「裸者と死者」

 「裸者と死者(上・下)」(ノーマン・メイラー 山西英一訳 新潮文庫)読了。名前は知っているけれど読んだことがない小説に挑戦してみよう、その捜査線上に浮かんだのが本書です。残念ながら絶版ですが、古本サイトによって簡単に入手できました。一瀉千里に読了、その重量感に圧倒されるような凄まじい小説でした。時は第二次世界大戦、場所は南洋に浮かぶ架空の島アノポペイ。この島のジャングルに立てこもる日本軍と、上陸したアメリカ軍との息詰まる戦闘の様子を描いた長編小説です。なおメイラーは1944年に陸軍に入隊し、南太平洋で従軍したので、その体験が色濃く反映されていることと思います。ちなみに日本の敗戦と同時に占領軍の一員として千葉県の館山に上陸、その後千葉県銚子および福島県小名浜にしばらく滞在していたそうです。
 さまざまな人間群像が織り成す壮大なドラマなのですが、中でも核となる人物は三人いるととらえました。まずはこの作戦の最高司令官であるカミングズ将軍、彼はこの戦争の目的は、正義のためではなく、国家や企業や富裕者の利益のためであるという事実を冷徹に認識しています。そしてそれに勝利し名声を得るために、綿密な作戦を立て、配下の軍隊を機械のようにフル稼働させることに快感を覚える男です。彼の言です。
 国家は、国家がもっている人的資源と物的資源の量に比例して、戦いに強くなる。それから、もうひとつの方程式は、その軍隊の個々の兵士は、それまでのかれの生活水準が貧しければ貧しいほど、いよいよ有能な兵士となる、ということだ。
 …戦争二年目の今日、りっぱな軍隊をつくる要因は、二つしかない。優秀な物力と、低い生活水準だ。(上p.280)
 軍隊を動かすのにゃ、軍隊内のすべての人間を、恐怖の梯子にかけとかなくちゃならんのだ。…目上のものにびくびくし、目下のものをけいべつするようになると、軍隊はいちばんよく機能を発揮するものだ。
 それまでは(※軍隊が敗れる時)、憎悪はただかれら(※兵士)の内部でうっせきされて、やつらをもっとよく戦うようにさせるだけだ。やつらはそれをわれわれ(※上官)にむけることができん。そこで、そいつを敵にむけるのだ。(上p.282)
 将軍の部下であるロバート・ハーン少尉、戦争や軍隊の非人間的要素を否定する理想主義者で、カミングズに対してしばしば反抗的態度をとります。カミングズは彼の一途さに好意をもちますが、同時に完膚なきまでに屈服させようとします。ハーンと将軍の会話です。
 (カミングズ将軍)「ロバート、いったいきみは、われわれがなぜこの戦争をやっているか、考えたことがあるかね?」
 …「さあ、ぼくにはよくわかりませんが、いろんな矛盾はあるにはありますが、客観的には、われわれのほうが正しいと思います。つまり、ヨーロッパにおいては、です。ですが、こちらでは、ぼくの関するかぎり、これは五分五分の帝国主義戦争ですよ。われわれがアジアをくすねてしまうか、日本がくすねてしまうかです。われわれの手段のほうが、多少徹底的でないかもしれません」(上p.518)

