アイルランド編(16):聖パトリック大聖堂(08.8)

 一読、言葉を失います。時は18世紀中頃、ちょうどイギリスによる支配が本格化し、アイルランドが貧窮のどん底にあった時代ですね。一見、奇矯というよりも狂気じみたスウィフトの言葉の真意は、イギリスに対する瞋恚にみちた痛烈な批判だと思います。「アイルランド人を人間として扱わないのなら、もっと徹底したらどうだい、嬰児を食材として輸出すれば全ては解決するのさ。残酷? 君たちには言われたくないね」 夏目漱石は「文学評論」第四編「スヰフトの厭世文学」の最後で「スヰフトの風刺は堂々たる文学である。後代に伝ふべき術作である。彼は愛蘭土の愛国者で、故国の為には危きを辞せずして応分の力を盡した志士である。白眼にして無為なる庸人ではなかつた」と言っていますが、人間嫌いという怜悧な仮面の下には、故国の危難を見過ごせない熱い思い、真っ向から辛辣な批判をする勇気が隠されているのですね。そして忘れてはいけないのは、敵に尻尾をつかまれないための用心深さと狡猾さです。
 と同時に、経済的合理性を突き詰めていくと、人間性の否定につながるというロジックに対する根源的な批判でもあると思います。そしてこの恐るべき小論は、今のわれわれ日本人をこそ心胆寒からしめるのではないでしょうか。報道写真月刊誌「DAYS JAPAN」(08.9)の記事「格差の中の子ども (雨宮処凛)」には、仕事に失敗して家を失った父親と共に新宿歌舞伎町で、ダンボールの家で暮らす少女の写真、あるいは夜の仕事に出かける前に子どもに睡眠薬を飲ませるシングル・マザーの話が紹介されていました。スウィフトは「王国中に人間の形をしたおよそ百万人の動物がいる」と書いていますが、もし彼が今の日本で甦ったら、この状況を見てどのような"謙虚な提案"をしてくれるのでしょうか。余談、この記事の中でふれられているのですが、高等教育の無償化を進めていないのは、国連人権規約締結国のうち、日本とルワンダとマダガスカルだけだそうです。やれやれ。
 それでは拝観料を払って(!)中に入りましょう。入ってすぐ右側にあるのがスウィフトと愛人ステラの墓です。
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 その近くの壁には彼の碑銘・胸像があり、ガラス・ケースの中には著書やデスマスクなどが展示してあります。
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 碑銘の日本語訳は下記の通り。
ここに横たわるのはジョナサン・スウィフト
神学博士でこの大聖堂の大主教
激しい憤りによって
心を引き裂かれることはもはやない
旅人よ行きなさい
出来ることなら真似るがいい
最も情熱的で、献身的な自由の勝利者を
 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-03-19 07:08 | 海外 | Comments(0)
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