土佐・阿波編(13):高知(09.3)

 本日も快晴の模様、気持ちよくうろつきまわれそうです。予定通り六時に起きてすぐにチェックアウト、荷物をフロントで預かってもらってさあ高知市内を逍遥しましょう。まずははりまや橋まで歩いていき、路面電車に乗って「上町一丁目」で下車。すぐ近くに坂本龍馬誕生地の碑があります。乙女への手紙の中で龍馬は「姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候」(1863)と書いていますが、龍馬さん、いまだにこの国は薄汚れています。
c0051620_7104953.jpg

 そして高知城のお堀端へ、桜は三分咲きでした。このあたりにたしか植木枝盛邸址があるはずですが… ふとマンションに垂直にとりつけられた雨樋を見ると、その途中に何とも狂暴なとげとげぎざぎざの金属片がはめてありました。これってもしや泥棒よけ? 土佐の泥棒の身軽さには恐れ入谷の鬼子母神ですね。
c0051620_7111284.jpg

 おっ、あったあった、白木蓮がきれいに咲いている古いお宅の前でした。
c0051620_7113582.jpg

 解説を読むと、一部改造されているとはいえ、ここは植木枝盛が実際に住んでいた家なのですね。碑文を引用します。
植木枝盛(1857‐1892)
 自由民権運動の指導者。号は榎逕、無天高士。小高坂村会議長、高知県議会議員、衆議院議員を歴任した。有名な日本国国憲案を起草、自由党、立憲自由党の中枢で活躍した。「民権自由論」「無上政法論」等の著作がある。明治11年以降この家屋に居住した。
 フェイス・ハンティングを一発、そしてやなせたかし描く「人KENまもる君」の壁画を横目にすこし歩くと、お城のすぐ北西に寺田寅彦記念館があります。
c0051620_7123578.jpg

 現在の時刻は7:05、開館していなのは覚悟の上、畏敬する氏の居宅をせめて外観だけでも見ておきたいと訪れました。なおここは寅彦が4歳から19歳まで住んだ家ですが、残念なことに空襲で焼けたため復元されたもの。解説板から引用します。
 寺田寅彦は明治11年(1878)に東京で生まれ、明治14年(1881)高知市に移り江ノ口小学校、県立尋常中学校、熊本の第5高等学校、東大物理学科で学び、同41年(1908)に理学博士となる。この記念館地に明治14年(1881)から明治29年(1896)まで住んだ。幅広い独創的な論文は250編もあり、「寺田物理学」ともいうべき世界を作り上げ、その門下生は各方面にわたり最高権威の学者を数多く輩出させた。文学の面でも吉村冬彦のペンネームで沢山の随筆、評論、俳句を発表し、趣味も広く絵画を描き楽器をたしなんだ。昭和10年(1935)12月31日死去。58歳。
 以前に「寺田寅彦随筆集(1)~(5)」(岩波文庫)の書評にも書いたことですが、くりかえしましょう。科学的態度で自然や人事を真摯に見つめる精神にあふれ、自然に対する敬意と興味を常にもち、映画・俳諧・音楽・絵画をこよなく愛し、そしてその思考の軌跡を科学的にしかも詩情あふれた文として紡ぎだした稀有なる人物、寺田寅彦。次なる一文はいかがでしょう。彼もまた「至高の生」を知る方でした。
 来そうな夕立がいつまでも来ない。十二時も過ぎて床にはいって眠る。夜中に沛然たる雨の音で目がさめる。およそこの人生に一文も金がかからず、無条件に理屈なしに楽しいものがあるとすれば、おそらくこの時の雨の音などがその一つでなければならない。
 また是非とももう一度(いや何度でも)紹介したいのが、1934年11月に書かれた「天災と国防」(第五巻)という随筆です。
 戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。その上に、いついかなる程度の地震暴風津波洪水が来るか今のところ容易に予知することができない。最後通牒も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。

 人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではないかと思われる。天災の起こった時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があってしかるべきではないかと思う次第である。
 満州事件(1931)、五・一五事件(1932)、国際連盟脱退・滝川事件(1933)といった軍国主義の暴走と、死者2702名をだした室戸台風の襲来(1934)が、この随筆を書いたきっかけだったそうです。今、あらためて読み返すと、寅彦の静かな怒りを秘めた叫びにも似た筆致に心動かされます。彼が指摘した事態は、より切迫したものとなってわたしたちの前に立ち塞がっています。そう、環境破壊ですね。もし彼が今生きていたらきっと冷静な口調でこう語るでしょう、「戦争なんかしている場合じゃないだろう、人類が一致協力して科学的対策を講じて環境破壊を食い止めよう」と。なお室戸岬は本日訪れる予定です。

 本日の一枚です。
c0051620_713069.jpg

by sabasaba13 | 2010-01-09 07:13 | 四国 | Comments(0)
<< 土佐・阿波編(14):高知(0... 土佐・阿波編(12):高知(0... >>