 戦争にはひとつの浸透性があるんです。あなたがなんとおよびになろうと、それはご勝手ですが、勝者はつねに、えてして、その…ええと、その敗者の飾り物を身につけるものです。(上p.519)
 そして叩き上げの軍人、クロフト軍曹。部下を締め上げ締め付け完璧に統率することに、狂気のような熱意をもつタフな男です。そして己の掲げた目的(たとえそれが戦闘における勝利と関係なくとも)を達成するためには手段を選ばず、邁進します。過酷で非人間的な行軍に反発した部下のレッドとクロフトの会話です。
 クロフトはかれのほうへふりかえった。「オーライ、レッド、背嚢をとってこい」
 「くそでもくらえ」
 「三、四秒したら、きさまを撃つぞ」 かれは六フィートはなれてたって、銃をかまえた。銃口は徐々にレッドにむけられた。レッドはいつかクロフトの顔の表情をじっと見まもっていた。
 …クロフトはきっと撃つ。それは明らかだ。レッドはクロフトの目を見つめながら、体を硬直させてたっていた。「そんなふうに人間を撃ち殺すんだな?」
 「そうだ」 ぐずついたってむだだ。クロフトは自分を撃ち殺したいとおもっているのだ。…血が頭でどきどきいっているのがわかった。まっているあいだに、意志の力が徐々にぬけていった。
 「どうする、レッド?」
 クロフトはまるでもっと正確に狙いをさだめようとするかのように、小さな輪をえがいて銃口をうごかした。レッドは引き金をあてたかれの指を見まもった。指がしまりはじめると、さっと緊張した。
 「OK、クロフト、きさまの勝ちだ」 (下p.552)
 この三人を狂言回しとしながら、ストーリーはまるで重戦車のように進んでいきます。そして時々、登場人物の生い立ちや入隊前の人生を紹介する「The Time Machine」という章がはさみこまれ、物語に深みと奥行きを加えます。人間に対するその怜悧な観察力と表現力にはまいった。例えば、クロフトはこう紹介されています。
 中背で、やさがたの男だが、体をまっすぐにしているので、高くみえる。細い三角形の顔は、全然無表情である。がっしりとした小さな顎、こけてひきしまった頬、まっすぐにとおった短い鼻には、憔悴のあとはみじんもない。凍ったような冷たい目は、非情に青い……有能で、強力で、ふだんは心は空である。かれの主な気分は、ほとんど他のすべてにたいする、傲然としたけいべつである。かれは弱さを憎悪し、そして、ほとんどなにひとつ愛しない。かれの魂には、粗野で未発達な直観力があるが、自分ではほとんどそれを意識しない。(上p.250)
 日本軍の奇襲に怯えながら、澱み腐乱したような日常が過ぎていきますが、カミングズ将軍に発案により局面打開のために日本軍の背後を斥候するという作戦が決行されます。その任務を銘じられたのがクロフトの部隊、そして将軍はあえてハーンを司令官として同行させます。急流、密林、湿度、疲労、過酷な行程のなかで、何とかして人間味を見せながら部隊を掌握しようとするハーンと、彼を憎悪するクロフト。そして気配の見えない日本軍。息詰まるような展開のあと、物語は一気にクライマックスへ…

 人間心理に対する呵責のない怜悧な観察、戦闘状態にある人間の眼に映る自然の表現、そして戦闘とその結果を容赦なく暴く緻密な描写。これほど圧倒的な文章表現にはなかなか出会えるものではありません。贅言などやめて、いくつか引用しましょう。例えば…
 なにもかも、森と静まりかえっていた。密林は、おもわず息をひそませるほどの威圧的な沈黙をもって、不吉な静寂に沈んでいた。かれはまった。すると、とつぜん、夜の森のありとあらゆる物音―こおろぎ、蛙、叢をひっかくとかげ、風にそよぐ木の音―に気づいた。やがて、物音は消えてしまったようにおもえた。いや、むしろかれの耳は、ただ沈黙だけを聞くことができた。数分のあいだ、物音と静寂、物音と静寂、とたえずかわった。まるで内側から外側へ、内側から外側へと、たえずひっくりかえる立方体の図のように、その二つははっきりと区別され、しかもむすびついていた。ロスは考えはじめた。遠方でひどい雷鳴がし、稲妻が光った。だが、雨のくる危険は、心配しなくてよかった。長いあいだ、かれは大砲の音に耳をすましていた。それは、しっとりしめった夜の空気のなかに、布でおおった大きなベルのようにひびいた。(上p.185)

 日本兵は死んでからもう一週間たっていて、恐ろしい肥大漢みたいに腫れあがり、そのものすごい足と腹部と臀部のため、服ははちきれていた。死骸は緑色や紫色にかわり、蛆が傷口にたかり、足をおおっていた。
 一匹一匹の蛆は、長さが半インチくらいあって、魚の腹みたいな色をしているほかは、なめくじそっくりだった。蛆は、ちょうど蜜蜂が飼い主の頭に群がるように、死骸を一面におおっていた。蛆はちょっとした肉の裂け目も、一面におおいつくし、死体のちょっとした傷口にも、一面にもぞもぞ這いまわっていたので、いったいどこを負傷したのか、知ることは、もはやできなくなっていた。ギャラガーは、蛆が列になって、死人のあんぐりあいた口のなかへ這いこんでいるのを、酔っぱらった目でどんより見まもっていた。なぜということなしに、かれは蛆がなにか音をたてるだろうとおもっていた。で、かれらが夢中になって、音もたてずに貪りくっているのを見て、腹がたった。臭気はつーんと強烈に鼻をついた。蝿は、気が狂ったように死骸の上に乱舞していた。(上p.342)
 マーチネズという兵士が、戦死した日本兵の金歯を取ろうとする場面です。
 銃がひとつ、かれの足もとにすててあった。なにも考えずに、かれはそれをひろいあげて、死骸の口をめがけて、その台尻を打ちおろした。台尻は、まるでくさってぬれている丸太に斧を切りつけたときのような音をたてた。かれは銃をふりあげて、もういちど打ちおろした。歯はぬけて、ちらばった。あるものは地面にころがり、あるものは死骸のくだかれた顎の上にちらばった。マーチネズは狂気のようになって、金歯を四つ五つひろいあげて、ポケットにいれた。かれはおそろしいほど汗をながしていた。不安が心臓の鼓動とともに、全身につたわっているような気がした。かれは二、三ど、深い息をした。すると、その不安がしだいに、退いていった。なんだか、罪悪感と歓喜のこんがらがったような気持ちがした。(上p.345)
 政府のプロパガンダによって日本人に対する憎悪・敵愾心を植えつけられていた兵士たちが、日本兵の戦死体を見て、その腐臭を嗅いで、自分と同じ人間なのだと思い至る場面も心に残ります。そして戦争に対する根源的な疑問…
 心の深い奥底で、かれは、この死体も、かつてはいろんな欲望をもっていた人間であり、自分が死ぬということなどは、いつも考えられなかったにちがいない、と考えていた。この男にも、幼年時代、少年時代、青年時代があったのだ。そして、夢もあり、おもい出もあったのだ。レッドは、まるではじめて死骸を見たように、人間て、まったくはかないものだな、とさとって、愕然とした。(上p. 348)

