歌川国芳展

 展覧会情報を雑誌などでこまめに調べることはしない恬淡/怠惰な性格のため、見たかったものを見逃すことがあり地団駄を踏むことが時々あります。じだんだじだんだ それでもとりたてて、生き方を変えようとはしませんが。今回も危ういところでした。ある日ある時、たまたま下車した京王線の某駅で、巨大な魚とそれに跨る武士、破格の構図、ど派手な色彩、という異形の大きなポスターに目を奪われました。国芳だあ! がばと飛びついて確認すると、府中市美術館で「歌川国芳展」が開かれています。しかし開期は今週末まで。こりゃあ山ノ神をし…おっと失言失言桑原桑原鶴亀鶴亀、万難を排して行かねばなるめえ。まずは、歌川国芳のプロフィールをスーパーニッポニカ(小学館)から引用しましょう。
 歌川国芳(1797―1861) 江戸後期の浮世絵師。初世歌川豊国の門人で、幕末の浮世絵界に幅広い作域で活躍した。江戸・神田の染物業柳屋吉右衛門の子として生まれ、俗称を井草孫三郎という。
1811年(文化8)15歳で豊国門下となり、14年ごろ画壇にデビューした。しかし幾年かは振るわず、27年(文政10)ごろから版行され始めた『通俗水滸伝豪傑一百八人之一個』のシリーズにより一躍人気を博して、武者絵の国芳とよばれ、この分野に地歩を固めた。別号には一勇斎、朝桜楼ほかがあり、風景画、美人画、役者絵、花鳥画、武者絵、風刺画、戯画、版本の挿絵、肉筆画など作域は広範であった。その性格も豪放淡泊であり、逸話が多く残されているが、天保年間(1830~44)ごろより多くの風刺画を描き、この方面における第一人者としても活躍した。また風景画にも『東都名所』ほかのシリーズが知られており、洋風表現を駆使したその画風にはみるべきものがある。文久元年3月5日没。
 美術館HPによると、昨年の春、ロンドンで開かれた「KUNIYOSHI」展が大きな話題となり、ヨーロッパを席巻したこの展覧会は、今春ニューヨークでも開催されるそうです。前期展示・後期展示あわせておよそ230点の作品が展示されるとのこと、主要な作品はすべて見られそう、これは楽しみです。薫風爽やかな五月晴れの土曜日、京王線東府中駅から歩いて美術館に向かいました。十分ほどで府中の森公園に到着、昨年の晩秋に紅葉狩りに来て以来ですが、新緑もまたいいですね。散歩をする人、芝生で遊ぶ家族連れ、ベンチで本を読む読書人、池で遊ぶ子供たち、みなさん幸せそうに顔を輝かせています。噴水のわきを通り、並木道をすこし歩くと美術館に着きました。入館待ちの行列もなく、どうやら落ち着いて鑑賞できそうです。
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 二階に上がり、一歩中に入ると、もうKUNIYOSHI-WORLDの炸裂です。大判三枚続錦絵の画面の中、巨大な鯨や鰐鮫や緋鯉がところせましと暴れ蠢く「宮本武蔵と巨鯨」「讃岐院眷族をして為朝をすくふ図」「鬼若丸と大緋鯉」。その大胆不敵な構図と鮮烈な色彩、水や鱗を見事に表現する描写力、それらがあいまってかもしだす臨場感と迫力には言葉もありません。ただただ見惚れるだけです。大判錦絵を横に三枚連ねて大画面とする手法は、国芳の発案によるものだそうです。楽しみにしていた「相馬の古内裏」と「源頼光公館土蜘作妖怪図」は前期のみの展示、嗚呼、もっと早く気づけばよかった。上下ひっくりかえすと別の顔があらわれる「両面相」、裸体の小さな人がごしゃごしゃと集まって人間の顔をつくりあげる「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」、葦の間で陸釣りをする人のシルエットが海老と赤貝に早変わりする「其面影程能写絵 おかづり、ゑびにあかがひ」など、あっと言わせる奇抜なアイデアも彼の真骨頂です。「近江の国の勇婦お兼」では、西洋画のような暴れ馬に浮世絵美人を配置して、奇妙奇天烈な目新しさを追求しています。そう、迫力、アイデア、目新しさを駆使して、江戸っ子たちを徹底的に楽しませてやろう(ひと儲けもしよう)としたのが、国芳という絵師なのだと思います。
 また彼は無類の猫好きで、弟子の河鍋暁斎によると懐に子猫を入れながら筆をとっていたそうです(『暁斎画談』)。私も生来の猫好き、猫をモチーフとした浮世絵もたくさん展示されていたので思わずほくそ笑みながら見とれてしまいました。中でも「其まゝ地口猫飼好五十三疋」は圧巻、東海道(とうかいどう→みょうかいこう→猫飼好)五十三の宿場の名を、五十三匹の猫のしぐさで駄洒落た作品です。のどをかいている猫→のどかい→保土ヶ谷、蛸を噛んでひっぱている猫→おもいぞ→大磯、睦み合う二匹の猫→いちゃつき→石薬師など、「山田君座布団一枚取りなさい」的な駄洒落も少々ありますが、画面いっぱいにあふれる愛らしい猫たちの姿は見飽きることがありません。
