「グローバル恐慌」

 「グローバル恐慌 -金融暴走時代の果てに」(浜矩子 岩波新書1168)読了。とてつもない大不況がその猛威を世界で、そして日本でふるっています。「世界金融危機」という言い方が定着していますが、著者の浜氏はこの言い方では生易しいと主張されます。経済という名の生き物が凶暴に牙を剥き、人々を恐れ慌てさせている現状を言い表す言葉は「恐慌」しかない、しかも人類が初めて経験する世界同時多発的な「恐慌」である。そしてその経緯と背景を整理した上で各国の初期対応を吟味し、さらにはこの事態を歴史的に考察し、恐慌の到来がもたらした経済風景を描こうというのが本書のねらいです。まずは「あとがき」で述べられている著者の言を紹介しましょう。
 誰も誰かを意識的にいじめようとしているわけではない。我が身がかわいいだけである。その人間的な思いがパニックを世界に広める。人間の弱さと手前勝手が恐慌をグローバル化させ、地球経済の傷口を深くする。
 だが、人間は弱くて手前勝手なだけではない。同時に、優しくて勇気に溢れてもいるはずだ。そして知恵にも富んでいるはずだ。今こそ、優しさと勇気と知恵をもって、弱さと手前勝手を克服すべき時代だと思う。そのための決め手は何か。それは、何はともあれ、知ることであり、解明することである。敵を知らないものに勝利はない。我々を恐れ慌てさせているものは何なのか。何がどうしてこうなったのか。それを突き止めることなくして、我々は我々の弱さを乗り越えられず、局面打開の知恵も湧いてこない。(p.195)
 満腔の意をもって同感します。相手の姿を見極めなければ戦いようがない、ましてや敵は己自身の内にいるのかもしれないのですから。しかし相手は経済や金融という、ヒトとカネがつくりだし動かしている厄介な生き物です。それを言葉という網で捕捉するのは大変難しいことだと思います。おまけに不肖私、株にも投資にも風馬牛の門外漢、これまでにもグローバル経済についての本を何冊か読んできましたが、見慣れぬ言葉に出会うと視線がページの上をただただ滑っていくだけという経験をいやというほどしてきました。経済に限りませんが、ど素人に解りやすく説明することは、専門家の大きな責務だと思います。その点から言えば、本書はたいへん優れたものです。一例を挙げましょう。金融危機のきっかけとなったサブプライム問題について、浜氏はこう説明されています。(p.22)
 この問題の本質はサブプライム融資そのものにはない。サブプライム融資に内在するリスクが証券化という手法によって世界中にばら撒かれていったことにある。よって「サブプライム問題」ではなく、「サブプライム・ローン証券化問題」と言うべきだと述べられます。なお債券と証券の違いは、債券が基本的に転売出来ない性格のものであるのに対して、証券はそれが可能だということですね。証券化を活用する金融機関は、ツケで飲む客が多い飲み屋のようなものです。この飲み屋が、たまった請求書を切り分けたり束ねたりしてたくさんの福袋をつくり、町中の人に売りまくるという商売を考え出しました。お買い得だが、当たりはずれもある福袋ですね。このツケの福袋が、債券の証券化商品ですね。濡れ手に粟のようなぼろい商売に見えますが、大きな問題があります。福袋の中に入っている請求書が焦げついたら、買った本人はもちろん、その購入資金を用立てた人も損失を蒙るということ。さらに町中の飲み屋が同じ作戦に出たらどうなるか。危険がいっぱいの福袋(禍袋)がどれだけ出回っていて、どこで誰がそれを持っていて、そのうちどれだけが実際に禍袋に転じているのか、全く訳が解らなくなってしまいます。こうなると、町全体が疑心暗鬼の渦と化します。さしあたり難を逃れている人たちは、とばっちりを受けたくないから、念のため、誰にもカネを貸さないし、誰とも取引をしなくなります。その結果、福袋問題とは全く無縁の企業の商売も行き詰まることになりかねません。かくして、この町の経済活動は完全なマヒ状態に陥ることになります。

 ブラーバ! お見事! こういう的を射たたとえ話で教えていただくと、すとんと腑に落ちます。問題の根本は、金融が人間とそのモノづくりという営み(実体経済)を置き去りにして一人歩きを始めてしまったということ、カネがモノと決別しヒトとも袂を分かってしまったという事態にあるのですね。ヒトやモノとの関係を断ち切られた危ない正体不明の金融商品が世界中に満ち溢れ跳梁跋扈し、それに恐れ慌てた人々がリスク回避のためにそれらを押しつけ合い、そして投資を手控えるようになった。つまり危ない金融商品が「過剰生産」され、買い手がつかなくなり、それらが値崩れを起こし、市場が崩壊した。そう、まさしく過剰生産に基づく資本主義固有の矛盾。ひたすら利益最大化を求めて生産を拡大する供給側と、そうして造りだされたモノを吸収する能力におのずと限界がある需要側との間に生じるミスマッチ、つまり古典的な意味での恐慌です。
 それではなぜこのようなことになってしまったのか。著者は、その原因を世界的な規模での低金利・カネ余りに求めます。そのため、厳しく収益責任を問われる金融機関や投資ファンドが、危険を承知でギャンブル行動に突っ走った結果であるということです。それを促したのが、金融の工学化、IT化、グローバル化ですが、氏は特に金融の自由化に焦点を当ててその歴史的経緯を述べられています。ニクソン・ショック(1971)によってドルのインフレ通貨化が始まり、そのことがアメリカ経済の高金利化をもたらし、金利自由化への突破口を開きました。そしていかに高利回りの資金運用手段を顧客に提供できるかを競う知恵比べが、銀行と証券会社によってくりひろげられるようになります。

 他にも重要な論点が多々あるのですが、それらについてぜひ本書をご一読ください。世界はグローバルな恐慌に陥っているという現状から眼を背けず、それを解明し、責任者の襟を正させ己の襟を正す。今、われわれが喫緊にすべきことはこれしかないのかもしれません。「彼を知り己を知らば百戦あやうからず」という古賢の言葉を今更ながらかみしめてしまいます。私の真っ暗な頭の中に、小さいけれど光り輝く一灯を燈してくれた好著、お薦めです。
by sabasaba13 | 2009-02-02 06:10 | | Comments(0)
<< 「チェ 28歳の革命」 路面電車 >>