肥前・筑前編(1):長崎(08.10)

 十月上旬の某日、肥前・筑前旅行を敢行してきました。今回は友人との二人旅、現地ではレンタカーを借りて移動することにします。ちなみに私、運転免許は持っておりませんので、♪運転手は君だ、車掌は僕だ♪とあいなりました。後の二人はいませんが…

 幸い好天に恵まれ、飛行機は予定通り長崎大村空港に到着。小用のためトイレに駆け込むと、小便用便器の的にはど真ん中に矢が突き刺さっています。これはレアな物件ですね。ま、自慢ですが、世界広しといえども小便器の的の写真を集めているのは不肖私ぐらいでしょうね、はははのは。いつの日にか「写真館」のコーナーで発表し、総身で顰蹙を浴びる所存です。
c0051620_7282329.jpg

 そして手配してあったレンタカーに乗り込みさあ出発です。今夜の塒は長崎なので、まずは長崎市内へと向かいましょう。二人とも何回か長崎は訪れているので、見落としているところを中心に徘徊しました。まずは山王神社二の鳥居、いわゆる一本柱鳥居です。1945(昭和20)年8月9日の原爆投下によって吹き飛ばされましたが、奇跡的に右半分だけが残ったものです。倒壊部分が後方に展示されていました。青空に向かってすっくと屹立するその姿は、人間の愚行に対して無言の抗議をしているかのようです。
c0051620_7284595.jpg

 そして向かうは亀山社中跡。車窓から道路を眺めていると、ん? え? まさか… のてのてと進む路面電車には車体全面に「チキンラーメン」の広告が描かれているではありませんか。実はインターネットで長崎に関する情報を調べていると、この電車を見かけたら幸福になれるという都市伝説があるそうです。こいつは秋から縁起が良いわい。昼食は「小龍」という地元民御用達的な雰囲気のある店でいただくことにしましょう。皿うどんには揚げた麺と普通の麺の二種類があるそうで、ご主人に地元ではどちらがスタンダードかと訊ねたところ、前者だというお答え。When in Roma, do as the Romans do. もちろん揚げた麺を注文、顎がくたびれるぐらい山盛りの皿うどんをいただきました。
c0051620_729821.jpg

 そして中島川近くの駐車場に車を置き、川にかかる石橋群の風情ある姿を楽しみながら付近を散策。大井手橋の先にある禅林寺には、白漆喰にさまざまな形・色の石を埋め込んだ塀がありました。どこかで見たことがあるぞ… そうだ、大村にあった五色塀だ。このあたりに共通する趣味嗜好なのでしょう。
c0051620_7292838.jpg

 その脇に「龍馬通り」という細い坂道があり、ここをずんずんとのぼっていきます。途中には亀山社中で活躍したみなさんを紹介するプレートが並んでおりました。
c0051620_7294981.jpg

 数分ほど歩くと「亀山社中の跡」という小さな碑が立っていました。坂本龍馬が、薩摩・長州の連合に奔走しながら、1865(慶応元)年閏5月ごろに、薩摩藩の援助で設立した海軍・商社的性格を持った浪士結社ですね。交易の仲介や物資の運搬等で利益を得ながら、海軍・航海の技術を習得することが主眼でしたが、最大の目的はこれらのビジネス活動を通じて薩長の手を握らせることにありました。1866(慶応2)年6月、下関における幕府との海戦(第二次長州征伐)では長州の軍艦「ユニオン号」に乗り組んで参加し、長州の勝利に大きく貢献。 しかし、経済的に行き詰まり、1867(慶応3)年4月には土佐藩の援助を受けて海援隊へと発展的解消をしました。こんな高い所にあったら海まで行くのは大変だったろうなあ、といらぬ心配をしながら後ろを振り返ると山の斜面まで甍の波が埋めつくす長崎の町が一望できました。そのすぐ先には龍馬のぶーつ像、彼が履いていたブーツを大きくしたものと、舵があります。いずれも銅製で、これを履いて舵を握って遠方を眺めれば気分は龍馬というわけですね。「亀山社中ば活かす会」が同社中創設130年を記念してつくられたそうです。その下では、「くよくよしゃいかんぜよ」とばかりに野良猫が悠然と毛づくろいをしておりました。
c0051620_7301190.jpg


 本日の五枚です。
c0051620_7303249.jpg

c0051620_7304778.jpg

c0051620_731439.jpg

c0051620_731213.jpg

c0051620_7313779.jpg

by sabasaba13 | 2009-08-12 07:33 | 九州 | Comments(0)
<< 肥前・筑前編(2):長崎(08... 「裸者と死者」 >>