「日和下駄」

 「日和下駄」(永井荷風)読了。「荷風随筆集(上)」(野口冨士夫編 岩波文庫)に所収されている珠玉の一編です。蝙蝠傘を手に日和下駄をひっかけて東京中を歩き廻る荷風が、興趣を覚えた諸処を紹介してくれます。それにとどまらず、散歩の楽しさを論じた散歩論、都会における景観のあり方を考える都市論、そしてそうした景観美や自然美を破壊する行政や社会を痛烈に批判する文明論でもあります。ご本人は当時の東京の醜さ汚さに辟易しながらも、ここに住んでいる以上、すこしでも美や趣を見出して居心地をよくしたいとおっしゃっておりますが、その裏にはかつて美しかった江戸・東京への敬慕が見え隠れします。執筆されたのは1915(大正4)年ごろ、それでもこれだけの美しい景観が東京に残されていたのですね。この後、関東大震災(1923)および東京大空襲(1945)、そして何よりも高度経済成長によって壊滅的に破壊されたのだろうと想像します。今、私にできるのは、荷風が伝え残してくれた美しく興趣のある景観が、時代によってさらに破却されてしまったことを確認し無常悲哀荒廃の詩情に浸ることかな。電気燈を点じた日比谷公園の老樹ならぬイルミネーションに「奇麗奇麗」と感嘆する嬌声を尻目に…
 いちおう私も東京生まれの東京育ち、幻滅はしつつもこの町への愛着は持っているつもりです。老樹、水流、古蹟にいろどられ品位のある自然美にみちた都市への再生を希求しますが、さてどこから手をつけどうしたらよいのでしょう。荷風の言を杖として考えていきたいと思います。
 さて贅言はもうやめましょう。反則技ではありますが、彼の典雅にして剛毅な文をたくさんたくさん引用します。心ゆくまで堪能していただけると幸甚です。
 …日々昔ながらの名所古蹟を破却して行く時勢の変遷は市中の散歩に無常悲哀の寂しい詩趣を帯びさせる。およそ近世の文学に現れた荒廃の詩情を味おうとしたら埃及伊太利に赴かずとも現在の東京を歩むほど無残にも傷ましい思をさせる処はあるまい。今日看て過ぎた寺の門、昨日休んだ路傍の大樹もこの次再び来る時には必貸家か製造場になっているに違いないと思えば、それほど由緒のない建築もまたそれほど年経ぬ樹木とても何とはなく奥床しくまた悲しく打仰がれるのである。(p.11)

 太平の世の武士町人は物見遊山を好んだ。花を愛し、風景を眺め、古蹟を訪うことは即ち風流な最も上品な嗜みとして尊ばれていた… (p.12)

 …私は別にこれといってなすべき義務も責任も何もないいわば隠居同様の身の上である。その日その日を送るになりたけ世間へ顔を出さず金を使わず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法をと色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなったのである。(p.13)

 …私は唯目的もなくぶらぶら歩いて好勝手なことを書いていればよいのだ。…暇があったら歩くにしくはない。歩け歩けと思って、私はてくてくぶらぶらのそのそといろいろに歩き廻るのである。
 元来がかくの如く目的のない私の散歩にもし幾分でも目的らしい事があるとすれば、それは何という事もなく蝙蝠傘に日和下駄を曳摺って行く中、電車通の裏手なぞにたまたま残っている市区改正以前の旧道に出たり、あるいは寺の多い山の手の横町の木立を仰ぎ、溝や掘割の上にかけてある名も知れぬ小橋を見た時なぞ、何となくそのさびれ果てた周囲の光景が私の感情に調和して少時我にもあらず立去りがたいような心持をさせる。そういう無用な感慨に打たれるのが何より嬉しいからである。(p.16)

 私は淫祠を好む。…現代の教育はいかほど日本人を新しく狡猾にしようと力めても今だに一部の愚昧なる民の心を奪うことは出来ないのであった。路傍の淫祠に祈願を籠め欠けたお地蔵様の頸に涎掛をかけてあげる人たちは娘を芸者に売るかも知れぬ。義賊になるかも知れぬ。無尽や富籤の僥倖を夢見ているかも知れぬ。しかし彼らは他人の私行を新聞に投書して復讐を企てたり、正義人道を名として人をゆすったり人を迫害したりするような文明の武器の使用法を知らない。(p.20)

 もし今日の東京に果して都会美なるものがあり得るとすれば、私はその第一の要素をば樹木と水流に俟つものと断言する。山の手を蔽う老樹と、下町を流れる河とは東京市の有する最も貴い宝である。(p.23)

 私は四谷見附を出てから迂曲した外濠の堤の、丁度その曲角になっている本村町の坂上に立って、次第に地勢の低くなり行くにつれ、目のとどくかぎり市ヶ谷から牛込を経て遠く小石川の高台を望む景色をば東京中での最も美しい景色の中に数えている。(p.31)

 江戸絵図より目を転じて東京絵図を見れば誰しも仏蘭西革命史を読むが如き感に打たれるであろう。われわれはそれよりも時としては更に深い感慨に沈められるといってもよい。何故なれば、仏蘭西の市民は政変のために軽々しくヴェルサイユの如きルウブルの如き大なる国民的美術的建築物を壊ちはしなかったからである。(p.33)

