「キャピタリズム ~マネーは踊る~」

「キャピタリズム ~マネーは踊る~」_c0051620_7164157.jpg 先日、山ノ神といっしょに日比谷のTOHOシネマズシャンテで、マイケル・ムーア監督の「キャピタリズム ~マネーは踊る~」を見てきました。「ボウリング・フォー・コロンバイン」を見て以来、彼の大ファンとなりました。「華氏911」「シッコ」に続く最新作、見ないでか! 寒風が路上の落ち葉を踊らせる師走の夕べ、ガード下の小さな窪みにジグソーパズルのピースのように嵌って寒を凌ぐホームレスの方々に本編の予告編を見たような錯覚に襲われました。彼ら(なぜ女性のホームレスはあまり見かけないのだろう?)を脇目に見ながら映画館に到着すると、幸いというか残念というか行列はできていません。入場すると三分の一ほどが空席です。もっと注目されていい硬骨の映画だと思うのですけれどね。
 冒頭に写しだされるのが、古い映画のワンシーン。「この映画は過激な内容なので、健康に自信のない方やお子様は退場してください」と俳優が語りかけ、そして拝金主義を笑い飛ばすイギー・ポップのロックンロール♪Louie Louie♪が流れます。もういきなり彼の世界に没入。貧富の拡大と支配者の腐敗を招いた古代ローマ帝国を描いた古い映画と、現代アメリカの世相を写すショットをオーバーラップさせ、そしていよいよ凄まじい搾取がまかりとおるアメリカ資本主義の実情を容赦なく抉り出していきます。鍵の掛かっているドアをこじあけて、住宅ローンが払えなくなった家族を強制退去させる保安官たち。あまりの低賃金のためフード・スタンプに頼らざるを得ないパイロットたち。旅客機をハドソン川に不時着させ搭乗客の命を救ったサレンバーガー機長が、議会でその窮状を訴えるシーンが印象的でした。大学で学ぶために借金をせざるをえず卒業後のそのローンに何十年も縛られ続ける若者たち。些細な少年犯罪にも有罪判決を出してほしいと判事に利益供与を行う民間更生施設。中でも愕然としたのは、大企業が従業員に無断で生命保険をかけ、受取人になっているという事実です。
 マイケル・ムーアはほどほどの豊かな暮らしを満喫できた幼時の頃を思い返しながら、かつてはこんなことはなかった、いつから、なぜこうなったのかと自問します。それはレーガン政権下で、ウォール街のCEO(企業の最高責任者)が政権の中枢となり、大企業・大銀行が非人間的な方法で暴利をむさぼれるように経済・社会システムを劇的に改変した時からであるというのが彼の主張です。シティバンクの極秘メモが語るところのプルトノミー、つまり「1%の最富裕層が、独占的に支配し、独占的に利益を得る社会」に変えてしまったわけですね。そして「アメリカン・ドリーム=いつかは僕らも金持ちに」という迷妄から目覚め社会の変革を求めて動き出した人々の姿が紹介されます。ウォール街を救うための資金援助法案を可決しようとする議会に対して、猛烈な抗議の声をあげる人々。強制退去を拒否して住み慣れた家に踏みとどまる家族とそれを助ける地域の人々。理不尽な解雇を拒否して工場を占拠する労働者たちとそれを応援する多くの人々。
 マネーゲームに明け暮れ税金を盗み皆を搾取して肥え太ったウォール街にでむいたムーア監督は、大銀行・大企業そしてニューヨーク証券取引所に黄色いテープを張り巡らします。よくアメリカの警察が犯行現場に張り巡らす、"CRIME SCENE DO NOT CROSS"と記されたあのテープを。うろ覚えで申し訳ないのですが、最後のモノローグを紹介します。 
こんな国には住みたくない。だから僕は戦う。でも僕一人の力ではもう無理だ。あなた達みんなの力が必要だ。戦おう。
 全編にちりばめられたムーア監督の温かく力強いメッセージに、胸が熱くなります。「努力すれば豊かになれる」という嘘に騙されないこと、富裕者の不公正な蓄財を見極め批判すること、みんなと手を取り合って社会を変革すること、そして戦うこと。プログラムに掲載されていたインタビューで彼はこう語っています。 
僕は、「人民によって管理される新しい経済」を構築するために、我々がしなくてはならないことを話し合う勇気を皆にもってもらいたいんだ。我々は新しい経済システムを作り出せる。何だかわからないものを発明する必要はない。我々は民主主義を信じ、倫理コードを信じている。そこから新しく何かを始められるはずだ。
