた。国際消防救助隊や海上保安庁職員ら75人規模。先発隊計18人は6日深夜、現地に向け羽田空港を出発した。

 そしてつくづく思うのは、自衛隊を全面的に改組して国際救助隊「雷鳥」とし、国内や海外で起きた自然災害による被災者救助に即応してほしいということです。以前に拙ブログにも書きましたが、これには多くの利点があります。まず当然ですが、他国による侵略よりもはるかに発生する確率が高い自然災害への対策を最重要視することによって、日本に居住している多くの人びとの生命と財産を守ることができます。
 さらに海外での救助活動によって世界中の国から掛け値なし/無条件の賞賛と敬意を得ることができます。救助隊員として働くことにやりがいも生まれ、誇りと自信をもって任務に励めるでしょう。隊内における自殺やノイローゼや非公式のいじめ/いやがらせ、セクハラ・パワハラも劇的に減ると思います。
 三つ目。その任務の中に、国家テロによる被害の救助を含めれば、劣化ウラン弾やクラスター爆弾、対人地雷、無差別爆撃・攻撃など最悪の犯罪行為の実態を世界に伝達することができます。テロリズムの温床の大きな部分がここにあるとすれば、その救済・広報活動によって、日本がテロにみまわれる蓋然性はおそらくきわめて低くなります。国家テロと対抗テロをともになくす上で、重要な一助になりえます。
 また、戦争や紛争を起こす大きな原因の一つが軍需企業の存在ですが、その糧秣を絶つことができます。その息の根を止めてぜひとも最新技術を駆使して人命救助機器を開発・販売する企業へと転身していただきましょう。

 しかし我ながら悲しいほどに、具体性に欠けるプランでした。ところが、この骨格に具体性のある肉付けをして、さらに「防災平和省」を新設し、日米相互協力及び安全保障条約を廃棄してアメリカ軍に日本から退去していただくという大胆な提言をされた『自衛隊も米軍も、日本にはいらない! 「災害救助即応隊」構想で日本を真の平和国家に』(花岡しげる 花伝社)という本に出合えました。表紙はちゃらいですが、気にしない。真の安全保障について熱く真摯に考察する素晴らしい本です。その骨子をいくつか引用しましょう。

 本章では9条改憲が不要であることを述べるとともに、災害大国日本の防災、減災、災害救助・復興に関連する災害対応のための新しい組織創設についての具体案を示します。それこそが、25万人の自衛隊員とそのご家族が国民から等しくその存在と任務を尊敬される「災害救助即応隊」通称ジャイロ(Japan International Rescue Organization)構想です。(p.45)
 これらの災害の際、住民の命を自助努力や共助だけで守れというのは、納税者である国民としては到底納得できるものではありません。消火活動、警察活動には専門官庁が存在し専門実動部隊が対応するのに、火事や犯罪と同じくらい頻発している自然災害に対しては対応する専門官庁も専門実働部隊も存在しない状態で、果たして良いと言えるでしょうか。(p.53)
 安倍~菅自公政権は、憲法に緊急事態条項を書き加え、内閣が主導して危機管理に当たるなどと机上の空論で憲法改訂を進めようとしています。しかし、緊急事態法を作っても、また災害官庁をただ新設しても、配下に医療班も含めた実働部隊が存在しない限り、疫病蔓延時も含めて有事には住民隔離・治療や避難などの役には立ちません。
 現状のように各地の消防署、消防団、警察署、市町村役所、国土交通省、自衛隊の災害担当部署がそれぞれ別々に動いていくやり方では、迅速有効な救助活動はできません。こんな時、迅速果敢に救助活動を行う災害救助即応隊が出動してくれることで初めて、住民は安心感を持てるのです。普段から防災平和省に属する災害救助即応隊(ジャイロ)が全国市町村に常駐していて自治会や町内会などとの訓練を重ね、いざとなれば先頭に立って住民を安全な場所に誘導する体制の整備こそが解決策です。
ジャイロは100世帯に1人の割合で常駐し、地域ごとに避難の手順・避難場所を熟知しています。いつでも出動できる体制になっていますから、住民にとってこれほど安心なことはありません。(p.64~5)
 防災平和省としては現職の22万4000人の自衛隊員の現職全員を再雇用した上で、実働部隊としてさらに27万人ほどの追加採用が必要となるでしょう。新規隊員には駐屯地の地元の若者を優先的に採用し、不足の場合は採用地に何らかの縁のある地元以外の若者を採用します。災害救助即応隊(ジャイロ)の主要任務は住民の災害救助ですが、被災者の半数は女性です。新たに採用する要員の半数程度は女性被災者に配慮した救助・支援活動に対応できる女性隊員が望ましいでしょう。これは東日本大震災での女性被災者の切なる要望です。(p.68)
 駐屯地及び詰め所には、規模に応じて100~1000人規模の被災者を収容する避難所を併設ないし近接地に設置します。避難所としては、津波にも安全な海抜30メートル程度の高台に、耐震構造の風水害被害にも耐える頑丈な建築物を用意します。避難者のための駐車場も被災者2人に1台程度のスペースを確保する必要があるでしょう。お年寄りを住居から避難所に搬送するための輸送車も、それぞれの駐屯地及び詰め所に用意しておきます。もちろん運転するのはジャイロ隊員です。
 緊急避難の期間は災害の程度によると思いますが、1ヶ月程度は被災者が日常に近い生活を送れるような、プライバシーにも配慮した設備を整えておく必要があるでしょう。(p.69~70)

