アイルランド編(27):ジョイス像(08.8)

 郵便局前の横断歩道を渡り、タルボット通りを少し東に入ったところにジョイスの銅像があります。岩波文庫「ダブリンの市民」の表紙に使用されているものですね。足を組んでステッキに寄りかかり、ポケットに片手を入れた小粋な姿。このあたりは地元民ご用達の小売店が建ち並んでおり、けっこうな賑わいです。時期的にはバカンスのシーズンだと思うのですが、あまり閑散とした感じではなく、日常的な雰囲気のようでした。夏のパリだったら、犬と日本人しかいないって言われるのにね。長期のバカンスに出かける習慣がないのか、あるいは不景気によるものかは判断がつきません。この通りを東へ東へ歩くと、コノリー駅に着きます。途中で、"POLSKI"という看板をいくつか見かけたのですが、ポーランド人が経営する商店でしょう。そういえば、さきほどのツァー・ガイド氏が「15年ほど前から、ポーランドからの移民が急増した」と言っておられました。同じカトリック国ということで、移住先や出稼ぎ先に選んだのでしょうか。
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 駅近くの歩道には"IN MEMORY OF THE VICTIMS WHO DIED IN DUBLIN AND MONAGHAN BOMBINGS 1974"と刻まれ、十六名の氏名が記されたモニュメントが建てられています。うむむ、北アイルランド紛争に関係してダブリンで起きた爆弾テロによる犠牲者を追悼する碑だとは思いますが、不勉強なため詳細についてはお手上げでした。今調べてみてあらためて、問題の深刻さと複雑を痛感した次第です。それでは北アイルランド紛争の歴史についてひとくさりまとめておきましょう。なお「Six String Street」というサイトが大変参考になりました。画面を借りて感謝いたします。
 さきほども見たように、1949年、アイルランドは共和国を宣言してイギリス連邦から脱退しましたが、ベルファストを中心とする北部(アルスター地方の6県)は連邦にとどまりました。イギリスからのプロテスタント系移住民が多いという理由でしたが、実際にはカトリック系住民が人口の約40%をしめており、無理のある措置でした。その後北アイルランドでは、就職・住宅・選挙などにおけるカトリック系住民への差別が続き、プロテスタント系住民との間の反目・対立が激化することになります。1967年ごろから、 マーティン・ルーサー・キングJr.牧師の黒人公民権運動に影響されて、プロテスタントによるカトリックへの差別停止を訴える公民権運動が活発となりました。これに対して武装警察や民間警察が激しい弾圧や暴力行為を行ったため、武力闘争を訴えるIRA(アイルランド共和軍)の活動も先鋭化し、またカトリック系住民の支持を集めました。そして1972年1月30日、北アイルランドのデリーで、公民権協会による平和的なデモにイギリス第一歩兵大隊パラシュート連隊が発砲し、非武装のカトリック系一般住民14名が射殺される(うち5名は背後から射撃される)、いわゆる「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」が起こります。この事件にアイルランド国民および共和国は激怒し、ダブリンのイギリス大使館が焼きうちにあうなど、各地で抗議デモや報復、大混乱が多発しました。これ以後の1974年から78年にかけて、カトリック系・プロテスタント系双方の武装組織によるテロ行為が悪化、毎年200~300人の一般市民を巻き込んだ死者がでています。そのうちの一つに、1974年5月17日、爆弾テロによりダブリンで25人が、モナハンで6人が死亡した事件があります。死亡者の数が違うのが気になりますが、コノリー駅前のモニュメントはこの事件を追悼しているのではないでしょうか。なお爆弾を仕掛けたのは、イギリスによる北アイルランド統治継続を望むプロテスタント系武装組織で、その背後にはイギリス情報当局の援助があったという説もあります。
 1979年、エリザベス女王の伯父にあたるマウントバッテン卿がIRAの時限爆弾にて死亡し、サッチャー首相はIRAの撲滅を宣言します。これに対して1984年にはサッチャー首相暗殺が実行されますが失敗、しかし代わりに5名が死亡、30人が重軽傷を負います。この後双方による数え切れない暗殺、報復、爆弾テロが80年代いっぱい相次ぎ、毎年100~200名以上が死亡しました。その後紆余曲折を経て、IRAの停戦宣言、そして1998年には「イースター合意」が成立して翌年に北アイルランド自治政府が誕生しました。ようやく平和的解決への糸口が見えてきたところですが、まだ様々な面での対立は燻っており予断は許されない状況のようです。

 このモニュメントに出会えたおかげで、歴史・宗教・政治が複雑に絡み合ったこの紛争の一端を知ることができました。石に字が刻まれただけの地味な碑でも、歴史的な多くの出来事を調べ、知り、考えるための縁(よすが)になってくれるのだということをあらためて痛感。同時に、誰にも記憶されない忘れられた悲劇が過去、そして現在、あまたあることも銘肝しましょう。そうした悲劇を記録し伝達し報道することが、必ずや抑止力となることを信じます。実は旅行中のある日TVニュースが"Georgia conflict"について報道していました。はじめはアメリカのジョージア州で何か起きたのかな、と間抜けなことを考えていたのですが、画面の地図を見てはっとしました。黒海とカスピ海の間… グルジアだ… ロシア軍による軍事侵攻か、これはチェチェン紛争とも何か関係するのかもしれないぞ、とお粗末な語学力を精一杯駆使して、旅行中は連日ニュースを見続けました。しかし帰国後、日本のTVを見ると北京オリンピックで大はしゃぎ、グルジアの「グ」の字もでてきません。視聴率稼ぎに奔走するジャーナリズムに問題があるのか、あるいは重要な事件に無関心な視聴者に問題があるのか、たぶん両方でしょうね。歴史と他者に対する想像力と関心の欠如、これはわれわれの宿痾なのかもしれません。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-04-13 06:07 | 海外 | Comments(0)
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