会津・喜多方編(10):郡山(09.8)

 それでは郡山市公会堂へと行きましょう。幸い、安積高校前の停留所で駅行きのバスにすぐ乗ることができました。麓山(はやま)公園近くで下り、地図を頼りにすこしうろうろしているとすぐ見つかりました。うーん、これはなかなかの逸品です。正面玄関の三連アーチ、印象的な尖塔とそれがうみだすアンシンメトリーの妙、ゴシック、ルネサンス、アール・デコのフレーバーが混じりあった意匠、いいですね。いろいろなタイプの縦長窓がリズミカルに並び、軽快な躍動感さえ感じます。一説によるとハーグの平和宮をモデルにしたとか。市制施行を記念して、1924(大正13)年に竣工されました。大阪市中央公会堂、旧函館公会堂ともども、大切に保存していただきたいと所望します。そうそう、御影公会堂もなかなかの傑物だという情報を得ました。
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 ここからはやま通りを歩いて郡山駅へと向かいましょう。左手に21世紀記念公園、右手に麓山公園を見ながらすこし歩くと、壁面をほとんどがガラス窓になっている和風建築を発見、これはインパクトがありますね。どういう由緒の建物なのでしょうか。そして如宝寺へ。
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 こちらには1276(建治2)年と彫られた板石塔婆と、1207(承元2)年と彫られた石造笠塔婆という大変古い二つの板碑をガラス越しに拝見することができました。
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 その隣にあるのが金透小学校、その一画に1876年(明治9年)につくられた旧郡山尋常小学校の校舎が保存されています。瓦屋根にベランダ・ポーチという典型的な擬洋風建築で、小ぶりでキュートな佇まいでした。当時の子どもたちは目を真ん丸くしたでしょうね。いかにも古そうな小学校なので、もしや奉安殿があるのではと期待しましたが、ありませんでした。そのかわり、「報徳」と台座に記された二宮金次郎像を発見。そのとなりに「春雪に古るは明治の出窓かな 三汀」という句碑がありました。三汀? 郡山出身の俳人かな、なおこの疑問はすぐに氷解します。
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 さてそろそろ列車の発車時刻です、急がねば。眼前の大通りには横断歩道がなく、地下歩道を歩いて渡ることになっています。楽都もいいですが、もっと歩行者を大事にしてほしいですね。しゃらくさいので地下道をくぐらずに左折してせっせと歩いていると、ちょっと気になる建物が左手の視界をよぎりました。近づいてみると、屋根のつくりや窓の手すりなど、たいへんモダンな印象を受ける和風建築です。解説があったので読んでみると、1883(明治16)年建造と推定される「国登録有形文化財 善導寺庫裡」で、近代和風建築の特徴を遺憾なく発揮している、とありました。なるほどねえ、余の眼力もなかなかのものじゃわいと一人ほくそ笑んでいる場合ではありません、急がねば。しかしここから郡山駅までがけっこう遠かった。あっやっと駅が見えた。
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 結論から言うと…乗り遅れました。ホームに駆け込むと、♪そこにはただ風が吹いているだけ♪ やれやれ。「善導寺の庫裡悪いんだ」などとイソップ童話の狐のような言い訳をするのはやめましょう。自業自得です。ま、これは、「ちゃんと食事をしないといかんぜよ」という神のお告げでしょう。駅構内にあった「湖穂里」に入り、地鶏の親子丼と会津そばのセットメニューをいただきました。
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 余談ですが、この店のトイレ男女表示はなかなか小粋な逸品でした。ちょっとステロタイプなイメージですけどね。蛇足ですが、トイレ表示を撮影する時はけっこう気を使います。下手を打つと社会的地位を抹殺されかねません
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 なおほとんどのテーブルに灰皿があり喫煙が可能、禁煙ブースが店の一部であったので、このあたりでは喫煙に寛容な風土のようです。コメントは控えますが。そして近くの喫茶店で珈琲を飲み、ゆるりと一時間をつぶしました。そうそう駅に「三汀賞」俳句募集というパンフレットがあり、彼の正体がわかりました。郡山で幼時を過ごした作家、久米正雄の俳号だったのですね。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2010-05-19 06:30 | 東北 | Comments(0)
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