 自公政権は、まず自助、次に共助、そして気が向いたら公助ということでお茶を濁そうとしていますが、ルノアールのココアより甘いですね。東日本大震災から8年目の3・11を記念したテレビ番組で、避難者の先導を任されている住民が取材に答えて「自分たちがいくら訓練をしているといっても、いざという場合にこれら決められている行動を落ち着いて段取り通り行うのは困難です。やはり頼りになる専門家にやってもらわないと不安です」と言われたそうです(p.63)。やはり現地にしっかりと根付いた実働部隊が必要です。

 さらに元自衛隊員の雇用や、財源についても目配りをされています。

「自衛隊員の雇用はどうなるのか。また、抵抗も大きいのではないか」→現職自衛隊員は全員再雇用が約束され失業の心配はありません。その上、海外派遣といっても戦闘地域ではなく災害地への派遣であり、生命の危険ははるかに少ないことから、自衛隊員およびその家族からむしろ歓迎されるでしょう。新規採用についても、他の官庁の事務系職員に比べ現業として肉体的にハードな面はあるものの、安定した国家公務員採用ゆえ若者の人気は高いと思われます。
ちなみに現在、自衛隊希望者が減っており定員割れ状態が続いています。防衛大学卒業生でも、近年任官拒否する学生が増えています。これは安倍自公政権が強行採決した集団的自衛権に基づく紛争地への海外派兵の可能性が高まったことと無関係ではないでしょう。(p.75~6)
「財源はあるの?」→災害救助即応隊だけで新たに27万人規模の増員を行っても、必要な人件費などの予算は防衛省の本年度総予算5兆円の範囲に十分収まります。また、他省庁との組織併合部分の経費はそのまま旧省庁から予算ごと引き継がれるので措置済みと考えられます。組織の一部統合で業務の重複の見直しなどによる費用の削減も多少見込め、追加的予算措置は不要です。
最新の防衛予算5兆1900億円の内訳を見ても、人件費は総額の42%で、現在の約23万人体制でも人件費は2兆1800億円程度に過ぎません。残りはミサイル、戦闘機、艦艇などの武器(装備品)ないし基地対策費、在日米軍関連経費などの予算です。これらは今後不要となりますから、このうち多くの予算を新たに増員される災害救助即応隊員の人件費に回しても余裕があります。
ただし、米軍撤退により不要となる在日米軍経費については、もともと自衛隊絡みの予算ではないので、災害救助即応隊の経費ではなく教育や社会福祉関係の新たな財源に回せるでしょう。(p.77)

 そして本書の真骨頂は、こうした救助活動こそが、故安倍首相の言うところの似非「積極的平和主義」(戦争により平和を守る)ではなく、真のそれであるという点です。以下、引用します。

