肥前・筑前編(3):長崎(08.10)

 下にたどりつくと、どうやら大光寺というお寺さんの墓所だったようです。門前にはやはり五色塀、そして「本木昌造先生墓所」というプレートがありました。本木昌造といえば、うろ覚えの大学受験知識では鉛製活字の量産技術を開発して活版印刷の発展に寄与した人物ですね。スーパーニッポニカでもう少し補足すると、彼もオランダ通詞・本木家の出身です。そして幅広い活躍をした方であることがわかりました。ロシア使節プチャーチンの通訳として伊豆戸田でロシア艦の建造に関係し、幕府の長崎海軍伝習所通訳となったことから航海、製鉄術を習得。また幕府の長崎飽ノ浦製鉄所頭取となり、西ノ浜鉄橋を架設し、その間蒸気船を輸入し自ら船長として航海もしたそうです。そして明治維新以後は、長崎新町に活版所を創設、明朝活字といわれる大小各種金属活字の合理的なシステム、活字への日本の書のもつ美しさの導入、また印刷業の利潤を割いての長崎新塾開設による新しい市民の育成など、単なるテクノクラートにとどまらぬ人物だったのですね。合掌。
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 そしてすぐ近くにある崇福寺へ。黄檗宗のお寺さんで、1632(寛永9)年、長崎にいた中国福建省の商人王氏らが福州人の菩提寺として創建したそうです。明の様式を強く取り入れた異国情緒あふれる諸建築が見ものですね。
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 そして思案橋から路面電車に乗り、出島へと向かいましょう。東側の裏門から入ろうとしたところ、「九州で最初に電話交換を開始した 長崎電話交換局之跡」という小さな石碑がありました。その先には、いかにも時代がかった武骨な鉄製の橋が見えています。いそいそと近づいてみると、1890(明治23)年に中島川河口にかけられた橋で、その後ここに移設され、現在では「出島橋」と呼ばれているとのこと。プラットトラス構造で、鉄材はアメリカから輸入、架設工事は日本土木会社が担当、一般に使用されている道路橋としては日本最古のものだそうです。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-14 07:25 | 九州 | Comments(0)
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