紀伊編(7):下赤坂の棚田~浜寺公園駅(08.9)

 この広場からは棚田のほぼ全貌を見下ろすことができます。ちょうど稲刈り直前で、黄金色に輝き頭を垂れる稲穂が秋風に揺れていました。眼下遠くに広がる富田林の街並みや大阪平野を眺めながら、腰をおろして紫煙をくゆらし、しばし虫の音と鳥の声と風の音を堪能しました。それでは少し徘徊することにしますか。
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 電線を張り巡らしているところがありましたが、猪よけでしょう。奥の方にも棚田は広がっていますが、こちらは耕作放棄地が多いように見受けられました。一部はコスモス畑として利用されています。またオーナー制度も行われていないようですね、地元農家の方が中心となって耕作をされているのでしょう。実は事前にインターネットで調べたところによると、この時期は彼岸花がところ狭しと咲き誇るそうですが、残念ながらほとんど見かけませんでした。9月26日では開花にはまだ早いのかな。
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 あっという間に時間は過ぎ去り、そろそろバスの到着時刻です。棚田に別れを告げ、十分ほど歩いてバス停に戻り、定刻通りやってきたバスに乗り込みました。乗客は私一人、指定席の左側最前列の席に座ると、運転手さんは往きのバスと同じ方でした。「用事終わりましたん?」と言われたので「いやあ実は棚田見物でして」と答え、しばし和やかな歓談が続きます。途中で、家々に埋もれたような半鐘を発見したのであわてて最後部に移動し撮影。このあたりは白塗りの藏が目立つ街並みですが、山一つ越えると奈良なので流通の拠点として栄えたのかもしれません。
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 駅に到着し、運転手さんにお礼を言って下車、これから辰野金吾設計による浜寺公園駅へと向かいます。富田林から近鉄長野線で河内長野へ、南海高野線に乗り換えて天下茶屋へ、そして南海線に乗り換えて浜寺公園駅に到着です。所要時間は一時間強といったところですか。さっそく下車して、駅舎を拝見することにしました。平屋の白塗り洋風木造建築、柱の骨組みを装飾として壁面に残すハーフチンバー様式と三角破風のぺディメント、ぽんぽんぽんぽんと軽快に並ぶドーマ(屋根窓)が印象的です。正面玄関の四本の柱はまるでとっくりのようなユニークな意匠。駅舎内に解説があったので紹介しますと、明治末期ごろこのあたりはひと夏100万人といわれるほど多くの海水浴客がおしよせていたそうです。それに対応するために難波~浜寺公園間が電化され、あわせて東洋一の海水浴場にふさわしい駅舎として1907(明治40)年につくられたのがこの駅で、現役最古の洋風駅舎だそうです。設計は、東京駅や日本銀行本店を手がけた近代建築界の草分け、辰野金吾。ちなみにとっくり型の柱は、鹿鳴館二階ベランダ部分と似た意匠であるとのこと。重厚な煉瓦建築を得意とした辰野金吾が、こんな瀟洒で軽快な建築を設計したとは意外でした。古い駅舎がどんどん壊されている昨今、ぜひとも末永く保存していただきたいものです。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-06 06:12 | 近畿 | Comments(0)
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