 国内の自然災害ばかりでなく海外の大規模自然災害にたいしても、「災害救助即応隊(ジャイロ)」は救助活動に駆け付けます。
 災害対策局で災害救助を主に担うジャイロは、日本国内の災害救助のみならず世界各地で発生する大規模自然災害にも、要請さえあれば原則として災害発生から72時間以内に駆け付けます。海外の災害にも日本の救助活動範囲を広げることは、日本の平和にそのままつながります。これこそが平和創造そして日本の安全保障に確実につながる鍵になるでしょう。新官庁「防災平和省」の名前は、災害救助を通じて日本の、そして世界の平和を実現する役割を果たす機能からこう命名しました。
 北東アジアや中近東など、世界には今さまざまな緊張関係が存在しています。そんな中で軍隊を持たない日本が無償で災害救助活動を行うのですから、被災した諸国は日本の救助・援助活動に感謝し高く評価すること間違いありません。この全世界の自然災害にたいする災害救助活動は、日本の安全保障を確かなものにします。これこそが積極的平和主義の実践活動ではありませんか。(p.54~5)
 災害救助や復興支援協力で人道的支援を受けて助けられた当事国が、日本に"恩を仇で返す"はずはありません。この積極的平和主義の名前に恥じない人道支援活動こそが、日本にとって最も有効な安全保障策になるのです。(p.74)
 外国か恨みを買うようなことをしない、つまり敵を作らないこと、さらには分け隔てなくすべての国に人道支援を行い諸外国に恩義を感じさせることこそが、日本を不当に侵攻させない最も確実な安全保障策なのです。(p.148)

 いかがでしょう。空想? 妄想? 理想論? 戯言? いやいや、実現させることは可能です。私たちが主権者なのですから。

# by sabasaba13 | 2023-02-09 06:11 | | Comments(0)

在日ブラジル人

 映画『ファミリア』のパンフレットを購入しましたが、在日ブラジル人について記した、「ともに生きていくために -移住者の背景-」という安田浩一氏による一文がたいへん参考になりましたので、長文ですがぜひ紹介します。

 そこは「小さなブラジル」と呼ばれている。
 豊田市(愛知県)の郊外に広がる保見団地。
 本作のロケ地として使われた場所だ。全住民(約8000人)の半数以上がブラジル人など日系南米人で占められる。(略)
 保見団地は1969年に当時の日本住宅公団(現在のUR都市機構)と愛知県によって共同開発された。入居が始まったのは75年である。丘陵地帯を削って開発された大型団地は、近隣の豊かな自然と、商店街や公共施設が充実した生活環境で評判を高め、一時は1万2千人もの住民を集めるまでになった。住民の多くは、地元の自動車メーカーやその関連産業で働く人々とその家族だった。
 ここに日系ブラジル人が暮らし始めるようになったのは、80年代後半からである。ブラジル国内では経済苦によって、海外に活路を求める人が続出した。同地の日系社会も例外ではない。サンパウロなどの日系人集住地域を中心に、日本へ「デカセギ」に向かう人が増えた。90年に入ると日本の入管法が改正され、3世までの日系人およびその配偶者の定住資格が認められるようになる。海外からの移民、難民には厳しく門戸を閉ざす日本が、日系ブラジル人の就労と定住を認めたのは、労働人口減少に対応するためである。移民受け入れのハードルを下げることなく労働力を確保する手段として、日系人限定という「ウラワザ」を駆使したのであった。これを契機に、ブラジルでは日系人による「デカセギブーム」が起こる。
 85年、日本におけるブラジル人の外国人登録者数は、わずか1千900人に過ぎなかったが、90年には5万6千人にまで増えた。そして今では20万人を超える日系ブラジル人が日本各地で生活している。
 なかでも保見団地は、「デカセギ」の最大級の受け皿として機能する大手自動車メーカーに近接していることから、通勤しやすさといった地の利の良さ、民間マンションと比較して安い家賃、そして外国人を排除しない公正な入居審査によって、多くのブラジル人を引き寄せた。(略)
 …最大の悩みは食べ物ではなく、日本人との距離感だった。
 「保見団地は年を追うごとにブラジル人が増えていった。しかしそれを日本人住民が歓迎していないことは明らかだった。こちらとしては日系人という意識があるから、日本人への親近感があったが、日本人からすれば私たちは異世界から来た"ガイジン"に過ぎない」
 なかでも子供たちへの影響は深刻だった。この男性の次男も、学校へなじむことができずに不登校となった。きっかけは差別である。
 小学校ではブラジル人の子供たちは常に「ガイジン」としてイジメの対象になってきた。「ブラジルに帰れ」。そうした罵倒を受けることは珍しくない。あるとき、次男の友人であるブラジル人が、日本人の同級生に殴られた。それをきっかけに次男は同級生と乱闘になる。後日、男性は次男と一緒に校長室へ呼び出された。次男だけが悪いのだと、親子で校長の説教を受けた。次男の反論を学校側は無視し、学校の生活に溶け込むことのできないブラジル人に非があるのだと強調した。
 男性は次男の言い分を信じていた。差別と偏見の視線は、自分自身だって感じている。
 だが-男性は抗議する次男の口を遮り、「ごめんなさい」と深々と頭を下げた。
 「そうするしかなかった。ここは日本で、私たちはガイジンだ。悪いのはブラジル人だと最初から決まっているのであれば、謝るしかない。流れに逆らえば、息子がさらに悪い状況に追いやられてしまう」
 日本で生きるというのは、そういうことなのだと自身を納得させた。だが、次男は納得しなかった。悪くもないのに頭を下げる父親を許せなかったのだろう。父子の間に距離が芽生え、そのうち学校にも行かなくなった。
 実は、こうした子供たちは今でも少なくはない。団地内では主流派となったブラジル人も、一歩団地の外に出ればマイノリティであることに変わりはない。差別があり、偏見があり、対立があり、そしてイジメもある。ドロップアウトしたブラジル人の子供たちのなかには、自らを守るため、抑圧から逃れるため、あるいは無為な時間を穴埋めするために、非行や犯罪に走る者もいた。日本最大のブラジル人コミュニティであり、「身近な異国」としてバラエティ番組でも取りあげられることの多い保見団地だが、ブラジル人の記憶に刻まれているのは対立の歴史なのだ。90年代末には、団地内のブラジル人少年グループと、地元右翼団体との間で抗争事件も起きている。また、97年には同じ県内の小牧市で、日系ブラジル人少年エルクラノ君が、日本人の少年グループから集団リンチを受け、死亡するといった事件も起きた。日本社会が抱える外国人差別は、労働力補充のニューカマーとその家族に、容赦なく襲いかかったのである。(略)
 それでも今、社会は少しずつ変わりつつある。前述した保見団地も、手探りではあるが、日本人とブラジル人の交流が進んでいる。日本に住む在日外国人は今や300万人。大阪市の人口を上回る規模だ。外国籍住民は、社会に不可欠な私たちの隣人なのだ。
 ともに生きる-それはどういうことなのか。なにが必要なのか。本作が描く世界から、きっとひとつの答えを見出すことができるであろう。(p.12~3)