 そう、これはもはやアメリカだけの問題ではありません。世界規模でのプルトノミー=1%の最富裕層が、独占的に支配し、独占的に利益を得る社会への移行が進んでいるという事実(もちろん日本でも)。そしてこのあまりにも凄絶な貧富の差の拡大がテロリズム・民族紛争・戦争・環境破壊の温床になっていること。この事態を何とかしない限り人類に未来はないということ。監督の視線はそこにまで及んでいることと思います。ただ新自由主義・市場原理主義が蔓延する以前の1950~1960年代に戻ろうとしてもそれは無理でしょう。E・J・ホブズボームが『極端な時代』(三省堂)で指摘しているように、大衆的な豊かさが多くの国で実現したこの時代は、廉価なエネルギーなど特殊な条件が重なって到来した特例的な「黄金時代」でしたから。環境に負荷をかけず富の公正な分配をめざす真に"新しい経済システム"をみんなで力を合わせて作り出さなければならないこと、それは可能だと信じること、監督のメッセージを心に刻みましょう。
 なお戦後のドイツ・イタリア・日本では、社会的な公正をめざす憲法が制定されたと紹介する場面がありましたが、その中で日本の議員たちが昭和天皇に深々と頭を下げるシーンがありました。監督の皮肉でしょう、苦笑してしまいました。最後のタイトル・ロールで流れる曲は、ロック調の"インターナショナル"、そしてカントリー&ウェスタン調の曲でした。貧者を救うため富裕者を批判したイエス、彼を殺したのはその富裕者たちだ、という内容の曲ですが、この声はどこかで聞いたことがあるぞ。ウディ・ガスリーではないだろうか… 帰宅後、ラックを探して彼のCDを見つけ確認したところ、たぶん"They Laid Jesus Christ In His Grave"という曲ではないかと思います。間違っていたらすみません。たしか彼は自分のギターに「この機械はファシストを死なせる」と記していたと思います。ウディ・ガスリーにとってはギターが、ムーア監督にとっては映画が、不正や邪悪と戦うための武器なのですね。

 終演後、御徒町まで行き、「天正」で穴子天丼を食べようとしましたが、残念ながら店じまいでした。どうしようと途方にくれていると、すぐ近くに「満留賀」という蕎麦屋(東京都台東区台東3-13-6)があり、店先に貼ってあった品書きに「はみだし穴子天丼」がありました。互いに見合す顔と顔、にやりと微笑み合って中に入りました。怪我の功名、といってはお店に失礼ですがこれが大当たり。山のようにジャコがかかった大根サラダも美味しいし、ほんとに2/3が丼からはみだしている穴子天丼も文句なし。脇侍仏のように添えられた二つの長ネギの天ぷらには意表をつかれましたが、これも美味。おまけに小さなざる蕎麦がついてこれで900円! 安くて美味しくてざっかけない雰囲気のお店に出会えて幸運でした。
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 余談です。実は12月初旬、京都に紅葉狩りに出かけたのですが、妙心寺退蔵院で偶然マイケル・ムーア監督に出会いました。驚きと感激のあまり、硬直してしまった二人ですが、山ノ神が意を決して英語で「いっしょに写真に写ってください」と話しかけると、ニコニコと快諾。握手までしてくれました。その時の気さくで優しい笑顔と、大きくて温かい手の感触が忘れられません。今にして思うと、映画の中で彼はキリスト教へのこだわりを随所で見せていました。「金銭への妄執と愛」を人の心から払拭するための一つの手段として宗教に着目しているのかもしれません。なにやら退蔵院の僧侶から話を聞いていたようなので、臨済禅の教義から考えるヒントをつかもうとしていたのでしょうか。いずれにしろ、小槍の上でアルペン踊りを踊りたくなるような嬉しいサプライズでした。
by sabasaba13 | 2009-12-31 07:17 | 映画 | Comments(0)
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