「イカの哲学」

 「イカの哲学」(中沢新一・波多野一郎 集英社新書0430C)読了。特攻隊の生き残りで、戦後スタンフォード大学に留学した在野の哲学者・故波多野一郎氏が、1965年に少部数のみ出版した書『イカの哲学』。その全文を収録するとともに、中沢新一氏がそこから21世紀に通じる平和学・エコロジー学を読み取り、そして提唱しようと試みたのが本書です。
 早稲田大学在学中に太平洋戦争が勃発、学徒兵として招集された波多野氏は自分の敵は他国の人民や軍隊ではなく、他国や日本の軍部・政府であるという確信をもちながらも、いったん戦争がはじまったら、武器をとらざるをえないと覚悟を決め航空隊に志願しました。そして満州において特攻の訓練中に敗戦を迎え、そのままソ連軍の捕虜となりシベリアに送られ四年間にわたる強制重労働に服しました。なお彼は47歳で夭逝しますが、脳腫瘍発症の遠因はここにあるようです。共産主義国家ソ連の力量に驚嘆しながらも、その対極であるアメリカを見てからこの体制についての結論を出そうと留学を決意。スタンフォード大学で学びながら、漁港モントレーで水揚げされたイカを箱詰めにするアルバイトをしている時に、人間たちにからめとられた沢山のイカに共感と親近感を持つようになり、やがて閃光のような啓示を得ました。一回の投網で数万のイカに死をもたらす、これはイカにとって原子爆弾のようなものだ、と。そして、人間以外の生物に対しても敬意を持つことに関心のないこれまでのヒューマニズムには、戦争をくいとめるだけの力はないという考えにいたります。
 そうだよ!! 大切なことは実存を知り、且つ、感じるということだ。たとえ、それが一疋のイカの如くつまらぬ存在であろうとも、その小さな生あるものの実存を感知するということが大事なことなのだ。この事を発展させると、遠い距離にある異国に住む人の実存を知覚するという道に達するに相違ないのだ。
 実存とは、他ととりかえることのできない、一回かぎりのかけがえのない生と定義しておきましょう。他者と和解する、つまり戦争を止めるためには、そのかけがえのない生(実存)を知り感じなければならない、そのためには生物のかけがえのない生を知り感じなければならない。以上が、波多野氏の著した『イカの哲学』の、私なりの概略です。
 そのバトンを中沢氏が受け取って、さらに思惟を進めていきます。戦争も環境破壊も、その根っ子は一つ。資本主義経済では、魚も頭足類(イカ)も、そして人間さえももはや実存ではなく、お金に換えることのできる資源と見なされます。そして存在相互のつながりを断ち切り、実存を単なるモノに変え、貨幣価値を与えていきます。大地は利潤をもたらす工場、自然は資源とエネルギーを引き出してくる物質的な対象として取り扱われ、敵である人間は物理的に抹殺すべき対象にすぎなくなる。つまり、人間に対する戦争と、自然に対する戦争、二つの戦争を同時に止めなければならない。現代エコロジー思想の主導者であるクラウス・マイヤー=アービッヒは、エコロジー運動の目的を「自然との停戦」を実現することだと位置づけてられているそうです。中沢氏はこうまとめられています。
 自分が開発や搾取の対象としている相手が、自分と同じ実存であることを忘れるとき、そこには無慈悲が支配する戦場とよく似た絶望が広がっていく。この状況をヒューマニズムでは、超えることができない。人間ばかりか非人間の中に実存を見いだすことのできる直観に裏打ちされた思想だけが、そのような戦場の拡大をくい止める力を持つことができる。
 それではどうすれば、すべての生き物における"実存=かけがえのなさ"を直観できるのか。凡庸な考えですが、身のまわりの自然や生物に関心をもち、その精緻にして玄妙なあり方と相互のつながりに驚嘆しつづけることでしょう。美しい自然や特別な生物だけではなく、ありふれた卑近な自然や生物からも多くのことを学べると思います。夕焼けとか雨とか蟻とか蝿とかね。そしてそうした姿勢をより深めてくれるのが、やはり知識や理解でしょう。「動的平衡にある流れ」や「環世界」といった考究は、私にとって自然と生物の豊穣さを知るための良き掛け橋となってくれました。
by sabasaba13 | 2008-11-27 06:06 | | Comments(0)
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