 日本社会に伏流する「悪いのはガイジンだ」という流れ。在日外国人を対等な人間として認めず、その人権にも配慮せず、使い捨ての安価な労働力として酷使する、そこに問題があるように思えます。マックス・フリッシュに「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」という言葉がありますが、企業が欲しているのは、人間ではなく、人権に配慮する必要のない労働力なのでしょう。そしてこの考えは在日外国人だけでなく、女性にも、非正規社員にも適用されて、日本社会を蝕んでいます。
 なぜこんな酷い社会になってしまったのか。もちろん、さまざまな要因があるでしょうが、『下り坂のニッポンの幸福論』(内田樹・想田和弘 青幻舎)を読んでいたら、考えるヒントとなる一文に出会えました。内田樹氏の言です。

 資本家は労働者に対して「お前の替えなんかいくらでもいる」と屈辱感を与えて、自己肯定感を傷つけ、どんな劣悪な雇用条件でも「働かせてください」とすがりついてくる人間を創り出す。これは資本主義の「業」のようなものです。(p.128)

 屈辱感を与え、自己肯定感を傷つけることによって安価な労働力を創り出す。なるほど、学校教育もその片棒を担いているようです。そして自己肯定感を傷つけられた日本人は、そこから目を逸らすために、人間として扱われない存在を必要とする。「お前らガイジンは人間ではない、俺たち日本人は人間だ」と言わんばかりに。

 ではどうすればよいのか。長期的には、安い労働力が無ければ立ち行かない経済と社会のシステムを変えること。今すぐにでもできるのは、そうしたシステムの存在をきちんと認識したうえで、在日外国人を人間として認めることだと思います。
 パンフレットに、在日ブラジル人を演じた若者たちの座談会が掲載されておりますが、ルイを演じたシマダアラン氏が成島出監督のやり方について述べた感想が心に残りました。

 そうそう、自分たちを認めてもらえてると思うとすごく嬉しくて、もっとやる気になっちゃうんですよ(笑)。(p.18)

