土佐・阿波編(25):鳴門市ドイツ館(09.3)

 さて列車は相変わらずのんびりと進んでいきます。途中で見かけたのが「鯖大師」という看板、そして鯖瀬という駅、これは何か謂れがありそう。鯖フリークとしてはいつか寄ってみたいところです。徳島に近くなると、「鉄道高架断固粉砕!! 血税750億円もったいない! 事業効果が低い 経済の活性化なし」という垂れ幕を見かけました。ねっ、こういうお金を公共輸送の補助にまわせばいいのに。
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 そうこうしているうちに、徳島駅に到着。甲浦から徳島まで三時間弱かかりました。そして次なる目的地は板東には高徳線に乗り換えて二十分ちょっとで到着です。一時間後の列車に乗れば以後の行程に余裕が出るという色気もあり、駅前にあった営業所からタクシーに乗ることにしました。(ガイドブックによるとドイツ館まで徒歩二十分) 駅に貼ってあった観光地図を見ると、捕虜がつくったドイツ橋がすこし離れたところにあるのでまずこちらに寄ってもらいましょう。阿波国一の宮である大麻比古神社境内の奥に、ドイツ橋とめがね橋がありました。この後に訪れたドイツ館での解説によると、地元の依頼を受けてボランティアとして製作したとのことです。アーチの形状にヨーロッパのフレイバーを感じます。
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 そしてドイツ館に到着、ヨーロッパの館を模した堂々たる資料館です。入口の前で、女子高校生七人が横一列に並んで募金を呼びかけています。「アルバイトをして寄付したほうが実入りは多いよ」と邪慳にするのも可哀想なので内容を訊ねると、戦争や内乱に巻き込まれ傷ついた子どもたちを救援するために、ドイツ市民団体の手によって1967年につくられたNGO「ドイツ国際平和村」のための募金だそうです。よっしゃ、"人生感意気 功名誰復論"と100円(せこっ)を寄付しました。善行をすると報いがあるものですね、彼女たちの背後にベートーベンの顔はめ看板が、まるでご褒美のように立っていました。「なにこのおじさん?」という彼女たちの冷たい視線を背後に感じながら、ばしゃばしゃと撮影。そして入館、まずはこの収容所についての概要を紹介しましょう。どさくさにまぎれてドイツ領植民地を奪うために第一次大戦に参戦した日本は、山東半島の青島(チンタオ)を攻撃。敗れたドイツ兵士約5,000人が俘虜となり日本各地の収容所へ送られることになります。その内、徳島・丸亀・松山にいた約1,000人が、1917年から1920年までの約三年間をここ板東俘虜収容所で過ごすことになりました。収容所内では、複数のオーケストラ・楽団・合唱団による定期コンサート、雑誌「バラッケ」の発行、演劇、スポーツ、講演など多彩な活動が行なわれました。地域の人々も、俘虜たちの進んだ技術を取り入れようと牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・音楽・スポーツなどの指導を受け、板東人々は、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、日常的な交歓風景があたりまえのようにみられたそうです。名前は失念したのですが、こうした活動を認め捕虜の人権を尊重した日本人所長の存在も記憶にとどめるべきでしょう。なお彼らドイツ兵捕虜によって、ベートーベン作曲交響曲第九番(op.125)が日本で初演されたのはよく知られています。ちなみにバウムクーヘンで知られる洋菓子職人カール・ユーハイムも俘虜となり、解放後も日本にとどまり神戸で洋菓子屋を創業したのですね。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-25 06:11 | 四国 | Comments(0)
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