「センス・オブ・ワンダー」

 「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン 上遠恵子訳 森本二太郎写真 新潮社)読了。「沈黙の春」の著者が、彼女の別荘をしばしば訪れた姪の息子といっしょに、海辺や森のなかを探検し、星空や夜の海を眺めた経験をもとに書かれた作品です。原題は「あなたの子どもに驚異の目をみはらせよう」、自然への敬意を失い科学が暴走する現代社会に異議を唱え、自然との共存という道へ踏み出す希望を幼い子どもたちの感性=センス・オブ・ワンダーに期待して書かれた"白鳥の歌"。実は癌におかされながら「沈黙の春」を書き終えた彼女は、もう余命がないことを知り、最後のメッセージとして残した作品です。しかし大言壮語することもなく、優しく暖かく語りかけてくれるその言葉には胸をつかれます。私たちが希望を託せるのは子どもたちしかいない、魯迅の「狂人日記」の最後の言葉とも響き合います。「子どもを救え……」 いや贅言はやめましょう。珠玉のような言葉をいくつか引用します。
 もしもわたしが、すべてのこどもたちの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
 この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。(p.23)

 わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
 子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
 美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知のものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。(p.24)

 わたしはそのとき、もし、このながめ(※美しい星空)が一世紀に一回か、あるいは人間の一生のうちにたった一回しか見られないものだとしたら、この小さな岬は見物人であふれてしまうだろうと考えていました。けれども、実際には、同じような光景は毎年何十回も見ることができます。そして、そこに住む人々は頭上の美しさを気にもとめません。見ようと思えばほとんど毎晩見ることができるために、おそらくは一度も見ることがないのです。(p.31)

 いろいろなものの名前を覚えていくことの価値は、どれほど楽しみながら覚えるかによって、まったくちがってくるとわたしは考えています。(p.47)

by sabasaba13 | 2009-10-15 06:11 | | Comments(0)
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