 ここから始めましょう。私たちは人間だ、君たちも人間だ、われわれを人間として扱わない奴らを相手に手を取り合って闘おう、と励まし合いながら。

# by sabasaba13 | 2023-02-08 06:16 | 鶏肋 | Comments(0)

鈴木優人のパルティータ

鈴木優人のパルティータ_c0051620_20142808.jpg 去年の5月、池袋の東京芸術劇場で2人の異なる個性を持つピアニストによるピアノ・デュオ・コンサート「VS」(山下洋輔×鈴木優人)を聴きました。お目当ては山下氏のピアノだったのですが、相対した鈴木氏のピアノも素晴らしい。プロフィールを紹介しましょう。

 東京藝術大学及び同大学院修了。オランダ・ハーグ王立音楽院修了。令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣新人賞、第18回齋藤秀雄メモリアル基金賞、第18回ホテルオークラ音楽賞受賞。バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)首席指揮者、読売日本交響楽団指揮者/クリエイティヴ・パートナー、アンサンブル・ジェネシス音楽監督。NHK交響楽団、読売日本交響楽団等と共演するほか、バロックオペラの制作、上演にも取り組む。NHK-FM「古楽の楽しみ」レギュラー出演。調布国際音楽祭エグゼクティブ・プロデューサー。九州大学客員教授。

 なおJ・S・バッハ演奏の第一人者、鈴木雅明氏のご子息であることを付言しておきましょう。
 機会があったらぜひ彼の独奏を聴いてみたいなと思っていたら、思いの外すぐに巡り合えました。トッパンホールジャンミッシェル・キム氏のコンサートに行った際に、鈴木優人氏のピアノ・リサイタルのチラシを発見。響きが素晴らしくこじんまりとして居心地のよいこのホールで、J.S.バッハの「パルティータ」全6曲を一夜で弾かれるそうな。やった。インターネットで即購入、先日、山ノ神とともに聴いてまいりました。

 まずはチラシの紹介文を引用します。

 指揮者、鍵盤楽器奏者のみならず、音楽祭のプロデューサー、さらには作曲家として、国内外のクラシック音楽シーンを縦横無尽に駆け巡る鈴木優人。本シリーズは、コロナ禍にもかかわらず益々多忙を極める鈴木に、彼の原点ともいえるJ.S.バッハにシリーズで集中的に取り組まないかと提案し、まずは3回の開催を目標にスタートした。
 第1回(2021年11月)は、バッハがケーテン時代に書いた《平均律クラヴィーア曲集》第1巻。シリーズの幕開けに相応しい、名曲にして高難度の、まさに真っ向勝負の選曲だった。美しく装飾が施されたチェンバロを前に、鈴木の指先から立体的に紡がれる24のプレリュードとフーガが、長引くコロナ禍で荒んだ私たちの心を整えると同時に、活力を与えてくれたことは記憶に新しい。
 第2回の今回は、《平均律》第1巻より後の、バッハがライプツィヒでカントルとして活躍していた時代に書いた《パルティータ》全6曲。1726~30年の間に順次出版され、1731年に全6曲がまとめて出版された。アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグという舞曲を基本としつつ、カプリッチョ、スケルツォ、パスピエなども挿入された自由度の高い組曲だ。同時期には《マタイ受難曲》や《マニフィカト》をはじめ、多くの教会カンタータを作曲するなど、バッハの充実した創作期に書かれた傑作集だが、録音こそ多いものの、ライブで取り上げられる機会は決して多くない。今回は6曲すべてを、一夜で、チェンバロで、トッパンホールで、そして鈴木優人のイマジネーション豊かな演奏で堪能できるという、最高の条件が揃った貴重な公演といえるだろう。
 「シリーズを通して、なぜチェンバロを弾くのか、なぜバッハを弾くのか、その意味を見つけることができたらいいなと思う」と語っていた鈴木。《平均律》第1巻を経て見えた"新たな地平"の先で、バッハの楽譜から何を読み取り、私たちに何を伝えてくれるのか。閃きとイマジネーションに彩られた《パルティータ》に乞うご期待!

