それでは太宰府天満宮へと向かいましょう。ここからは三十分ほどですぐ到着です。車を駐車場に置いてさっそく散策を開始。まず観光案内所で地図をもらったところ、水城が近くにあるのですね。これは後でぜひ寄ってみましょう。善男善女でごったがえす参道をすこし歩くと、正面にあるのが延壽王院。
解説板によると、1865(慶応1)年から約三年間、朝廷を追われた三条実美ら尊王攘夷派の五人の公卿(五卿)がここに滞在したそうです。その間、西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬らがしばしばここを訪れたとのこと。以前に行った
瀬戸内旅行では五卿落ちに関連する史跡にずいぶんと出会えましたが、ここが終着地だったのですね。うしっ、次のテーマは「五卿落ちをたどる旅」…ううむいまひとつ胸がときめかないな、やっぱやめた。
左に曲がり心字池にかかる太鼓橋を渡ると正面が、菅原道真をまつる太宰府天満宮本殿です。学生諸君がかなりまじな表情で一心不乱に祈っている姿が印象的でした。そしてここから数分ほど歩くと、最近できた九州国立博物館があります。ま、ものはためし、旅の恥はかきすて、盗っ人に負い銭、入館してみることにしましょう。…特記事項なし。小生が理想とするのは「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに(by井上ひさし氏)」展示しようと努力する博物館ですが、こちらはただただ無難に無難にという姿勢が見え見え、高い志操は感じられません。典型的な箱物行政の所産、といっては言い過ぎかな。"我をして九州国立博物館長たらしめば"、うーんそうですね、実物大のジオラマをつくって「あの米を奪え! 逆茂木すりぬけV字環濠渡り塀よじのぼり体験」を子供たちにしてもらうなんてえのは…御免なさい、しょぼいですね。
さてそれでは車に乗り込み、水城(みずき)へと行きましょう。数分ほどで到着、さっそく車を停めて近くまで行ってみましょう。水城について、岩波日本史辞典から引用します。
664(天智3)年に唐・新羅の侵攻に備え築かれた土塁の防衛施設。福岡県太宰府市・大野城市・春日市。主体は全長1.4km,幅80m,高さ約10mの人工の盛土で、前面に濠を掘る。周辺の土塁や大野城・基肄(きい)城とともに、大宰府防衛のための羅城を構成。国特別史跡。
付言しますと、古代史最大の事件である白村江の戦い(663)で、唐・新羅連合軍に惨敗を喫し、その列島への追撃・侵攻を恐怖しての措置ですね。小高い台形状の盛土の上にのぼると、道路で切断されているもの、その向こうにこんもりと木が生い茂った水城が続いているのが見えます。工作機械もなかった当時、民衆を動員しての大工事であったことが一目見ただけでしのばれます。そして大宰府跡、元観世音寺の戒壇院(東大寺・下野薬師寺とならぶ天下三戒壇)を見学。途中にあった大宰府展示観の前には、当時の官僚夫妻を模した顔はめ看板がありました。もしや菅公かもしれせぬが。そして福岡空港まで行き、車を返却して帰郷。友人のKさんにはいろいろとお世話になりました。ディスプレイを借りてお礼を申し上げます。
本日の一枚は水城です。