屋久島編(22):加計呂麻島(08.3)

 まずは(たぶん)於斉(おさい)という集落に行きました。中央には見上げるほどの大きなガジュマルがそびえ、ロープや古タイヤが吊り下げられています。子どもたちの格好の遊び場なのですね。このあたりは村の聖地で、集落の起源と関係するらしい三つの小石が小さな祠の後ろに祀られています。また神に奉納する相撲のための土俵もありました。ここには墓地が隣接しており、そのほとんどは普通の墓石ですが、一つだけ沖縄のような家型のものがあります。ただその前に広い空間はないので、祭祀の時に一族が集まり宴をするという慣習はなさそうです。
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 そして十分ほど車で走ると、特攻艇「震洋」の基地があった呑ノ浦に到着です。作家の島尾敏雄氏はここで死を待っていたのですね。深く切れ込んだ湾に下りるとちょうど引き潮で、湿地にはメヒルギの若木が数本生えていました。細長く尖った種子が落下して砂地につきささり、根をおろす様子がよくわかります。ふとガイドさんが拾い上げて見せてくれたのがサキシマスオウの実。「何かに似ていませんか?」と言われたので凝視すると… ウルトラマンの顔! 円谷プロは否定していますが、そのモデルとなったという説もあるそうです。脚本を書いた故金城哲夫氏は沖縄出身ですから、可能性はありますね。
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 「震洋」格納庫までの海沿いの道は、歩きやすいように舗装されていました。さて格納庫とはいっても、斜面に掘ったトンネルです。入り口のあたりはコンクリートで固められていますが、少し奥に入ると壁面にはごつごつとした手掘りの痕が生々しく一面に残っています。トンネルの一つには「震洋」のレプリカが格納されていました。特攻隊員たちはどんな思いで、ここで待機していたのか。想像もできませんが、せめて氏の小説「島の果て」の一節を引用しておきましょう。
 その頃は毎日がぷつんと絶ち切れていて、昔の日とも将来ともつながりがないように感じられてきました。それは怖ろしいことでした。どんなことにも感動しなくなってきたのです。そして思い出したように血が狂うのです。血の狂う日は心の中に雨ぐもが低く低くたれこめていました。
 このあたりの地質は鉄分が多いそうで、穏やかな表情の湾全体が赤茶けて見えます。後に島尾氏と結婚する島の娘・ミホさんが、彼と会うために押角という集落から浅瀬づたいに通ってきたという記述が小説にありましたが、あのあたりだったのだろうなあと思いを馳せます。
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 すぐ近くには、この二人の姿を意匠化した文学碑が、その上には「島尾敏雄・ミホ・マヤ(夫妻の一人娘) この地に眠る」という、三人の姿を象った墓碑がありました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2008-12-05 06:10 | 九州 | Comments(0)
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