 そして忘れてはいけないのが、幕府による天保の改革です。老中水野忠邦が中心となって進められたこの改革は、財政の立て直しや世情の安定化のために質素倹約・綱紀粛正を強く打ち出し、庶民の楽しみであるさまざまな娯楽に弾圧が加えられ、遊女の絵や役者の似顔絵も禁止されてしまいました。さあどうする、国芳。彼はしたたかな手練手管とアイデアを駆使して、「野暮なことすんなよ」とこの改革を嘲笑・揶揄します。人間の役者がだめなら、蛙 (「蝦蟇手本ひやうきんぐら」)や提灯(「道外てうちんぐら」)を主人公にすりゃ文句ねえだろ。似顔絵、馬鹿いっちゃいけねえ、こりゃ壁に誰かが描いたいたずら書きだぜ(「荷宝蔵壁のむだ書」)。ははははは、幕閣連中の苦虫を噛み潰したような顔が目に浮かぶようです。もちろん、これは幕政に対する真っ向からの批判ということではなく、庶民の娯楽に口を出す為政者への反感、彼生来の反骨精神、そして人びとの不満を代弁することで絵もよく売れるというしたたかな計算もあったでしょうね。「国芳の旦那、またやってくれたな」「今度は何をやらかしてくれるんだろう、新作が楽しみだ」という江戸っ子たちの声が聞こえてくるようです。それにしても、こうした浮世絵が蕎麦一杯ほどの値段で手に入ったというのですから、恐れ入ります。一般民衆がこれだけ手軽に気軽にアートに触れることができた時代というのは稀有なことだと思います。しょぼいテレビ番組やゲームや映画に現を抜かす現代人への警鐘ととらえてもいいのではないかな。
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 というわけで、稀代のエンターテイナー国芳の画業をたっぷりと味わい楽しめた至福のひと時でした。帰りに展覧会の図版を買おうとしたら、珍しいことに売り切れでした。うん、よくわかります。誰だって彼の絵を身近なところに置いて、時々眺めたくなりますよね。なお今回の展示で、私が一番気になった絵は「子供あそびのうち 川がり」です。数人の子供たちが川で遊んでいる、とりたてて言うことのない普通の、でもほのぼのとした絵でした。しばし見つめた後、ふと考えました。この絵を、誰が、何のために買うのだろう? あくまでも想像の域を出ませんが、子供時代を懐かしむ人たちだったのではないでしょうか。憂き世の辛苦は今も昔も変わらないでしょうが、そんな時に自分を支え励ましてくれるのが子供の頃の楽しい思い出。「あっそうそう、この遊びは俺もしたよ、懐かしいなあ」とこの絵を買い求める江戸っ子たちがけっこういたような気がしてなりません。もしこの推測が当っているとしたら、そこに目をつけた国芳の炯眼もたいしたものです。そして思い出すに値する子供時代があった、江戸という時代への敬慕を感じます。つい最近読んだ「銃・病原菌・鉄」[上・下](ジャレド・ダイアモンド 草思社)という本の一節に、次のような記述がありました。西洋人よりもニューギニア人のほうが平均的に頭がいいと著者は主張しますが、その理由です。
 それは、現代のヨーロッパやアメリカの子供たちが受動的に時間を過ごしていることにある。アメリカの標準的な家庭では、子供たちが一日の大半をテレビや映画を見たりラジオを聞いたりして過ごしている。テレビは、平均して一日七時間はつけっぱなしである。これに対して、ニューギニアの子供たちは、受動的な娯楽で楽しむぜいたくにほとんど恵まれていない。たいていの場合、彼らは他の子供たちや大人と会話したり遊んだりして、積極的に時間を過ごしている。子供の知性の発達を研究する人びとは、かならずといっていいほど刺激的な活動の大切さを指摘する。子供時代に刺激的な活動が不足すると、知的発育の阻害が避けられないとも指摘している。(上p.28)
 ニューギニア人と同様、江戸時代の子供たちも積極的に時間を過ごしていたのは間違いないと思います。それを懐かしむ大人がいて、そのマーケットの存在に気づいた国がこの浮世絵を描いて売ったという推測もまんざら的外れではないでしょう。これも現代への警鐘ですね。自分の子供時代に、テレビのチャンネル選択権も、ファミコンも、携帯電話も、インターネットも、コンビニも、カラオケもなかったことを(誰に対してかはわかりませんが)心から感謝したいと思います。
by sabasaba13 | 2010-05-16 07:24 | 美術 | Comments(0)
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