伊予・讃岐編(5):松山(04.2)

 駅前で自転車を借り、じゃこ天うどんで腹ごなしをして松山徘徊を開始。まずは正岡子規の菩提寺・正宗寺と彼の生家を復元した子規堂を見物。子規と野球の碑もありました。
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 そして松山中学に赴任した夏目漱石が初めて泊まった旅館「山城屋」(『坊っちゃん』にも描かれています)、彼の下宿を復元した愚陀仏庵を訪問。一階に子規、二階に漱石が住んでいたそうです。
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 すぐ近くに松山城があります。リフトに乗って、天守閣へ。1854(安政元)年の再建だそうですが、最上階からは市内・伊予平野・石鎚山・瀬戸内海が一望できます。絶景絶景。
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そして道後温泉へ。自転車で20分程でした。途中でぞぞぞっと霊界アンテナが反応。止まってふと見ると左下写真の看板がありました。「タンポポの胞子に乗って世界に広がれ奉仕の種」? 40秒ほど考えて、胞子と奉仕の駄洒落かと合点。へたへたとその場に崩れ落ちそうになるのを堪え、気を取り直して道後温泉駅へ。明治の駅舎を忠実に再現したもので、レトロで瀟洒な洋館風の建物です。すぐそばにある子規記念博物館は残念ながら休館。「いくたびも雪の深さを尋ねけり」という印象的な子規の句が垂れ幕に書かれていました。
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 そして1894(明治27)築の、巨大木造三階建太鼓櫓付公衆浴場の道後温泉本館に到着。自転車を返却する時間が迫ってきたので、心残りながらも入浴せず。いやはや日本広しといえども、道後と別府に行って温泉に入らなかったのは小生ぐらいかな。算額を二十数面保存している伊佐爾波神社(公開されておらず)、一遍の生地といわれる宝厳寺を訪問。そして漂泊の俳人、種田山頭火終焉の家である一草庵へ。戦後に復元されたものですが、山頭火がお菓子の箱を利用して作った「不在中 郵便受」もリアルに再現されていました。「おちついて死ねそうな草萌ゆる」という句碑が心に迫ります。
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 見るべきものは見つ、というわけで駅までダッシュ。無事に自転車を返せました。日暮れは近いけれど、観光案内所で知ったターナー島へ行くことにしました。『坊っちゃん』の中で野だいこが「全くターナーですね。どうもあの曲り具合つたらありませんね。ターナーそつくりですよ」と言った松のある小島です。ターナーが好きなので、ぜひ見てみたい。伊予鉄道で梅津寺駅まで行き駅員さんに聞いたのですが、場所がよくわからない。とりあえず海沿いの道を夕焼けを見ながらとぼとぼ歩いていると、あった。間違いなし。しばらく夕陽を浴びながら、島と海を眺めていました。ふう。駅でカレーぶっかけうどんをいただき、ホテルに戻り観光パンフレットを読み直していると、松山は野球拳発祥の地であることがわかりました。「大正13年、川柳家の故前田伍健さんが即興的に作ったもので本家松山野球拳として伝統を守っている健康的な芸能である」 "健康的"に座布団一枚。もひとつわかったこと。松山の皆さんは語尾に、ぞなもし、ぞなもし、ぞなもし、と必ずつけるのかと思いきやそんなことはありませんでした。そりゃそうだよね、われわれだって語頭に、てやんでえ、なんてつけませんから。
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 本日の一枚は、ターナー島ぞなもし。
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by sabasaba13 | 2005-03-10 06:27 | 四国 | Comments(0)
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