「生物から見た世界」

 「生物から見た世界」(ユクスキュル/クリサート 日高敏隆・羽田節子訳 岩波文庫)読了。1933年に発表された生物学の古典、文をユクスキュルが、絵をクリサートが担当しています。本書で最も重要なキーワードは環世界(Umwert)です。すべての生物は、客体でも機械でもなく、それ自身が中心をなす独自の世界に生きる一つの主体であり、それぞれの主体が環境の中の諸物に意味を与えて構築している世界を著者は「環世界」と表現します。例えば、樹上に潜み、血を求めるダニにも環世界があります。哺乳類の分泌する酪酸を知覚すると、ダニは肢を放して落下し、毛による柔らかい衝撃を知覚すると歩き回り、そして毛のない皮膚に到達すると温かさを知覚し、血を吸いはじめる。これがダニの環世界。さらに獲物に偶然出会う確立を高めるために、食物なしで長期間生きられる能力も持っています。ロストックの動物学研究所には十八年間絶食しているダニがいたそうな。つまりダニは、人間とも他の生物とも違う独自の時間を持ち、自分の環世界の時間を支配しているということですね。
 つまり、すべての生物は(もちろん人間も)、その周りに大なり小なりのシャボン玉のような環世界を抱えているということです。そしてそれは、それぞれの生物が独自の時間とともに、独自の意味を与えて構築した世界であり、その目的は種の保存です。何と豊穣な世界! これから自然や生物を見る目が変わってきそうです。となると普段何気なく口にしている「環境」という言葉も、「人間という主体にとっての環世界」と言い換えたほうがよさそうですね。そこには他の生物の環世界は含まれていない。これでは人間の環世界だけを保護して、他の生物の環世界を破壊してしまう愚を犯しかねません(もう犯しているのかな)。たぶん、著者が一番言いたかったのは次の一文だと思います。
 …多様な環世界はすべて、あらゆる環世界に対して永遠に閉ざされたままのある一つのものによって、育まれ、支えられている。そのあるものによって生みだされたその世界すべての背後に、永遠に認識されないままに隠されているのは、自然という主体なのである。
 すべての生物とその環世界を育み支える自然。その全体像をわれわれは認識することはできない。「生物と無生物のあいだ」で福岡氏が語られていた「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである」という言葉も脳裡をよぎりました。今こそ、他の生物とその環世界に畏敬の念を持ち、それらを守り支える自然に対してもっと謙虚な姿勢をよみがえらせる時だと思います、手遅れにならないうちに… 人間、いや資産あるいは購買力をもつ人々中心の傲慢な自然観・生物観・環境観に警鐘を鳴らしてくれる恰好の書、お薦めです。至極当たり前のことですが、この地球はわれわれだけのものではないのですね。
by sabasaba13 | 2008-11-15 08:09 | | Comments(0)
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