瀬戸内編(38):鞆(08.2)

 さてそれでは港のほうへ行ってみましょう。途中にあったのが平賀源内生祠。源内が長崎で学んだ後、鞆の溝川家に立ち寄った時に、陶土を発見して源内焼の製法を伝えたそうです。その彼を、生きているうちに神として溝川家が祀ったのですね。
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 海沿いの道路にはセンターラインもなく、上には「譲り合って通行して下さい」という標識が掲げられていました。上を見ながらぼーっと歩いていると、地元の方に呼び止められ署名を頼まれました。なんでも、港の附近を埋め立てて橋を架ける計画があるそうで、それに反対する署名だそうです。おじさんは、トンネルの方が建設費は安くすむし景観も破壊されないのに、とおっしゃっていました。一筆記入して、頑張ってくださいと激励。
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 そして港のあたりに着きましたが、この近辺も落ち着いた味わい深い雰囲気です。狭い路地を包み込むように格子戸・白壁・腰板の民家や土蔵が建ち並んでいます。
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 まずは「いろは丸展示館」へ。いろは丸とは、坂本龍馬ら海援隊が乗り組んだ商船で、鞆の沖で紀州藩の軍艦と衝突して沈没、その引き揚げ品などが展示してあります。
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 すぐ近くには江戸時代につくられた高さ11mの常夜灯(灯台)や、200mにわたって残されている雁木がありました。
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 重要文化財に指定されている太田家住宅は薬酒「保命酒」の造り酒屋で、ここも七卿落遺跡。1863(文久3)年8月18日の政変で、薩摩・会津によって京都を追われた三条実美ら尊攘派七公卿がここに滞在したとのこと。創業三百年を超えるという澤村船具店は、堂々たる風格です。
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 この一帯は、どこを切り取っても絵になるピクチャレスクな景観で、憑かれたように浮かれたように酔い痴れたように歩き回りながら写真を撮りまくりました。すると暗雲がにわかにたちこめ、突然の驟雨。珈琲を飲みながら一休みしようかな、ときょろきょろしているとある店に目がとまりました。二つの半円アーチに、意匠を凝らした窓枠、これはもしや戦前のカフェではないのか。さっそく中に入って仰天、レトロなカウンターや調度品や照明、タイル貼りの床、アール・デコ風の窓、間違いないですね。香り高い珈琲をいただきながら女将に聞いたところ、やはり戦前の物件でほとんど手を加えていないそうです。はい、紹介しましょう、その名ぞわれらの「友光軒」。
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 本日の五枚です。
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 追記。2009.10.1、広島地裁は、「景観は国民の財産である」として埋め立てを差し止める判決をだしました。何はともあれ、よかったですね。
by sabasaba13 | 2008-10-27 06:11 | 山陽 | Comments(0)
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