「カティンの森」

c0051620_1921270.jpg 先日、山ノ神と岩波ホールで、アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」を見てきました。時は第二次世界大戦およびその直後、所はポーランド、そしてテーマは「カティンの森」事件です。まずはこの事件について触れておくべきでしょう。ポーランドは、1939年9月1日にドイツの、同年9月17日にソ連の侵略を受け分割されてしまいます。そして1940年4~5月、ソ連収容所に抑留されていたポーランド軍将校1万数千人が虐殺され、カティンの森など三ヶ所に埋められます。その後この地を占領したドイツが現場を発見、ソ連による犯行として宣伝。ほどなくソ連に奪回されると今度はドイツによる犯行であると宣伝。しかし1990年にゴルバチョフ大統領が謝罪をし、スターリン=ソ連共産党政治局の指令により内務人民委員部(のちのKGB=国家保安委員会)の手による虐殺であったことが判明しました。虐殺の理由は、ポーランド・ソ連戦争(1920-21)でソ連は敗れ、スターリンがポーランド軍人に対して強い不快感を持っていたということ。(虐殺された中には、その戦争の従軍経験者が多かった) もうひとつは、軍人と知識人の精華である将校たちを消滅させることで、ポーランドに指導力を失った真空状態を作り出し、そこへソ連仕込みの連中を転入させるためです。周知のように、大戦後、ポーランドはソ連による事実上の圧政下に置かれ、この事件について語ることはタブーでした。
 さて本作品は、その虐殺の過程を軸に、残された肉親たちの不安や嘆き、そして死が確実なものとなった戦後において彼ら/彼女らが死者にどう向き合おうとしたのかを描いています。同時に、同時期のポーランドの過酷な歴史をも描いた、壮絶な歴史映画でもあります。なおワイダ監督の父も、カティンの森で虐殺された将校の一人であることをつけくわえておきましょう。
 見た目の派手さと単純なストーリーとハッピーエンドで楽しませてくれる映画も悪くはありませんが、石臼を手渡しされたような、何かとてつもなく重いものが心に残る映画の方を私は選択します。本作はまさにそうした一編でした。ワイダ監督が手渡してくれたメッセージとは何か、見た後いろいろと考えてみましたが、死者たちを正当に弔意すること=過去と直面すること、ではないかと思います。肉親を衷心から弔い、彼らを死に至らしめた"悪"を胸に刻みつけること。彼らをきちんと葬らないということは歴史を忘れてしまうということ、そして再び"悪"が跋扈するのを許してしまうことにつながる。監督はそう言いたかったのではないかな。例えば、登場人物の一人アグニェシュカは、戦後のソ連占領下において「1940年、カティンにて非業の死」と刻んだ兄の墓をつくろうとします。(これはソ連によって虐殺されたということを宣言していますから、彼女は秘密警察に逮捕されてしまいます) その費用を手に入れるため、彼女は長い金髪を切って劇場に売ります。それからつくる鬘を必要としていたのは、アウシュビッツ強制収容所からの生還者で、その過酷な生活のため髪の毛が生えなくなってしまった女優です。その劇場に貼られていたポスターがソフォクレスの悲劇「アンティゴネ」、そして彼女は(たぶん)その台詞の一節を暗唱します。「悪のみに囲まれて、生きる意味はある? 本当の不幸は亡兄が墓もなく見捨てられること」 死を賭して兄を埋葬したテーベの王女アンティゴネと、アグニェシュカが時空を超えて共鳴する、巧みな仕掛けです。死者を正当に弔意することは、人類にとって普遍的な営みであるというメッセージもそこに鳴り響いています。ジャン・タルジューの詩を思い出しますね。
死んだ人々は、還ってこない以上/生き残った人々は、何が判ればいい?
死んだ人々には、慨く術もない以上/生き残った人々は、誰のこと、何を、慨いたらいい?
死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上/生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?
 そしてこの映画のもう一つの見どころは、その"悪"を執拗に徹底的に描いたところにあると思います。カティンの森に移送した将校たちを、数人のチームで手を縛りうつむかせ後頭部に銃弾を打ち込み穴に落とすソ連軍の兵士たち。その機械的で無慈悲で手際のよい動きは、「虐殺」というよりも「処理」と表現したくなります。ある体制/イデオロギーにとって不要な人間を、取り残された家族の悲哀を一顧だにせず、効率よく手際よく「処理」していく光景を、淡々と延々と描く冷徹なカメラワークに館内はの空気は凍りつきました。おそらくワイダ監督の視線は、ソ連への批判を超えて、こうした"悪"全体を貫いていることでしょう。その視線は、ナチス・ドイツによるホロコースト、日本による南京大虐殺、アメリカによる原爆投下や無差別爆撃、イギリスによるドレスデン爆撃をはじめとする現代の残虐行為すべてを貫いていると思います。思うに、共産主義、ファシズム、ナショナリズム、新自由主義といったイデオロギーが跋扈し蔓延すれば、それに不要な人間の数も膨大なものとなり、そうした人々を「処理」するシステムや手段が精緻・強力となったことで、巨大な"悪"が現代を覆ったのだと考えます。
 有意義な未来を切り開くために、歴史を直視し、死者を正当に弔意する。さて、この行為が日本においてきちんと行われているか、ちょっと心許ない気になります。日本軍の侵略によるアジアの死者、731部隊の人体実験による死者、無差別爆撃や原爆投下による死者、戦場で餓死した死者を私たちは正当に弔意しているでしょうか、そして彼らを死に至らしめた"悪"をきちんと直視しているでしょうか。さらに第二次大戦後における「アジア三十年戦争」において、日本が関与して死に至らしめた朝鮮戦争やベトナム戦争の死者に対しても…

 なお細かい演出にも、ワイダ監督の手腕が光ります。ポーランド軍将校を監視するソ連軍兵士が、ポーランド国旗を引き裂き、赤い部分を赤旗として兵舎に掲げ、白い部分で軍靴を磨くシーン。収容所内で、ポーランド軍大将による激励の演説を直立不動で聞く多数の将校たちの塊が、四隅にある大きな段ベッドのために巨大な十字架に見えるシーン。まるで彼らの行く末を暗示しているかのようでした。そして作品の最後を締めくくる音楽が、ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」。監督の想いを乗せた荘重な調べが耳朶に響きました。
 というわけで、とりとめのないことをぐだぐだと述べましたが、見た人が自分なりのさまざまなメッセージを受け取れる重厚な作品、お薦めです。なお予告編で、これから上映されるジャン=ピエール・メルヴィルの「海の沈黙」(2/20~3/19)と、ロベール・ブレッソンの「抵抗 死刑囚の手記より」(3/20~4/16)の一部を拝見しました。わずかな時間ですが、鮮烈なカメラ・アングル、白と黒の強烈な対比、登場人物の想いを一瞬の表情で表現する俳優の見事な演技を堪能できました。この二作品もぜひ見てみたいですね、楽しみにしています。"悪"とは、この人様に迷惑をかけないささやかな楽しみを奪い去るものです。
by sabasaba13 | 2009-12-19 08:00 | 映画 | Comments(0)
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