坂の天辺まで行き、ここでUターン。今度は下り方向右手の路地に分け入ってみましょう。おっとその前に、山ノ神が和菓子屋「五十鈴」に拉致されてしまいました。しばし彼女の買い物におつきあいです。毘沙門天脇の路地を入って行くと、このあたり一帯は住宅地のようです。印象としては高級ではなく、中流クラスの一戸建て住宅が多いようです。かつて陸軍士官学校のあった市谷が近いので、軍人などの官吏層が多かったのかもしれません。古い喫茶店を見かけなかったのも、官吏やサラリーマンが多いので昼間人口が少ないからなのでしょうか。町内会の掲示板は数多のお知らせで埋め尽くされていたので、この街には助け合いながら慎ましく暮らしていこうという気持ちがまだ息づいているのでしょうか。近くには熱海湯という元気に営業している銭湯がありました。
銭湯の右脇にある路地は石段となっていて、途中に「関西料理 別亭 鳥茶屋」という落ち着いた雰囲気の店がありました。小腹もへったし昼食はここでいただきましょう。お勧めの親子丼は、地鶏のしっかりとした味が楽しめる一品でした。
さてそろそろ飯田橋駅へと戻りましょう。途中で見かけたのが、「伏見火防稲荷神社」の小さな祠。玉垣の石柱には「東京神楽坂組合」とあり、寄進をした料亭や茶屋の名が刻まれていました。その近くには「東京神楽坂組合稽古場」という看板、芸妓衆が日々こちらで歌舞を精進されているのでしょうね。
またあまりにも小さくささやかな「駐輪禁止」という貼り紙も随所で見かけました。これも景観に対する配慮と、人を信じる心の為せるわざですね、おそらく。目抜き通りに出て坂を下ると、懐かしいブリキのおもちゃを店頭に並べている店。でも売り物ではないようですね。道をはさんで対面には「コーヒ手造りレストラン ジョンブル」という、ちょっと気になる店がありましたが、残念なことに閉業してしまったようです。
時はまだ午後一時、山ノ神のご機嫌もうるわしいようなので、飯田橋駅から地下鉄南北線に乗って赤羽へと向かいましょう。かつて工兵隊、被服本廠、火薬庫など軍の施設が集中しており、そこに勤める方々の古い住宅地として発展、その残り香が味わえるそうです。お目当ては同潤会が分譲した住宅地。
本日の二枚です。