 J.S.バッハが大好きと公言しているわりには、「パルティータ」という曲はグレン・グールドのCDで時々聴くのですが、その内容や形式についてはよく知りません。勉強不足ですね、●があったら入りたい。いただいたパンフレットに木村佐千子氏による詳細な解説があったので、私の文責で要約して紹介します。
まず「パルティータPartita」という語は、英語の「パートpart」と語源が同じで、「一式」「一組」といった意味をもちます。音楽では変奏曲を指すことも舞曲を連ねた組曲を指すこともありますが、バッハの「パルティータ」は後者の組曲にあたります。
 この曲が書かれたライプツィヒは出版業が盛んな都市で、書籍の見本市(メッセ)も開かれていました。ケーテンという小さな町から移ってきたバッハは、ここライプツィヒで自作の鍵盤楽曲の出版事業に挑戦したいと考えたのでしょう。
 バッハの頃の鍵盤組曲は、基本的に同じ調の「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」「ジグ」という4つの舞曲を中核楽章(必須舞曲)として綴られ、はじめに前奏曲、途中にほかの舞曲や舞曲以外の楽章(挿入楽章)が加えられることもありました。
 バッハが「パルティータ」で最も重視したのは、形式や様式の多様性を示すことだったというのが研究者の一致した見解です。たとえば開始楽章はふつう「前奏曲」なのですが、「パルティータ」では、第1番から順に「プレルーディウム(前奏曲)」「シンフォニア」「ファンタジア」「ウーヴェルテュール(序曲)」「プレアンブルム」「トッカータ」と、すべて異なっています。また必須舞曲のほかに加えられている楽章も様々で、たとえば第3番には「スケルツォ」という新しい種類の楽章も加えられています。
 そうした多様な楽章を組み入れ変化に富むものとすることで、バッハは組曲作曲の集大成と目指したのかもしれません。出版への意気込みが感じられます。
 なお同プログラムの鈴木優人氏の解説によると、バッハが「パルティータ第1番」を印刷したのが1726年、41歳の時です。Aを1、Bを2、と数えていったとき、Jをラテン語のようにIと数えると、J+S+B+A+C+H=41になります。(いま数えたら42でしたが…) 「パルティータ」を構成する舞曲の数も41。鈴木氏も41歳。なにか因縁のようなものを感じますね。

 地下鉄有楽町線の江戸川橋駅から徒歩10分ほどでトッパンホールに到着。なおチケットは完売でした。こじんまりとしたアット・ホームな雰囲気のホールに入ると、ステージ上には装飾が施された見事なチェンバロが置かれていました。プログラムによると、ヴィレム・クルスベルヘン製作(ユトレヒト、1987年)によるフレンチ・タイプの楽器だそうです。
 そして鈴木優人氏と譜めくりの女性が登場。ホールの照明が落とされ、いよいよ演奏の開始です。まず前半は以下の三曲。

 第1番 変ロ長調 BWV825
 第2番 ハ短調 BWV826
 第3番 イ短調 BWV827

 最初の数小節を聴いただけで、バッハの音楽に優しく温かくつつまれ、身も心もとろけるよう。さまざまな踊りの音楽にたゆたう、夢のような時間が過ぎていきます。(あまりの心地良さにちょっと寝落ちも) 響きも良いし、ステージとの距離が近く、奏者と聴衆の一体感が醸し出されます。ただ事前学習した、多様な開始楽章には意識を集中しました。なるほど、鈴木氏の表現を借りれば、柔らかく慈愛に満ちた第1番の「プレルーディウム(前奏曲)」、受難曲のような第2番の「シンフォニア」、メランコリーのもつれあう第3番の「ファンタジア」、天衣無縫なバッハの音楽にただ首を垂れるのみ。
 そうそう第2番は、先日小林愛実氏のピアノで拝聴しましたが、とても同じ曲だとは思えません。ピアノの特徴を生かしたダイナミックなバッハと、チェンバロらしい端正なバッハ、ともに捨て難いですね。

 そして二十分間の休憩。調律師の方が舞台に現れてチェンバロの調律を始めたのには驚きました。ほんとうに繊細な楽器なのですね。
 後半は下記の三曲です。

 第4番 ニ長調 BWV828
 第5番 ト長調 BWV829
 第6番 ホ短調 BWV830

 鈴木氏の言を借りれば、それぞれの開始楽章は、豪華絢爛たる第4番の「ウーヴェルテュール(序曲)」、遊び心に満ちた第5番の「プレアンブルム」、壮大な第6番の「トッカータ」です。後半もさまざまな表情と曲想の舞曲に酔いしれました。氏の演奏も、正確無比なテクニックと乗り乗りのドライブ感、適確なフレージングで、バッハの宇宙を十全に表現していました。
 なお第5番が終わったあと、再び調律師の方が登場し何やらチェンバロをいじっています。最後に鈴木氏が説明してくれたのですが、弦をはじく爪が折れてしまったそうです。ほんとうに繊細な楽器なのですね。