 いつの世にか弱いものの利を得た時代があろう。弱い者が自らその弱い事を忘れて軽々しく浮薄なる時代の声に誘惑されようとするのは、誠に外の見る目も痛ましい限りといわねばならぬ。(p.37)

 およそ近世人の喜び迎えて「便利」と呼ぶものほど意味なきものはない。東京の書生がアメリカ人の如く万年筆を便利として使用し始めて以来文学に科学にどれほどの進歩が見られたであろう。電車と自動車とは東京市民をして能く時間の節倹を実施させているのであろうか。(p.37)

 新時代の建築に対するわれわれの失望はただに建築の様式のみに留まらず、建築と周囲の風景樹木等の不調和なる事である。(p.38)

 私は日本人が日本の国土に生ずる特有の植物に対して最少し深厚なる愛情を持っていたなら、たとえ西洋文明を模倣するにしても今日の如く故国の風景と建築とを毀損せずに済んだであろうと思っている。電線を引くに不便なりとて遠慮会釈なく路傍の木を伐り、または昔からなる名所の眺望や由緒のある老樹にも構わずむやみやたらに赤煉瓦の高い家を建てる現代の状態は、実に根柢より自国の特色と伝来の文明とを破却した暴挙といわねばならぬ。この暴挙あるがために始めて日本は二十世紀の強国になったというならば、外観上の強国たらんがために日本はその尊き内容を犠牲にしてしまったものである。(p.39)

 神社について見るもまず鳥居あり次に楼門あり、これを過ぎて始めて本殿に到る。皆相応の距離が設けられてある。この距離あって始めて日本の寺院と神社の威厳が保たれるのである。(p.42)

 即ちかかる市街の停車場旅館官衙学校等は、その建築の体裁も出来得る限りその市街の生命たる古社寺の風致と歴史とを傷つけぬよう、常に慎重なる注意を払うべき必要があった。(p.42)

 眼前の利にのみ齷齪して世界に二つとない自国の宝の値踏をする暇さえないとは、あまりに小国人の面目を活躍させ過ぎた話である。(p.43)

 水は江戸時代より継続して今日においても東京の美観を保つ最も貴重なる要素となっている。(p.44)

 都会は繁華となるに従って益々自然の地勢から生ずる風景の美を大切に保護せねばならぬ。都会における自然の風景はその都市に対して金力を以て造る事の出来ぬ威厳と品格とを帯させるものである。(p.55)

木で造った渡船と年老いた船頭とは現在並びに将来の東京に対して最も尊い骨董の一つである。古樹と寺院と城壁と同じくあくまで保存せしむべき都市の宝物である。都市は個人の住宅と同じくその時代の生活に適当せしむべく常に改築の要あるは勿論のことである。しかしわれわれは人の家を訪うた時、屋敷の床の間にその家伝来の書画を見れば何となく奥床しく自ら主人に対して敬意を深くする。都会もその活動的ならざる他の一面において極力伝来の古蹟を保存し以てその品位を保たしめねばならぬ。(p.58)

 名所古蹟は何処に限らず行って見れば大抵こんなものかと思うようなつまらぬものである。唯その処まで尋ね到る間の道筋や周囲の光景及びそれに附随する感情等によって他日話の種となすに足るべき興味が繋がれるのである。(p.71)

 貧民窟は元より都会の美観を増すものではない。しかし万国博覧会を見物に来る西洋人に見られたからとて何もそれほどに気まりを悪るがるには及ぶまい。当路の役人ほど馬鹿な事を考える人間はない。東京なる都市の体裁、日本なる国家の体面に関するものを挙げたなら貧民窟の取払いよりも先ず市中諸処に立つ銅像の取除を急ぐが至当であろう。(p.78)

 東京市の土木工事は手をかえ品をかえ、孜々として東京市の風景を毀損する事に勉めているが、幸にも雑草なるものがあって焼野の如く木一本もない閑地にも緑柔き毛氈を延べ、月の光あってその上に露の珠の刺繍をする。われら薄倖の詩人は田園においてよりも黄塵の都市において更に深く「自然」の恵みに感謝せねばならぬ。(p.79)

 われらが住む東京の都市いかに醜く汚しというとも、ここに住みここに朝夕を送るかぎり、醜き中にも幾分の美を捜り汚き中にもまた何かの趣を見出し、以て気は心とやら、無理やりにも少しは居心地住心地のよいように自ら思いなす処がなければならぬ。これ元来が主意というものなき我が日和下駄の散歩の聊か以て主意とする処ではないか。(p.92)

 当世人の趣味は大抵日比谷公園の老樹に電気燈を点じて奇麗奇麗と叫ぶ類のもので、清夜に月光を賞し、春風に梅花を愛するが如く、風土固有の自然美を敬愛する風雅の習慣今は全く地を払ってしまった。(p.100)

 われらは徒に議員選挙に奔走する事を以てのみ国民の義務とは思わない。われらの意味する愛国主義は、郷土の美を永遠に保護し、国語の純化洗練に力むる事を以て第一の義務なりと考うるのである。(p.101)

by sabasaba13 | 2009-12-02 06:08 | | Comments(0)
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