「狂気について」(その二)

 「渡辺一夫評論集 狂気について」(大江健三郎・清水徹編 岩波文庫)を読むもう一つの喜びは、氏の広範な学識と鋭い問題関心が呼び寄せた名句の数々です。「だれもひとつの島ではない/だれもそれ自体で完全なものではない/すべての人間は大陸のひとかけら/全体の一部分」というジョン・ダンの詩句がありますが、何百年の昔から、何百何千キロの遥か彼方から響いてくる言葉を受け取り共感できるということは、自分も人類の末席を汚す一員なのかなと嬉しくなります。以下、紹介します。
 なお、小生がこつこつと集めている名句・名文を、近日「言葉の花綵」として掲載する予定です。
 人間は滅び得るものだ。そうかもしれない。しかし、抵抗しながら滅びようではないか? そしてもし虚無が我々のために保留されてあるとしても、それが正しいというようなことにはならないようにしよう。(セナンクゥール 1770-1846 フランスの作家・モラリスト p.78)

 私の理性は曲げられたり折られたりするようには仕込まれてはおらぬ。そうされるのは私の膝である。 (モンテーニュ 1533-92 フランス・ルネサンス期の代表的思想家、モラリスト p.86)

 平和とは、潜在的な力が黙々として邪悪なものに対して収める持続した勝利のことである。 (ポール・ヴァレリー 1871-1945 フランスの小説家・評論家 p.112)

 人類は存続することを望む限りにおいてのみ存続するだろう。 (サルトル 1905-80 フランスの哲学者 p.113)

 我々の信念や判断が真理に仕えずに、我々の欲望の企図するところに仕えるようにせよと人々は望む。むしろ自分の欲望とは全く反対な逆な極端に走って間違いを犯すかもしれない。それほどに私は、自分の欲望に駆使されるのが恐ろしい。更にまた、自分が願い求めることを、私は極端に警戒するのだ。 (モンテーニュ p.115)

 (戦争に)抗議しない人間は共謀者である!  (クリストフ・ニーロップ 1858-? デンマークの文法学者 p.140)

 政府がこのようにこの人民の生殺与奪権を握る以上、人民が政府に対して生殺与奪権を握っても少しも驚くことはない。人民が自らを護るのは当然である。何びとも他人を支配する絶対権を持っていない。絶対権を持ち得る場合は、指導される人々の幸福をはかるためにだけである。政治をとる人間は誰でも、船長が難破を避ける義務があるように、戦争を避ける義務がある。(モーパッサン 1850-93 フランスの小説家 p.145)

 人間は、世界を導いてゆく義務があるのに、運命というものを発明して、これに世界の混乱をかずけてしまおうとする。宿命などというものはない! 宿命とは、我々の意欲するものである。また、更にしばしば意欲し足りないものでもある。(ロマン・ロラン 1866-1944 フランスの小説家 p.154)

 良心なき知識は霊魂の荒廃に外ならぬ。 (フランソワ・ラブレー 1494?-1553? フランスの物語作家 p.159)

 良心は、力を以て左右することのできない性質のものであり、むしろ教化されねばならず、決してこれを抑圧したり侵犯したりしてはならぬ。従って、もし信仰でも、それが強いられれば、それはもはや信仰ではない。(ミシェル・ド・ロピタル 1504?-73 フランスの宰相 p.205)

 我々と同じ意見を持っている者のための思想の自由ではなしに、我々の憎む思想のためにも自由を与えることが大事である。(オリヴァー・ウェンデル・ホームズ 1841-1935 アメリカ最高裁判所判事 p.209)

 反対意見を強制的に抹殺しようとする者は、間もなく、あらゆる異端者を抹殺せざるを得ない立場に立つこととなろう。強制的に意見を劃一化することは、墓場における意見一致を勝ちとることでしかない。しかも異なった意見を持つことの自由は、些細なことについてのみであってはならない。それだけなら、それは自由の影でしかない。自由の本質的テストは、現存制度の核心に触れるような事柄について異なった意見を持ち得るかいなかにかかっている。(ロバート・ジャクソン 1892-1954 アメリカ最高裁判所判事 p.209)

 本に読まれないように!  (渡辺一夫氏の父 p.293)

 好きなことを楽しく一所懸命にやるのだな。
 判りやすい日本語に訳せないフランス文は、結局よく判っていないんだよ。  (辰野隆 1888-1964 フランス文学者 p.295)

 世界は、恐らく既に手の付けようがなくなっているのかもしれない。この昏睡から無理にでも目覚め、意識を取り戻すようになれない以上は、世界は確実に手が付けられなくなってしまう。/一切のユマニスムのなかには、脆弱な一要素がある。それは一切の狂信主義に対する嫌悪、清濁併せ飲む性格、また寛大な懐疑主義へと赴く傾向、一言にして申せばその本来の温厚さから出て来る。そして、これは、ある場合には、ユマニスムにとって致命的なものともなり得る。今日我々に必要かもしれないのは、戦闘的なユマニスム、己が雄々しさを確証するようなユマニスム、自由と寛容と自由検討の原則が見す見すその仇敵どもの恥知らずな狂信主義の餌食にされてしまう法はないということを確信しているユマニスムであろう。ヨーロッパのユマニスムは、更生して、その原則に戦闘力を取り戻させることは出来なくなっているのであろうか? 自覚することも出来ず、その生命力を恢復せしめて闘争への準備をすることも出来ないとあらば、その時には、ユマニスムは滅び去るであろうし、それとともにヨーロッパも滅び去るであろう。(トーマス・マン 1875-1955 ドイツの小説家 p.312)

by sabasaba13 | 2009-02-14 08:27 | | Comments(0)
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