東京の奉安殿編(2):(08.9)

 そしてこの奉安殿をめぐる戦前の情景をビビッドに描いてくれたのが「少年H」(妹尾河童 新潮文庫)です。該当の場面を、以下引用します。
 Hが通っている長楽小学校の正門を入ると右は砂場、左側に土俵とその隣に奉安殿があった。奉安殿というのは、天皇、皇后両陛下の御真影と教育勅語が納められている、コンクリート造りの金庫のような建物であった。「御真影」とは、陛下の姿を写した写真のことである。生徒たちは、毎日の登校時と下校時には、必ず奉安殿に最敬礼しなくてはならない決まりになっていた。その御真影は、祝日の式典のとき講堂に移され、演壇の後ろの正面に飾られるのだが、蛇腹のカーテンの中に安置されていて、生徒たちは直接それを目にすることはできなかった。御真影がどんな写真かを見るどころか、奉安殿から講堂に運び移されるのを見た者もいなかった。Hはそれを見たかった。ついでに、奉安殿の中がどうなっているのかも、ぜひ覗いてみたかった。Hは仲間をつのって一緒に見ようと思ったが、だれも見たいといわなかった。しかたなくH一人だけで、天皇陛下の御誕生日の「天長節」の式が始まる一時間半も前に登校し、奉安殿の前でずっと待っていた。
 三十分ほどすると、モーニングを着た礼装の校長先生と教頭先生が、ほとんど同時にやってきて、足早に正面玄関の石段をあがっていった。しばらくするとまた玄関に姿を現し、Hのいる奉安殿に向かって歩いてきた。今度は手に黒塗りの角盆を持って、二人ともムズカシそうな顔をしていた。Hは、叱られるのではないかとちょっと心配になったが、何もいわれなかったのでホッとして「おはようございます」といった。でも、その声がまるで聞こえなかったかのように無視された。教頭先生が手に持っていた鍵で扉の錠を開けようとしたとき、Hは近寄って中を覗こうとした。すると校長先生が急に大きな声で「最敬礼」といったので、慌てて頭をさげた。しばらく礼をしたままでいたが、錠の閉まる音がしたのでそっと頭をあげると、もう扉は閉まっていた。結局、Hには何も見えなかった。気がついたときは、校長先生が紫色の風呂敷に包んだ大きな四角い箱を、目の高さまであげ、そのままの格好で校舎の方に歩きだすところだった。その後ろ姿をみながら、Hは「御真影を見るのはやっぱり無理なんやなあ」と思った。「どうやった?」と登校してきた友人が聞いたので、「なんにも見えへんかった」というと、「そやろと思ってた。お前は何でも知りたがり屋やからなあ」とバカにしたようにいった。「ぼくは、何に最敬礼してるんかわかっていたいんや」といい返した。
 なぜ私は奉安殿に興味をもつのか。思うに、それが教育の場において、子供たちに「権威への盲従」をすりこむための仕掛けであるからです。日本の近代において(現代においても)、その最も重要な教育目標は国家(実態は官僚・財界を中枢とするシステム)への従順さを育成することであり続けます。初代文部大臣の森有礼が述べた言葉の残響がいまだに響いているわけですね。
諸学校ヲ通ジ学政上ニ於テハ生徒其人ノ為メニスルニ非ズシテ、国家ノ為ニスルコトヲ始終記憶セザル可ラズ。(1889)

従順ナル気質ヲ開発スベキ教育ヲナスコトナリ。唯命是レ従フト云フ義ニシテ、此従順ノ教育ヲ施シテ之ヲ習慣トナサゞルベカラズ。(1885)

以上…ノ目的ヲ達セントスルニ就キテ其幇助トナルモノ…道具責(どうぐぜめ)ノ方法アリ。(1885)
 その目的を達成するために、学校行事などの「道具」を使って子供たちを「責」めたてる。その一つが奉安殿ではなかったのか。隠された見えないモノに日々最敬礼をさせるというやり方もきわめて巧妙ですね。子供たちの想像の世界の中で、目に見えない分だけ天皇という権威が際限なく増幅されていくという仕掛けです。そうした幻惑を打ち破る第一歩は、Hのように、頭を下げさせられる対象を見ようとする/知ろうとすることだと思います。権威に盲従するという心性を拒否し、批判的精神を持ち続けるための恰好の刺激的な材料となるのが、この奉安殿です。
by sabasaba13 | 2009-06-19 06:08 | 東京 | Comments(0)
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