言葉の花綵6

 物質進歩の力らハ人の力らを造り又天国をも造る。然れども此天国ハ多くの人を殺して造る天国なり。(田中正造)

 山川は天下の源なり。山又川の元なり。古人の心ありてたて置し山沢をきりあらし、一旦の利を貪るものは、子孫亡るといへり。(熊沢番山)

 ボディ-にMOF(大蔵省)と染め抜いたパトカ-に先導されて、証券会社の車の列が交差点をノンストップで走りすぎた。ところが、いつの間にかパトカ-が消え、右往左往していると、別のパトカ-がやって来て『御用だ!道路交通法違反で逮捕する』となった。(田淵節也)


 機微を察し、信念をもちつづけ、楽しむときは楽しむ心

 「日の丸ですか?もしもほんとに平和の象徴なら、そして世界中の人もそう思ってくれるのなら、あの旗でもかまわないんだけどねえ。」 

 日常的行為の中にひそむ抽象的禁圧を見逃さない性分、常識の専横を感じとる能力

 勇気ある少数派の存在はとくに貴重になる。権利というのは利益を得る権利以上のもの、あるいはそれとはべつのものだとは言っても、その意味は不確実であるかぎり 権利の定式化と擁護は、不当な扱いをうけた少数派の抗議がなければむずかしい。とりわけ、だれもが成功にあずかり、それゆえに自由であるかに見える社会では、だれかの不自由の明らかな証拠があれば、すべての者にいつか降りかかってくるかもしれない不自由のしるしとして、それを役立てねばならない。なんらかの点で他の人とちがう人は、もっとも被害を受けやすく、それゆえに不当な束縛や圧力を敏感に感じとるから、彼らこそ、万人の自由が現にあるかどうかを確証し、それが現実となるよう努力するほかはない人々なのである。権利というのは、試さずに放っておけば目に見えなくなるもので、そういう状態は抑圧や自己満足からも生じうる。今日の日本のように、市民の圧倒的多数が自分は多数派に属していると信じ、その信念が日々、国民的アイデンティティの核として強化されている社会では、万人の権利のためにたたかう少数派にのしかかる負担は耐えがたい重さとなるばかりだ。だからこそ、多数派が少数派に負うているのは、けっして寛容とか度量の大きさとかの問題ではない。そんなものは慈善をあいまいに世俗化した観念でしかない。少数派がたたかっているのは、彼ら自身のためであるのと同時に、多数派のためでもあるのだ。

 ふつうの幸せへの不屈の希求があったから、それを掘りくずす力にたいしては、残酷な力であれ、捉えがたい微妙な力であれ、彼女は敏感になったのだと言えよう。…国家というのは自衛隊や隊友会や護国神社だけではなく、べつのかたちをとることもありうると理解できた。…ふつうの日本の寡婦が明らかに常識的な日本流のやり方に異議を唱えたことに眉をひそめ、怒りをぶつけてきさえする何十人もの見ず知らずの人、こういう人たちの姿をとることもあると。

 自分にできることはごく僅かでしかない、でもひょっとしたら自分にしかできないことがあるかもしれない。(ノ-マ・フィ-ルド『天皇の逝く国で』)

 この粛清政治の烈しさが当時の官僚に与えた恐怖感と、彼らの処世のむずかしさとを物語る話がある。昼あんどんと呼ばれた宰相の婁師徳が、息子の初任官にあたってその心構えをたずねたところ、息子は、他人が己れの顔に青啖をはきかけたら黙ってぬぐいとると答えた。老宰相は嘆息して、「お前は見込みがない。ぬぐいとるということがそもそも反抗をしめすものだ。わしなら自然にかわくまでじっとしておく。」と諭したという話である。(三田村泰助『宦官』)
by sabasaba13 | 2009-05-21 06:06 | 言葉の花綵 | Comments(0)
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