 パルティータ全6曲を一夜で弾くという力技の後ですが、アンコールに平均律クラヴィーア曲集第2巻の第12番前奏曲を弾いてくれました。心やすまる静穏な曲とともに、充実した今宵の幕引きとなりました。
 なお来年もここトッパンホールで平均律クラヴィーア曲集第2巻の全曲演奏会を行なわれるそうです。ぜひとも聴きに来ましょう。それはそうと、バッハ弾きとして忘れられない武久源造氏が最近演奏会を開いていないので気懸りです。鈴木氏の奏でる端正で美しいバッハもいいのですが、武久氏の弾く自由奔放・天衣無縫なバッハにも心惹かれます。

 トッパンホールの公式サイトに鈴木優人氏へのインタビューが載っており、ピアノとチェンバロの違いについて興味深い話をされていたので紹介します。

 ピアノは打鍵によって一音一音、音量の違いがつくれるので、ある声部を際立たせたり、沈ませたりということができますが、そこが逆に障害になるんです。チェンバロはそれができないので、必然的に全部の声部を平等に歌うことになる。すべてをくっきりアーティキュレーションすればするほど、フーガとして立体的になっていきます。

 他にもバッハの魅力と、氏が選ぶ『バッハの五大名作選』についても語られています。

 いわゆる"艶やか"みたいな魅力があるのかはわかりませんが、バッハはものすごく気配りの人だったと思います。たとえば、フーガ。演奏に携わる全員が心地よくかつ音楽の仕組みに等しく貢献できるように書かれています。ヘンデルのように、いつの間にかソプラノとバスしか格好良くない、みたいなことにはならないのが魅力ですね。みんなが等しく活躍する調和とでも言いましょうか。一瞬にして虜にするような魅力とは違いますが、人間や社会が神のもとに営んでいくべき理想的な構造を、音楽によって示しているところがすごいと思います。受難曲やカンタータのほうが、レチタティーヴォやアリアがあってキャッチーですが、そういうものを一切省いて、平均律は序曲とフーガだけという。プレゼンテーションとしては、めちゃくちゃストイックだと思います。みんなが活躍できる構造と調和を保っているところは、いまの日本に必要なものという気がしますね。
 えー! 難しいな、そうですね…、一番は、「カンタータ第127番 ソプラノのアリア」。冒頭の部分だけで泣けてくるほど、最高の名曲です。歌うのは死ぬほど難しいと思いますが。次は「イギリス組曲第2番 イ短調〈サラバンド〉」。こちらものっけから泣けますね。3曲目は「Aus Liebe(マタイ受難曲 BWV244より)」。ゆっくりな曲ばかりだから4曲目は「ヨハネ受難曲第24番 アリア」。最後は営業目的で(笑)、「平均律第1巻 第24番 ロ短調(h-Moll)」。Dur(長調)の曲がひとつもなかったな。

 "みんなが活躍できる構造と調和"か…ほんとうに良い言葉ですね。差別と分断を党是とする自由民主党の皆々様に、熨斗をつけてクール宅急便で贈呈したいものです。

 追記です。プラグラムと一緒に鈴木優人氏の写真が載ったポストカードをいただきました。後でよく見ると、なんとブルーノート東京に出演してアストル・ピアソラを演奏するそうです。時は2月15日(水)、さっそく席をおさえました。これは楽しみですね。

# by sabasaba13 | 2023-02-07 06:02 | 音楽 | Comments(0)

五山送り火編(4):「ポット」(17.8)

 さて時刻は午後一時ちょっと過ぎ、さすがにお腹がへりました。「スマート珈琲店」で玉子サンドを食べようと来店したら長蛇の列ができています。なぜ行列に並んでまで喫茶店に入ろうとするのか理解できませんが、よほど美味しいのでしょう。再訪を期す。御幸町教会に行く途中、市役所の西側で「ポット」という喫茶店を発見しました。駄目でもともと、当たって砕けろ、人生万事塞翁が馬、入ってみましょう。客はわれわれのみ、そして玉子サンドも珈琲も美味。これは超穴場です、お薦め。
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 それにしても京都には、地元資本の素敵な喫茶店が多いですね。『路地裏の資本主義』(角川SSC新書231)の中で平川克美氏がこう述べられていました。

