会津・喜多方編(11):安積疎水十六橋水門(09.8)

 さてそれでは磐越西線に乗り込みましょう。16:41発の会津若松行き列車に乗り、四十分ほどで猪苗代に到着です。ここで途中下車して、十六橋水門を見て、また猪苗代駅に戻ってくる予定です。次の列車の発車時刻をデジカメで撮影し、羹に懲りて膾を吹く、飛び乗れるように切符も買っておきました。さらに念には念を入れて駅のトイレに入り出すべきものを出していると、「エコ活動にご協力を!! 一日の(筆者注:トイレットペーパーの)平均使用量は男性で3.5m、女性は12.5m」というポスターが貼ってありました。直感では納得しますが、その根拠や調査方法に興味がありますね。
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 そして駅前に出て深呼吸をして紫煙をくゆらしていると、雄渾な容貌の独立峰がそびえたっています。もしや、あれが噂の宝の山、磐梯山ではないでしょうか。
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 客待ちをしていたタクシーに乗って運転手さんに問うてみると、やはりそうでした。おまけに磐梯山が一番よく見えるポイントを通ってくれたので、しばし停車してもらい写真を撮影。こういういい山がある故郷に帰れる人は幸せだなあ、とふと思ったりしました。さて車に乗り込むと運転手から、十六橋水門を見た後、会津若松に直行しても料金はほとんど変わらないよ、というオファーがありました。途中に、会津戦争の古戦場もあるそうです。時間の節約にもなるし、よし、乗った。あっ、切符を買っちゃたんだ… ま、いいや、「呑舟の魚は枝流に游がず」です(何だそれは)。なお近くには野口英世記念館や有栖川宮威仁がつくった別荘・天鏡閣があるのですが、もう閉館時間を過ぎていますのでカット。二十分弱で十六橋水門に到着です。もともとは安積疎水のために1872(明治5)年、オランダの土木技師ファン・ドールンが設計したもので、猪苗代湖の水量を調節するための水門です。なお大正期に改修されたそうですが、どれくらい当時の面影を残すかについてはよくわかりません。今は役目を終えて、その堅牢な佇まいを湖面に映しながらまどろんでいるようです。
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 すぐ近くにはファン・ドールンの銅像とさまざまな記念碑、そして水門事務所がありました。この銅像については「ちょっといい話」がありまして、地元の人が感謝の意を込めて銅像をつくり設置したそうです。ところが、第二次世界大戦の末期に武器製造のために各地の銅像が次々と供出させられることになり、そのとき彼らは、これを土に埋めて隠し、戦後掘り起こして再び台座に据えたそうです。慌ててはずした時の痕跡が今でも残っているとのことですが、これははっきりとは確認できませんでした。「近代化遺産を歩く(p.156~157)」(増田彰久 中公新書1604) この水門と並行してかけられているのが十六橋、江戸時代にはすでに橋がかけられていたそうですが、戊辰戦争の際に会津藩が新政府軍の進撃を食い止めるため落とそうとしたところ、あまりに頑丈でなかなか落とせず、新政府軍の渡河を許したという逸話があるそうです。
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 さてそれでは会津若松に向かってもらいましょう。途中に、戊辰戦争戦死者の墓群がありました。
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 そしてその近くが戸ノ口原古戦場跡です。1868(慶応4)年、戸ノ口十六橋を新政府軍に占拠された松平容保は、急遽、白虎隊士中二番隊を滝沢本陣よりここ戸ノ口原に派遣しますが、孤立無援のすえ敗退。白虎隊は藩主に復命するため後退し、そのうち二十名が弁天洞穴をくぐって飯盛山にたどりつき、そしてあの悲劇となるわけですね。微かな虫の音と風の囁きしか聞こえない静寂の中、供養塔がぽつんと佇んでいました。駆り出された軍夫たちの墓はどこにあるのだろう。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-05-20 06:32 | 東北 | Comments(0)
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