 死んだとき、あんなにひどくにおうんなら、人間だからって、なにもとくべつのこたぁ、ひとつもありゃあしないな。(上p.349)

 かれは、いつか兵士のひとりが、母親からおくってきた新聞の社説の切り抜きのことで、トグリオと議論したことをおもいだした。「GIは犬死したか?」
 かれはさげすむように鼻をならした。そのこたえならだれだって知っている。もちろん、GIは犬死したんだ。GIはだれだって知っている。じっさいに戦わなくちゃならんものにとっちゃ、戦争はどうにもならん。仕方がないものだ。
 「レッド、きみゃあんまり皮肉すぎるよ」と、トグリオは自分にいったっけ。
 「そうさ、なにかをよくするために戦争をやるなんて、淋病なおしに淫売屋にいくようなもんだよ」(下p.363)
 もっとも印象的な場面です。深夜、独りで偵察に行ったマーチネズが、重機関銃を抱えながら居眠りをしている日本兵に出くわしてしまいます。少しでも音を立てたら気づかれてしまう、その極限状況の中で彼は若い日本兵の姿を見ているうちに奇妙な親近感を覚えます。なぜわれわれは殺し合わなければならないのか。
 自分がかれにさわったり、よびかけたりするのをさまたげているのは、いったいなにか? 自分たちは人間だ。一瞬、戦争の全機構が、かれの頭脳のなかで揺めき、危うくくずれそうになった。ついで、また恐怖心がどっとよみがえってくるといっしょに、まえにかえった。(下p.387)
 読後、「裸者と死者」(THE NAKED AND THE DEAD)というタイトルの意味を考えてしまいました。戦場に存在するのは、泥と汗にまみれ殺し合う貧者(裸者)と、腐敗し蛆の餌となる死者、そこには米兵・日本兵の違いはない、それが戦争だ。私はそう受け取りました。ある意味では、この小説の主人公は"戦争"という恐るべき怪物なのかもしれません。超弩級の小説、お薦めです。なお残念ながら絶版ですが、古本屋や古本サイトでわりと容易に入手できるかと思います。

 追記。小説の中で、日本を訪れたことのある兵士が、その印象についてこう語っていました。
 日本はいつも美しかった。まるで展覧会場か市のためにつくられた豆絵のパノラマ風景みたいに、非現実的で、きちんとまとまった美しさをもっていた。一千年、いや、おそらくはそれ以上のあいだ、日本人は貴重な宝石を見はっている、見すぼらしい番人のように生きてきたのだ。かれらは土地をたがやし、土地のために生命を消耗しつくして、自分のためにはなにひとつのこさなかった。わずか十二のかれの目にも、女たちの顔が、アメリカの女たちの顔とちがっていることがわかった。いまふりかえってみると、日本の女たちには、かの女たちがいちども味わうことのない歓喜について、考えてみたいという願望すらすててしまっているような、奇妙な、超脱した、もの悩ましさがあった。
 美しい外観の裏には、いっさいが不毛であった。かれらの生活は、ただ労苦とあきらめの生活であった。かれらは、抽象的な技巧を丹念につくりあげ、抽象によって考え、抽象によってかたり、けっきょくなにひとついわないための、複雑きわまる儀礼を考えだし、目上のものにたいして、かつて人間が感じたことのないほどの激しい畏怖をいだきながら生きている、抽象的な国民であった。(上p.401)

by sabasaba13 | 2009-08-11 08:21 | | Comments(0)
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