石田徹也展

c0051620_66391.jpg 氷雨の振りしきるある日曜日、山ノ神と練馬区立美術館で石田徹也展を見てきました。彼の作品の存在を教えてくれたのは、珠玉の番組「美の巨人たち」。私がかかさずに見るTV番組は今のところこれだけです。悲しきかな喜ばしきかな…。ま、それはともかく、衝撃でした。取り上げられた作品は「飛べなくなった人」。遊園地にあるようなおもちゃの飛行機にすっぽりとはまり、両手を広げて飛び立とうとする若い男。しかしその表情には「飛べないことはわかってるんだ」と言わんばかりに、諦めと悲しみが浮かんでいます。感動とか、興趣とかではなく、心のどこかをバールのようなものの角でがりっと削られたような、一度見たら忘れられない絵でした。その回顧展があるというので、すわ、かけつけた次第です。こんな街全体が冷凍庫に入ってしまったような日の午前十時、まさか混雑してはいないだろうと思っていましたが、意外と多くの人が、しかも若者が見に来ているのに驚きました。
 石田氏は1973年静岡県焼津市生まれ、十年足らずの間に約180点の作品を残しますが、2005年に鉄道事故のために逝去されました(自殺の可能性もあるそうです)。享年三十一歳。館内は、絵のかもしだす不安・悲しみ・諦観・静謐感とそれに共鳴したような来館者の重い沈黙で、普通の展覧会とはかなり違う雰囲気でした。前期のテーマはほぼ一貫しており、会社や学校において追いつめられ人間としての尊厳を奪われた若い短髪の男性が主に描かれています。そしてその過酷な状況から身を守るため、逃避するため、あるいは適応・同化するため、身体と物が一体化していく絵も多いですね。何物かに追われ(上司?仕事?)トイレに逃げ込み便器の中にうずくまるサラリーマン、小包と化して通勤列車の中に詰め込まれているサラリーマン、右腕がミシンとなってマークシートを黒く縫いつける学生… 他にも顕微鏡、自動車、フォークリフト、家、テレビ、流しと融合した人々が描かれています。人間が人間でなくなり、身体が物にされていく悪夢のような世界。しかし作者は怒りや抗議の声を叫ぶのではなく、「悪夢のようだが現実なのです。目をそむけないでください」と静かに力強くわれわれに語りかけてきます。
 大きなサイズの絵では、細部までがリアルに克明に描かれ、思わずそこから物語を紡ぎだしたくなります。「めばえ」(1998)を例にあげましょう。なお公式ホームページ「石田徹也の世界」で、本作を含む彼の絵を見ることができますので、よろしければ参照してください。(おそらく)私立の男子高校での英語の授業風景。教科書をぼんやりと見つめる数人の男子高校生たち、みんな短髪で身なりもきちんとしていますが、その表情は虚ろです。その中に、顕微鏡と一体化している生徒が二人。机間巡視をしている教員(首から上は構図からはみだし描かれていません)は、そのうちの一人の頭に手を置いています。まるで「よく顕微鏡になったな」と誉めるかのように。物事を全体として見て考えず、顕微鏡のように微細な一点だけを操作されるままに見つめる人間を育成しようとしている、現今の教育を表現しているような気がします。やがて残りの生徒たちも、社会が求める人間顕微鏡へと化していくのでしょう。その状況に対して、作者は皮肉をこめて「めばえ」というタイトルをつけたのだと解釈します。よく見ると、制服のエンブレムには"IWA.H.SCHOOL"という文字が刺繍され、ある生徒の上履きには"2312"という在籍番号が書かれています。この細部へのこだわりが、この奇妙な世界の実在感をより高めています。
 第三展示室では創作ノートの一部を見ることができますが、あるページには小さく几帳面な字で「無茶で無意味な労働に従事している人 虫の感覚」と書かれていたのが印象的でした。また「焼津市に育ったので、第五福竜丸をとおして、ベン・シャーンのような絵描きになりたいと思っていた」という一文も。社会と深く関わり、それを表現していきたいという氏の思いが伝わってきます。その部屋にあった来館者が記入する感想ノートを何気なく見てみると、多くの若者が真剣に書き込んでいました。そのほとんどは、石田氏が描く絵への共感でした。中には、就職活動で、幾度ともなく不採用を通告され、全人格を否定されたような気持ちとなり、その傷はいまだ癒えていないという悲痛な内容のものもありました。非人間的な社会状況やシステムを容赦なく描きつくす石田氏の絵を見ることによって、「自己責任」という呪縛から解き放たれてくれるとよいのですが。

 今の時代を包み込む目に見えない息が詰まるような"不安"という気分を、圧倒的な造形としてつきつけてくれた石田氏、その早すぎる死が本当に惜しまれます。さらに非人間的な社会状況が暴走している今、もし氏がご存命でしたら、どのような絵を描かれるのでしょうか。その絵を想像しただけで、慄然とし肌に粟が生じます。
by sabasaba13 | 2008-12-17 06:06 | 美術 | Comments(2)
Commented by あおい君 at 2008-12-17 11:48 x
石田徹也は数年前にNHKの日曜美術館で紹介されました。
その直後静岡市内でも展覧会が実施され、隣町の出身ということもあるのですが、感性をゆすぶられた彼の絵を実際に見てみたいという思いで出かけてみました。
その日は、たまたま御両親が会場にお見えになっていて、お母さまが気丈に息子の思い出を語っていた姿は非常に印象的でした。
Commented by sabasaba13 at 2008-12-20 07:48
 こんにちは。「日曜美術館」は未見ですが、かなりの反響を呼んだようですね。実物を見て、私もおおいに感性をゆさぶられました。禍々しい状況になりつつある現在、社会の非人間性を訴えたその絵は、これからますます注目されると確信しております。
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