長瀞・寄居・小川・岩槻編(9):川越(08.7)

 寄居からは東武東上線に乗り、小川町で乗り換えて川越へ。約一時間で到着です。そうそう、途中に男衾(おぶすま)という駅がありましたが、おそらく「男衾三郎絵巻」の舞台となった地域でしょう。よく歴史教科書の図版で紹介される「笠懸」(固定した笠を的として疾走する馬上から弓で射る訓練)の絵で有名ですね。
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 さて今夜の塒がある川越に到着、ホテルに荷を置き夕食をとるために商店街に行ってみました。しかし飲食店のほとんどは、利益を中央に吸い上げられる大規模チェーン店、地元資本が経営するらしき店は見当たりません。安易な妥協はするまい(寄居ではしてしまいましたが)と心に誓い、脇道に入ったところで見つけたのが「カレーキッチン ジャワ」。さっそく中に入ってメニューを見ると、私の大好物メンチカツ定食がありました。己の嗅覚をほめたたえ、さっそく注文。味は可もなく不可もなし、つなぎがおおく柔弱な歯ごたえですが、サクサクとしたころもは評価しましょう。特筆すべきは、タイタニック号がぶつかった氷山を思わせるようなご飯の量! 欠食学生たちの強い味方と見た。
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 ホテルに帰るためにふたたび商店街に戻ると、公園では盆踊り、いままさに定番「東京音頭」がはじまるところでした。スワローズ・ファンの私としては、この曲を聞くと居ても立ってもいられなくなります。なお、この曲が中山晋平+西条八十によってつくられレコードになったのが1933(昭和8)年、世界恐慌(1929~)の影響による不況や、満州事変(1931)などによる重苦しい社会の雰囲気を明るくするためという狙いがあったそうです。当時の人々は何もかも忘れてこの曲に合わせて踊り狂ったという記述を、何かの本で読んだ記憶があります。
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 このクレアモールという商店街はかなりにぎわっているのですが、横道に入ると店じまいをした商店をいくつか見かけ、ここ川越にも不況の波が押し寄せていることがわかります。新井豆腐店、横関洋服店、これまで地元の人々と持ちつ持たれつ支え合ってきた歴史があったろうに… 朽ち果てようとしているその面構えからは無念さがにじみでているようです。ナイト・キャップとして純米酒「川越城」を購入。ホテルの部屋へともどりました。
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by sabasaba13 | 2009-02-17 06:07 | 関東 | Comments(0)
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