紀伊編(11):日の岬(08.9)

 バス停の前に何やら記念碑らしきものがあったので近づいてみると、さきほどの謎がとけました。解説板によると、1957(昭和32)年、この近くの海上で日本漁船が火災を起こしたそうです。そこにたまたま通りかかったデンマーク船エレン・マークス号が救命艇を出し救助活動を行いますが、日本人船員一人が海中に転落してしまいました。同船乗組員のヨハネス・クヌッセン機関長(39)は暗夜の激浪の中へ飛び込み、彼を救おうとしますが荒れ狂う波間に姿を消し、翌日水死体として発見されました。うーん、見ず知らずの異国人を救うために嵐の海に飛び込むなんてすごい勇気ですね、衷心より哀悼の意を表し物言わぬ石碑に合掌。それではお目当ての灯台へと向かいましょう。坂道を下る途中に、1918(大正7)年、若山牧水が熊野に向かう時に日の岬沖で詠んだ歌の碑がありました。「日の岬越ゆとふ今をいちしろくふねど傾く暗き雨夜に」
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 車道を下ると灯台へと続く脇道があり、少し歩くと白亜の日ノ御埼灯台とご対面です。紀伊水道を航行する船のみちしるべとして1895(明治28)年に点灯しましたが、1945(昭和20)年に戦災で消失、その後1951(昭和26)年に再建されたと解説板にはありました。なお大型灯台として初のタイル張りだそうです。内部へは入れず、また周囲を鬱蒼とした木立が覆っているため眺望はよくありません。
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 ふたたびバス停へと戻り、その近くの階段を上ると「カナダ資料館」があり、こちらの屋上が展望台になっています。紺碧の空と海、遠方には四国を遠望することもできました。
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 それでは資料館にも寄ってみましょう。展示されている解説を読んでわかったのですが、三尾からの移民が向かったのはアメリカではなくカナダなのですね。先鞭をつけたのがやはり工野儀兵衛で、1888(明治21)年に単身でカナダに渡りサケ漁に従事、翌年から郷里の人々を呼び寄せはじめたそうです。ただし、蓄財したら帰郷するという出稼ぎ移民でした。仕事は漁業・製缶業・製材業などで、波が荒く出漁する者がいなかった西海岸の漁場を開拓したのは彼ら三尾出身者でした。他にも、移民の生活用具やトランク・衣類などが展示されています。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-14 06:22 | 近畿 | Comments(0)
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