東北錦秋編(7):アスピーテライン(08.10)

 朝、六時ごろ目覚めてカーテンを開けると、曇天ながらも薄日がさしています。どうやら天気予報の通り雨は降りそうもありません、やれやれ良かった。さてそれでは朝飯前の散歩をしてきましょうか。思ったよりも寒くはなく、厚手のワイシャツ+ベスト+薄手のウィンドブレーカーで十分でした。ホテルの前にある牧場やブナ林、ゲレンデのあたりを散策、もう紅葉は終わりのようです。
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 気持ちよくお腹が減ったところで朝食会場へ、夕食と同様、ゲレ食状態でした。しかし「食うべきほどのものは食う」、しっかりと食べたいものを確保してご馳走さま。部屋で一休みした後、荷物をまとめ、集合時間の五分前にホテル玄関前に行きました。さすがは同行のみなさん、パック旅行には手馴れているようで、遅刻者はなし。予定通りバスは出発、アスピーテラインを走って八幡平をめざします。途中、岩手山の全貌をはじめて見ることができました。ガイドさん曰く、片側の稜線はなだらかで、もう片方の稜線はぎざぎざしているので、南部片冨士と呼ばれているそうです。そしてバスはぐんぐんと坂道をのぼっていきますが、立ち枯れた木々をよく見かけます。ガイドさんによると、かつて硫黄を採掘していた松尾鉱山による煙害の影響だそうです。そして時々ガイドさんが遠方に見える廃墟となった建物群や煙突などを指差してくれました。
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 いまウィキペディアで調べたところ、下記のことがわかりました。以下、引用します。
 鉱山周辺は標高1,000mを超える山間僻地という条件であり、太平洋戦争後は労働者の確保を図るために家族も含めた福利厚生施設の充実は急務とされた。このため公団住宅が一般化する前から、水洗トイレ・セントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリートによる集合住宅や小・中学校、病院、活躍している芸能人を招いて公演を催す会館など、当時の日本における最先端の施設を備えた近代的な都市が形成されていたことでも知られ、雲上の楽園とも呼ばれた。閉山の翌年の1970年には住民が退去し、現在はそれらの建物が山中に廃墟として残っている。
 そして今では屈指の廃墟および心霊スポットとして名を馳せているそうです。へええ、それでは再訪を期す…ほど病膏肓に入った廃墟フリークではないし、心霊・幽霊のたぐいは大の苦手なので、もう訪れることは(たぶん)ないでしょう。なお松尾鉱山については、「雲の上の都市」というサイトで詳しく紹介されています。そして硫黄に汚染された排水が今でも湧き出ており、その処理が終わる目処はまったく立っていないということも忘れずにつけくわえておきましょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-09-10 06:09 | 東北 | Comments(0)
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