 これらの理由以上に喫茶店減少に拍車をかけたのは、日本人のライフスタイルの変化だろうと思います。どういうことかと言うと、喫茶店の椅子に座ってボーッと半日を過ごすような人間が生きていくのが、難しい時代になったということです。当時の私が、今を生きていることを想像すると、アルバイトの収入では食べるのがやっとで、コーヒー代を払って無為の時間を過ごす余裕は、どこを探しても見つからないように思えます。
 あの頃は、何であんなに余裕があったのだろうかと不思議です。喫茶店主にしても、お客にしても、非効率のモデルのような場所が喫茶店だったのです。それでも、町のあちこちに喫茶店が存在し、やっていけたわけです。無為の時間を生み出す場所がやっていける時代だったのです。
 喫茶店での無為の時間とは、本を読んだり、書き物をしたり、議論を戦わせたりする時間であり、文化が育まれる場所でもありました。こういう文化自体が廃れ、人々は駅前で朝のコーヒーを飲んで仕事へ向かい、バリバリと稼ぎを増やすことに熱中し始めました。
 いやそうしたくてしているわけではなく、そうせざるを得ないから時間を刻んでいるのです。いつの間にか、日本は東アジアの発展途上の文化国家というよりは、経済発展が極点にまで達した経済大国になっていたということです。(p.71~2)

 京都には"喫茶店の椅子に座ってボーッと半日を過ごすような人間"が多く、"無為の時間を過ごす余裕"があるということなのでしょうか。だとしたら素晴らしいことです。人間らしさを大切にする京都の分厚い伝統が、「競争」「自己責任」を是とする新自由主義を拒否しているのかもしれません。

# by sabasaba13 | 2023-02-06 07:39 | 京都 | Comments(0)

五山送り火編(3):花山天文台(17.8)

 30分ほどロスしましたが、東西線東山駅近くから送迎バスに乗り込み、山上にある京都大学花山天文台に着きました。解説を引用します。

 東山連峰の山中に、昭和4年、日本で2番目に設立された大学天文台。施設建造物や望遠鏡に博物的価値がありながら、現在も最新天文学の研究の場として観測が続けられています。直径9mのドームがある「本館」には、国内3番目の大きさの45cmの屈折望遠鏡があり、山頂の施設ならではの眺望も楽しめます。また、開設当初に建てられた「歴史館」(旧子午線館)は大正から昭和の洋式木造建築として貴重なもので、天体観測資料などが展示されています。

 銀色に輝く巨大なドームを頂いたモダンな円筒形の建築、見事な建築ですね。中に入ると、国内3番目の大きさの屈折望遠鏡の迫力に圧倒されます。天文学に関してはまったくの門外漢なのでその価値はよくわかりませんが。
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 木製洋館である旧子午線館も良い味をだしています。
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 またここからの眺望が素晴らしい。眼下には山科の街並み、そして大阪やあべのハルカスも遠望できました。はるばる来た甲斐がありました、一見の価値あり。
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 ふたたび送迎バスに乗って東西線東山駅へ、そして東山駅から京都市役所前駅へ。駅構内には流政之氏の「こんちき」という彫刻がありました。
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 これまで氏の彫刻や事績とは、稚内駅ジョージナカシマ記念館引田箱根彫刻の森美術館東京文化会館で出会ってきました。後学のために解説を転記します。

 「こんちき」の像は、昭和51年10月、(社)京都青年会議所が創立25周年を記念して、国内外で活躍されている彫刻家流政之氏に制作を依頼され、京都市に寄贈されたものです。「今の日本人に必要な『自立と自戒の精神』」をテーマに制作された「いましめの像」は、京都を代表する祇園祭のお囃子「コンチキチン」から「こんちきの像」と名付けられました。
 四条河原町東南角に設置していたものを平成11年7月、この地に移転したものです。
 スウェーデン産黒御影石、重さ約1トン

# by sabasaba13 | 2023-02-05 07:29 | 京都 | Comments(0)