「伝説の日中文化サロン 上海・内山書店」

 「伝説の日中文化サロン 上海・内山書店」(太田尚樹 平凡社新書436)読了。近代の中国に関する本を読んでいると、時々内山完造という名にでくわします。戦前の上海で書店を経営するとともに、多くの中国知識人たちと友人となりその文化的サロンの役割を果した伝説的な書店、内山書店の主ですね。ぜひ彼の生涯について知りたいなとつねづね思っていたので、本書を見かけた瞬間に即購入しました。
 彼の生い立ちから書店を開くいきさつ、そしてさまざまな人物との交友、サロンの雰囲気など、過不足ない平明な記述によってよくわかりました。中国の読書人に対する彼の思い入れには胸をつかれます。立ち読みは何時間でもOK、つけによる書籍の購入も無制限、店内にはテーブルと椅子があって茶がふるまわれ気の合った仲間たちの談話が深夜まで続く。万引きに対してさえ「本を盗もうとする人は、金さえ手に入れば、必ず本を買いたがるものです。今は盗まれたとしても、金を貸したのと同じことですよ」と意に介しません。こうしてさまざまな出会いや交流の広がりの結果、内山書店は上海、いや中国の文化創造の核となるサロンとなっていきます。なお彼の中国人に対する熱い思いの底には、民族や国籍に関係なく信頼した人物へ誠意を尽くすという行動様式への敬意があったようです。例えば、抗日運動が激しくなり郵便局が日本人による郵便物の発送を拒否するようになっても、局員は「内山書店なら仕方がない。でも今日だけは特別に引き受けるが、明日からは駄目だよ」と毎日言いながら受け取ってくれる。贈収賄や汚職の温床になるという負の面もあるでしょうが、人よりもルールを尊重するという官僚的手法にはない人間らしい温もりがありますね、内山はそこに惚れ込んだようです。もっとも魯迅は「日本人の生真面目さ」が必要だとこうした面を否定しています。まあすべての中国人が情に厚く、すべての日本人が生真面目なわけではありませんけれどね。

 そして内山書店が営まれていた1917年から1945年といえば、激動の時代です。二十一か条要求、五・四運動、第一次国共合作とその破綻、北伐、満州事変と第一次上海事変、そして日中戦争と第二次上海事変。本書は、そうした時代背景に立ち向かいあるいは翻弄される中国知識人の動きと、内山書店に関わりにも詳しく言及されています。中でも魯迅や郭沫若たちとの友情、そして身を挺して国民党の弾圧から彼らを護る場面には思わず引き込まれてしまいました。「友人を敵に売り渡さない人間は、日本人の中にだっていますよ」とは彼の言です。特に中国の独立を求めて闘い続けた魯迅にとって、情報の発信と入手、さまざまな援助、隠れ家の提供など内山完造の存在がいかに大きなものであったか、本書を読んでよくわかりました。著者の太田氏は「親友であると同時に確固たる兵站部」と表現されています。
 日中戦争の拡大につれ、利にさとい日本の商社、商店は商売の手を広げていきますが、彼は「私は断然発展的行動はとりません。…戦争に便乗する(商売の)発展は、中国ではしてはならんのです」としてあくまでも上海の人びとのために尽力します。敗戦時には日本の指導的立場の人間たちは、十万の居留民を見捨てて、われ先に家族同伴で避難したり帰国したりしてしまったのですが、彼は上海に踏みとどまり引揚げがスムーズにすすむよう力を尽します。そして戦後は民間人として、郭沫若らかつての旧友たちと協力しながら日中友好の礎となりました。1959(昭和34)年、北京滞在中に脳梗塞で逝去、享年七十四。内山完造・美喜夫妻の墓は上海の万国公墓にあるそうです。墓碑は「書肆を以て津梁となし、文化の交流を期す。生きては中華の友となり、没して華中の土となる。ああ、此くの如き夫婦」

 一番印象に残ったところを紹介して筆を置きます。魯迅の未亡人・許広平が反政府運動関係者に関する情報を求められて、日本の憲兵隊本部に七十数日間拘留されます。内山完造が手を尽くした結果、彼女は釈放されますが、凄まじい拷問に耐え秘密を守りぬきます。その間のことについて彼女は語らず、内山は彼女が書いた『暗い夜の記録』を読みはじめて事実を知ることになります。温厚な彼にしては珍しく、憤怒をあらわにこう述べられています。
 わたしは今日まで、まことにお人好しであったわけだ。この鬼畜、この悪魔が私の同胞であることを思うと、灰をかぶって懺悔謝罪しなければならないと、独り密かに祈ったのである。
 うーむ、憲兵や特高(特別高等警察)による拷問が、日本人・中国人を問わず、いかに多くの人を傷つけたか、またその精神や行動をいかに害し圧したのか。歴史書ではあまり多く語られていないと思います。その実態や社会への影響、責任問題などしっかり捉えなおすべきでしょう。国民の生命・福祉・財産を屁とも思わない公務員の体質を理解する上で欠かせない作業ではないでしょうか。日本国憲法で唯一「絶対」という語が使われている条文は「第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」であることを肝に銘じましょう。
 中国との関係がぎくしゃくしている今、そして「中国人は~だ」「日本人は~だ」というまるで虫の標本にレッテルを貼るような安直な言説が飛び交っている今だからこそ、こういう人物がいたことを思い出すべきだと思います。

 おまけの写真です。本書にも登場する「義勇軍行進曲」を作曲した聶耳(ニエアル)の記念碑(鵠沼海岸)と、岡山市後楽園にある郭沫若の記念碑です。なお彼がかつて暮らした家が千葉県市川市に記念館として保存されているそうです。ホームページはこちら。
http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1541000031.html
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 追記。先日、東京神保町にある内山書店の前を通ったのですが、その看板の字は郭沫若によるものでした。感無量。
by sabasaba13 | 2009-04-10 06:07 | | Comments(2)
Commented by Pleiadespapa at 2009-04-10 10:34 x
お久しぶりです。数年前、上海を旅したおり、当地出身の若い女性(日本在住)に魯迅寓居を案内してもらったところ、近くの角の本屋の前で実に自然に「ここが内山書店跡です」と言う。彼女はインテリ家庭に育ったが観光ガイドではありません。こんな若い女性が当然のごとく内山書店を知っている!と一瞬目まいがし、文字通り身が震えるほど感激しました。そして内山完造と内山書店を知っている若者など皆無にちかい日本との落差に考え込んでしまいました。
もう誰も思わないでしょうが日本がアジアの盟主など失笑ものですね。
Commented by sabasaba13 at 2009-04-11 09:09
 こんにちは、Pleiadespapa さん。ご無沙汰しておりました。日中関係がぎくしゃくしている今だからこそ、思い起こしたい人物ですね。若者だけでなく、多くの人に知ってほしいと思います。いっそのこと、歴史教科書で取り上げてほしいのですが。
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