博物館を出ると、路地を悠々と横断する野良猫を発見。そして根津神社に向かいましたが、その際におりたのが「あかじ坂」。あかじざか??? 何とも珍妙奇妙なネーミングですね。気になるので、今インターネットで調べたところ、次のようなことがわかりました。この坂の上に、明治の大財閥・渡辺家の屋敷がかつてあり、その初代が明石屋治右衛門(ヂエモン)と言ったので略して「明治(あかぢ)」、よって「あかぢ坂」と呼ばれるようになったそうです。しかし、この渡辺家が経営する渡辺銀行が金融恐慌(1927)で倒産。根津や千駄木、谷中では損害を被った人が続出したため、皮肉を込めて「赤字坂」とも呼ばれるようになったとのこと。なお「東京の坂道」(石川悌二 新人物往来社)によると、森鴎外の後妻が、二代目渡辺治右衛門の前妻であったそうです。"SO WHAT"と言われると返す言葉もありませんが、やはり知るってことは面白い。お金も(あまり)かからないし、人に迷惑もかけないし、自然も(あまり)破壊しないしね。
坂をおりるとしばらくレトロな町並みが続きます。仕舞屋となった煙草屋や貸屋本、銅板がファサードをおおう看板建築、テート薬局(その名の由来は?)などなど、昭和三十年代にプチ・タイムスリップしたような気分。なおアイス最中で有名な「芋甚」もここにあります。
そして不忍通りを渡ると根津神社の門前となります。このあたりも、表具屋や染物屋などが建ち並ぶ落ち着いた雰囲気の街並みです。
根津神社ははじめて訪れますが、ずいぶんと広い境内で驚きました。つつじの名所として名高いのですがもう盛りは終わっていました。また五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に奉建した社殿は、漆の塗替え工事のためシートでおおわれていました。残念。なお東京大学の移転にともなって、門前にあった根津遊郭は
洲崎へと移されたそうです。
ふたたび不忍通りへと戻る途中、根津宮本町会の「犯罪は 見てるぞ撮ってるぞ知らせるぞ」というポスターを発見。もしや町会が設置した監視カメラがあるのかなと周囲を見回しましたがそれらしいものはありませんでした。横断歩道のところにあるお食事処「けい」の入口に、「昼食800円でチョイとしたぜいたくをしてみませんか。旨いヨオー。」と三輪車に轢かれた瀕死のミミズのような字で貼り紙がありました。揮毫はなんと立川談志! うーんさすがは談志師匠、良寛のような飄々とした味わい深い書ですね。でもあの小言幸兵衛が薦めるのですから間違いなく美味しいのでしょう、いつか再訪してみます。
本日の三枚、猫とあかじ坂と根津神社です。