高輪編(5):泉岳寺(09.10)

 それでは泉岳寺に向かいましょう。地図を片手に細い路地や坂道をぶらぶら歩いていくと、十分ほどで到着です。おおさすがは泉岳寺、門前に観光バスが横付けされ、多くの観光客が中に吸い込まれていきます。お目当てはもちろん四十七士の掃苔です。大石内蔵助良雄の銅像を写真におさめ、境内を左へ行くとその一画に、預けられた大名家(細川・松平・毛利・水野)ごとに整然と並んだ四十七士のお墓がありました。その近くには実業家・高島嘉右衛門の墓、へえー「高島易断」は彼の手によるものだったんだ、解説板ではじめて知りました。吉良上野介義央の首を洗ったという「首洗井戸」の玉垣は川上音二郎の寄進、そして背後には彼の記念碑がありました。彼の一座で赤穂浪士を取り上げたことがあるのかな。
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 それでは鈴ヶ森へ向かいましょう。地下鉄浅草線の泉岳寺駅を確認するため、付近にあった「歴史と文化の散歩道」という大きな周辺地図を見ると… 「聖心女子学院正門」とあります。うぉっ、この近くにあったのか! さっそく忍び込んで女子大生を盗撮、じゃなくてじゃなくてじゃなくて、建築学者の藤森照信氏が「日本の西洋館の門で一番の名作」と絶賛したあの門を見にいくことにしましょう。ん? 歩いていると左手に周囲を圧するような異な物件があります。ヨーロッパ風の巨大な円形ビル、正面には巨大なぺディメントとイオニア式の列柱、てっぺんには小さな鐘楼らしきものが乗っかっています。何なんだこれは??? はい、「幸福の科学 東京正心館」でした。この宗教に関する知識も関心もないので、特段のコメントはありませんが、この建物を見るかぎり、権威の欠如に対して強烈な劣等感をもっているような気がします。その先の交差点には「歯科医学教育発祥之地」という記念碑がありました。
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 そして伊皿子(いさらご)坂へ。その名の由来については、明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいた、大仏(おさらぎ)のなまったもの、いいさらふ(意味不明)の変化したもの、など諸説あるようです。いずれにしても好奇心をかきたてられますね。
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 そして坂の近くには高松宮(昭和天皇の弟)邸、いちおうぐるりと周囲をまわりましたが、鬱蒼とした木立と建物のほんの一部が見えるだけで、どうやら見学はできないようです。堅く閉ざされたあるドアには六つの郵便入れと表札がありましたが、まさか個人住宅として分譲しているのではないでしょうね。
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 その近くで、洋館と和風住宅の脇をおりていく素敵な坂道を発見。またどうみても普通の道路なのに、「私有地につき立入り禁止 自治組合」という表示を見かけました。住宅地としての古い歴史と自治精神を感じさせてくれます。
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 そして伊皿子坂に戻り、少し歩くと今度は魚籃(ぎょらん)坂となります。解説によると、名の由来は坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があるため、とこれはわかりやすい命名です。
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 そしてここにも「歴史と文化の散歩道」という小さな周辺地図がありました。ん、長松寺に荻生徂徠の墓があるぞ、四十七士がとりもつ縁でしょうか、ついでに寄ってみましょう。この坂に面した大信寺の門前には「石村近江 江戸における三味線製作の始祖」という碑があり、境内には長唄協会や日本三曲協会が建立した顕彰碑がありました。世の中にはまだまだ知らないことがいっぱいあるのですね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-11-09 06:09 | 東京 | Comments(0)
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