「赤線跡を歩く」

 「赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて」(木村聡 ちくま文庫)読了。"赤線"とは何ぞや? 敗戦直後に栄えた売春街、といった漠然とした認識しかなかったのですが、本書を読んで明確な像が結べるようになりました。その原型となったのが、内閣の要請・出資を受けて設立されたRAA(Recreation and Amusement Association)という民間団体が、遊郭など既存の施設を転用して"進駐軍"(※占領軍ですよね)向けにつくった慰安施設です。その目的は、"進駐軍"から一般の婦女子を守る"性の防波堤"とすること。かつての日本軍が占領したアジアで女性への強姦・陵辱を頻繁に行ったことが記憶にあったのでしょう、当然アメリカ軍兵士も同様の行為をするにちがいないと考えたのですね。しかし性病の流行や倫理観の相違などから、すぐにGHQは全ての施設にオフ・リミッツ(立入禁止)の看板を掲げ兵隊の出入りを禁止、そのため日本人相手の商売へと鞍替えしました。その直前の1946年(昭和21)1月、GHQの指令により、日本における管理売春の公娼制度は廃止されましたが、戦後社会の混乱と性風俗の悪化を恐れ、特定の地域を限って私娼による慰安所を設けて営業することが許されることになります。こうした動きがあいまって、吉原・洲崎・玉の井・亀有・立石・新小岩・新宿・千住・品川・武蔵新田・八王子・立川・調布などで産声を上げたのが「赤線」。なおその名の由来は、警察がこの地域を地図に赤線で囲って示したところからきています。そこでは鮮やかなタイルと色ガラス、入口にホールのある独特の様式が生まれ、カフェー調の店が全国の盛り場で流行しましたが、1956年(昭和31)5月24日売春防止法が公布、翌年4月1日同法の実施により姿を消すことになります。
 本書は、そうした盛り場の変遷を知る入門書であるとともに、アパートや旅館、町工場などに姿を変えて余生を送りながらも風化が進むそれらの建築や街並みを記録した貴重な写真集です。多岐・広範にわたる資料をもとに、現地をしらみつぶしに歩き回りその残り香を丹念に記録した執念には頭が下がります。その苦界に身を沈めた女性たちのことを忘れてはいけないのは重々承知しておりますが、同時にその何とも言えない建物の魅力にひきつけられました。伝統的な意匠と洋風の意匠(アール・ヌーボー、アール・デコ)とただ人目を引くための奇抜な意匠が渾然一体となって、怪しく人を誘い招く魔性の建築。しかもそのほとんどが修復もされずに朽ちつつあるのですから、徒花の如く繁華した往時への想像力がかきたてられます。"およそ近世の文学に現れた荒廃の詩情を味おうとしたら埃及伊太利に赴かずとも現在の東京を歩むほど無残にも傷ましい思をさせる処はあるまい(「日和下駄」第一より)"という荷風の言が脳裡をよぎります。惜しむらくは地図が大雑把で見づらいこと、でも本書の性質上あえてそうしたのかもしれません。また一つ、街歩きの楽しみが増えたことを、木村氏に感謝したいと思います。
by sabasaba13 | 2009-11-16 06:12 | | Comments(6)
Commented by Kinsan at 2009-11-24 09:18 x
「赤線跡を歩く完結編」(自由国民社)もご覧いただけら、おもしろいと思います。
Commented by sabasaba13 at 2009-11-24 21:56
 こんばんは、Kinsanさん。ご教示、ありがとうございました。機会を見つけてぜひ読んでみます。
Commented by kinsan at 2009-11-25 08:46 x
私は、木村聡氏の「赤線跡を歩く」・「赤線跡を歩く2」・「赤線跡を歩く完結編」を参考にしながら、遊廓跡を探訪しています。
Commented by sabasaba13 at 2009-11-25 20:09
 こんばんは、Kinsanさん。参考にさせていただきます。近日中に鳩の町・玉の井編をupする予定です。
Commented by 劇場仙人 at 2010-03-04 00:19 x
こんにちは。初めまして。劇場仙人です。
実際、おかげで暴行が少ないと思うんですよね。彼女たちのおかげで、我々の生活は守られた。感謝を忘れた日本は、まずいですよ。
Commented by sabasaba13 at 2010-03-04 19:21
 こんばんは、劇場仙人さん。はじめまして。彼女たちのことを忘れてはいけないのと同時に、そこまで追い込んだ責任の所在についても考えたいですね。近代(そして現代)日本における戦争、貧困、差別をもたらしたのは何者なのか。
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