それでは百花園へと向かいましょう。ふたたび水戸街道へ戻り、北東方向へ数分歩くと「4日・14日・24日 御縁日 地蔵坂通り」と掲げられているアーチがあります。ここをくぐってすこし歩けば百花園にたどりつけるはずですが、ちょいと小腹がへりました。モーニング・サービスを供してくれる喫茶店はないかと見回すと、渡りに舟、「喫茶と軽食 DAN」というお店がありました。「やきそば」と書かれた赤提灯にもそそられ、さっそく入店。
気取りや飾り気のない親しみやすい雰囲気のお店でした、きっと近所の方々のホット・ステーションなのでしょうね。トースト・ハムエッグ・サラダ・珈琲のセットで500円、料金も庶民的です。味も… 胃の腑もくちたし、それでは出発、地蔵坂を北西へとすこし歩き、右に曲がって適当に歩いていくと百花園にたどりつきました。スーパーニッポニカ(小学館)によると、1804(文化1)年、仙台出身で日本橋で骨董屋を営んでいた佐原菊塢(きくう)が万葉植物を中心に草木を集め、幕臣の多賀家屋敷跡に開園したのがその嚆矢です。大田南畝、谷文晁ら文人寄贈の梅樹が植えられ、初めは梅園として知られていました。1938(昭和13)年東京市に寄贈、戦災にあいましたが49(昭和24)年に再興し、虫聞きの会、月見の会、萩のトンネル、正月の七福神詣でなどで知られています。それでは入園料150円を支払って、中に入りましょう。
いつも思いますが、入るのにお金が必要な施設は、公園の名に値しません。独活の大木のような箱物の維持、新銀行東京、オリンピック誘致に湯水のように血税を使い、一方で公園を有料とし福祉・教育予算を出し惜しむ東京都の見識を疑います。ま、あの御仁を都知事として選んだのは都民ですから、自業自得ですけれどね。
それはさておき、紅葉に関しては期待はずれ。でも池や小道をめぐりながら、草木を愛でられる貴重な空間です。
また園内には、松尾芭蕉の句碑「春もややけしきととのふ月と梅」をはじめ、近世・近代の文人たちの石碑が二十数基散在しているのも見もの。金がかからず、人に迷惑をかけず、環境を破壊せず、そして楽しく満ち足りたひまつぶしが切実に必要な今、彼ら江戸時代の文人たちから学ぶところは多いのではないかと思います。
本日の一枚です。