屋久島編(2):松嶺大橋~屋久杉自然館(08.3)

 まず連れて行ってもらったのが松嶺大橋。眺望が素晴らしいということですが、なるほどこりゃ凄い。正面には急峻な山岳、そしてV字型の谷とそこを抉るように流れる清流、そして一帯をこれでもかこれでもかと埋めつくす濃密な緑・緑・緑。反対側を見やると、その川が流れ込む海原まで見晴らせます。
 次は「屋久杉自然館」でお勉強。靴を脱いで館内に入ると、床は一面杉板張りです。スリッパなんか履いている場合ではない、素足でその感触を楽しみました。黄色いラインで、縄文杉の輪郭を示してありますが、その巨大さには驚き。
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 まず目についたのが、巨大な枝。2005年の大雪で折れた縄文杉の枝をヘリコプターで空輸し、「いのちの枝」として展示してあるものです。枝とはいうものの、直径1m、樹齢1000年! もうこれだけでその存在感に圧倒されてしまいました。
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 そして屋久杉の生態や歴史などについての展示を見学。普通、杉の平均的寿命は500年程度だそうですが、ここ屋久島では水は豊富ながらも栄養の乏しい花崗岩がほとんどで、そこで育つ屋久杉は成長が遅く材質が緻密で樹脂分が多く腐りにくいので長生きするとのことです。次は歴史。屋久杉利用の最古の記録は、1586(天正14)年に薩摩藩主島津義久が伐採のために二人の武将を派遣したというもの。それ以前の伐採は、寺院建造のための例外的なケースのみだったようです。例えば鎌倉期につくられた高山寺石水院の床板には屋久杉が利用されています。なおこの時の切り株がウィルソン株で、秀吉による方広寺建造に使われたといわれています。屋久杉の伐採が本格化するのが、島津氏による支配が強化された江戸時代以降で、年貢として納めさせるようになりました。(米一俵=平木2310枚) 以来、幕末までに五~七割の屋久杉が伐採されたと推定されています。明治になると国有化の動きが進み、大正の末には裁判に敗れて国有林化が確定します。敗戦、そして高度経済成長の時代になると木材の需要が増え、チェーン・ソーの導入もあって大量伐採が本格化。しかし安い輸入材が普及すると国有林事業は大幅に縮小され、1992年には「森林生態系保護地域」が設定され、伐採しない中枢部と生態系を保存しつつ利用する周辺部に分けられました。翌年に世界遺産リストに自然遺産として登録、今に至ります。また倒木更新・切り株更新・着生といった、屋久島の自然を観察する際のポイントもよくわかりました。
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 自然館のすぐ近くには、1923(大正12)年完成の森林軌道で使われていたディーゼル機関車とトロッコが野外展示してあります。機関車でトロッコを上まで運び、伐採した材木を載せ、いっしょに乗った作業員によるブレーキ操作だけで貯木場のある安房まで一気に運び下ろしたそうです。トロッコのサイドについている二本の長い鉄棒がそのブレーキでしょう。タクシーの運転手さんはかつてその光景をよく見かけたそうですが、それはそれは勇壮だったそうです。
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 本日の二枚は、松嶺大橋からの眺望です。
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by sabasaba13 | 2008-11-07 06:11 | 九州 | Comments(0)
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