「子供の情景」

c0051620_6102263.jpg 神保町の岩波ホールで、ハナ・マフマルバフ監督の「子供の情景」を見てきました。山ノ神と切符売場で待ち合わせて、近くの「揚子江菜館」で夕食。上海肉絲炒麺(上海式肉焼そば)のシンプルで深みのある味つけとコシのある細麺の絶妙なバランスを堪能いたしました。そして館内に入りましたが、観客は少なくちょっと残念。「カンダハール」の監督、モフセン・マフマルバフの息女にして、芳紀十九歳という若い才能の煌きにもうすこし期待が集まってもいいと思うのですが。
 冒頭でいきなり、2001年3月、タリバンによってバーミヤンの石仏が破壊されるシーンが映しだされます。これはいったい何を暗示するのか… 話の舞台はそのバーミヤン、六歳の少女バクタイは、隣の男の子アッバスが勉強しているのを見て、自分も学校に行きたいと思います。彼に「鉛筆とノートが必要」と言われたバクタイは、家の鶏が産んだ卵を持って町に出かけ、苦心惨憺のうえやっと10ルピーを手に入れ、雑貨店でノートを買うことができました。鉛筆は買えなかったので、お母さんの口紅が代用です。を代わりにすればいいんだ。バクタイは心を弾ませてアッバスと学校へ向かいますが、そこは男の子だけの学校で、女の子は勉強させてもらえません。彼女は教師に何度も頼むが追い払われ、仕方なく川の向こう岸にある女の子の学校に向かいます。しかし、その途中、バーミヤンの破壊された仏像の前でタリバンをまねた"戦争ごっこ"をしている少年たちに取り囲まれます。少年たちは「女は勉強するな」と、バクタイの大事なノートを奪い、破り取ったページで紙飛行機を折って飛ばしてしまいます。さらに「女は髪を見せるな」と、眼と口のところに穴を開けた、まるでブルカのような紙袋をかぶせ、岩山の洞窟に監禁してしまいました。そこには、同じように捉えられた女の子たちがいたのですが、バクタイはすきを見て逃げ出すことに成功します。やっと女子学校の教室にもぐりこめたのですが、口紅でいたずらをやらかした挙句、女性教師によって追い出されてしまいます。彼女をさがしていたアッバスと出会い、いっしょに家へ帰ろうとすると、さきほどの少年たちがまた現れ「ぶち殺せ!」と二人をおいまわします。殺されたふりをして倒れるアッバス、「戦争ごっこは嫌いよ」と逃げ惑うバクタイ。「死ぬんだよ、死ねばほっといてもらえる」と彼は叫びますが、バクタイは逃げ続けます。アッバスの叫び。「バクタイ! 自由になりたいなら、死ね!」 自らの影の上に倒れこむバクタイ。そしてバーミヤンの石仏が破壊されるシーンがふたたび映しだされます。

 とにかく主人公のバクタイを演じたニクバクト・ノルーズの愛くるしさと毅然とした闊達さにはまいりました。峻厳な岩山・荒地といったアフガニスタンの厳しい自然、文房具も買ってもらえない経済的な苦境、子供たちの遊びにも影を落す長年の戦争、女性の社会的地位の低さ、そうした過酷な環境の中で、明るくたくましく生きていく少女を見事に演じきっていました。しかし、二度にわたる仏像の破壊シーンは、そして原題の"Buddha Collapsed out of Shame"は何を意味するのか。この映画には底深い奥がありそうです。それを考えるヒントが二つあります。まず、「この映画でいちばん描きたかったことは?」という質問に対するハナ・マフマルバフ監督の答えです。
 暴力についてです。暴力によっていちばん傷つくのは子供です。そして子供は未来です。この映画は大人の前に置いた鏡でもあります。大人たちに「これでいいんですか?」と言っている映画です。
 そして原題です。ブッダ、collapse(崩壊する)、shame(恥)… 思い当たりました、父君のモフセン・マフマルバフが語った言葉の一節です。本棚をひっかきまわして、ようやく見つけ出したのが「現代思想 これは戦争か」(2001.10 第29巻第13号)という雑誌。9.11直後に発売された臨時増刊号です。その中に「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」という彼のエッセイがあります。以下、その一部を引用します。
 バーミヤンの世界最大の仏像の破壊は、世界中の同情を集め、仏像を守ろうとする芸術文化の全ての支持者を引きつけた。しかしなぜ、国連高等弁務官の緒方氏を除いて、このひどい飢饉によって死んだ100万人のアフガン人に対しては、誰も悲しみを表明しないのか。なぜ誰もこの高い死亡率の原因について発言しないのか。腹を空かせたアフガン人の死を防ぐ手だてについては話されないのに、なぜ皆仏像の破壊についてそんなに声高に叫ぶのか。現代の世界では、人間よりも像のほうが大事にされるのか。(中略)
 私は、あの仏像は誰が破壊したものでもないという結論に達した。仏像は恥のために倒れたのだ。アフガニスタンに対する世界の無知の恥からだ。仏像の偉大さなど何の足しにもならないと知って倒れたのだ。(p.68)
 学校に行けない子供、殺人・監禁・拷問ごっこで遊ぶ子供、女の子を差別する子供、地雷原の間の細い道を駆け抜ける子供、傷つけられ傷つける子供… 子供たちは、大人が作った世界で生きています。しかしこうした世界を作った大人たちは、子供=未来を傷つけることになんら痛痒を感じていないようです。最後の場面でバクタイが倒れたのは"戦争ごっこ"を受入れたからではなく、大人・われわれ・世界の無知と無為を恥ずかしく思ったからかもしれません。バーミヤンの仏像のように…
 オバマ大統領にぜひ見てほしい映画ですが、たぶん見ないだろうなあ、見ても何にも感じないだろうなあ。
by sabasaba13 | 2009-06-15 06:10 | 映画 | Comments(0)
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